―2日目― 勇者撲殺
書き始めたら、なんかどんどん長くなってしまいました。
不幸な事故により、とっても大きい巨人さんは天の御園ってヤツに旅立った。
本当に、不幸な事故だったWA……私は知らない。何も知らない。見てないから。決定的瞬間は欠片も見てないから……!
「……おかしい」
『うん? どうしたのだ。釈然としない顔をして』
「いや、本当におかしいんだ。私が」
『率直な意見を言わせていただけるのなら、貴女の言動は……いや、なんでもない』
「あっれ何を言いたいんだい、瀧本さん。ハッキリ言ってもらえる?」
『世界中を探したとして、果てしのない距離を落下し続けながら金属バットで素振りを始める女性というのは、果たして全女性人口の何割を占めるのだろうか。少数派だと思うのは吾が世を知らぬだけか?』
「ぐうの音もでないね! ぐう! けど違うよ。私が言いたいのは、そういうことじゃなくって……!」
どういうことだと促す瀧本さんの静かな眼差しに、私はちょっとだけ自分の人間性への不信で躊躇いながらも思ったことを口にした。
「いや、私も人間としてそこまで終わってるつもりはなかったんだけどね? 巨人なんて私の想像を超えるファンタジー生物とはいっても人の形をしたイキモノでしょ? 人間と同じに考えて良いのかわかんないけど」
『結論を述べると、つまり?』
「うん、いやホント自分でもビックリなんだけど……人間っぽい外見のイキモノ死なせちゃった(←殺したと言うつもりはない)ってのに、思った以上に堪えてないなぁ!と。精神的に」
落ち込みも引きずってもいない自分に驚く。でも、そうとしか言えない。
少なくとも瀧本さんを殺しちまった時には、ここまで軽くなかった。今でも瀧本さん撲殺事故や瀧本さん(幽霊)に向き合って心を病まずにいられるのは、まだ蘇生できる、取り返しがつくってわかっているからだ。これで生き返れません!ってなっていたら、私はきっともっと酷い精神状態に陥っていたことだろう。
……撲殺の手応えがあったかどうかの違いだろうか? 死の印象が薄いっていうか……死体から目を離したら、その瞬間に心の切り替えが完了しちまいそうなくらいだ。
仮にも、サイズが大分違うとは言え人間っぽい生物を殺した直後だってのにこれはダメだろう。罪悪感がなくはないが、瀧本さんの時とは比べ物にならないくらいに小さい。本当に自分の人間性がおかしくなったのかと疑うレベルだ。
終わったことは引きずっても仕方ない。だけどせめて御臨終させちゃった直後だろ? もっと引きずれと自分に思う。
同時に、どうしてこんなに気にならないんだろうかと自分の心の動かなさっぷりが疑問だ。これ、やっぱちょっとおかしいだろ?
もやもやとする胸を押さえて唸る私に、納得したとでも言いそうな声で瀧本さんが頷いた。
『そういうことか』
「え、なんで納得されちゃうの。瀧本さん、まさかあんた……私のことをそんな奴だと、罪悪感の欠片もないサイコパス女だとでも思っていたの!? 本当に罪悪感が欠片サイズぐらいしかない現状、否定しようにもしきれないけど!」
『いや、そんなことは……問題は、貴女の心の動きだろう? 巨人を殺したことに対し、何故かあまり気にならないという』
「そうだけど……いや、やっぱ言葉にするとサイコパスそのものじゃ」
『心配せずとも理由はわかる。恐らく貴女は、本能的に察しているだけだろう……巨人が人間とは別種の生き物だと、頭でなく体で理解しているようだ』
「別の生き物でも少しくらいは気にして良いと思うんだ……仮にも人間っぽい外見してるのに。やっぱ私、駄目人間じゃ……」
『人間にとって強大な力を持つ巨人は外敵に等しい。彼らはあまり理性的ではなく、残虐性の強いモノも多いからな。人間に似ているといっても、殺してしまって本当に引き摺るイキモノといえば思い入れのある動物か、知識として重要だと認識しているイキモノくらいだろう。絶滅危惧種とか。試しに聞くが、貴女は自分が運転している車に向かって酔っ払ってふらふらになったサラリーマンが突っ込んできたらどう思う? それでサラリーマンが死んでしまったとしたら?』
「ええ? そんな状況、いざ直面してみないとやっぱりわからないよ。どう思うかって私の貧困な想像力じゃ……『やっべどうしよ、やっちまったぁ! 私の人生終わった!! え、これどうすりゃ良いの!? 警察? 病院?? いや待て、本当に死んで……やっぱ死んでる!? 私の人生、社会的に終わった!!』……って感じかなぁ?」
『では、車ではねてしまったのが野良犬や野良猫、野良亀だったとしたら、どうか。一刻は可哀想だと思うだろう。だが、五年も十年も一度の事故を引きずるか?』
「あー……そうね、確かに殺っちまった直後は凄く落ち込むと思うし、おろおろすると思うけど。そうやって比べられると、確かにサラリーマンを殺しちゃった状況と比べるとショックも少ないかも。直後は気にして、記憶にも残るだろうけど……動物だったら、人間程引きずらない」
『人とは、己の種族とそれ以外を差別する生き物だ。仮に人に似た生物……類人猿や原人、森の人……猿などを車でひき殺しても、人間相手の時ほど心を乱すことはあるまい?』
「いや、原人だったら別の意味で気にすると思う。そんな物が現代に!?って。でも、瀧本さん、人じゃなかったら種族差別はしないとでも?」
『野生の獣であれば、自分と自分の群以外は等しく外敵であろう。襲うことにも容赦はすまい』
「ああ、うん……そう言われるとそうだね。熊の子とか子猫とか、最大の敵は大人の雄だって言うし」
『如何に近しい生物であろうと、外敵を殺して気にしていては命などいくつあっても足りぬ。それが自然界の掟。この世界は人間よりも強大な生物が多い分、特にそれが顕著だ。心に余裕がなければ、他者への憐みなど湧かぬしな。貴女が巨人を殺しても気にならないのは、本能的な部分が外敵の存在を敏感に感じ取り、余裕を持つ暇などないと異種族への冷徹さを促しているのだろう』
「殺しても『外敵だから』で済むってことですか。でも意図せず死なせたなら反省くらいしようよ、私……」
私、図太い……! 巨人やら竜やらが闊歩する異世界なんて場所では、そっちの方が多分良いんだろうけど。
でも繊細さの欠片もない自分に少し落ち込んだ。
私達は金属バットを回収した後、再び龍の背に乗って空へ飛び立つ。
さらば、蹂躙大陸。なんとも言い難い気持ちを置き去りにして、私達はこの大陸を後にした。
……ツンドラ山脈の本来なら『氷の巨人』が住処にしている縄張りを迂回しなくて済むようになった分、移動時間は思った以上に短縮できたようです。
本来なら明日の朝に辿り着く筈の、『青首大陸』。主な支配種族は人間さん。
そんな大陸に、私達は日暮れ前に辿り着いた。
もうすぐ夕方。そんな空の具合を見て、瀧本さんが言った。
『思った以上に予定の消化が進んでいるな。今夜は蹂躙大陸で野営の予定だったが……人間で、しかも貴女は女性だ。体力的にも、今日は色々あって疲れているだろう』
「瀧本さん、急に何を言い出した」
『急ぎの旅ではあるが、予想外の事故のお陰で時間には余裕がある。貴女も、自分を労われる機会は大事にした方が良い』
どこか案じるような優しい声で、瀧本さんが言う。
何が言いたいのかと、私は背後の瀧本さんを見上げた。
……くそ、幽霊だと透けてるせいで顔色が読み取り難いな。あからさまに赤面されるとわかるんだが。
私が問いかける目を向けると、瀧本さんは提案してきた。
『今晩は、人間の街で宿を取るとしよう』
言われて瞬時に脳裏を走ったのは、「宿の部屋は一部屋だろうか二部屋だろうか」という言葉だった。
だけど幽霊に一部屋とか呪われた部屋しか出来あがらんだろうし。きっと私と瀧本さんはセットで一部屋なんだろうな。やだ、お年頃の乙女が野郎と同室なんて☆と恥じらう気持ちが微塵も湧かないのは何故だろう。それはきっと瀧本さんの撲殺遺体の印象が強過ぎるせいね。うん、被害者と加害者って関係性しか脳裏に浮かばんな。
こっちの世界の衛生管理がどの程度のレベルか知らんが、仮に中世のヨーロッパレベルと想定して。人間に汚染されていない素敵な大自然の中で星を見ながらキャンプするのと、衛生って言葉も糞もねぇ汚染に無頓着な人間が管理する中世レベルの不潔なお宿に泊まるのはどっちがマシなんだろうか。うん、すまん、この世界の人。私の中世に対する現代人の無知と偏見で大分悪意のある物言いをしてしまった。実際はどうなのか、期待はせずとも異文化交流くらいの気持ちで楽しみにしておこう。
しかし人間の街で宿をって言うが……人間相手に通用する通貨を持っているんだろうか? 私は疑問に思いながらメルクリウス君に貰った鞄を漁る。わあ、軍資金が出てきたー……お小遣いレベルじゃないな! マジで『資金』って感じだ。こっちの世界の通貨事情はよくわからんが、明らかに単価の高そうなピカピカした材質のコインがどっさりなんだが! これ大金だろう。なあ、大金だろう? 瀧本さんに問いかけると、こくんと幽霊の頷きが返ってきた。やっぱりな!
