Ep3
一年C組の教室に戻った俺は、午後の授業も必死で優等生のふりをしていた――兄貴はこの学校でも天才キャラだった――ため、授業が終わり、帰りのホームルームの時にはもうくたくたに疲れていた。
「ふはぁー」
と、欠伸をしてから大きく伸びをすると、伸ばした手の先にさらさらとした女子の髪の毛の感触が…………。
『背中反りすぎた!』と思って慌てて後ろの席の子に謝ろうと振り返ったが、明らかに俺に向けられた鋭い眼光にビクッとしてしまう。
「えっと……ご、ごめん」
謝罪の言葉を口にするもその突き刺すような視線は猶も俺に向けられている。
俺そんなに悪いことしたかな……。
髪の毛にちょっと触れただけなのに……。
睨まれている理由もよく分からないまま沈黙は続く。
俺はもう目を逸らしたい、と思ったが、ここで視線を外すとさらに良くないことになりそうだとも思ったので、気まずいまま見つめ返すことにした。
それにしても……。
何かで染めた様子もない綺麗な金髪。
この長いストレートの髪は地毛だろうか……。
そして整った顔立ち。
『西洋人形のような顔』とよく言うが、まさにこの子のことのようだ。
「……何見てんのよ?」
やっと金髪少女が声を発する。
見た目から何となく想像はついていたが、かなり気の強いタイプのようだ。
俺はまだ名前も知らない少女にとりあえずさっきのことを謝ろうと、再び謝罪する。
「あ、さっきはごめんな。手が当たっちゃったみたいで……」
金髪少女はまたしても顔をしかめ、何か考えるように俯く。
すると、大きく指をさして言い放った。
「アンタどうしちゃったの? 前から天才気取りの態度が気に入らないとは思ってたけど。ここ数日、いろいろな人に対して謝ってばっかだし、今だって……。あたしアンタに謝られたの初めてなんだけど……? まぁ、ナルシストだろうとヘタレだろうとあたしには関係ないんだけどね!」
「………………」
そう。
俺と兄貴の最大の相違点、『性格』。
社交的で傍から見ると自意識過剰な兄貴と、内向的で小さなことでも謝っちゃうような――前の高校の時は周囲の関係で目立たなかった――俺とでは、埋め切れない差異があるのだ。
それにしてもあの子何て名前なんだろう。
ホームルームで先生の話を聞き流しながら考える。
後ろが気になるが、今振り返るには勇気がいる。
するとホームルームの最後、先生がその一言を言った。
「じゃあ今日は先生の荷物が多いから。学級委員の水無月、手伝ってくれ。あとは……、そうだ優等生君も来てくれ」
後ろで『はい』と返事が聞こえる。
へぇー、水無月っていうのか。
って何でみんな俺の方見てるんだ?
何かまた悪いことした?
その時、立ち上がった水無月から軽く肩を叩かれる。
「ほら、いくわよ。優等生くん」
兄貴が先生から「優等生君」と呼ばれていることを今日初めて知った俺は、改めて兄貴に感心する。
あっ、でも俺が『アニキ』って呼ばれてたのとそう変わらないか……。
って、なんか兄貴ってめっちゃ存在感放ってるよな?
これって逆に影を潜めてた方が不自然なんじゃ…………。
よ、よし、……少しは会話をしていくことにしよう!
