6話
*
魔法使いの村を南に進むと、砂漠がある。
イサキ達は、今まさに砂漠越えという灼熱地獄に挑もうとしていた。
どうしても新しいロッドが欲しいのパパ何とかしてよ、とせがむコチに父親は、一通の手紙をくれた。
『何これ?』
『村長に書いてもらった紹介状や。これを召喚士の村の族長さんに見せたら、いいロッドを貸してくれはるはずや』
『へーっ! ありがとうパパ☆』
無邪気に喜ぶコチを見て、母親が心配そうに付け加える。
『せやけど、くれぐれも気ぃつけて行ってきよしや? 召喚士の村は、岩山に挟まれてる上にハタハタの谷とも面してるさかい、行くには砂漠を通るしか方法があらへんのやからな?』
昨夜のコチ親子の会話を思い返したイサキは、地図を見ながら一人納得する。
(そうか、召喚士の村の東がハタハタの谷の西側になるのか……)
砂漠の手前では、旅人をターゲットにした商人達が露店を出していた。
「飲み水や、日除けの帽子を買わないとな」
「勇者、アタシあっちの店見て来るね?」
「いいよ。ただしちゃんと金は払うんだぞ!」
そんなふうにバラバラになって店を冷やかしていた一行だが、しばらくするとある店に自然と集まっていた。
「あ、勇者さんも来たんですね」
最後にやってきたイサキに、ヤガラが手を振る。
「ああ、この亀デカいよな」
「ですよねぇ……あまりに大きくてちょっと怖いです」
「んな事ぐらいで泣くなよ?」
そこは、人が乗れるほどの大きな亀を売る店だった。
この亀が砂漠で唯一の荷物の運搬手段らしい。
大きな甲羅の隙間から蠢く黄緑色の首は、薄い皮膚が作る皺がはっきりと見てとれて、いささか気味が悪い。
イサキは、泣き虫なヤガラや女のシャコが爬虫類を苦手としなくて良かったと、心底思った。
「本当に重い荷物も運べるのかぁ?」
うさん臭そうに亀を見やるカジカが、商人に質問している。
「もちろんですとも。何せ荷車の代わりになるからニグルマリクガメと呼ばれているぐらいでしてね、ハイ。で、このニグルマリクガメはですね、なんと驚く事に……!」
商人が大仰な身振りで、溜めて溜めて言う事には。
「人と同じ速さで歩くんです!!」
「へーーぇ」
感嘆の声を漏らすイサキ達だが。
「確かに、亀の中では速いんでしょうけど……何かセールスポイントとしては微妙ですねぇ」
「だな。せめて馬並みのスピードだったらもっと驚くのに」
小声でツッコまずにいられないアイナメとカジカだ。
商人はそんな呟きなど気にせず、商品を薦めてくる。
「さぁ、皆様いかがでしょうか? こちら本来なら4000イラするところを、今店頭でご覧になっている皆様方だけに! なんと、1500イラでご提供しましょう!!」
「結構高いな……荷車が必要なほど、荷物が多いわけでもないし……」
イサキが買うのを渋っていると。
「あらぁ、あるわよ荷物」
そう言ったシャコが、いつの間にか肩で担いでいた袋をドスンと地面に下ろした。白いズタ袋は、コチの体ほどもある大きなものだ。
「いやー、やっぱり長い間旅してると、荷物も増えるもんよねぇ」
慌てて袋の中身を確認したイサキが唸る。
「ううう嘘つけッ!! この金貨の山どっから盗んできたんだよ! つーか普通バレるだろ、一度にこんなに盗ったら……」
「一気に盗るわけないじゃない。無くなっても気づかれない量だけ拝借したら、家や店を変えて繰り返すの。盗賊の腕の見せどころよ!」
「自慢げに言うなーー!!」
息を切らしながらツッコむイサキの横で、コチがぽつりと呟いた。
「かわい……」
「え?」
いち早く気づいたカジカが、コチの方を振り返る。