ちなみに私はメルクリウス君から通貨単位のレクチャーなど受けていない。そういう一般常識その他は全部、瀧本さんがどうせ知ってるから知恵袋的に扱って教えて貰えって言われたー。わあ、瀧本さんって便利☆ 背後霊よろしく背負ってるけど、瀧本さんにもちゃんと利用価値があったんだね。この世のアレコレに幽霊状態だと干渉できないって言っていたが、死んでも知識は有効なようだ。まあ、死に立て新鮮なほやほやの幽霊なので、お持ちの情報も新鮮なんだろう。ありがたや。
「あー……けど、クリームちゃんはどうするの? こんな人間蹂躙しちゃうよ☆みたいなすっごい強そうな龍を連れていくのは……」
『まず街を滅ぼしに来たと思われるであろうな。案じずとも、街より少し離れたところで別れる予定だ。クリームであれば一晩野に放っておっても問題はない。賢い奴故、無用に人間を刺激して争いを招くこともなかろう。クリームも狭苦しい人間の街をわざわざ襲うより、山野に紛れて熊でも襲って追った方が楽しかろうしな』
「ぴぎゃ!」
そうか、私達がクリームちゃんを解放するということは、クリームちゃんのリフレッシュタイムが始まるってことなのか……しかし襲われるのがなんで熊限定なんだ。好物なのか、クリームちゃん。そうか、熊の手は高級食材だもんな。……私にも一匹分お土産にくれないだろうか。明日の夕飯にしたい。
最大の懸念事項と思われたクリームちゃんのことは放置で良いとして、人間の街か。何気にこの世界に来てから初めての人里なんだが……そういえば魔族さんの街すら行ってないね! こっちの世界の文明レベルってどのくらいかなぁ。
「そういえば、瀧本さん」
『なんだ?』
「私って街には入れるの? 身分証明書とか持ってないんだけど」
『なんだ、そのようなこと。案ずる必要はない。……この世界の文明はそこまで進んでないからな。身分証明書を持っている人間など他国に赴く大使くらいだ』
「へー……じゃあ関所とか税関とかどうなってるのって聞くのも愚問かなー……街に入るのって手続き不要?」
『これが国境や交通の要衝に設けられた関所などであれば通過するのにも手続きを要したであろう。しかし入国する人間をチェックすることはあっても、既に国内にいる人間、それも平民の出入りや移動を一々管理などしておらぬ。大きな街には近隣の村々から出稼ぎや行商が来るものだしな。その日に取れた農作物や家畜を売り買いする為に来る民もいる。戦時、あるいは重犯罪者や凶悪な魔物が出没した等の特殊な状況下でもなければ日中は街の門など開きっ放しだ。念の為に兵士の詰め所は併設されているがな』
「わぁい、ザル管理。安全性ってどうなってるのか問い詰めたい気もするけど私にとっては好都合。空から入り込みさえすれば国内どこでも行き放題だね」
『国の中に入ってしまいさえすれば、な。我々もクリームから降りるところを目撃されぬように気を付けねば』
「ところでさ、瀧本さん。実は私……まだ一番聞いておかなきゃいけないことを聞けてないんだけど」
『なんだ? まだ何か心配事が……?』
「うん、あのさ。こんなこと聞かれて気分は良くないかもしれないけど。でも聞きたいの。そう、
瀧本さんって人間の街に連れてって良いのかな? ……って」
私は、改めて背後の瀧本さんを見上げる。
私の背中にくっついて一緒に行動する瀧本さん。
その身体は、うん、どっからどう見ても透けてるね! 如何にもな感じの素晴らしい幽霊ぶりだ。死んだ時の状態が状態なので服装はちょい黒過ぎてアレだけど大丈夫としても、顔面がアウトだよ。顔は綺麗なままだけどぱっくり割れた額からだらりと垂れた血の色が赤くて目立つよ。しかも瀧本さんってば魔王だよ!
パッと見て人間との違いなんてよくわからんが、それは私がこっちの常識に疎いせいかもしれない。こっちの世界の人間さんからしたら、魔王なの一目瞭然!とかだったら私が詰む。絶対に詰む。
もし外見で魔王だってバレなかったとしても、だよ。霊体である瀧本さんの姿は、ぶっちゃけ死んだ……私が撲殺した時の姿に準じている。頭部っからだらだら流血中。わあ、スプラッタだね!
……どっからどう見ても化けて出て祟ってる系のアレじゃん!! 瀧本さんの格好、黒づくめなのが余計に雰囲気演出しとるんだが!
こんなの人間の街に連れてっても良いのか……? ドン引きされるならともかく、迫害されない? ねえ、街に近づいただけで追い払われたりしない?
私のこの不安は、当然の物だと思うんだけどな。すっかり一緒に移動することが自然とばかり私の背後にくっついている瀧本さんは、私の言葉に最初首を傾げていやがった。やがて私の主張に納得したらしく、ちょっと頷いていたけど切羽詰りはしない。なんだ、その余裕は……!
なまじ私が焦っているのに瀧本さんが平然としているのを見ると、なんだかちょっぴりイラッとした。
顔に不機嫌が現れたのか、むっとしている私に瀧本さんが苦笑する。
『案ずるのは理解できる。これは説明を忘れた吾の手落ちといえよう。貴女が不安がることを見越しておけなんだ』
「……それで、大丈夫なのか大丈夫じゃないのか、どっち?」
『結論から論ずるのであれば、『大丈夫』であろう。今の吾は素養……霊感の強い者にしか見えぬ。魔術の領域とも関わるので騎士や貴族の身分には見える者も多かろう。市井の者であっても、素養があれば見えるであろうが……』
「いや、それ全然大丈夫じゃなくね? 一定数の人間には確実に見えちゃうってことじゃ……」
『だが問題にはならぬだろう。吾の姿を見て、貴女はどう思う?』
両手をパッと広げて瀧本さんが誰に恥じることもないとばかりに曝すのは、割とおモテになりそうなその外見。
ただし現状透けている上に、自分の流血に塗れてらっしゃる上半身。
血でべったりと濡れているけど、よく見たら衣装は見事なものだ。お陰で余計に陰惨な事件のニオイが漂っとる。
どこからどう見ても世に恨みを残したワケあり感漂う怨霊です。有難うございます。
その背景にあるのはただの撲殺事故だがな!
「ええと、ああ、うん、瀧本さんのお姿ね……たいそう立派なお召し物で。うん、うん……なんというか、コスプレ? ハロウィンは十月三十一日ですが」
『何やら論点がずれたな……。これはコスプレではなく、この世界の貴族位にある男性の一般的な盛装だ。流行り廃りによって時代と共に意匠が違いはするが、基本的な型はここ数百年変化していない。また人間達と魔の者とでは流行に違いが生じる為、人間の目から見るとパッと見ただけでは今とは違う流行に影響されていた時代……つまりは何十年と前に死んだ貴族位にある男の霊に見える筈だ』
「それもどっからどう見ても他殺体の、怨霊にな。って、つまり流行遅れの殺され男に見える訳ですか」
『言葉の印象が悪いな。だが、その通りだ」
「……つまり、今の私は数十年前に死んだ貴族の男にとり憑かれているように見える、と」
『そういうことになる』
「………………」
『私が背後に控えているからといって、貴女が直接殺めたと思うものは皆無だろう』
呪われてんじゃん。
それ、犯人に見えなかったとしても呪われてるように見えるじゃん……!
厄介事の匂いしかしないよ! どっからどう見てもワケありですってプラカード掲げてるも同然じゃね? ますます街から叩きだされる未来しか見えん。
『それで対処法だが、』
「対処法があるの!?」
厄介事をどう乗り切るかと頭を痛めていた私に、瀧本さんから救いの声。
この事態をどう乗り切るのか、私には想像がつかない。
だからこそ、瀧本さんの声に希望を感じてじぃっと凝視してみたが。
瀧本さんは、気負うこともなくハッキリと断言した。
『ああ、簡単だ。吾が見えないふりをする。これだ』
自信満々に何を言うかと思えば。
見えないふりって……私の目にはしっかりばっちり見えとりますがな!
