Ep13
――アンタ誰?
背筋がヒヤリとした。
……まさか本当の光司じゃない事がバレてる……?
ひ、ひとまず無視する。
授業の内容なんて頭に入ってこない。
四時間目の終わりのチャイムが鳴る。
「アンタ……返事ぐらいしなさいよ……」
水無月が俺を睨む。
答えなかった訳じゃなくて、答えられなかったんだけどな……。
「まあいいわ……ちょっと付き合いなさい!」
そうして俺を引っ張って、屋上まで連れて行った。
「なにすんだよ!」
だが、水無月は無言だ。
「お、おーい? 水無月さーん?」
水無月は何かを考えているようだ。
だが彼女は意を決したかのように口を開いた。
「ねぇアンタ……あたしは……アンタを信頼して話すわ……」
信頼……?
まさか水無月からそんな言葉が……?
でもなんだ改まって……。
「な、なんだよ……」
「覚えてる? ……あたし達が入学して一週間ぐらい経った時の事……」
一週間……?
って事は俺じゃなくて、兄貴だった時か……?
分からないし、とりあえずは濁して答えよう。
「いや、なんの話だ……?」
「……アンタ、理事長に呼ばれてたわよね、で、その時の事をあたし聞いてたのよ……」
理事長……?
何の話をしていたんだ?
「……なんの事だよ……なにを言いたいんだ……」
「……アンタ、ユズカの護衛を頼まれてるんだって?」
「!」
護衛……?
な、成る程な……柚香を助けたのは、付き合ってるだとかそういうだけの理由じゃなかったのな……それで兄貴は柚香と一緒にいた訳か……。
でも、これ頷くべきなのか?
正直柚香の護衛の件もあまり言う様な事ではないよな……。
だけど……水無月は柚香について何か知っている……。
俺が最初に見た柚香と水無月の戦い……あの非公式の戦い……。
もしかしたら柚香が消えた理由も知っているのかも……。
いや、でも……冷静になれ……。
今、誰かを信用していいのか?
理事長ですら信じるべきなのかも分からない。
それなのに、どこまで知っているか、何を知っているのかも分からない水無月を信用していいのか……?
……けど、そんな事を言ってる場合じゃない。
どうせ俺は一人じゃ何も分からない。
今は情報の取捨選択をしている場合じゃない。
「ああ、そうだよ……俺は護衛の役だった」
「……やっぱそうなのね……それでユズカのカレシ役をやらされてたのね」
カレシ役……?
本当に付き合ってたんじゃないの?
とりあえず頷いておく。
「その反応……、今のは嘘よ。なのにアンタは頷いた。話を合わせようとして」
「な!? 俺をだましたのか?」
「ふぅ。これでチェックメイトかしら? 今の言葉――『その反応……、今のは嘘よ。なのにアンタは頷いた。話を合わせようとして』――こそ嘘だったんだけど?」
「え……?」
何から何まで水無月の手の上だったってことか……。
水無月は今までの俺の言動から違和感を察していたんだろう。
「いい?」
「ん? な、なんだよ……」
「アンタにだから話すわ……この学校以外にも研究組織があるのは知ってるわよね」
「え、ああ……それが?」
「……あたしはこの学校だけじゃなくてその内の一つにも所属しているのよ」
「え!?」
思わず大声を出してしまう。
な……水無月が……?
「そう、……そしてあたしはこの学校の監視を頼まれてた……。だからアンタが本物の小鳥遊光司と入れ替わったであろう時から違和感に気付いたのよ」
「最初からばれてたってことか?」
「そんなことはないわよ? だってアンタ、本物にそっくりなんだから。どうやってそんなに似せることができたのってくらい。結構気になるんだけど?」
「いや、それは双子だから……」
「え? 双子? ……って、双子だからってそこまでそっくりなわけないでしょ……」
「いや、本当なんだけど……」
「はぁ。しらばっくれるならまあいいわ。アンタは理事長が選んできたやつだってことは分かってるし。組織の人間じゃないだろうから」
「組織?」
「そう。さっきの話の続き。――この学校にもう一つ、また別の組織が介入してきた」
「…………」
何も言えない。本当に何も知らないから。
「アンタが護衛を頼まれていた理由ね……最初の能力者であるユズカを狙う組織の出現」
「あ、ああ……」
そいつらが柚香を暴走させて、兄貴を殺させた奴らなのだろう……。
だが何に驚いてるかって、柚香が最初の能力者と水無月が知っていた事だ。
おそらく水無月は俺以上に遥か詳しく、この研究について知っている。
「だからあたしはユズカの監視も任されてた……そして、あたしがあの時ユズカから聞いたんだけど……」
そこまで言って、水無月は口を閉じる。
あの時とはコロシアムの時、中庭で話していた時のことだろう。
「な、なんだよ……早く言ってくれよ……」
「……そうね……アンタには辛い事かも知れないけど……言わせてもらうわ……」
辛い事……辛い事って……?
