場違いのバレンタイン
新年あけて、ふたつめの月。
その丁度まんなかの日が魔王城ではバレンタインとして設定されていた。
当日が近づくにつれ、バレンタインという行事が魔王城に蔓延っていることに誰もが否応なく気付く羽目となる。去年のバレンタインを経験している男女は今年もアレがやってくるのかと悲喜交々、うっきうき楽しそうだったり、絶望に満ちた顔で悲嘆にくれたりと反応は人によって様々だ。
だが今年になって初めてバレンタインを体験する新参者の皆様は違う。
今年は去年開催された四天王決定戦の影響で新しく魔王城勤めとして登用された者達がおり、極めて限定的な地域……というか魔王城限定のご当地イベントとして根付いたバレンタインのことなど聞いたこともない者が一定数存在した。
そういった初耳の者達も、魔王城で知り合った者達から去年の話を聞かされるなどして、徐々にバレンタインという行事への理解を深めていく。
その理解の方向性が、若干偏っていることは不可抗力だろうか。
中には本当に偏った知識を伝授され、顔を青褪めさせている野郎も存在した。
そして極々わずかに、正しい知識をひとつも収拾できずに混乱を深める者も存在した。
勇気ある者であれば主催者である絵麻さん、あるいは彼女の率いるバレンタイン実行委員会に突撃して正しい情報の収集を図ることも考えただろう。
だが何故か、その正しい筈の「聞きに行く」という選択をした者はあまりに少なかった。
数える程しか存在しない、バレンタイン実行委員会に突撃した「勇気ある者」。
栄えあるそのひとりである青年は、イベントの説明を聞き終えて首を四十五度の角度で傾げた。
「……バレンタインってこういう祭りだったか?」
それは、本来のバレンタインを知る者だからこそ出てきた感想だ。
恵伝さんは自分との知識の齟齬に微妙な顔をした。行事が歪めて伝えられている原因に、即座に思い至ってしまったせいだ。何しろ元凶と思わしき者は、思いっきり実行委員会の先頭に立っていたので。
「絵麻の仕業か」
思い当るのに三秒。考える程の時間も必要としない。
なんだかんだで四天王決定戦からこちら、特に魔王城で雇用されている訳でもないのに居着いて食客と化している恵伝さん。人はそれをニーt……居候という。
……魔王城側としても、何をやらかすかわからない実行力のあり過ぎる危険人物を野放しにはする訳にはいかなかったという事情もあったが故の飼い殺しだ。恐らく魔王城で無銭飲食な毎日を過ごすことは恵伝さんの本意ではない…………はず。魔力を失って単体では無力と化した魔法使いでも、外部から使える魔力を引っ張ってくれば簡単(?)な魔法は使えると証明してしまった後なので、なおのこと野放しには出来ないということらしい。
そんな彼のことを牢屋にでも入れておけば良いのにとは、この世界で唯一の実妹である絵麻さん本人の言だ。だが魔王城で一目置かれる絵麻さんの肉親であること、四天王の一人に食い込んだ者が後見として名乗り出たことを加味し、一応の客分扱いとなっている。監視付きだったけど。
まるで腫れ物に触れるような扱いを受けていることに、自覚があるのか全くないのか。
恵伝さんの方は監視されていようとなんだろうと、あまり気にした素振りはなかったのだが。
むしろ病気の恋人(桃の木)を治癒するべく、魔王城に集積されていた未知の魔道知識を吸収することに最近は余念がない。本来の目的は神聖大陸に渡って世界最高峰の樹木医と渡りをつけることだが、その手段が確立できていないのだから仕方がない。方法が見つからない内はやれることをやるのみと、毎日、飽きることなくだれることなく、魔王城の図書館に通い詰めては読書と写本と借りパクの日々である。一週間の終わりに返却期限を過ぎた本を回収する為、司書のおねーさんが恵伝さんの巣と化している客室まで怒鳴り込むまでが1セットだ。お陰ですっかり恵伝さんと司書のおねーさん達は互いの顔と名前と勤務担当のシフトまで把握しあう仲になってしまった。司書さん達おつかれさまです。