それを見えないふりしたくらいで……どうにかなるものなんだろうか。
結論から言うと、どうにかなった。
現在、私と瀧本さんはとある人間さんの築いた街に入るため、街門前の行列に並んでいる。
なんでもこの世界は結構物騒な感じらしく、主だった町や街は外敵の侵入を阻む壁付きなのがセオリーだとか。城砦都市ってヤツだね、知ってる知ってる。
変な奴が入り込まないよう、入口も限定されているから通りたい人間で当然ながら行列が発生中だ。
よほど変な奴でもなければ詰所の兵士さんに引き止められることもなく素通りらしいんで、セキュリティとしてはザルだと思ったが。
それに不審人物扱いで引きとめられたとしても、簡単な質疑応答と持ち物チェックで通してもらえるらしい。一応、書類に名前も控えられるらしいけどね。
私は十中八九、行列に並ぶ前の段階で引き止められるものと確信している。だって背後の瀧本さん、めっちゃ怪しいもん。不審なことこの上ないもん。
私だったら、まず止める。止めて、相手の審議を一度はしとかないと給料泥棒になりかねん。
現に今だって、実は行列に並んでいるというのに私と瀧本さんを挟んだ前後には明らかに隙間が空けられている。うん、これを遠巻きにされるっていうんだね。避けられてる。同じ列に並んだ前後の人に、思いっきり避けられてるよ……!
一定数以上の人間には幽霊見えるけど、庶民だったら見えない人も多いよ☆みたいなことを瀧本さんが言っていたと思うんだが……私を挟んだ前後のグループは全員庶民じゃないとでも言うのだろうか。いや、庶民だろ。絶対に庶民だろ。牛をつれて鶏の卵と野菜の束を背負った農家のおばさんにしか見えん。行商ですか、御苦労さまです。
後ろに並んでいる農家のマダムをチラリと見たら、即座に全力で視線を逸らされた。わーお、露骨。そんなに厄介事のニオイしますか? しますね、うん。知ってた。
時々、お?ここ空いてんじゃん!みたいなノリで割り込み狙いのオッサンとかが入り込んで来かけるが、その度に私(の、背後の瀧本さん)に気付いた途端にハッと表情を改めてそそくさと逃げていく。私の方を見ているようで、その視線の位置は明らかに私の斜め上……瀧本さんの頭部がある辺りにしっかり固定だ。あれ絶対見えてるよ! 瀧本さんの嘘つき! 今のところ視線の合致率百発百中じゃん!
見えない人も少しはいるっぽいが、私の近くに来そうになると周囲の人間が引き止める。うん、助け合いの精神って素晴らしいね! 私、超絶のけもの! 全力でドン引きされてる! 物理的に!
こんなに精神的にも肉体的にも距離を取られるなんて初めてだよ。瀧本さんの言葉を信じた私はお馬鹿さんだったんだろうか。
そんな状況が変わったのは、案の定、門を潜ろうとして兵士さんに足止めを食らった後のことだった。
「えーと、お嬢s……お坊ちゃん? お嬢さん?」
「お嬢さんです」
「お嬢さんね、ええと名前は? エマージェンシー? 変った名前だねぇ」
「いや、エマージェンシーじゃないから。ジェンシーいらない。絵麻だから」
「ああ、エマちゃんね、エマちゃん。それでエマージェンシーちゃん、ちょっと軽く質問させてもらうけど……ええと、その、背後のそれってさ……」
「背後? どうかしたんですか」
「あー……いや、えっと、そのね? ちょっと聞きたいんだけど………………その、見えてるかい?」
「はい? 見えてる、とは……?」
私は目で語った。「なにが?」と。
人の良さそうな、言い方を変えると良い感じに平和ボケしてそうで親近感の持てる兵士さんが三人。
その内、小隊長っぽいおじさんと簡素な木のテーブルを挟んでお話合いだ。
おじさんは、歯に物の挟まったような、とっても何かを言いたげだけど言い難そうな口調でうろうろと視線を彷徨わせる。
うろつく目が、時々私の背後斜め上辺りに固定されるのはなんでだろーねー。あはは、私わっかんないやー。
ナニかを察してほしそうなおじさんの期待に応えることも、空気を読むこともせず。
私は小首を傾げて、渾身のきょとん顔で何もわかってなさそうに空っ惚けた。前世の恋人を探して遠いどこかに旅立った兄貴には負けるが、私のすっ惚け方も中々にクオリティ高いと思うんだ。学校の先生に悪戯がバレそうになっても犯人特定に至らず有耶無耶にさせ続けた実績が私にはある……!
くっくっく、数々の実績を誇る私のきょとん顔は効いただろう?
小隊長っぽいおじさんは、ますます困ったような顔で私と瀧本さんをさりげなく何度か見比べて。
やがてそろ~っと、瀧本さんから視線を逸らした。
瀧本さんの言った通りだ。明らかにヤバそうなのに、当人が見えてない。気付かない。そんな場面に遭遇した時、どうする?って瀧本さんは言った。
答えは簡単、見て見ぬふりだ。っつうか、見なかったことにして目を逸らす。
『良いか、よく聞くがいい。人間とは……厄介事や面倒事からは目を逸らすイキモノだ。一定数以上の人間には、確かに吾が見えることだろう。いや、一定数どころではない。恐らく民間人でも吾が見える者は多い筈だが、確実に全員が目を逸らすと断言しよう!』
「駄目じゃん! それ一定数どころじゃないんじゃ……やっぱり駄目じゃん!」
『だがな、良く考えてもみよ。明らかに貴族に見える吾だぞ? しかも撲殺されて流血しておる。……どう見ても面倒の気配しかせぬ、見るからに悪霊だ。こんな悪霊に憑かれていても平和な顔をしている者がおれば……思わず目を逸らしてみなかったことにせぬか? 実害はなさそうだと、尚更に!』
「やべぇ、謎の説得力! 言われてみるとそんな気がしてきた……!」
――というのが、街に来るまでに瀧本さんと二人でした会話で。
目の前には瀧本さんの予測通りの光景がある訳だ。瀧本さん、頭良い。頭脳派魔王ってやつだな。
兵士さんも自分では気付いてないけど悪霊に憑かれてるね☆ってだけではどうとも出来るまい。
これが怨霊魔王を操って街を混沌の渦に叩きこんでやるぜぇあっはっはっはっはー!!とかいう悪党だったら投獄でも何でも出来ただろうが、無害っぽさを全力で醸し出す私に、兵士さん達の困り顔が加速する。
結局、無罪放免で街に解き放つしか彼らに選択肢はない。
それでも持ち物検査はされたがな!
「……ええ、と、これは?」
「金属バットです」
「バット? よくわからんが……金棒をホルダーもなしで剥き出しのまま持ち歩くってのはどうなんだ。護身用か?」
「護身用というか、実は……この金棒、手から離れないんです」
「えっ」
「……元は、うちの蔵の奥深くにしまいこまれていた物なんですが。どうも先祖の誰かがどこかのお貴族様にお仕えしていた頃、退職する時に餞別として賜った物らしく。詳しい来歴は知らないんですが、家宝としてしまいこまれていたんです」
「貴族から……先祖が、昔に」
私の言葉を聞いて、兵士さん達がちょっと挙動不審になる。その目はじろじろと瀧本さんを観察していた。三人分の視線を受けて、瀧本さんが薔薇を咥えてポーズを取った。あははははナルシストっぽい。笑わせにくるの止めろや。今、とっておきの作り話してんだから。真面目な顔が肝なんだぞ?
私は瀧本さんの妨害にもくじけず、そっと憂いを忍ばせて目線を伏せた。よし、瀧本さんを視界から追い出してやったぜ!
「何十年か何百年か知れませんが、ずっとしまいっぱなしだったので手入れをしよう、と……ケースから取り出して以来、私の手から離れなくて」
「え、でもさっき、テーブルに一度立てかけて……」
「僅かな時間は大丈夫なんです。でも時間が経つと……私も知らない内に、勝手に手の中に……」
「うわぁ……」
もうじろじろなんてレベルを超えて、兵士の一人が瀧本さんをガン見していた。
ははははは、そうだろうそうだろう、見てしまうだろう。わかっていてやっている。今の作り話を聞くと、瀧本さんが憑いているのは私本人ではなく金属バットだって思えてくる筈だ。今のこのバットには中二臭の漂う、いかに持って感じの装飾がくっついてるしな!
多分、兵士さん達はこう想像を働かせている筈だ。きっと昔の貴族が他の貴族を殺害するのに使った曰く付きの金属バットを、都合のいい厄介払いとして私の先祖に下げ渡したに違いないと……!