コチはとろんとした目で、亀にみとれていた。
さすがに商品なだけあって人に慣れているらしく、コチが指で触れても頭を引っ込めたりはしない。
それどころか、余程撫でられるのが気持ち良いのか、自分からすりすりと頭を擦りつけてくる亀。
コチの口から感嘆の溜め息が漏れた。
「カジカちゃんっ、すごく可愛いよ~この子!」
「……コチの方がずっと可愛いよ」
「……今回ばかりは、オレも同感だな」
毎度のセリフもどこか退き気味のカジカに、その背後でイサキも渋々同意する。
「コチ~……まさか、気に入ったのか、その亀?」
イサキが問うのへ、コチはうっとりした様子で頷いた。
愛しそうに、両手で亀の頭を包むように撫でながら。
「うん、欲しい……乗りたい!」
「仕方ないなぁ、買ってやるよ」
「カジカくん、独断で高い買い物するのやめようね。お前だけの金じゃないんだから」
そう文句を言いつつも、シャコに財布を出させるイサキ。
「シャコ、1500イラ」
「はいよ」
そうして1500イラを商人へ渡すイサキに、他の商品を眺めていたアイナメが問うた。
「買うんですか?」
「買わなきゃコチやカジカが煩いだろ。別に無駄遣いってわけでもないしな」
亀の首輪に繋いであったリードを受け取って、イサキは迷わずヤガラに渡した。
いつでもスリの機会を狙うシャコや道草大好きなアイナメに持たせては、亀を無駄に歩かせて疲労させるに違いないからだ。
「ヤガラ、お前が持ってろ」
「あっ、あのその、急に走って引き摺られたりしないかな……?」
怖々リードを掴んで涙目になるヤガラ。
「亀に引き摺られる人間がいるかよ……コチ、買ったぞ亀。乗るんだろ?」
「わーい、勇者くんありがとう!!」
コチは飛び跳ねて喜び、上機嫌で亀の背中に乗っかった。
「よかったねウグイ!」
「ウグイ?」
「この子の名前! もう決めちゃった」
「ウグイか、良い名前だなぁ」
「カジカは、コチが決めたのなら何でも褒めるクセに」
シャコの嫌味も、だらしない顔でコチを見守るカジカの耳には右から左だろう。
そして、ようやく砂漠に踏み入った一行。
せっかく買ったのだからと、ウグイの背にはコチだけでなく野宿用のテントも乗せた。
「しっかし、暑いなぁ。オレ暑いの苦手なんだよなー」
イサキが呟く。
「そ、そうなんですか?」
口だけで返事するヤガラは、自分より足の速いウグイに引っ張られて暑さどころではないらしい。
「うん。オレんち教会なんだけど、目の前に竹藪があってさ。竹が陽射しを遮ってくれたから、夏でも過ごしやすかったんだよー」
「へえ、勇者くん教会の子なんだ。だから回復魔法得意なのか」
「だから銅の剣装備できなかったのかー」
「カジカうるさい」
素直に感心するコチと反対に、からかう気たっぷりのカジカ。
一行は喋りながらも根気よく歩いていたが、一番にシャコが音を上げた。
「ちょっとぉ、どうしてか弱いアタシを歩かせて、亀にはコチが乗ってるわけ!!? 普通は体力的に心配な女の子を乗せるもんでしょぉ!!」
叫べば余計体力を消耗するというのに、ヤケになっているのか盛大に不満をぶちまけるシャコ。
イサキとカジカは振り返りざま、ひどく醒めた視線を向けた。
「あーん? 誰がか弱い女の子だってェ? 金貨がぎっしり詰まった袋を軽々と担いでいたのは誰でしたっけねー」
「そうそう。それに盗賊のシャコより、魔法使いのコチの方がか弱いに決まってる! 何より、コチに何かあったら一大事だろ? コチを優先するのは当然だな」
二人にあっさり却下されて、シャコは余計苛立ちを強めながら、ウグイを見やる。
