Ep18
「そろそろ、良和君が来る……」
空は考えていた。
このまま隠れ続けるのが良いのか。
それとも見晴らしのいい場所へ行って堂々と待ち受けるべきなのか。
考えた。
できるだけ客観的に考えたが、どうしても恐怖故に今いる場所から動くという決断はできなかった。
だが、空は内心分かっている。
このステージの中に隠れられる場所なんて少ないってこと。
コロシアム開始時に幾つかあった廃屋は、ほとんどが良和の戦闘によって破壊されている。
いくらいじめっ子って言ってもこの学校に入っている以上頭は良い。
良和はいざというときに空に逃げ隠れされないようあえて派手に戦っていたんだろう。
それだけで、もともと風化しかけてるこのステージの建物は外壁が壊れて中が丸見えになる。
だから、空は知っていた。
このまま隠れていても残り時間が無くなる前に見つかってしまうことを。
でも、外に出る勇気がなかった。
外に出たら必ず戦闘になる。
逃げ場のない屋内で戦うよりは勝機は多いだろう。
だが、能力の使えない自分が勝てる気がしないし、このまま隠れていれば見つからないで済むかもしれない。
「……うん。このまま隠れててもいいよね…………」
空がそう呟いた時、ふと空の脳裏に一人の少年の後ろ姿が浮かんだ。
そうだ。
僕はいつもあの人の後ろ姿ばかりを見てきた。
いじめられているぼくを助けてくれて、アウェイク・コアの能力を使わなくても相手を負かしてしまう。
本当は僕なんかと違う世界に生きている人のはずなのに、僕のために一緒にいてくれて、僕のために怒ってくれて、僕は強いって言ってくれた。
あの時の僕は分からないって言って逃げっちゃったけど、今の僕なら分かる気がする。
強さって言葉の意味。
今の、弱くなってしまったあの人に、今の僕にならきっと伝えられる。
「今度は僕が後ろ姿を見せる番です! 光司君!」
そう叫んで、勢いよく立ち上がると、空はこのステージで一番見晴らしのいい、小高い丘の頂上へと走って行った。
その姿をみた観客がこぼす。
「……熱い、熱いなっ!」
「よしっ! このくらいでいいだろ!」
足元で揺れる光エフェクトを見つめながら良和は一息漏らす。
まだゾンビは全部倒した訳じゃないが、群れで襲ってこない限り戦闘の邪魔にすらならない。
良和は邪魔者を消すよりも、対戦相手の捜索に時間をかけたかった。
どこだ?
屋外にいるということはありえないだろうが、一応、三百六十度見回してみる。
すると、少し離れた丘を上る黒い影が見えた。
「へぇー。外に出てくるなんていい度胸じゃねぇか!」
ニヤリと顔を歪めると、良和は影の見えた丘へと向かっていった。
丘を登りながら空は考える。
今の僕には勝つための作戦なんてありゃしない。
素手で戦うしかできない僕に、能力持ちの相手を倒すことなんて不可能に近いだろう。
それでも今大事なのは勝つことじゃない。
勝てない相手だって分かっていても立ち向かって、自分のことを好きになれなくても、弱い自分に、認めたくない自分に、それでも僕は僕だからって言って信じきって、そうやって前に進んでいくことが大切なんだ。
「だから、僕はここで待ちます」
丘の頂上に着いた空は目を閉じて、深呼吸をする。
二、三回大きく息を吐くと目を開ける。
すると、その目には丘を登ろうとしている良和の姿が映った。
その良和が丘の中腹辺りに来たのを確認すると、空は強く拳を握って覚悟を決めた。
「うわぁぁぁぁあ――――――――ッ!」
突如、頂上からものすごい勢いで駆け下りてきた空に、驚く良和。
あの弱気な空が自分から突っ込んでくるという状況があまりにも予想外だったのか、良和は思わず丘を上る足を止める。
すると、そこが平坦な道ではなく慣れない斜面だったからか、良和は不意にバランスを崩してしまった。
「まずいっ……!」
慌てて体勢を立て直そうとする良和。
だが、下向きの加速度を得た空の拳はもう寸前に迫っていた。
「はぁぁぁああ――――――っ!」
空の拳が良和の顔面にクリーンヒットする。
その衝撃で良和の体力ゲージは一気に一割ほど削れるが、まだ五割残っている。
だが空は落ち着いていた。
そんな空の耳に鈍い衝撃音が聞こえてくる。
丘の上から落下した良和が地面に打ち付けられた音だ。
そしてその落下ダメージは容赦なく良和の体力ゲージを二割ほど削り。
機械音で構成されたBGMと、You are winner ! の文字が空の目の前に現れた。
「勝った……」
控え室。
戦いを終えた空はやっと自分の勝利を噛み締めた。
まさか本当に勝てるなんて……。
嬉しい……でもそれよりも気になる事があった。
「影人君……」
彼はこの戦いを見ていただろうか。
そして彼が言っていたことを僕は実践できていたのだろうか?