「……ユズカはその組織に狙われてるんじゃなくて、その組織に所属してる……」
「は……?」
どういう事だ……?
柚香が……?
「いやいやいや、何を言ってるんだよ? ユズカが? そんな訳……」
「別にあたしも断言できる訳じゃないわ……。何らかの理由で所属せざるをえないだけかもしれない。ただ、そういう可能性もあるって事よ……」
じゃあ、なんだよ……?
ファミレスでの涙も、なにもかも全部嘘で、俺を騙してたってのかよ……?
兄貴を殺したのも利用されただけじゃなくて……?
「嘘……だろ……?」
「あたし的にも、嘘であって欲しいけどね……ただ、一番近い存在なのはアンタだから……いざという時に一番早く動けるのはアンタなのよ……だから……」
「そうか……」
「アンタの正体については保留にしといてあげる。監視の対象者を――ユズカを見失ったとあらば、あたしの責任問題だから、アンタを信じて探してもらうしかないしね。どうせアンタもユズカを探してたんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
ユズカがいなくなったことまで知ってるのか。
「…………図書館の上位者専用ルーム。あそこに本物さんが残したものがあるはずよ? どうにかして行ってみたら? 優等生くん?」
それだけ言い残し、水無月は屋上から姿を消した。
――――。
「光司の奴何してんだ?」
剛毅は猫間堂のレジカウンターに立ちながら思う。
今日、今まで一度も無断欠席などしたことのなかった光司がバイトにこない。
店長も剛毅もその理由は分からない。
高校入学以来初の友達への焦燥。
あの光司に何かあったのだろうか。
剛毅は常に自分の感情に真っ直ぐであろうと生きてきた。
それは入院している妹が帰ってきた時、恥じることなく迎えられるようにだったか、離婚した親に対する反発だったのかはもう思い出せない。
だが、この瞬間、剛毅は友達の元へ行かなければいけないという衝動にかられる。
思考することが昔から得意ではなかった剛毅は限界など考えない試行によってそれを補ってきた。
だから……。
「店長、すみません! オレちょっと行かなきゃならないところができました!」
剛毅は店を飛び出す。
行く当てなどない。
だが剛毅には考える必要がない。
――思い当たる場所全てに行けばいいだけだ!
初めてのバイトの帰りに歩いた星空の下、光司の下校方向、近くのコーヒー店…………。
「いた!」
清槍院高校の正門。
そこにフラフラと入っていく光司を剛毅は見つける。
だが、様子がおかしい。
剛毅は数十メートル先にいる光司の後を追う。
「アイツ……どこへ……?」
光司は中庭へ続く廊下を抜け、図書室へと入っていった。
剛毅は本棚の影に隠れ、光司の動向を見守る。
光司は、図書室の中にある地下へと続く部屋へ。
「なんだあの部屋……?」
基本的に剛毅は本を読むタイプではない。
そのため図書室に何があるかもあまり知らなかった。
剛毅は光司が入って行ったドアの近くに置いてある警告板を見る。
「ったく、暗いな……電気付ける訳にもいかねぇが……で、なんて書いてあんだ?」
――『ランキング上位者ルーム』
「そういや上位ランカーには特別に部屋が与えられるとか言ってたな……」
そして剛毅はドアを開けて部屋へ入ろうとする……が。
「!!」
突如、暗闇の中から剣閃が放たれる。
背後からの襲撃を感じ、剛毅は咄嗟にアウェイク・コアを展開する。
剛毅の周りを包む炎に驚いたのか、相手は攻撃の手をとめた。
「誰だ!」
剛毅は自分の背後を見る。
剛毅の炎により、図書室は明るく照らされ、相手の顔は直ぐに分かった。
「す、杉崎!?」
剛毅の背後にいたのは、オリジナルアウェイク・コア『蘇光剣』を持った雪乃だった。
「ご、ごうきくん!?」
相手の正体に気づいた両者はお互いに能力を引っ込める。
「んな……なんでここに……?」
剛毅が雪乃に尋ねる。
「え……? ああ、わたしこれ忘れちゃって……」
と言って、蘇光剣を見せる。
「で、玄関まで行くのに図書室通る方が近かったから……。そしたら……誰かいたからてっきり侵入者かと……」
「そうなのか……悪いな……実はさ、光司を追いかけててな」
「こうじくん? なんで?」
「いや、アイツ珍しくバイト無欠したし、電話も繋がらないしよ……」
剛毅は光司が入って行ったドアを見ながら話す。
「え……? ごうきくん、その話ホント……?」
「ホントって……なにが」
「いや、確かこうじくんバイトしてなかった気がするんだけど……最近始めたのかな?」
「え、確かアイツ高校上がってすぐ始めたって言ってたぞ?」
「あれ……? じゃあわたしの記憶違いだったかな? まあいいか……それで? こうじくんはここにいるの? 追いかけてきたんでしょ?」
「ああ……このランキング上位者ルーム? って所に入って行った……。そうだ杉崎、この部屋って何があるんだ? お前確か上位ランカーだよな?」
「え? ああ……確かに私も入れるけど。基本的には理事長に呼ばれる時とかにしか使わないらしいし、まあ自室の様に使って良いとは言われたけど、結局あんまり使ってないや」
「そうか……じゃあ、わざわざこんな時間になんで……?」
剛毅と雪乃はドアを見つめた。
――――。
「兄貴……柚香……」
あの二人は何を隠しているんだ?