真実ってのはこうやって捻じ曲げられていくんだろうなぁ。故意だけど。
「それって呪w……いや、何でもない」
「これはもう呪われてんじゃないかって、それでうちの家族や近所の人が言うんですよねー!」
「誰でもきっとそう言うぜ、お嬢さん……そんなかんらかんらと笑って、肝っ玉太ぇな」
「それで偉いお坊様に呪いを解いてもらってこいって言われてしまいまして。親戚中からかき集めた軍資金持って偉い聖職者ってやつを訪ねていく途中なんですよー」
「ああ、それでこの……謎の大金、か。お前さんの右手の金棒を見てなかったら、押し込み強盗かと疑うところだぜ」
「やっだなぁ、兵士さん! 私はか弱い女の子ですよ? 強盗なんて出来る訳ないじゃないですか~」
「それもそうだなぁ。しかし世間様ってのは物騒なもんだ。どこの田舎から出てきたか知らねぇが、女一人は危険だぜ? それもこんな大金抱え…………いや、なんでもない」
女の一人歩きってだけでも危険だけど、一人旅はもっと危険。
ということで私のことを心配してくれたらしき親切な兵士さんは、私のことを案じて苦言をくれようとしたみたいだが……私の背後の瀧本さんとバチッと視線が合って、すっと目線を下げた。同時に言おうとしていた言葉も下げた。どういうことだ。
私の後ろの方で、兵士の下っ端っぽいお兄さんが同僚にぼそぼそと話しかける。小声だけど、人の少ない室内なんで結構ハッキリとその囁きが耳に届いた。
「……やっぱ、あんな呪われそうな怨霊背負ってたら、なぁ」
「ああ。アレから金を盗ろうとか、襲おうとか……そんな度胸のある盗人はそうそういないだろうな」
「下手に手を出したらこっちが呪われそうだしなぁ」
うん、正直なのは良いことだ。だがハッキリと聞こえてるぜ、兵士諸君!
結局、予想通りに呪われそうだけど無害な女ということで私は無罪放免!
あばよ、兵士さん達。ちょっとだけ世話になったぜ!
こういう不審者として留め置かれた場合、『通行料』を払うのが一般的らしいが、私の場合はそれもナシ! 下手に金を出させて、お布施が足りなくて呪いを解いてもらえず不審死した……とかなると寝覚めが悪いって兵士さん達がぼそぼそ言ってた。つまり瀧本さん効果だね!
私は兵士さん達に解放され、颯爽と歩いて街に突入した。街でも皆の視線を独り占め☆しちゃうんだろうかとちょっとだけ憂鬱になりながら。
……が、だがしかし。
驚くことが起きた。民衆の目につく所に足を踏み入れたら、今度も遠巻きにされて視線が殺到するだろうと思ったのに! なんと、逆だ。
驚くべきことに、私達は人込みに埋没した。というか瀧本さんを背負っているのに、全然遠巻きにもされないし、目立っている様子もない。
これはどういうことだ……もしや今になって瀧本さんの希望的観測が的中したか?
さっきの行列とのあまりの様子の違いに、私は戸惑ってしまう。どういうことかと目で瀧本さんを恫喝するくらいには動揺していた。
『言ったであろう? 問題はないと』
「それにしてもあまりに扱いが違い過ぎて困惑するんですけど」
『霊など見えたところで、一般市民にはどうすることも出来ぬしな。干渉不可能な厄介事が目の前にあったら、小市民はどうすると思う?』
「その質問の答えは分かりきってるよ、瀧本さん。さっき、兵士さん達の反応で見たしね。……ああ、つまり、そういうこと?」
『そういうことだ。人間の庶民はあまり魔法に関わりがなく、馴染みも薄い。そして幽霊を見ることはあっても対処法を持ち合わせぬ』
庶民さんには幽霊ってのは見ても見えなくてもどうでも良い存在。むしろ下手に見えたと騒ぐ方が幽霊の関心を引いて厄介。いっそ放置した方が無害。
一般市民の皆さんは、生きていく中で培った経験則により、そのことを重々理解していらっしゃる。
つまり、悪霊だろうと自爆霊だろうと御先祖様だろうと、幽霊の類が見えても見て見ぬふりをする習慣が染みついているらしい。それも、そもそも幽霊なんてワタシには見えないわ、と自己暗示にちかいレベルで。
大多数の民衆にとっては幽霊なんてそんなもの。
『吾は断言しよう。庶民というものは、空気を読む力に長けた生物だと! 彼らは吾が見えても脳内で見えていないことにして、これ以上なく無視してくるわ!』
「うっわ、根拠があるのかないのか微妙によくわからんのに説得力が物凄い! なんだかそう言われるとそんな感じがしてきた……!」
『彼らは自分で本当に見えないと思い込んでいるからな。少々視界に過ったとて、気のせいだと判断する。あのスルーっぷりは感嘆に値するぞ』
うんうんと頷きながら、自信を持って断言する瀧本さん。
やっぱり凄い説得力で、私も思わず納得してしまう。
だけど、次の瞬間。
「――う、うわぁ~んっ!! くろいオバケー!! こわいー!!」
「しっ、坊や! 見ちゃいけません!」
結構近いところで、そんな声が上がった。幼い、小さな子供のぎゃん泣き入った声が。
その声が泣いてる原因は……うん、確認するまでもないな。明らかに瀧本さんのことだろ、これ。
「パパ、パパ、魔王がいるよ! こわいよ!」
「ははは、坊や。あれは枯れ木が風で揺れているだけさ」
「魔王の娘もいるよ、パパ!」
「あれは柳の木だよ、坊や」
「ちくしょう! 話にならないよ! パパのばか、魔王に食べられちゃえー!! うわぁあん!」
「なんてことを言うんだ、坊や!」
妙に凪いだ空気の中、沈黙を纏って瀧本さんを見上げる私。
瀧本さんは明後日の方向へ視線を逸らしながら、ぼそっと喋った。
『ただ、子供はまだ幼いが故に空気を読むことが出来ぬ場合も多々ある。年月と共にこういう対処法は身についていくものだからな、仕方あるまい。幼子は関わり合いにならぬ事が肝要と知らずに無用に騒ぎ立てる』
「つまり大人は自然と目を逸らして見えないことにするけど、子供が瀧本さんを目撃したらガチで騒ぐ恐れがあるってこと? それでアレが実例か」
私と瀧本さんは、そそくさとその場を後にした。
いくら魔王だって泣く子にゃ勝てねーよ、うん。
そうして私達は兵士のおっさんに紹介してもらった宿屋を目指す。
なんか少々のことは気にしない、気の良い女将さんがいるらしい。
私達のこともあんまり気にしないで、易々と宿泊させてくれた。
「一泊三百アヘンになります」
通貨単位はアヘンって言うらしい。だから誰だよ、そんな名前にしたの! 異文化? これが異文化か。気になっちゃうのは日本人の私だけですか、おい。
宿屋は思ったより清潔だった。お風呂はないけど仕方ない。その代わりにシーツはお日様のにおいがした。
ご飯は宿屋の隣にある食堂……飲み屋で食べた。
ゲテモノ料理も覚悟したが、本日のスープはキャベツと腸詰という思ったより普通の具材。お米の代わりになるような主食は置いてなかったが、肉料理は種類が豊富。
飲み物はアルコールばっかり。日本じゃまだアルコールに制限がある年齢だけど……ここ異世界だし良いよね! 他に飲む物もないし、いっちゃって良いよね!
「ええと、料理の名前が読めないから瀧本さん通訳よろしく」
『ああ、任された。だが青首大陸は識字率が低いからな。メニューは給仕係が口頭で説明してくれる』
「なるほど!」
色っぽいウェイトレスの説明を受けて、幾つかの料理を頼む。資金は潤沢だ、躊躇いはない。
だけどここは未知の世界、未知の食材。未知の料理を頼むと思えばものすっごくドキドキしちゃうね!