ウグイの紐を持っているヤガラと、目が合った。
「何よ、そこまで言わなくたっていいじゃない! アタシの金貨のおかげでテントだって買えたのに~……ねぇ、ヤガラも何とか言ってよ!!」
シャコのもの凄い剣幕に怯えて、びくりと肩を震わせるヤガラ。
「えっ……暑さに気を取られて聞いてませんでした……」
「何よ、使えないわねー!」
「ご、ごめんなさい~! うぇぇぇ~~ん」
「シャコ! このクソ暑い時にヤガラを泣かすな!! 泣き声が耳障りで余計暑くなるんだよ!」
「アタシのせいだって言うの?!」
砂漠特有の暑さを我慢しなければいけないせいで、皆気が立っているらしい。
今にも喧嘩しそうなシャコとカジカに、仕方なくイサキが割って入る。
「はいはい、喧嘩しないのー! ずっと歩き通しで退屈なんだから、もっと楽しい話しようぜ」
それを聞いて、ウグイの背に寝そべっていたコチが手を挙げた。
「あっ! じゃあ勇者くん、前から訊きたかった事を訊いてもいいかなぁ」
「ああ、いいよ」
イサキは笑顔で快諾し、シャコやカジカも、コチが何を言い出すか興味が沸いたらしく口を閉じた。
「勇者くんってさ、トーナメントが終わってから、家へ帰らずにそのまま旅に出たよねぇ」
「そうだよ」
「家族いないの?」
「いるよ、親父とお袋」
「えっ、じゃあ家族に顔見せずに旅に出てよかったの? 長い旅なんだしお母さん心配してない?」
心配そうに尋ねるコチに、イサキはあっさりと言ったものだ。
「トーナメントに出る前、家出宣言をしてきたから平気!」
「それは平気じゃないですよぅ……」
「世界を救う勇者が家出息子かい」
ヤガラが遠慮がちにツッコみ、カジカも呆れて呟いた。
「まあ、オレだってもう18なんだから多分心配なんてしてねーよ」
子どもじみた言い訳を自信たっぷりにすると、イサキは遠い目をした。
「お袋か……」
「……懐かしいですか?」
ヤガラが相槌のつもりで問うたが、イサキの返答に皆後悔する事になる。
「……いい女だったな……」
その呟きに全員が絶句し、アイナメがシャコの耳を塞いだ。
「……勇者くん、訊いてもいいかな」
恐る恐るコチが問う。
「何?」
「お母さんって、今おいくつなの?」
「確か……24」
「若っ!!」
その答えに安堵するカジカ達。当然計算が合わないから、イサキの実母ではない。今はそれだけわかれば充分だ。
「それがさぁ……」
しかし、何故かイサキが詳細を語り出そうとしたので慌ててアイナメがシャコを追い出す。
これから始まる話が、年頃の少女に聞かせられるものではないと、容易に想像できたからである。
「シャコちゃん! あそこに庭つき豪邸の蜃気楼が!!」
「何ですって?! 豪邸ならきっと、年代物の高価な毛皮や宝石があるに違いないわ!!」
目を輝かせて走っていくシャコ。とても“か弱い女の子”とは思えない体力だ。
「勇者くん、続きは……? それが、何?」
シャコが走っていった後、コチがわくわくした様子で話を促す。
「気になるのかコチ!?」
興味津々なコチにショックを受けるのはカジカだ。
「当然でしょ、カジカちゃん気にならないの?」
「……コチもやっぱり男だな」
うなだれるカジカを嘲笑いながら、イサキが口を開く。どこか楽しそうに、あっけらかんと。
「それがさ、うちのお袋、親父の再婚相手なんだけど、若い上に美人でさ~」
「うんうん」
「親父が礼拝堂へ行ってる間に、家ん中でオレの事誘惑してきたんだよ!」
「マジで!?」
「マジマジ!」
内心で予想はしてたものの、直接言葉にされるとやはり唖然としてしまうカジカ達。
「あ」