水無月と別れた後、俺はすぐ家に帰ってバイトに行くつもりだった。
だが、やはり気になる。
柚香は本当に俺を騙してたっていうのか?
だとしたらなんで兄貴は殺された?
俺は柚香の言葉を、涙を、……キスを信じるためにここへ来た。
図書室の中にあるドア。
その中にある上位ランカーの部屋。
水無月はそこに何かあるかもと言っていた。
「ふぅ。よし!」
一息ついて、覚悟を決める。
ドアを開けると、中には下に降りる階段があった。
「降りるか……」
階段を慎重に進む。
もし見つかったら……と言っても、元上位ランカーな訳だし、お咎めはあまり無いとは思うが……。
階段を降りるとそこには、廊下と無数のドアがあった。
「暗いな……まるで監獄みたいだ……」
なんて呟いてていると、前に人影が見える。
『やばい見つかったか……?』と思ったが、それは杞憂に終わった。
「水無月……!」
「遅かったわね、待ちくたびれたわよ」
数あるドアの一つの前に水無月は立っていた。
「よう……この部屋は……?」
「そうね、ここにある部屋は上位ランカーの個室よ、基本的には脳の研究に使ったりする装置が置いてあるんだけど……まあ、人によっては完全に自分の部屋の様に使っている奴もいるわ」
「なるほどね……じゃあ、ここに兄貴が何か残してるかもしれないんだな……」
「ええ、アンタ、ICカードはあるのよね、この部屋だから開けてくれる……?」
「分かった」
ドアを開けると、中には仰々しい装置があった。
「これが、さっき言ってた脳に関する実験装置か……」
部屋はあまり広くは無く、置いてある物も小さい本棚とゴミ箱だけだった。
「この本棚に何かないかしら……」
水無月は本棚の前に行く。
が、中に置いてある本は三つだけだった。
水無月がその内の一つを手に取る。
「これは図書室にも置いてある本ね……」
俺も本を一冊手に取る。
「これは……? なんかグラフとか沢山書いてあるけど」
「ああ……それは、学校での研究の記録のノートよ……この部屋をもらった人はみんな最初に渡されるわ」
……そういや、この装置というかここで行われてる研究は何で使うんだ?
まあ今は置いとくか。
「これが最後の一冊ね……」
「これは……ノート……?」
最後の一冊はどのコンビニでも売っている様な市販の物だった。
水無月がページをめくる。
「何だこれ……日記?」
このノートには、兄貴の清槍院高校入学からのその日の出来事が記されていた。
「これ、アンタ……いやアイツの字なの?」
水無月が確かめてくる。
「ああ……そうだよ、間違いない。これは兄貴の字だ……」
ハねるところに癖のある兄貴の字はすぐに識別できた。
ノートには誰々と試合しただとか、誰々と遊んだとかたわいもないことが書いてある。
俺が作った夕食は美味かった、とかも書いてある……。
そういや兄貴、俺のチャーハン美味しいっていつも言ってたな……。
「ってこれは…….?」
――4月10日
清槍院高校に入学したオレを待っていたのは、華々しい高校生活ではなかった。
入学早々オレはある研究に巻き込まれてしまったようだ。
オレを巻き込んだ張本人である理事長に言われたこと――柚香君を守ってほしい――の実行。
そのためにオレは柚香と付き合うフリをした。
これで常に近くにいても怪しまれないだろう。
――4月21日
この依頼を受けたからには柚香が狙われている事情を知りたい。
理事長から少しは聞いているがそれでは不十分だ。
その情報を得るためには成績上位に入り込み、それなりの地位を手に入れてみろ、と理事長に言われたため、俺は今日この日までコロシアムで勝ち続けてきた。
そして今日ついにオレは学年トップの座に就くことができた。
「アンタ何かいい情報はあったの?」
水無月が呆れ顔で聞いてくる。
今は何も聞かないでくれ……。
今の俺は押し寄せる感情をこらえるのに必死だった。
久しぶりの兄貴の言葉。
文字から伝わってくる想いに心が動かされる。
嬉しさ、寂しさ、悲しさ、苛立ち、探求心…………。
何かが弾けるようなノイズ。
入り交ざる感情を制御する。
「いや…………ってこの続きがないな……」
俺は日記をもとあった場所に戻し、他の本は水無月に任せ、兄貴の使っていたパソコンを起動する。
デスクトップにあるアイコンの中から何か情報が掴めそうなものを探す。
「あっ……」
デスクトップの中央付近。
そこに先ほどの日記の一部であろうものが保存されていた。
そこをクリックして開く。
――5月3日
ついに柚香を利用しようとしている研究チームの施設へと侵入した。
だが、まさか……この研究に関わっていたのは柚香だけじゃないなんて……。
「…………ッ! 柚香だけじゃない? ……それってどういう……」
「次のページに続いているわよ……」
いつの間にか隣に来ていた水無月が俺の手の上からマウスを操作しページを移動する。
本来であれば今の接触で一悶着起こるところなのだが、そこにある信じられない事実が俺たちの動きを止めた。
――まさか、オレと影人も研究に関わっていたなんて……。
しかも影人がオレのクローン……?
