愛は世界を超える
内藤さんちの兄妹のじゃれ合いが頻発し過ぎて、思ったほど進みませんでした。
宣言していた話数だと、この回で終了する予定でしたが……終わりませんでした。
もう一話、増えます。
絵麻さんは、未だかつて瀧本さんや死神ビスキュイの見たことがない悲しげな瞳で実兄を見下ろしていた。藁人形に卍固めを極められた兄は、そんな妹を無言で見返す。
なんとなく擦れた声音で、妹は兄に真意を問うた。
「なあ、兄ちゃん……あれナニよ」
「僕の恋人だ」
「ヒトじゃねーだろ。ヒトじゃ」
「種族差別か、絵麻。たった一人の妹に背を向けられようと、僕は彼女と添い遂げる意志を曲げはしない」
「うん、もう……それで良いや。いや、良くないか? あー……もう何でも良いけどさ。『恋人』以外の詳細な説明を求む」
そう言う絵麻さんの手には、しっかりと両手で握りしめられた金属バット(凶)。返答次第によっては殴るという言外の決意が如実に表れた姿をしている。
そのバットで殴打されるとマジでヤバいのだが、未だその事実を知らないお兄さんは迫る危機になど気付きもせず、ただ痛いのを嫌がる様に求められた情報を口にした。
「僕の前世の恋人ドーラの生まれ変わりで、真嶋さん宅の庭に長女の誕生記念として植樹された桃の木だ。前世の記憶も自我もないが、それでも彼女が僕の大切な恋人であることに間違いはない」
「どう考えても気の迷いだ馬鹿野郎」
「疑う余地もないくらい、僕にはわかるんだ。そうとしか言えない。これは……魂に刻まれた絆が惹きあう感覚だから。口では説明できないよ」
「瀧本さーん、こっちの世界にも黄色い救急車的なヤツってある?」
「残念なお知らせだが存在しないな。狂人は大概野放しか監禁のどちらかだ。非常にデリケートな話なので、家庭内で解決してくれ」
「お兄ちゃん、どっちが良い? ちなみに野放しは有り得ないから、そっちを選ぶと問答無用で逝ってもらうことになるけど」
「可愛らしく小首を傾げて物騒なことを言うな。なんでこんな凶暴に育ったんだか……」
「誰が凶暴だ、誰が。私が凶暴なら、絶対に兄ちゃんの薫陶のお陰でしょ。男兄弟の弊害ってやつ」
「濡れ衣を着せるのは止めろ。僕はお前に何か薫陶した覚えはない」
嫌そうな顔で兄の責任をまるっと放棄した言をほざく、兄。妹の方は既に兄に何の期待もないのか、傷つく様子は見られない。それよりも兄がマジで桃の木を恋人だと断言する方がよほど精神的に痛い様子だ。色んな意味で。
「それで? えーと、なんで兄ちゃんと桃の木は此処にいるの。真嶋さんのお宅とやらに生えてたんでしょ、恋人」
「……彼女は、病気なんだ」
「兄ちゃん、頭大丈夫? 彼女が自我がないこととか、自分で動けないこととか、兄ちゃんの気持ちに応えないのは病気のせいとかじゃなくって生まれも育ちもただ植物なだけだからね? 変な妄執と歪んだ愛で何か勘違いしてたりしない?」
「お前は僕を何だと思ってるんだ。彼女が植物? そんなことはわかっている。ただ植物特有の病気にかかっているだけだ」
「あ、本当に病気なの……」
「そう……地球では、治療法のない病気だったんだ。だから、だから僕は……真嶋さんに、土下座で頼みこんで彼女を譲ってもらったんだ。彼女の病を治療する為に」
「待て、兄貴。治療法のない病気をどうやって治す気だって? 植物のスペシャリストでもない兄ちゃんに何が出来るの。引っこ抜いただけ可哀想でしょ、彼女が」
「ただ無為に引っこ抜いたように言わないでくれ。僕は、彼女を癒す。その為にこの世界に来たんだ」
「……ん?」
「彼女を癒せる……現世で最も優れた樹木医のいる、この世界に」
「………………んんん?」
「これは……」
シリアスな顔で深刻そうに告げる、兄。その言葉には必ずやり遂げて見せるという、硬い決意が垣間見える。
垣間見える、の、だが……言葉の端に別のモノまで垣間見え、絵麻さんは瀧本さんや死神と顔を見合せて首を傾げた。