突然、コチが哀しそうに眉根を寄せてイサキを見た。
「もしかして勇者くん、その事がお父さんにバレて、家にいられなくなっちゃったの……?」
自分で口に出してみて、コチは後悔した。
ついつい友人と若い義母の爛れた関係に興味を惹かれて、余計な事を言ってしまったのかもしれない――と。
だが、コチはイサキが自分から話の口火を切った事を失念していた。
イサキは平然と答えたものだ。
「いや、全然」
「え?」
「親父はちっとも気づいてないみたいだったぜ。もしかしたら、お袋に逃げられたくなくて何も言わなかったのかもしれないけど。オレが家を出ようと思ったのは、違う理由だよ」
「理由ってどんな?」
カジカが問うのへ、イサキは苦笑混じりに返す。
「オレが、本気になりそうだったから……」
お袋にしたら、遊びだったんだろうけどなーと笑う勇者。
皆して沈黙する中、アイナメが呟く。
「勇者くんって、絵に描いたように幸せな少年時代を送ってたんですね……」
「まあな!」
話題にそぐわない爽やかな笑顔を見せつつ、イサキは、そんな自分に内心驚いていた。
もう笑って話せるぐらい、義母への未練が失せている事に気づいたのだ。
(勇者トーナメントの頃なんか、忘れようと必死だったのに……)
コチを女の子と間違えて喜び、しかも魔王討伐の旅に誘いさえした。
それは義母を忘れるために、無理にでも他の女性へ目を向けようと意識したからだ。
だが、思えばそんな葛藤も、長くは続かなかった。
今のイサキの心を占めているのは、ただ一人なのだから。
(無事でいろよ……ヒイラギ)
彼女は、自分を翻弄した義母と正反対だった。
気まぐれで好きな時にだけ構ってくる義母と違って、ヒイラギには常に自分が側にいなければと思わせる儚さがあった。
自分の思い通りには決してならない義母への偏愛――独占欲と言ってもいい――の反動が、頼れるのはあなただけと縋ってくるヒイラギに惹かれさせたのだろう。
ふと、イサキは視線を上げて前を見た。
シャコがゴネ始めたあたりから気づいていた。
広大な砂漠の真ん中に、黒い穴が開いていたのだ。
それが穴ではないと視認できるようになって、イサキの抱いていた期待も確信に変わった。
砂塵の向こうに見えたのは、黒馬車だった。
―――ヒイラギが自分を頼ってきたに違いない。
それもまた、イサキの確信である。
「ねぇっ、アイナメ! どこまで行っても、豪邸の蜃気楼なんて無かったわよ!?」
イサキが黒馬車を眺めている間に、シャコが戻ってきたようだ。
「シャコさん……蜃気楼の時点で、豪邸があったとしても盗みには入れませんよ~幻ですから」
ヤガラのツッコミで、ようやくシャコはアイナメに騙された事がわかったらしい。
「ああ、そっか! ちょっとアイナメ!! 一体どういうつもりで蜃気楼なんてッ」
また仲間達が騒がしくなる中、イサキは聞こえよがしに呟いた。
「あの馬車もきっと、蜃気楼なんだろうな」
「え?」
それを聞き逃さなかったのは、未だマイペースを保ってウグイに座ったままでいるコチだ。
「そうかなぁ、蜃気楼にしてはゆらゆら揺れてないよ?」
でも何で馬車がいるんだろう砂漠で車輪動くのかな、と首を傾げるコチ。
「いいや多分、蜃気楼だね! オレ一人で見てくるから、皆は先に行っててくれないか?」
芝居がかった口調で言いたい事だけ言うと、イサキは黒馬車へ向かってずんずん歩いていってしまう。
「えぇっ、ちょっと勇者くん!?」
「どうしたコチ?」
「カジカちゃん……今度は勇者くんが、蜃気楼追いかけていっちゃった」
「へ?」
「蜃気楼って、いつまでも追いつけないから蜃気楼……だよね?」