「ええと、飲み物はホットワインで。それからスープと豚肉さんの野菜炒めと鳥の串焼きと……蛙の串焼き、一本頼んでみちゃおうか!?」
『ここぞとばかりにゲテモノに……敢えてチャレンジしてみるつもりか!』
「蛙ってどんな味だろう。鶏肉っぽいって本当かな!?」
大衆酒場的な場所だけに、味も民衆受けがする感じだった。高級料理とはまた違った味わい。夕飯は美味しくいただきました。
串焼きを一本むっしむっしと食い千切りながら、そういえばとふと気になったことを瀧本さんに問いかける。
「ところでさー、瀧本さん」
『ん? なんだ』
「私も霊感なかった筈なんだけど、なんで瀧本さんのこと見えんの?」
我ながら、なんという今更な問い! 瀧本さんも私の顔を見下ろしてぽっかーんと半分口を開けていた。
『まさか、今になって問われようとは……』
「うん、自分でもそう思う。なんか変な話、さっきまで瀧本さんが見えることに疑問なかったし。でも見える人と見えない人がいるんでしょう? 霊感ない筈の私になんで見えるのさ」
『貴女は、仮にとはいえ私を殺した。それが理由だ』
「うん? どういうこと?」
よくわからんが、私が瀧本さん(霊体)が見えるのは、私が瀧本さんを撲殺(仮)したせいらしい。
どういうこった、おい。
『この世界では殺した者と殺された者の間に特別な繋がりが出来る。大抵の場合、殺された者にとって殺した者は唯一無二の相手となる分、繋がりも強固だ。また、殺した方も初めての殺人であれば相手は無二の存在。やはり繋がりは強固なものとなろう』
「運命の赤い糸ですね☆ 特別っていうか物騒な関係だな、おい」
『血の色という意味では確かに赤だな。この世界では広く知られた常識で、あからさまな殺人の抑止になっている。一般的には『怨嗟の呪縛』と呼ばれている呪いの一種だな。まあ殺人の抑止とはいってもただ単に殺した相手の霊体が見える・聞こえるだけなので全く意にも留めない図太い精神の持ち主であれば何のダメージもないのだが』
「わあ、とっても不穏っていうかどす黒い名前ー……。確かに、自分の殺した相手に問答無用で憑かれるとか、その幽霊が常時見えるようになるなんて前提があったら殺人事件も減りそうだ。少なくとも、衝動的な殺人は減るかな? いや、逆に考えなしの衝動殺人の方が躊躇しないのか……? 計画殺人だったら考えている内にやっぱやめようってなりそうな気も……」
『毒殺など、殺害者の姿が見えない方法で殺された場合、被害者の方に明確な心当たりがなければ怨嗟を向ける先が特定できずに不成立となることが多いようだ。逆に誰に殺されたのか被害者にはっきりとしたイメージがあれば、予想があっていれば怨嗟の呪縛が結ばれ、的外れであれば一方的な思い込みによる怨念で繋がれた背後霊が出来上がるな。心当たりが複数あれば、やはり相手を特定できずに『怨嗟の呪縛』は成立しない。あとは心残りがない場合や、殺されるにしても殺される側が潔く納得できる場合は成立しないなど……心残りと恨みの発生する殺人に伴う現象だと考えればわかりやすいか』
「瀧本さんの場合も、私を恨んでいる……?」
『いや、吾の場合はイレギュラーとしか言えまい。心残りという意味ではそうだが、復活を前提に動いているのに恨みなど残る筈がない。吾は完全に死んだ訳ではないしな。ただ変則的に適用されて貴女に見えるようになっているようだ』
「便利なような、怖いような。まあ、便利だから良いけど……ところで巨人は?」
『アレは即死だったからな……自分がどうして死んだかも理解できていない一瞬のことだ。心残りも恨みも残る筈がない』
「うっわぁー。私って運が良いの、悪いの?」
『総合的に見ると悪いのではないか? しかし貴女にとっての最悪は回避されているのだから、悪運が強いというべきかもしれんな』
「すっごい複雑」
確かに言われてみれば、この世界に引っ張り込まれてからこっち、凄まじく怒涛の展開で。
なんか金属バットに振り回された一日だった。やっぱ呪われてんだろうか、あのバット。
複雑な思いを抱えながら、私は宿のベットに潜り込む。
あまり明かりのないこの宿じゃ、日が暮れると何もすることがないし。行燈の油を補充するにも追加料金が付随するらしいし。
それに今日は怒涛の一日だったから。
知ってるか? 私がこの世界に来てからまだ一日経ってないんだぜ? 僅か一日足らずの間に魔王だの巨人だの龍に乗って空の旅だのやってたんだぜ? そりゃ疲れるでしょ。
という訳でもうくたくたの体をシーツに沈め、私は夢の世界に旅立つこととした。本当に、今日は色々あったなぁ。
「瀧本さん、おやすみー」
『ああ、おやすみ』
その夜は、なんか屋根の上かどっかでどったんばったん何かが暴れる音が一晩中続いた。野良猫か何かが喧嘩でもしてんのかね。
疲れていたお陰でぐっすりだったけど、この疲労感がなければ睡眠不足になっていたこと請け合いだ。
うぅん、うるさいなぁなんて夢の中で思いつつ。
やがて私は異世界生活二日目の朝を迎えた。
「おっはよー、瀧本さん。…………ん? あれ? なんか元気ない?」
『疲れているだけだ、大事ない……』
「幽霊が疲れるってどういうことさ。あ、あれかな。昨日の夜は屋根の上がなんか騒がしかったもんね。野良猫の喧嘩かなって思ってたんだけど……瀧本さんもやっぱり五月蝿くて眠れなかった口?」
『そもそも幽霊に睡眠は必要ない。……が、そういうことにしておいてくれ』
「本当にお疲れだね、瀧本さん。大丈夫?」
朝、何故かぐったりしている瀧本さん(霊体)と朝日の中で朗らかにご挨拶。朝日に幽霊って、シュールな組み合わせだなぁ。日光に透けてそのまま溶けていきそうだけど、そんなことにはならないよね?
今にもご来光に晒されて成仏しちゃうんじゃないかとハラハラしながら、私達は騒動に欠かない道行の二日目を開始した。
一応、急ぎの旅だ。朝一で宿を出て、街の外でクリームちゃんと合流しよう。
……と、思っていたんだけど。
事件は人もまばらな早朝だろうとお構いなしにやって来た。
私達が宿を出た、その一歩目に被る様にして。
覇気に満ちた、つまりは暑苦しい怒鳴り声が降りかかる。
「――この街に侵入した、呪われ女というのはお前か!!」
その第一声からして、既に色々と物申したいんだが私は喧嘩を売られているのだろうか? いい値で買う気はないぞ? ん?
何となく私のことを言われている気がして、顔を上げる。
そいつは私の真正面、宿の出入り口と相対するようにして、通りの真ん中で仁王立ちしていた。どうでも良いが通行人の邪魔になってるぞ、おい。遠巻きにされてスペース空けられてるから気付いてないっぽいが、アンタの背後を通るおじさんが邪魔そうな顔してるぞ。気付いてやれよ。
これが布の服をまとったモブ臭漂う村人A的な青年だったら、そこまで邪魔にもならないんだろうけど、そう、人ごみに埋没して。
だけど目の前の野郎はどこのRPGを意識してるの?って真顔で聞いてみたくなるような装飾性の高い鎧を着ている。その分、嵩増し状態で場所を取ってやがる。赤と金を差し色にした白い鎧とかどこの会場から抜け出してきたコスプレイヤーだよ。滅茶苦茶目立つ。つまりそいつに絡まれている私も結果的に目立つ。おお、なんてこった迷惑だ。
外見が金髪碧眼の美形ってところがまた痛いな。なんか道を踏み外した感ある。手に握った剣がこれまた派手なんだ。それ本物だろ? そんな装飾の多い剣持ってさ、お遊戯会の小道具かと思ったぜ。実用性ってものをもうちっと重視しても良いんじゃね? 年齢的に。おいおい中二病とはもうオサラバしても良い年頃だろう? 何歳になっても卒業できねぇ奴はいるがな! 前世の恋人を探しに行ったうちの兄貴とか!
ツッコミどころを探せばわさっと出てきそうな空気を感じた。私を睨みつける眼差しは真直ぐだが、その分思い込みが激しそうだ。というか現時点で既に何か思い込んでそうな気がするぜ。
しかし、私は考えた。
別に私、名指しされてないじゃん? お前か?って聞かれただけじゃん。
そして今の私は瀧本さんのことなど対外的には見えないことになっている。
だから私は。
「……っておおぉい! 素通りするなぁ!!」
「え? 私の事ですか?」
心当たりがないからきっと人違いだよね、と行動ですっ惚けてみたが、見逃してはくれないか。チッ。
「ナニ当然のような顔してどっか行こうとしてるんだ! お前以外に呪われてそうな女なんていないだろ」
「出会い頭に失礼な方ですねぇ。私のどこがどう呪われてるって?」
「どっからどう見ても呪われてるじゃないか! お前の背後に背負ったソレはなんだ!?」
「はぁ? 背後がどうしたって? ああ、リュックサックですが。言い方を変えれば背嚢? 見て分からないんですか、そうですか、節穴ですね。目。遠くの景色を眺めると鍛えられるそうですよ?」
「誰が荷物のことを言った! 一欠片もそんなことは言ってないぞ」
「背負ってるの云々言ったじゃないですか! 本当に何なんです、藪から棒に!? 失礼じゃないですか、年頃の小娘に向かって呪われ女なんて言いがかりつけて! 弱い者いじめですか!? 恥ずかしいですね! ぷふっ」
「鼻で笑うなー!! 俺が言っているのは荷物じゃない! その背中の真っ黒いヤツのことだ!」
「真っ黒? ……髪の毛だったら背に垂れるほど長くないんですけどー」
「ちがぁぁぁあああう! 惚けてるなよ、黒いのって言ったら一つしかないだろ!?」
苛立ちを募らせた男は若く未来への希望で満ち溢れてそうだが、カルシウムは足りていなさそうだ。小魚食えよ。この程度の煽りに反応するなんて我慢の足りない子だ。
足りない子なんて言いつつ、目の前の野郎はそこまで年下には見えない。ここの人達は顔立ちの系統が日本人とかけ離れてるんで年齢が読み難いが、多分、二十歳前後ってところだ。もしかしたら二十五歳くらいいくかもしれん。そうなると私より年上の可能性もある訳で。
まあ、小娘相手に煽られてる時点で精神面は間違いなく青いがな!