先生に頼まれたのは、どんだけあんだよっていうほどの資料の山を職員室まで運ぶことだった。
確かにこれは女子一人じゃ無理か……。
と思って資料の山のうち、大半を取って運ぼうとする。
だが、歩き出そうとした瞬間、右の袖がグイと後ろに引っ張られた。
「……それアンタの方が明らかに多いじゃない。いつもはきっちり半分しかもっていかないくせに……」
妙に俯いている水無月の声は最後の方は聞き取れなかった。
だが、水無月は俺が余分に持った分を取り返すと、せかせかと歩き出してしまう。
「べ、別に……。アンタより少ないと負けた感がでるかなって思っただけだから!」
兄貴がいた頃のこの二人はどんな感じだったんだろう、と物凄く気になったが、小鳥遊光司としてこの学校にいる以上そんな質問はできない。
水無月の後について職員室の方に歩いていると、突如水無月が足を止める。
俺もそれに合わせて歩みを止めると、水無月の時計が携帯の着信音のような音を響かせていた。
これは生徒間、生徒と学校の間での連絡用ツールとして学校から配布されているものらしく、時計型と、兄貴の持っていたノート型があるそうだ。
だが、兄貴のそれは柚香のあの刀で真っ二つにされたらしく、俺は担当の先生から、新しいのを調整し終えるまで待っててくれ、と言われていた。
「悪いんだけど用事ができたわ。後は任せたわよ!」
そう言うと、水無月は持っていた資料を俺の持っている山の上に乗せ、どこかへ去ってしまった。
「あっ……」
酷く緊急な用なのか、水無月はすぐに視界から消えてしまう。
何か話しかけてみようと思っていた勇気が一瞬にして崩れ去る。
「……ってかこれ…………、めっちゃ重いんですけど!?」
やっとのことで職員室に着いた俺は、ゼェハァと肩で息をしていた。
あの後、結局この廊下を二往復することになるとは思ってもいなかった。
だが、その時、ふと物理のレポートを出し忘れていたことを思い出し、やむなく職員室から物理教官室まで向かう。
はぁ、それにしても今日は移動の多い日だ……。
俺は疲れた体を引きずりながら物理教官室のあるB棟へと向かった。
ここ、清槍院高校の校舎はA棟、B棟、別館からなっており、俺たちの教室があるのはここA棟である。
A棟とB棟は渡り廊下で結ばれ、上から見るとH状の形であり、さすが優秀校とでもいうべきか、白の壁を基調とした城のような形をしたその外装は、かのサグラダ・ファミリアを連想させる。
三階建ての校舎には、A棟に一年生から三年生までの教室が、B棟にはそれぞれの教科の特別教室が設けられているようだ。
別館についてはまだ行ったことがない。
授業で使う様子もないため、その内面については想像で補うしかないと言った状況である。
渡り廊下を物理教官室へと向かっていく。
しかし、俺の目に入った光景がその歩みを止めた。
「あれって、水無月だよな?」
渡り廊下は校舎二階を通っているため、そこからは下に広がる開放的な中庭が見渡せる。
そんな中庭を水無月が周りを気にしながら走っていく。
「水無月、用があるって言ってたよな?」
ここでまた、俺の好奇心がよからぬことを考えた。
数分後、俺は水無月の後を追って、清槍院高校別館のエントランスに立っていた。
この別館は、メイン校舎のモダンな雰囲気とは打って変わって、メイン校舎のどこか西洋を感じさせる部分を表に張り出した感じになっている。
そう、例えるなら煤けた色の石でできた、その円形の建物はコロッセオと言えるだろう。
俺は、水無月に気付かれないように注意しながら、別館の中へと足を踏み入れる。
「ほぉー」
思わず、ため息がこぼれる。
エントランスの先には円形の建物を一周するように通路が伸びていて、その円の外側に無数の部屋。
そして何より、この建物の中央。そこに、ある巨大な空間はまさに闘技場そのものであった。
俺は中央の闘技場みたいな物を上方から見渡せる観客席らしき場所にいた。
すると、水無月が闘技場みたいな物の中へと入ってくる。
刹那、水無月が叫ぶ。
「私はここに来たわよ! 早く出てきなさい!」
水無月のスラっと伸びるきれいな金髪が風に揺れる。
この状況が、さっき水無月が言っていた用事と関係しているのだろう。
そして、水無月がここに来るとき周りを警戒していたことには何か理由があるはず。
……ッ!
それって、俺見つかったらやばいんじゃね?