気になることがあるのであれば、確認を取らねばならぬ。
恵伝さん相手に確認を取るとなると、妹である絵麻さんに会話が委ねられることとなるのが当然だ。
しかし今度は無視の難しい疑問点出会った為、よりその道に詳しい瀧本さんが膝を折って恵伝さんに目線を合わせる。そしてゆっくりと、穏やかな声で問いかけを口にした。
「失礼、エデンさん? ……今の貴方の口ぶりでは、まるでわざわざ『この世界を選んで転移してきた』ように聞こえるのだが」
「聞こえるも何も、そう言っているつもりだ。彼女を救済する術はこの世界にしかない……いや、彼女が植物である限り、天寿を全うするまでの間万全を期すべく、彼女を確実に癒せる人材のいる世界に永住しようと。僕は全ての魔力を注ぎ込んでこの世界にやって来た」
「待て、兄ちゃん。どこでそんな謎技術を会得したのさ!?」
「 前世 」
「……前世って。前世って。いや、その前にそういえば確認してなかった。前世の記憶って言ってたけど……兄ちゃんの前世って?」
「魔法使いだ」
「兄ちゃんいつのまに三十歳超えたの?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味なのさ」
なんだか正気を疑う言葉を聞いたと、胡乱な目を向ける妹。
兄はそんな妹に対し、やれやれ仕方が無い奴だと言わんばかりに緩く首を振って憐れみの目を向ける。そんなお兄ちゃんの視線がイラッとしたらしく、絵麻さんは兄のほっぺをむぎゅっと抓んだ。しかし恵伝さんは動じることなく、言い含める様に繰り返す。
「だから、兄ちゃんは魔法使いだったんだ。ガチで」
「おいおいどうしたの兄ちゃん、頭は大丈夫か。虫でも湧いた?」
「心配ありがとう。だが正気だ。絵麻、現実を見るんだ。兄ちゃんは魔法使いだったんだよ。もう知識と記憶があるだけで、魔力は異世界渡りの代償に全て捧げてしまったけれどな」
「さらっと軽くとんでもないことぶちまけるなやぁぁああああああっ!!」
その瞬間、絵麻さんの放った渾身の前蹴りは。
藁人形と仲良く地面に転がっていた兄の身体を、サッカーボールのように彼方へ届けと蹴り転がしていた。兄は一時的にボールの気持ちを理解した。ボールは友達!
なお、兄の求めていた『現世一番の樹木医』とやらは、どうやらこの世界の命綱・世界樹を診る為に存在しているらしい。というか世界の命脈である世界樹を健やかに保つ為に血道を上げて取り組んでいたら、その道の技術力がえらい上がったというのが真相だろう。当然ながらその在所は『神聖大陸』……二つの大陸を間に挟んだ遠い場所にある。しかも異種族の流入を拒んで空に浮いているので、『黒闇大陸』から『神聖大陸』に渡ろうと思えば手段は飛ぶ以外にない。この世界へと渡る為に全ての魔力を捧げたという恵伝さんには自力でそんな大陸に渡る術などなく。
そうして彼の求めた手段が、『魔王の飛龍』だった。
気性の荒い『黒闇大陸』の竜は、己が認めた相手以外を乗せることはない。しかも知能は高いが習性は動物的なので、認める基準の殆どは個体の強さに準拠する。屈強な魔族ばかりが暮らす『黒闇大陸』で魔力を失った人間の魔法使いを背に乗せてくれる竜など、探すまでもなく皆無だ。
求めた樹木医のいる世界への渡りに成功したは良いものの、『黒闇大陸』なんていう遠い場所に着地してしまってどうしたモノかと思い悩んでいた恵伝さん。そんな時に耳にしたのが、『黒闇大陸』に生まれ育ち、しかも魔王という魔族最強のイキモノを主としているにも関わらず、『人間』を背に乗せて『神聖大陸』まで飛んだという変わり種ドラゴンの噂である。
恵伝さんは思った。これに賭けるしかないと。
それはもう、藁にも縋る思いだった。
今の恵伝さんは、関節を極められて物理的に藁(人形)に縋りついて悶えていたが。