シャワーを浴びた後、カバンを持ち外に出る。
「あ……」
ドアの前には剛毅と雪乃がいた。
「おめでとう! 空くん!」
雪乃が賞賛の言葉を贈る。
そしてそれに剛毅が頷く。
「ありがとうございます……皆さんが図書館で手伝ってくれたおかげです!」
「何言ってんだよ、お前が頑張ったからだろ? ほら!」
そう言って剛毅が空に飲み物を渡す。
「あ、ありがとうございます……」
「でもすごいね……能力を使わないで勝つなんて……」
雪乃がそう言うと皆黙り込んだ。
そう、能力を使わないで剛毅や雪乃を倒した少年、影人のことが脳裏に浮かんだのだ。
「影人くんは……どういう気持ちで一緒にいたんだろ……やっぱり嫌だったよね……」
そう、影人は兄を失いこの学校に影武者として入り、能力も使わないで戦い、クローンという事実を知り、そして……柚香も失った。
雪乃にとって、彼の苦しみを考えるのは想像に難くない……と言える物ではなかった。
彼の孤独な戦いを何も知らないで接してきたと考えると胸が張り裂ける気持ちだった。
「でも、アイツは……逃げたんだ……」
剛毅はそうポツリと言う。
そう、確かに剛毅だって影人に対して同情している。
だが、それでも剛毅は……彼の諦めている姿を見たくはなかった。
能力をも使わないで自分を倒した猛者。
負けた時は悔しかったし、能力を使わないでなんて屈辱的だったが、剛毅は影人を一人の人間としてとても尊敬していた。
それは……光司ではないという事が分かったあとでもだ。
それは剛毅だけじゃない。
雪乃にとっても空にとっても。
彼は知り合って間もない雪乃の為に戦った。
知り合って間もない空の為に熱く語った。
光司じゃない……からどうしたっていうんだ、第一、俺も空も本物の光司とは知り合いじゃないし……雪乃や水無月だって光司じゃないからって侮辱も軽蔑もしていない。
むしろ逆だ。
一人で他の人の為に戦ってきた彼を尊敬していた。
でも、なのに、だからこそ……彼が柚香を諦めたことは剛毅にとって許せることではなかった。
その後、空は学校を出て、雪乃は部活に行き剛毅はバイトへと向かった。
風切り音。
足を踏み込む音。
鋭い掛け声。
雪乃は剣道場に向かった。
途中から練習に混じり、稽古を始める。
高校から剣道を始めた雪乃は先輩達に追いつく為にも必死に練習していた。
だが、急に道場内が静まり返る。
不思議に思うが雪乃も周りに合わせ竹刀を振るのを止める。
「よぉー……久しぶりやな」
扉の前には一人の男がいた。
名前は二年生の黒覇龍大。
身長は高く、少し長めの黒髪で後ろには木刀を入れた袋を携えていた。
雪乃にとっては剣道部の先輩であり、この人の影響もあり剣道を始めた。
インターハイでも一年生にして一位をとったことがある、いわゆる日本高校生最強の剣士なのだが、いかんせん修行だなんだと言い、なかなか学校に顔を出さず、実力だけならアウェイク・コアによる戦いもトップレベルの実力を持ってると言われているが、そもそも試合にあまり出ない為成績はあまり高くない。
「黒覇先輩! お久しぶりです!」
「おぉーよく来たな黒覇!」
黒覇の周りには早速、先輩後輩問わず人が駆け寄った。
それもそうだ、剣道界ではヒーローのような存在。
日本若手のエースと言っても過言ではない。
「いやー、この部活も随分賑わっとんなぁ……お、雪乃ちゃんもおるやん」
そう言って黒覇は雪乃に向かって手を振る。
「あ、先輩……お久しぶりです」
ぺこりと礼をする雪乃。
「あー……やめいやめい雪乃ちゃん、そんな堅っ苦しいのは勘弁やで……それより……どや?」
「? どや……って?」
雪乃は聞き返す。だが、黒覇にとってはその返しの方が疑問に感じたのか首をかしげる。
「そない頭にハテナ浮かばれてもな……決まってるやろ……剣士なら……剣を交えるのが普通やろ?」
「んな……」
「いいやろ? センセイ」
そう言って、後ろいる顧問に黒覇が尋ねる。
「まぁ……いいだろう、皆もお前の試合を見たいだろうしな」
そうして雪乃と黒覇による手合わせが行われることになった。
「よし、やるか!」
そう言って竹刀を借り、構える黒覇。
「……試合をするのはいいが……防具をしてからにしろ!」
顧問からのツッコミ。
そう、彼は防具を着けていない。
「 ん……あー、いや大丈夫や、別に……相手の攻撃受けなけりゃいいんやしな……」
そう言いきる黒覇。
この人の破天荒さにはいつも部員も呆れるばかりだ。
「よし、かかってきい! 雪乃ちゃん!」
この人には試合の概念がないのか……と思いつつも雪乃は竹刀を持ち、黒覇へ向かう。
一呼吸の間に竹刀と竹刀がぶつかり合う。
その衝撃によって飛ばされたのは雪乃だった。
「うぐ……」
私から仕掛けたのに……。
そう、本来なら助走を付けていた分、私の方が押せるはずだった……。
だけどそれは計算内。
シンプルに力勝負だったら格上で尚且つ男である黒覇に私は勝ち目が無い。
ならば、手数で……!