それを、俺はコンマ五秒のうちに考え、観客席にそびえたっている六本の巨大な柱の後ろに隠れる。
俺の体が、闘技場の上に立つ金髪の少女から見えなくなった時、水無月の反対側のほうから一人の美少女が姿を現す。
亜麻色の髪をそっと撫でた、スラっとした体形を持つその美少女は、俺の彼女――古海柚香――だった。
「琴子さん、なんでここに来ちゃったんですか?」
「ユズカが来いって言ったんじゃない!」
「それは、そうなんですけどね……」
柚香はどこか寂しそうな、苦しそうな表情を滲ませる。
「もう、ここにきてしまった以上、やることはただ一つよ。コロシアムを開くわ!」
コロシアム?
なんだそれ?
聞いたことないぞ。
ってか、名前からして、ヤバいだろそれ。
俺が動揺している間に、話がついたようだ。二人は、正面にそれぞれの時計をかざす。
「「アウェイク・コア 展開!」」
二人が同時に叫ぶ。
水無月の時計からは白に金のラインが入った銃身三十五センチほどの二丁銃が、柚香の時計からはザ・カタナとでも言うべき、ごく普通の鉄製だと思われる外装をした刀が構築されていく。
俺は数日前の光司の死の時に見た、柚香の刀の色が血の色すら薄らげさせるほどの真紅だったことを思い出し違和感を感じながらも、目の前で起こる出来事に目を取られてしまっていた。
その後は、ただただ圧倒されるだけだった。
俺は、記憶力はかなりいい方だと自負している。
脳の処理速度も速いほうだ。
だが、そんな俺でも一日前に目の前で起きたあの光景を処理することができなかった。
――――。
…………俺は今、理事長室の前にいる。
一晩寝てもなお、昨日の光景について理解できなかったのだ。
そして、俺の好奇心は小鳥遊光司としてのこの身体をこの理事長室へと導いた。
この闘技場や謎の武器。
それを手っ取り早く知るにはここの理事長に聞くしかない。
「ここで、何をしている?」
俺の後ろには四十歳後半くらいの少し白髪が生えてきている細身の男がいた。
「私の部屋の前に立たれても困るのだがな……」
うっ。
急に後ろから声かけられたらビビるんだけど……。
「私に聞きたいことがあるのか? 影人君」
「よく分かりましたね。そりゃ疑問ばっかですよ」
「君が聞きたいことは察しがついている。私についてきたまえ」
俺は理事長に言われるがままに、校舎の地下へと降りていく。
理事長は白衣のポケット両手を入れながらさっそうと歩いている。
「ここだ。入りたまえ」
「はい……」
なぜだかわからないが、この人に言われると、自然と体が緊張してしまう。
しかし、そんな緊張もその部屋の中央に置かれた巨大な、透明度の高い水色のキューブを目にした途端消えていった。
初めてここへ来た時は気が動転していてあまり深く考えられなかったが、ここが理事長室なのか。
まだ研究を続けているって言ってたからな。
「こ、これは?」
「これは、大規模なデータバンクだ」
データバンク?
学校での研究にそんな大きなものが必要なのか?
いったい何を記録してるんだ?
理事長はそんな俺の考えを読んだのか、話を始めた。
「これは、私の研究のためのデータを保存しているバンクだ。ここには、君たち生徒の脳の状態が秒単位で記録されている。影人君は知っているだろうが、私はこの学校の理事長である前に、脳科学者だからな」
「生徒の情報を常に管理って、そんなことどうや……っ! まさか、あの通信デバイスが!?」
「随分と察しがいい。だが、君もこの学校の生徒になったわけだ。有無を言わせる気はない」
「でも、俺持ってないすよ……その通信デバイス」
「安心したまえ。もうすぐ調整も終わる」
えぇと、とにかく通信デバイスによって俺らの脳が常にデータ化されていて、それを基に理事長は研究を行ってるわけか。
これが柚香のための研究なのか?