「なんなんだよ、お前! 本当になんなんだよ!」
「そういう貴方がなんですか。人を呼び止めて置いて名乗りもしない貴方に言われたくないっすね」
「……俺を知らないっていうのか?」
「あ、もしかして街の有名人さんでしたか。すーいませーん、私、田舎者なんでぇ。ほら、自分のテリトリーじゃ有名でもぉ、遠く離れるとー……ねぇ? 私が知る訳ないですよ」
取敢えず初対面なのに失礼な態度を取られてマジでイラッてしてたんで、煽れるだけ煽ってみた。でも私の煽りスキル低いからなぁ。これで煽られてくれるか……あ、煽れてるっぽい。やったね! 私以上に苛々が募ってしまえ、ざまぁみろ。
ぎりぎりと奥歯をかみしめる、コスプレイヤー顔負けのビジュアル野郎。一方、奴が腹立たしそうになればなるほどニヤニヤが増していく私。あっはは、私ったら性格悪ーい☆ うん、自覚はしている。直す気は今のところ皆無だがな!
「俺を知らないなんて、どこの田舎者だ。俺を――このセミトレヤ王国第三王子にして勇者ヘリオス・セミトレヤを知らないだなんて!」
「うん? 蝉獲れや? ――虫取り網と虫篭が似合う季節になりましたね……それは、そう、人が青春の宝石と呼ぶ季節、夏……!」
「何を言ってるのかわからないが馬鹿にされたことだけはわかったぞ!」
「しかし、勇者。勇者ですかー……そうですか、はい」
「お前、信じてないな。痛々しいモノを見る目を向けてくるのは止めろ!」
いや、痛々しい物を見る目になるのも仕方ないと思うんだ。だって勇者でしょ、勇者。異世界だからいてもおかしくないのかもしれないが……ぷふっ!
「また笑ったなー!?」
「おっと失礼」
今にもなんだかガルガルと犬の様に唸りそうなくらい、頭に血を上らせてしまった勇者(笑)野郎。
そんなヤツを宥めよう抑えようと左右から取り縋る……うん? お仲間かな? いたんだ、仲間。あまりに野郎の存在感(装備)が際立ってるから気付かなかった。
面子は勇者以外は二十歳は超えてそうな男二人と、十歳になるかならないかの女の子一人。
男の一人と女の子はずるずる引きずるような袖の長い服を着ていて、ゲームで言うなら後衛って感じ。一方、男の一人はバリバリの前衛職って感じで筋肉にも厚みがあった。
どうやら一人でやって来たわけじゃないようだが、複数人で女ひとり(私)を取り囲む気だったんだろうか? 勇者を入れたら男が三人もいるじゃん。一人はモヤシだが、それでも男三人で女一人を囲もうって言うのか? 男のクズだな。最低クズ野郎だ。
私は痛々しい物を見る目から蔑む目に色を変え、さりげなく逃走に備えて足を引く。
このまま相手をして、痛い目を見るのは嫌だ。人ごみに紛れて逃げてしまいたい。
そろりと私達を遠巻きに囲んだ人ごみに、こっそり爪先を向ける。気配を探る様に集中すると、野次馬の皆さんの噂話が耳に届いた。
「――おい、勇者殿下だぜ。女ひとりに絡むなんて……そりゃ、どう見ても呪われてるが。ありゃ本人が悪いようにも見えねえ。言いがかりだろ」
「ほら、この前さ。賢者様の到着を待たずに西の森の魔女討伐に行って失敗してただろ。賢者様が合流する前になんとか失点を取り戻したくて必死なんじゃねえの。あの女の子も気の毒によぅ……」
「それってあの女の子を捕まえて、『魔女を捕まえた』って体裁を整えようってことか!?」
「い、いや、誰もそこまでは言わなねえが……でもあの勇者殿下だぜ? 今までも無茶苦茶やってきた殿下のこった、また何かやらかしても不思議じゃねえ」
「……やっぱり噂は本当なのかね? 先代の勇者様を、勇者の称号欲しさに暗殺したっていう……」
「しっ 馬鹿、本人の近くだぜ!? 誰が聞いてるともしれねぇんだから不用意に迂闊な話は止せよ」
「あ、ああ、済まない……」
……うん、なんだか中々にダークな話が聞こえてきたよ? っていうか私、とばっちりかよ!!
所詮は噂なんで真偽のほどはわからんが、理不尽だと思うのは気のせいか。おい。
捕まえられなんぞしたら、瀧本さん(魔王)の復活に差し障るじゃないか! 絶対に致命的なタイムロスになっちゃうだろ!
切実に逃げたいなぁと思う。真偽はよくわからんが、噂になるくらいだ。あの勇者とやらは本当に王子様なのかもしれない。
だけど王子だからどうした? 考えるが、どうしたっていうか……どうする? 権力のニオイは厄介事を沢山連れて来るのがお約束だ。
仮に、今ここであの勇者(笑)に、私が何かしたとして。
「……瀧本さん、あの勇者相手に正当防衛って主張できると思う?」
『こちらから手を出すのは以ての外だが、正当防衛を主張できる状況を作ったとしても……状況証拠も証言も、権力の前には何程の物か。アレが黒と言えば、白いモノも黒くなろう』
「だと思った! ああ、もー……日本でもこっそりそういうことはあったけど、階級制度のはっきりしているこの世界だったらそれが露骨に顕著になってそうだよね。瀧本さん、どうしたら良いと思う?」
『どうするも、こうするも。厄介事であろう? するべきことは決まっている』
「じゃあ答え合わせといこう。私の考えを言うよ?
……ひとまずこの場は相手に何とか引かせて、だけど体勢を整えさせる前にバックレる 」
『ああ、とんずらが一番だ。貴女の保つバットを上手く使えば、勇者達に「現状の武力では手も足も出ない」と思わせることも出来よう。一時撤退させて追及される前に逃げるが最適解だ』
「瀧本さんも異論はないってことで。このバットの力を信じるよ」
お願い、力を貸して孝君(の、バット)……!
瀧本さんが教えてくれた通りの性能なら、きっとなんとか出来る。そう信じよう。だけど金属バットで殴ろうもんなら、あの勇者なんかイチコロで死んでしまうような気がして仕方ない。
なんとかするしかないんだろうけど……いっそ、武器の破壊でも狙うか? でも戦闘を生活の糧にしている本職相手にずぶの素人(私)がどこまでやれたもんか……。
「なあ、勇者。本当に黒い怨霊に喧嘩を売るのか……?」
「なんだ、怖気づいたのか!?」
「いや、怖気づいていいと思うんだ。ほら、聖女にも刺激が強いし……女の子なんだぞ、エミリーは」
「それに近寄ったらこっちまで呪われそうなんだけど。ほら、ほらぁ! じっとこっちを見てるよ、あの悪霊!」
「だらしないぞ、お前たち。そんなことで大義が果たせるとでも……」
「じゃあ、勇者一人で突撃できるんだな?」
「え?」
「お前ひ・と・りで、突撃できるんだよな?」
「………………」
何やら勇者の人達が思い悩んでいる雰囲気がする。
これは、後押しするべきだよね! 今だ、瀧本さん! 思いっきり存在感マシマシで怖気づかせてやれ!