そう思い、連撃を仕掛けようとする雪乃。
だが、それが連撃となることは無かった。
「え……?」
あろうことか、黒覇は片手で雪乃の竹刀を掴んでいた。
「これで終わりや」
そう言って、黒覇は雪乃の頭に竹刀を撃った。
「おおおおおおおぃ!」
一瞬の試合を、口を開けて部員たちが見ていた中、唯一顧問の先生が声をあげる。
「手を使うな手を! てかちゃんと面と言え!」
と、最もなツッコミをする。
それもそうだ、手を使って竹刀を止めるなんて狂気じみたことをする馬鹿はいない。
「お、これはこれはすんまへんな、まあ、 ……公式戦じゃないしええやろ、大体試合ですらないんだし、本当の決闘だったらルールなんて無いんやしな」
そういって黒覇は竹刀を返す。
「やっぱり強いですね……黒覇先輩……」
雪乃は黒覇によって少しずれた防具を直しながら言う。
「……そう言ってくれるのは嬉しいんやが……それより雪乃ちゃん……ちと鈍ったか?」
「へ……?」
いや、別に練習はサボってい無いし、前回黒覇先輩に会ったのも随分と前な筈だ。
「いや……そんなことは無いと思うんですけど……」
「そうなんか……いや、でも雪乃ちゃんはもっと強かった筈やで」
「影人くん、昨日も来なくてねぇ……」
猫間堂の店長、隆二はそう言って剛毅に話しかける。
昨日のシフトは影人が入る筈だったのだが、昨日も無欠だったそうだ。
「剛毅くんは何か知ってるかい? 同じ学校なんだよね」
竜二が剛毅に尋ねる。
「……まぁアイツは……引き篭もり中なんじゃないすか」
「引き篭もり!?」
「ええ……アイツは逃げたんすよ……」
そう言いながら剛毅はCDを棚に並べる。
「逃げたっていうのは?」
「え? あー、いや……それに関しては詳しく言えないですけど……」
「ふーん……そうなのか……剛毅くんは心配じゃないのかい?」
隆二がコーヒーを淹れながら話す。
狭い店内にコーヒーの匂いが広がってくる。
「心配じゃないすよ……別に……」
「喧嘩でもしたのかい?」
「なっ……あーいや、そういう訳じゃ……」
そこまで言って剛毅は黙り込む。
「ふふ……まぁ僕もよく分からないけど、友達が困ってる時に助けるのが友達ってモンじゃないのかい?」
「そりゃあ……そうですけど……」
「どんな人にだって弱くなる時はあるしね、一人じゃ立ち上がれない時だってあるさ……」
隆二はコーヒーを啜りながら話す。
「……店長もそういう経験があったんですか?」
そう剛毅が聞くと隆二は目を大きくする。
「面白い事を聞くね……そうだな、僕にもあったよ、そういう事は」
そう言って竜二はコーヒーを机の上に置く。
「昔、僕にも妻がいてね……でも、僕が三十ぐらいの頃に亡くなったんだ」
「な……そうだったんですか」
「うん……僕にとって一番大事な人だったし、妊娠もしてたんだけど……事故でね……それだけじゃなくて、僕自身も会社クビになって……あの時はドン底だったなぁ……」
なんて少し微笑みながら話す。
「それで結局家も出て行かなきゃならなくなってね……家の荷物を整理していたんだ、そしたらね、妻の使っていた棚から一つのCDが見つかったんだ」
「CD?」
「あぁ……そのCD……別に大して何の変哲もないただのCDなんだけど、これだよ」
そう言って隆二は一つのCDを差し出す。
「これは……!」
そのCDは少し古そうなバンドのCD。
剛毅はそれに写っているメンバーの一人に見覚えがあった。
「もしかしてこの人って……」
「ふふ……よく気付いたね、これは僕だよ」
そうそのCDのジャケットにはギターを持った若い隆二が写っていた。
「あ、じゃあ、その会社をクビっていうのは……」