「「は……!?」」
俺と水無月は全く同じタイミングで声を漏らす。
俺と兄貴が研究に関わっていた……?
しかも俺は……クローン!?
脳が現実についていかない。
クローン?
なんだよ…………それ?
その後にも光司の文字が書かれている。
――5月4日
昨日の事……オレ達はあの男に利用されているという事なのだろうか。
影人がクローン……。
それじゃオレ達の親もこの研究に関係あるのか?
分からない、やはり理事長に聞いてみるか……?
そこで、兄貴の日記は終わっていた。
薄い西日の光が鋭角に差し込んでくる屋上は、放課後に立ち寄るものなどいるはずもなく、普段は閑散と風に身を任せて、幾つかの植木が揺られているのみである。
だが、今日は、その清閑なスペースに、鮮やかな夕日の光を受けて、二つの影がベンチに腰かけていた。
その内の一人、多少癖のある黒髪に、やや華奢な胴体の少年――俺は、余りにも急に、そして予想だにしないところから、想像を絶した領域すらも超えるほどのカミングアウトに、放心状態になることは不可避であった。
虚ろな目で赤みがかった空に浮かぶ雲を追いかけながら、物思いにふける。
まさか、自分がクローン……?
んな馬鹿なことある訳ないだろ。
最初はそう鼻で笑ってスルーしていた。
が、それもできなくなった。
兄貴の残した言葉から、理事長が何か隠された事実を知っていると踏んだ俺と水無月は、図書館から直接理事長室に向かった。
一度、専用ルームから出たあたりで剛毅と雪乃にあったが、申し訳ないが、何一つ話すことはできない。
俺は二人に即、別れを告げると、何か、もの聞きたそうな彼らをおいて去っていった。
そして、理事長室。
入るや否や、肘掛椅子にもたれ掛かる理事長に、兄貴の日記に書いてあったことについて糾弾した俺らは、衝撃の事実を知ることになった。
まず一つ。
柚香は確かに外部研究組織――理事長ですらその活動内容は正確に掴めていないらしいが――と繋がっていること。
二つ。
柚香が、誰かに光司の殺害を強制させられた、という証拠はなく、もしかしたら、偶発的に暴走してしまったのかもしれないし、そして、あるいは、柚香自身の意思で、光司に剣を振り下ろしたという可能性も大いにあるということ。
そして三つ。
俺が、小鳥遊影人は、兄貴――小鳥遊光司のクローンであるということ。
そんなはずはない、と。
そう、告げられた時に、俺は速攻で理事長に食って掛かった。
クローンな訳ないでしょう?
俺には兄貴とは違うところが幾つだって……。
だが……。
理事長は、咳払い一つで俺の口をふさがせると、引き出しから何らかの書類を取り出し、俺に向き直った。
「……いいか。クローンと言っても内面的な部分まで完全一致という訳じゃないんだぞ? 心や才能といったものは遺伝じゃないからね」
それと、と理事長は俺に、さっき手に取った一枚の書類を見せる。
「これは、アウェイク・コアの調整に必要だと言って、採血させてもらった君たちの血液から調べてみたものなんだが……」
そこで、理事長は話すのを止めてしまったので、俺は視線を落とし書類に目をやる。
一番上に『DNA鑑定結果』と大きく書かれた書類の中ほどを見て、思わずその目を見開く。
二つの血液に含まれる遺伝子は完全一致、英語にするとパーフェクト・マッチだろうか。
そんな鑑定結果が、膨大な数値的証拠と共に書かれている。
要するに。
無意識に否定していた、兄貴の言葉は、紛れもない、正真正銘の事実だった。