私は勇者達に見えない様、こっそり服の影で瀧本さんにGOサインを送る。やれ、やれと目で合図。
瀧本さんはこくりと頷いて……ぶっふぁぁあとマントを広げ、空気中にキラキラと輝く何かを拡散した。おい、なんだそれ。ラメか、ラメなのか? ねえ何その赤紫色の毒々しい煙。
見ようによっては毒ガスっぽい煙が撒き散らされる。実体はない(霊体100%)ので、触れない。つまり手で払っても煙は晴れない。
そんな得体の知れないナニかが空気中に拡散されていく……周囲を取り巻いていた野次馬が、ずざざざざっと五十mくらい距離を取った。うん、懸命だよナイス判断。
勇者達も瀧本さんの意味不明なこけおどしに腰が引けている。おいおいそんなんで勇者が務まるのか? まあ、マジで得体の知れない恐怖ってヤツは理解できなくもないけどさ。
一言、二言。
私に喧嘩を売って来た彼らは、何事か打ち合わせして。
近寄るのは危険と判断したのだろう。
「おい、呪われ女!」
「誰が呪われ女ですか、このぺっかり王子」
「ぺっかり王子!? なにその呼び方」
「ぴかぴかしてるけど、ぴっかりっていうより二段階劣ってる感じがしたので……ぺっかり」
「取敢えず侮辱されてることは理解したぞ、おい」
「それで? 人と話そうって時にそんなに離れてど~ぅしたんですかぁ?」
「く……っこんなことを言ってお前如きが理解できる気もしないがな、お前は悪霊に憑かれている! そして俺達はお前の悪霊を消滅させ、呪いを解いてやろうっていうんだ感謝しろ!」
「そんな上から目線で人から本物の感謝を捧げられると思ったら大間違いですよ。そんなんでもらえるののは偽りの感謝ぐらいです。さぞかし欺瞞のにおいがするんでしょうねーえ?」
「お前は憎まれ口しか叩けないのか!?」
「いえ、減らず口も叩けますけどー?」
「……もういいっ! お前に話すだけ無駄だ」
「やあ、あの王子様は人との対話を放棄したぞ! それで良いのか為政側ー!」
「お前、不敬罪と侮辱罪で打ち首にされたいのか!?」
今の私はどこの国にも所属していない、つまりは法に縛られない身です。それを思えばこそ、大きな態度も取り放題。どうせこの後逃げるんです、精々鬱憤を晴らしておきましょう。
しっかし遠距離で瀧本さんをどうにかするって、どうにかできる気でいるんでしょうか。
私に対して怒りの形相を隠しもしないので、巻き添えで私ごと殺す気でもおかしくないけど。
でもなー、あの王子様なぁ。会話してると、煽りたくなっちゃうんだよねぇ。
沁々思っていると、そうこうしている内に勇者が攻撃してきた。
やっぱり遠距離攻撃だ。でも、アレなんだろう。
なんかキラキラ光る金色の……
『まずい、聖属性の光魔法だ!』
「え、まずいの瀧本さん!」
『聖属性、それも光魔法となれば……本来、生きている人間には回復効果しかないが、相手が霊魂の類であれば問答無用で浄化する力がある!』
「つまりわかりやすく言うと?」
『アレに当たると、吾でもうっかり成仏してしまうかもしれない』
「それは困る!! 瀧本さんが成仏しちゃったら……復活はできないでしょう!?」
『ああ、魂が完全にこの世を去るとなれば……復活は無理だ』
なんてこった! そんなことになったら、私、本当の本当に殺じ……殺魔王犯になってしまう!
それだけは回避しなくちゃ、って。
そう強く思ったことが、効いたのか。衝動が私の体を突き動かした。
勇者が放った魔法を、逸らすことなく凝視しながら、 頭のどこか片隅で冷静さを残していた部分が呟く。
「(……球速は140キロってところか。楽勝!)」
――イケる、と。
思った時には無意識に体が動いていた。
大きく片足で、一歩を踏み出し。
私は両手に握ったモノを、タイミングに合わせて思いっきり振っていた。
振るよ。そりゃ振るよ。
だって私が握っているのは……金属バットなんだもん!
かきぃんと、気持ちの良い硬い音。手元に伝わる痺れるような手応え。
そして、一拍遅れて。
「へぶぅっ」
どごぉって鈍い音がした。
――HAHAHA、何の音かって?
原因はハッキリしている。
私の両手からは――あの金属バットがすっぽ抜けていたんだから。
言い訳を一つさせてもらえるなら、ええっと……ああ、アレだ。ほら、アレだよ。アレあれ。
あのバット、元は孝君のものだからさ~……女の私と、男の子の孝君じゃ手の大きさが違うんだよねー?
ええと、だからその、つまり? 手の大きさが違うから、しっくりくるグリップの太さってやつも違うんだよ! うん、きっとそういうことに違いないさ! 私の手にはちょっとバットの握りが大きすぎたんだよ! 多分!!
だから手からすっぽ抜けても仕方がない、と。自分に言い聞かせるこの作業は自己暗示ってヤツなのだろうか。どうだろうな、現実逃避かもしれない。
現実から逸らしていた目を現実……勇者何某に、そろりと向けると。
そこには想像通りの光景。
私はピッチャー殺s……じゃない、ピッチャー返しを達成していたようだ。
ついでにバットもクリティカルヒットを達成していたが。
敢えてわざわざ狙ったかのように、頭部にヒットしたらしいバット。あの命中率はなんなんだろうな、本当に。
やっぱりあのバットは呪われているのかもしれない。大物ばかりを狙って頭部に偶然の一撃を極めてしまう呪い? なんだそれ。
逃避しても現実ってやつは変わらない。変わってくれない。
地面の上には……頭から血を流す勇者が大の字でぶっ倒れていた。なんてこった。
でも良かった、勇者で。無関係の第三者を餌食にしてなくて、本当に良かった……!
「勇者! 勇者ー! 目を開けて……駄目だ、息をするんだ!」
「死ぬな、勇者!」
大事。すっごい大事だ、こりゃ。
倒れた勇者の周囲に、その仲間達が群がって必死になっている。野次馬達もどよめきながら包囲網を狭めて勇者の様子に固唾を呑んでいた。
この騒ぎに乗じて逃げてしまいたい。でも逃げられない。
だって金属バットが勇者の傍らに落ちてるから……! 逃げる為には、私にとって唯一の武器である孝君の金属バットを回収しないといけない。その為には勇者に接近しないとならない。
うん、その流れで逃げるとか……目立つだろ! 言い逃れできなくなるだろ!?
「おおぅ、見てよ瀧本さん。驚きだ、即死していない」
『ああ、危ういところであったな。あの男が直前に聖属性光魔法を放っていなければ即死していたであろう』
「あいつが魔法ぶっ放してこなかったらバットも空を飛ばずにいられたんだけどね」
不幸中の幸いなのは、バットが命中する寸前、ほぼ同時に回復効果があるとかいう聖属性光魔法?ってやつが勇者に命中していたことだろうか。バットで打ち返した魔法は、空を飛んだバットと同じ軌跡を描いてバットが命中する前に勇者の額を捉えていたらしい。コンマ何秒くらいの差で、同じ場所をバットが抉ったが。
でも、殆ど時間差はなかった。即死効果持ちのバットと回復魔法が同時に同じ場所に命中したようなものだ。
バットの即死効果を、それでうまく相殺できていれば――……あ、やっぱダメかもしれない。
今、倒れた勇者に仲間らしい小さな女の子が必死で何か魔法を……多分、回復魔法をかけている。
その、横で。倒れた勇者の頭のあたりで。
向こう側が透けて見える頭部がもう一つ、ぴょっこりと生えかけていた。
おいおい勇者さん、アンタいつの間に頭が二つに増えたんだ。これが竜とか狼なら双頭ってのもファンタジーっぽくてちょっと格好いいが、人間でそりゃねーよ。格好良いっつうより怖いよ。しかも片方は透き通ってるしな! 透き通るような美肌か、確かに白いが青白い。何か違う。
「瀧本さん、この事態……どうしよっか」
『……手がない訳ではないが』
「え、マジで?」
こんな時に相談する相手は我が背後霊の魔王陛下瀧本さんしかいない訳だが。
瀧本さんは、手はあるという。相談して良かった。やっぱ現職魔王は頼りがいがある!
そう思ったのも、瀧本さんの言う手ってやつを聞くまでだったけどね。
「え。……そんなこと、出来るかなぁ」
『やると信じねば始まるまい。なに、どうにもならなかったら……最終手段を使うまで。空まで逃げれば奴らも追ってはこられない』
「その場合、漏れなく私が指名手配される気がして仕方ないけどね!」
仕方ない。
最悪の結果に終わるかもしれないが、腹をくくろう。
今は事前に勇者に命中した回復魔法が頑張っているが……あの呪われたバットの即死効果に負けかけてるのは見ればわかる。このままじゃ死ぬのも時間の問題……いや、頭が二つに増えてる時点で既に半分死んでるな、これ。勇者の仲間も息がないって騒いでるし。透明な勇者の眼差しが、じっと真顔で私を凝視していて寒気がすることこの上ないし。
このまま手遅れにするのは憚られる。最悪の結果になってもその時はその時、うん、そうなったらクリームちゃんに降臨していただくしかない。
逃げる手段はあるんだ。やれることがあるなら、出来る限りの手を打っておくのも悪くないだろう。このままじゃどっちにしても勇者しぬしな。あっちから絡んできたとはいえ、そうなると私が死因だ。めっちゃ寝覚め悪いし。
「勇者さん、勇者さん……お願い、目を開けて!」
涙目で勇者のほっぺをバシバシ叩きながら金色の光を浴びせかける幼女。うん、思ったより勇者の扱い雑いな。
この雑さなら、許してもらえるだろうか。
私は騒動の中心に、急ぎ足に近付いた。今は誰も彼もが勇者の生死の行方を気にしている。私に注意を払う人は少ない。
それを良いことに、バットを拾い――そして。
勇者に急接近した私に、人々が目を見開く。制止の言葉をかけられるよりも、実力行使で止められるよりも早く。
私はバットを振り上げた。
「ま、まさか……トドメを刺す気か!?」
勇者の仲間の魔法使いっぽいモヤシが、真っ青な顔でなんて非情な!と叫ぶ。人聞きが悪いぜ!
そんなつもりは欠片もないんだ。言っても信じてもらえないだろうから、行動で示す!