「色々と疑問があるようだが、一つ一つ答えている暇は私にもない。こちらから説明することを理解してくれたまえ。質問は受け付けない」
そのあと、理事長はこの学校の真実を語った。
午前中の授業が終わり、俺は柚香と一緒に昼ご飯を食べていた。
「はい、あーん」
柚香が差し出したコンビニ産の春巻きを口に入れる。
柚香の暴走状態を抑えるための研究か……。
俺は昨日、理事長から聞いた話を思い出す。
まとめると……
『アウェイク・コア』
人の脳とリンクさせ、その脳の全ての部分を一時的に同時に働かせることのできるブースター。
それは、使用時にその所有者の脳波、感情を読み取りその形状、性質を変化させる。
この前の別館で見た、柚香の刀、水無月の銃がアウェイク・コアだったのだ。
そして、理事長はそのアウェイク・コア使用時の脳の働きを研究しているというわけだ。
柚香の暴走状態を抑える手がかりを掴むために。
なにせ、柚香が暴走してしまう元となった装置を改良したものがアウェイク・コアなのだから。
柚香はそのアウェイク・コアによって力を抑制しているらしい。
つまり柚香のためのリミッターとして作られたのがアウェイク・コアというわけだ。
他の生徒にとってはブースターなのだが、柚香のように暴走状態に陥ることはないらしい。
ちなみに、受験時に脳の処理速度を測定しているのだとか。
アウェイク・コアの使用にはかなりの思考処理速度が要求され、それに伴う運動能力も必要となってくるからだ。
そのためこの学校にいる生徒は皆多方面で優秀なのである。
よくよく考えてみれば、理事長はそもそもアウェイク・コアの研究のために学校を設立したのだ。
あって当たり前と言われれば当たり前。
こんなことにも気づけなくなってるなんて、相当混乱してるんだな。
自分の状況適応力のなさを嘆く。
いや、状況が状況過ぎるが…………。
さらに理事長が俺に言ったことがある。
それは、コロシアムについてだ。
コロシアムとは先日コロッセオで見た通りのアウェイク・コアを使った対戦システムのこと。
フィールド内で一定割合のダメージを先に相手に与えた者の勝利となる。
勝者には、ポイントが与えられ、そのポイントの量に応じてランクが付けられる。
さらに、そのランクが一定以上を超えると、階級が一つ上に上がる。
ちなみに、階級は全部で三つあり、それぞれに一から五までのランクがある。
そして、階級ごとに通信デバイスの色が変わり、低いほうからブロンズ、シルバー、ゴールドだ。
コロシアムでは倒した相手のランクにより獲得するポイントが増減し、負けるとポイントを失う。
そして、生徒をこのポイント争奪戦に引き込ませる最大の理由は、――階級、ランクの高いものがこの学校での優先権を得るという一つの決まりがあるからである。
自分の所持しているポイントが低ければその分だけ、学校内序列の下の方へと下がっていくのだ。
ちなみに俺のポイントはゼロ。
ブロンズ1で学内最底辺に君臨している。
理事長は対戦システムがそれだけではないとも言っていたが……。
学内最底辺どんと来い!
その後は、『新しいアウェイク・コアは後日渡す』と言われ、帰らされたが、まだ疑問は尽きていない。
それにしても、アウェイク・コア。
この世にそんな研究があったなんてな……。
柚香の暴走状態について聞いた時も思ったが……。
信じられないが、一昨日の事を考えるに事実なのだろう。
本当に競技としてだが戦闘が行われてるなんてな。
……じゃあ、兄貴もあんな剣みたいな物とか出して戦っていたのだろうか?
ん?
てか、俺もアウェイク・コア使ったらああやってなんか出て来るの?
正直、未だに頭の中が整理できてない。
――兄貴の死。
――学校の隠れ編入。
――そしてこのよく分からない研究。
最近は夢のようなことが続いている。
それもとびきりの悪夢。
兄貴や柚香はこんな世界で生きてたなんてな。
……もしかして兄貴の死因はこの研究に関係があるのか?
いや、まあ間違いなく関係しているんだろうな……。
そんなことを、ブドウをかみしめながらコンマ五秒の間に振り返っていると、俺と柚香がいる机のほうに一人の金髪美少女が近づいてきた。
水無月だ。
「ユズカ、一昨日のことでちょっとお話ししたいんだけどいい?」
「いいですよ」
柚香は特に面倒くさそうなそぶりも見せることなく、それに答えた。
二人が教室から出ていく。
俺の好奇心は二人の後を追いかけていた……。