一方、その頃。
遠く人間たちの支配地域である『青首大陸』では、事実上の摂政に近い立ち位置に就任してしまったために日々忙殺されている男の元へと一通の封書が舞い込んだ。
人々に賢者と呼ばれる男――孝君は届けられた封筒を微妙な顔で見ている。
「なんだこれ」
彼の手に握られた封筒は、裏も表も全面墨で塗り潰したように真っ黒い。見るからに不審物だ。だが黒い封筒に赤という若干見づらい文字で、何事か書かれている。
この世界では用いられていないその文字は……今となっては見るのも懐かしい、漢字。
そう、日本語だ。
孝君は封筒を凝視して、そこに『招待状』という文字を読み取った。
送り主の名前は………………内藤 絵麻。孝君にとっては年下になってしまった従姉のおねーさんだ。
若干封筒の黒さに不穏なものを感じながらも、身内からの通告だからと孝君は封筒を開けた。
――魔王城で特別な季節の催しを行うこと。
それが日本の由来の行事であること。
ついては旧交を温める意味でも、ぜひ参加してもらいたいと。
招待状には、そう書かれていた。
せっかくの従姉からの誘い。
なんだかんだで絵麻さんは昔から孝君にとって頭の上がらない相手だ。
しばらく国の変革だ、立て直しだと忙しくしていて交流を絶っていたこともあり、孝君は指定された日に魔王城を訪れることに決めた。
だが、指定された日は二の月のちょうど中日、とある。
「……日本由来の行事」
さあ、果たしてそれは一体?
大して考えもせず、孝君は娘を国に置いていくことにした。
娘を混沌の行事に染めたくなければ、その選択は正解である。
そうして、指定されたイベント当日。
以前に見た時とは印象の大きく変わってしまった魔王城の門構えを前にして、孝君は招待状を受け取った時と全く同じ言葉を口にした。
「なんだこれ」
唖然と見上げる、その視線の先で。
魔王城は大きな垂れ幕を風に踊らせていた。
『おいでませ魔王城』
『聖バレンティヌス杯 男の格付け決定戦開催中』
垂れ幕に大きな文字で書かれていたのは、そんな言葉ばかりで。
眉間のしわを揉み解してから、孝君は叫んだ。
「田舎の町おこしか!!」
ひとつの大陸の、ひとつの城。
種族全体から見て中心地となる魔王の城は……果たして田舎といえるのだろうか。そして地域振興という概念すらないのに、町おこしを実施する意味がどこにあるのだろうか。
垂れ幕に書かれている文字は、いずれも日本語。それだけで誰の仕業かわかるというものだ。
魔王城を行き交う人々(魔族)は読めない未知の言語がどういう意味なのか知る由もなく、そもそも文字とすら認識していないのかもしれない。変わった文様だなぁくらいの感覚で一風変わった装飾として受け入れていた。あまりに異文化が混在し過ぎてシュールな事態になっていることに気付いている者は少ない。
それに気付けてしまった可哀想な者のひとりであるところの孝君は魔王城に足を踏み入れる前から疲労困憊だ。自分の行く手に何が待ち受けているのか……微妙に予測が付けづらいことが恐ろしい。
だって目の前にあるのは魔王城だよ? 変な垂れ幕で装飾されていても、魔王城なんですよ?
なのに今現在、歩哨どころか門番すらいない。
広く門戸を開くという言葉を体現するかの如く、門は全開だ。
そしてわいわいがやがや、何のチェックもなく通行人が素通りしていく……魔王城がこれで良いのだろうか。
「前々から思ってはいた。思ってはいたが……魔王城、完っ全に絵麻ねえちゃんに牛耳られてる……」
既知の魔王に孝君はしっかりしろと言ってやりたい。
魔王が放置してどうする。名目上は直属の上司に当たる魔王が諫めず、誰が絵麻さんを止めるんだ!