私はバットを振り下しながら、バットに踊る中二臭い装飾の……氷の薔薇みたいに見える結晶に指を這わせる。
触れた瞬間に、声に出さず胸の奥で気合を入れた。心の中で、バットに語り掛けるという痛い行動をしてしまったが……これも瀧本さんの指示だ。私の本意ではないが、やらなきゃいけないならやってやる。そう、全身全霊で気持ちを込めて。
私はバットを脅した。
「(――働け働け働け働け働け働け働け働け……『氷属性』、『時属性』! 仕事しねぇとにこちゃんマークに改造すっぞおるぁ!!)」
果たして、その胸中での叫びが功を奏したのか。
両手でバントみたいに握った凶器を、狙い過たず勇者の額に命中させた。
「追い打ちをかけるなんて……!」
「まさに死体にムチ打つ行為! 勇者の態度が悪かったのは認めるが、アンタは鬼か!」
外野が何か言ってるが、気にしない。
それより大事なのは、勇者の額を打ち付けた瞬間。測ったようなタイミングで、指の触れた先……結晶の薔薇が青い光を発したことだ!
それからの数秒は、まるで一瞬で勇者の死体(まだ微かに生きてる)がマジックショーよろしく消え去ったかのように。
それぐらいに、劇的な変化が目の前で広がった。
勇者を覆い包むように青い光が走った。
次の瞬間、そこにあったのは……人間大の巨大な青い氷の塊だ。
だけどよく見れば、きっとわかるだろう。
氷の中に……勇者の死体(違)が封じ込められているこの光景が!
瀧本さんは、私に教えてくれた。
このバットには昨日、巨人殺しを達成したせいで新たに『氷属性』と『時属性』っていう妙な能力が備わったらしい。
それを上手く作用させることが出来れば……『凍らせて』、『時を止める』。つまりは冷凍睡眠を発動させて仮死状態に保つことが出来るって!
今はまだ完全に死んでいない。だから今の内に、まだ『即死効果』が発動していない内に勇者を完全回復させることが出来れば……彼は死なずに済む!
説明している時間はなかった。
だけど勇者の仲間の内の二人は、魔法職っぽかったし。狙い通り、私が説明せずとも勇者の状態を見てわかるものがあったんだろう。
ハッと青かった顔色を変えて、私に驚きの目を向ける。説明はやっぱりなくても良さそうだ。
「急いで! これは死なない為の応急処置に過ぎないわ! この氷が融けない内に、回復させないと……本当に死んじゃうよ!?」
だから私は、急かして急かして慌てさせるような発破をかける。
私になんて構ってる暇もなくなるようにね……!
狙いが当たった。
ここは大通り。この場では適した治療も難しいだろうって瀧本さんは読んでいた。
その予測通りに、一刻も争うと慌てふためいて勇者の仲間達は走り出す。
もちろん、氷漬けになったヤツを男二人で担いで……ね。アレ重そうだもんね、みんなで協力して運ばないとなぁ。
やれるだけのことはやった。勇者が死ぬも生きるも……後はあいつら次第だ。
野次馬達の注意が氷に逸れた一瞬を狙った。
私のことを呼び止めようとした人もいたが……大体が絡んできたのは勇者。私は無意味に絡まれた被害者だ。勇者が死にかけたのも事故だし。
このまま留まっても厄介事に絡まれるだけだってわかってるのに、逃げない奴はいないよね。
元々野次馬さん達も最初は私に同情的だったことが幸いした。
朝が早かったからか、兵士さんもまだ騒ぎを聞きつけて駆けつけてはいない。
逃げ去る背中を止められることもなく。
私と瀧本さんは、そそくさと街を後にした。
やあ、今日も良い天気だ!
絶好の魔王復活活動日和だなぁ。
こんな感じで、私の異世界生活二日目はやっとスタートを告げた。
頼むぜ、故郷の神様仏様。私は特に信心深くもなかったが、こんな時だ。せめて願うくらいは許してくれ。
そう……今日は何事もありませんよーに!ってね。
勇者一行
勇者 ヘリオス・セミトレヤ(23)
古の勇者の末裔、セミトレヤ王家の三男。先代勇者の急死を受けて新たな勇者となるが、元々の傲慢な性格や幼少期から過剰に勇者に憧れていたという背景から、「先代を暗殺して勇者になった」という悪評が立つ。
噂自体は根拠のない真っ赤な嘘だが、根強い汚名を晴らそうと必死になって結果的に空回りしている。焦るな、落ち着け。
子供の頃は我儘だったが、今はそんなに悪い人じゃない。ただ必死になって目が曇り、焦って空回って周囲が見えなくなっているだけ。
聖女 エミリー(9)
今の賢者と伯爵家のご令嬢の間に生まれた女の子。箱入り。
生まれつき聖属性魔法に高い適性を持ち、王家の意向もあって神殿入りさせられた。本人は聖女という肩書の凄さがわかっていない。
箔付けの為に勇者に同行させられているが、本来は臆病で繊細な女の子。取敢えずおうちに帰りたい。
神殿騎士 リチウム(27)
ヘリオスのお目付け役兼聖女の護衛。ヘリオスの幼馴染なので扱いはよくわかっていて操作もお手の物。
移動の際には体が小さく体力も低いエミリーを抱えていることが多く、真っ当な性癖しか持っていないのに周囲のご婦人から背徳的だの倒錯的だのと囁かれている。
その内ヘリオスの暴走に巻き込まれるか、エミリーへの扱いを問題視されるかして抹殺されそうな気がしている。
魔法使い ガロン・タングステン(34)
元々は先代勇者の仲間だったモヤシ。どんどん人格が変わっていくようだった勇者の様子から、うっすら『勇者』の秘密に気付きかけている。
そのせいで王家にチェック入れられており、勇者一行に協力的な態度を貫くことで保身を図っている。
だけどその内最終的には口封じに殺られるんじゃないかと疑心暗鬼に陥っている。
賢者(29)
本当は勇者に同行している筈だったのだけど、有能さが災いしてあっちこっちに引っ張りだこ。
目を離している間にやらかすヘリオスに度々頭を痛めている。
嫁と娘と田舎に引っ越して隠棲したいと思っているが、割と極悪なマジックアイテムで国への忠誠を強制されているのでどうにもならない。
ちなみに十五年前にセミトレヤ王家に召喚された異世界人である。
※勇者とは
勇者、及びに賢者とは、本来は古の昔に青首大陸を制圧しようと襲い掛かって来た魔の軍勢を蹴散らし、魔王の首級を上げた一行のリーダー的存在の事である。
現在ではその遺物を継承した者に称号として受け継がれている。
勇者一行の遺物は元々は五人パーティの一人につき一つ、計五つあったのだが、今は勇者と賢者の物しか残っていない。そして新しい持ち主は前の持ち主が死んだ後、遺物自体が定めるとされている。
これは遺物を保管しているセミトレヤ王家(初代勇者の末裔)の上層部だけが知っている事実なのだが、遺物にはそれぞれ本来の持ち主であった勇者や賢者達の精神が宿っている。
魔王を倒し、魔王のしていた『永遠の命』に関する研究を勇者達は密かに手に入れた。その研究に従って残されたのが『遺物』。
つまり現在の勇者、賢者というのは古の勇者達が永遠に生き続けるという目的の元、新たな肉体として支配する為に選ばれた生贄に等しい。
ただし魔王の研究は不完全だったらしく、普段は遺物に宿った精神も宿主の深層心理化に沈んでいる。日常生活を送る分には肉体の主である本来の人格が表に出ているということ。だが有事の際には本来の人格を押しのけ、深層心理化に潜んでいる勇者、賢者などの人格が表面化し、肉体の支配権を奪い取る。人格が変わったよう(というか別人格そのもの)なその時のことを、人は『覚醒モード』と呼ぶ。
勇者や賢者に選ばれたばかりの頃は本来の自我の方が強いが、遺物に宿った精神に肉体を乗っ取られる頻度が増す程にじわじわと浸食され、時間をかけてやがては本来の人格も完全に押しのけられる。そうなると常時、肉体の支配権は『勇者』や『賢者』の手に渡ることとなる。
勇者の遺物は『剣』、賢者の遺物は『杖』の形をしてる。
先代の勇者はじわじわと肉体の支配権を奪われて行っていることに気付き、その恐怖に負けて自殺してしまったらしい。
勇者の末裔であるセミトレヤ王家には高い資質を持つ子供が生まれやすく、王位継承権から遠い三男以降の男子が選ばれるパターンは多い。
だがセミトレヤ王家の者よりも優先して選ばれやすいのは『異世界人』……セミトレヤ王宮の地下にひっそりと隠された召喚魔法人によって呼び出される、高い潜在能力を持つ異世界の男児たちである。
ちなみにセミトレヤ王宮の召喚魔法陣は改良が加えられた物。召喚する対象に「戦いに関する高い素質を持った少年」という条件付けがされており、オリジナルの魔方陣に比べると使い勝手は良いものの自由度が低い。
瀧本さんはこの魔方陣の存在を知っていたが、従来の魔方陣とは別物になっている上に、「伴侶を召喚したい」という目的にそぐわないことから放置している。