「そう、実はメジャーデビューまではしたんだけど……全然売れなくってね……」
そう言って店長はCDを手に取る。
「でも、妻はいつも僕達が作った曲を楽しそうに聴いてくれていて……それを思い出したら、僕も泣けちゃってね、こんなことしてる場合じゃない、またがんばらなきゃって」
「まぁもちろん家を出された後は悲惨な生活だったけど……それでも僕は一人じゃなかった、今まで一緒にやってきたメンバーもいたし、なにせウジウジしていたら天国の妻にも怒られてしまうしね」
「そうだったんですか……」
「で、今でもそのメンバーとはたまに集まってセッションとかするんだが……影人くんにはいるのかい? そういう助け合ってくれる人は」
「あ……」
剛毅は影人と最初に戦ったことを思い出す。
水無月から聞いた話を考えると、おそらく影人と最初に戦ったのは俺だろう。
その時、アイツはどんな気持ちで戦ったのか。
そうだ、アイツはずっと一人で戦ってきた。
ずっと俺は影人を友達だ、仲間だって思っていたけど、それは勝手な思い込みで、俺はまだアイツの事を何も分かっていない。
「店長いつもすいません……ちょっと出ていいですか?」
「はは……行ってらっしゃい」
そうして剛毅は店を出て、影人の家へ向かった。
すっかり暗くなった学校の帰り道。
街からは少しずつ人が消えているが、駅の方はまだ賑わっている。
そして雪乃は帰り道を黒覇と一緒に帰宅していた。
「ほら」
「ありがとうございます……」
黒覇は雪乃にジュースを奢る。
「あー……雪乃ちゃん」
「なんですか?」
雪乃はジュースのカンを開ける。
「いやー、なんか悩み事でもあるんか?」
「な……どうしてそんな事を?」
雪乃はカンに口を付け、ゆっくりとジュースを飲み始める。
「いや、剣が鈍るのは練習不足か心の理由ぐらいしか無いからな……もしかしてアレか? 光司クンへの恋煩いか?」
「ブフッ……」
雪乃は口に入れたジュースを危うく吹き出しそうになる。
「な……いやだから別に……こっ……こうじくんと私はそういう仲じゃ……」
そう彼は彼女がいたし……それにもう……。
「へー……そうなんか? じゃあ他になんかあるんか?」
「え? いや……ただ……」
「なんや? 言ってみいや」
「あ……なんていうかその友達に対して……その……なんていうか……プレッシャーというか重圧をかけ過ぎてしまって……」
「ふーん……で? なんや怒られたりでもしたんか?」
「まあ……」
「まぁよー分からんけど」
そう言って先を歩いていた黒覇は歩みを止め、後ろの雪乃に目を向ける。
「ちゃんと言いたいことをソイツに言えてるんか?」
「言いたい……こと?」
「ああ……なんで喧嘩? しちまったかは知らへんけど……ちゃんと伝えたいことは伝えられてるんか?」
そう言ってまた黒覇は歩き出す。
「伝えたい……こと……」
そうだ……あの時、小野くんに襲われた時に助けてくれたのは影人くんだ……そうだ、影人くんにまだ言ってないや、ありがとうって……。
「すいません……ちょっと私行ってきます!」
そう言って、雪乃は来た道を戻って行った。
吹き抜ける風。
その中を駆けていく。
まだ冷たい風が、練習後で疲れた体に染みる。
でも、止まらない。
いや、止まれない。
何よりも強く、今伝えたいことがあるから。
練習後でおろしていた髪を再び束ねる。
もうすっかり覚えた道。
「はぁ、はぁ」
息がきれる。
なんとか、影人くんの家まで来れた。
うん、大丈夫。
ちゃんと言える。
わずかに震える指でインターホンを押す。
返事はない。
もう一度押す。
今ので震えは止まっただろうか。
すると、ボソッと声が聞こえる。
「開いてるぞ」
「し、失礼します」