「事情はわかった」
瀧本さんが言う。一体、何がわかったというのか。
彼の目に映っているのは、信頼する撲殺k……護衛隊長絵麻さんの兄。しかしてその実態は何の変哲もない樹木を前世の恋人と宣って添い遂げる意思を前面に押し出してくる変人だ。そんなものの気持ち、理解しちゃいけない。
「エデンさん、そなたの妹には常日頃より世話になっている。信頼する絵麻さんの縁者だ。叶えられることであれば、頼みを聞くのも吝かではない……が」
「「が?」」
おっと快く貸すつもりか、正気かと詰め寄りかけた絵麻さんと。有難う貸してくれるんだな速攻お願いしたいと怒濤の畳みかけに走ろうとしていた恵伝さん。兄妹は極端な感想を抱いて魔王に詰め寄ろうとしていたが、しかし魔王は好意的な言葉だけで話を締めくくりはしなかった。
不穏な接続語の登場に、二人の動きがピタリと止まる。
その光景を傍で眺めながら、ビスは「やっぱこの兄妹似てないようで似てるなー」と平和な感想を呟いていた。
台詞の続きを待って固唾を呑む兄と妹に、瀧本さんは無表情に頷きを返して言った。
「クリームは一頭しかいない大事な竜だ。流石に生き物を、それも代えの利かないモノをただハイハイと貸す訳にはいかない」
「……つまり、貸すつもりはないと?」
確認を取る恵伝さんの目が、きらりと光る。どこか不穏な気配は、彼が魔王討伐を試みたように手段を選ばない性格であることを表している。
魔王がハッキリと断った時には……そんな覚悟で、密かに青年の腕が懐に隠した短刀へと延びる。
……が、それにさっさと気付いた絵麻さんがさくさく恵伝さんの関節を藁人形に極めさせた。卍固め再び。
「ただでは貸せない、ということだ」
目の前で繰り広げられる異様な光景を物ともせずにスルーしながら、瀧本さんは恵伝さんの言葉に訂正を入れる。
「ただでは? 金か……? っだが、魔、王相、手に、そ、れ、は……」
ぎりぎりと強くなっていく締め付けに、兄は息も絶え絶えながら険しい目を魔王に向ける。顔が険しくなるのは苦しいからか、瀧本さんの言葉に疑問を持っているからか。
「そうだな。一個人の持ち得る財など、魔王の座にある私には不要。献上されるまでもなく、既に持っているのだから。だからそなたに求めるのは、物質的な物ではない」
「意味がっわ、から、ないな……貴方は、何が欲しいと……っ?」
「条件を付けよう。それを達成できれば、一週間だけそなたに竜を貸す」
「条件……?」
「いやいや瀧本さん、兄ちゃんになんか貸さなくっても良いってば。クリームちゃんが可哀想!」
「だが……異なる世界への渡りを実現してしまうほどの想いを傾けていることは確かだろう。それが如何に難しいことか……私には、わかる」
「……ああ。瀧本さん、異世界から嫁召喚しようとしてたもんな」
「肝心の魔王城の召喚魔法陣が先代の暴挙によって破損してしまった為、既に叶わぬ夢なれど……な」
何に共感したのやら、と絵麻さんが頭を抱える横で。
藁人形に関節がおかしな方向に曲がるくらいきつく絞め上げられながらも兄は『条件』とやらの細かな説明を求めた。
「それで、僕に何をしろと……?」
言うに、否やはない。
瀧本さんは恵伝さんの期待に応え、『クリーム貸出の条件』とやらを告げた。
「――私は今ここに、今までずっと先送りにしていた『四天王決定戦』の開催を宣言する!」
「「「はあ!?」」」
「竜の背に乗りたくば、勝ち上がって四天王の席を得るが良い! 私も恩人の兄程度にはそう易々と貸せはしないが、『信頼に足る実力を持った部下』にであれば貸して問題はないからな。四天王は魔王直属の高官だ。その程度の特権は許そう」
堂々と、どこか得意げに良い案だと誇る様に。
そう告げた瀧本さんの顔は、ニヤリと片頬を持ち上げた笑みで……どこか悪巧みを披露する少年のように見えた。
そんな訳で、魔王瀧本さんの四天王決定戦を開催します。