だがしかし、自分が止めようという発想はない孝君であった。
中々魔王城に突入する勇気がわかず、立ち尽くしたまま魔王城を観察すること20分。
「あ、もう来てたんだ」
どうしたものかと考えていると、そこに見知った顔が現れた。
「ちわっすー。トァカーシ、だっけ? それともタカシだったっけ。絵麻の姐御の弟分の」
「君は……確か、ええと、金具みたいな名前の!」
「……ビスキュイだけど。金具?」
ひらひらと手を振りながら現れたのは、絵麻さんにぼこられて以来舎弟と化した死神くん。
彼は孝君に、今日の案内役を任されたのだと告げた。
「いやー、何分さぁ、今日は姐御も忙しくって。なにしろイベントの主催だしね。実行委員会率いて、逸脱した馬鹿やってる野郎共をしばいて回るのにあっちこっち行進してるからさ!」
「ねえちゃん一体なにやってんの!?」
思った以上に謎の行動が許容されているらしい、本日のイベント。
これがバレンタインをテーマに行われているという話だが、本当だろうか……。
孝君はいまでも半信半疑だ。
「絵麻さんは行動力の溢れる女人だからな。あの活発なところが魅力なのだろう」
「うわっ!? 魔王、いつの間に……」
「わー。さりげなく隣にいたね、瀧本ってば」
「やあ、孝君。お久しぶりだ。いつも君のおねえさんにはお世話になっている」
「いや、姉っつっても従姉だけど……いや、いやいや。そうじゃなくて。どうして魔王がこんなとこ(※魔王城の門前)にいるんだよ! 魔王なら魔王らしく玉座の間にでもいるべきなんじゃないか!?」
「それがな……吾は、」
「……吾は?」
「暇で……」
「暇なんかよ!」
「暇なんだ。それはもう、凄まじく暇でな……ビスが孝君の案内役になったというので、吾も同行しようと思い追いかけてきたのだ」
「わざわざ案内役を追いかけて来る魔王ってなんなんだ」
「あー……仕方ないんじゃない? だって瀧本は、今日は『 評 価 対 象 外 』だから」
評価対象外。
……評価、対象外。
その言葉になんとなく物寂しい印象を受けるのは、何故だろう……?
瀧本さん自身も寂しさを若干にじませた眼差しで、じっと魔王城を見ている。
「吾はな……魔王なのだ」
「うん、知ってる。知ってますけど」
「今日は絵麻さん主催のバレンタインイベントだ。その趣旨は……男共が女性に贈られたチョコレートのポイント数を競い、争うというもの」
「ポイント制!? え、ちょ、ねえちゃんどんなイベント説明したの!?」
「だが吾は魔王……気軽に菓子を贈るには、魔族にとって敷居の高い相手であるらしい。それも魔王城に勤める者共にとっては主君に当たる。男女双方より『自分達の勝手な基準で陛下を評価するのは例に失する』と嘆願が盛大に寄せられてな……。吾は正式にルールで『評価対象外』となってしまったのだ。いわば、永遠の欄外だ……。例え誰かにチョコを貰ったとしても、ノーカンなのだよ」
「う、うわぁ! こんな哀愁に満ちた背中の魔王、初めて見た!」
「そりゃねー。みんながわいわいがやがや笑顔でイベントに参加してるってぇのに、自分だけ蚊帳の外決定だもんな。一緒の場にいても、どうしても疎外感があるだろ。魔王でもいじけるって」
「吾は今日、空気の日なんだ」
「イベント会場に使わせてもらっといて城の主は蚊帳の外とか……|主催者《ねえちゃん』ひでぇ!!」
これまでさほど交流があった訳でも、気の合う話題がある訳でもなかった男3人。
しかし何故だろう。
今この場に置いては、謎の結束が芽生え……言葉にせずとも分かり合うものが互いを繋いだのか。これまでは特に相手に関心もなかったというのに、彼らは急速に仲良くなりつつあった。