後には呆然とした仲間達が残された。
*
黒馬車はどうやら動いておらず、ずっと同じ位置にとどまっていたようだ。
イサキが幌をそっと捲ると、ヒイラギより先にアカガイの鋭い目や嘴が見えて驚いた。
それでもアカガイはかさばる翼を畳んで、イサキが中に入れるようにしてくれた。
ヒイラギは、イサキの推測が当たっている事を端的に告げた。
「待って……いました」
「オレに会いたくなったから?」
イサキが軽口を言って微笑むものだから、ヒイラギは自分の顔が強張っている事に気づいた。
「え、ええ。会いたかったです、勇者様」
平静を装った声で、イサキの胸に顔を埋めるヒイラギ。
イサキもヒイラギを抱き締め、耳元でそっと囁く。
「その響きも気に入ってるけど、ヒイラギには名前で呼んで欲しいな……で、どうして待ってたんだ?」
くっついた二人を挟む位置に、アカガイとミルガイがまるで石像みたいにひっそりと座っている。
ヒイラギは、納得した顔でイサキを見上げた。
「イサキ、二人になら聞かれても構いませんわ?」
「ああ、オレがこうしたいだけ」
「もうっ」
互いの顔を見つめて密やかに笑いあってから、ヒイラギがおもむろに言った。
「……魔法使いの村が燃やされたわ」
「知ってる。仲間の故郷なんだ……大丈夫、村人達は無事だよ」
「そう、よかった……」
ヒイラギは安心したように息を吐いてみせたが、すぐに思い詰めた口調になった。
「でも、あんな事があった以上、もう待ってられません……早く魔王城に来て欲しいんです」
「そうだな、あんな酷い事を命令する魔王は―――」
「焼き討ちを命じたのは、魔王様じゃありません!!」
言葉を遮ってまで大声を出したヒイラギに、イサキは驚いた。
ついでに、叫んだ拍子に体を起こして距離を取って座り直したのにも、がっかりした。
「魔王様は、魔物と人間の共生を模索されているだけ……その魔物を使って悪事を働いているのは、別の人間なんです」
「なんだって……?」
共生を模索。
突然出てきた固い熟語の意味を噛み砕くのには時間がかかったが、イサキは別の人間という単語に反応する。
「本当よ、魔王様には恋人がいてね。世界征服なんて嘯いてるのも彼女の方なんです」
「いや、確か魔法使いの村に来た刺客は、魔王の命令だって!」
「ええ。ヒラマサの町へ治安維持部隊を送ったのも、魔法使いの村へ調査員を派遣したのも魔王様……でも、焼き討ちは魔王様の命令じゃない。命令を伝える時に彼女が勝手に付け足した事」
ヒイラギは悲しそうに言った。
「魔王様は、魔物達が人間社会に溶け込みやすくするために、人間の頼み事を素直に聞く事が必要だと教えていました。その結果、彼女が語る世界征服の野望を信じてしまった魔物もいるんです。それであんな事に……」
「……治安維持部隊」
イサキはサヨリの事を思い出す。
空き巣被害が無いかどうか家々を一軒一軒訪ね、犯人を捕まえようと尽力していたサヨリと部下達。
町の住民の事を第一に考えたその姿勢は、確かに真摯だった。
「そう言えば、村に来た奴等は最初、人口調査とか言っていたな。あれは、コチをあぶり出すためだと思ってたけど……」
「違うの。お年寄りだけの村なのでしょう? だから村人の人数を確認して、それに見合った数の魔物を働き手として送るつもりでしたのよ」
「……それが本当なら、オレ達がまず倒すべきは魔王の恋人……」
頷いて、ヒイラギは自嘲めいた笑いを漏らす。
「魔王様も、事態を重く見てはいるのでしょうけど、彼女には頭が上がらなくて……私が、こうして時々散歩させられるのも、機嫌の悪い彼女の嫉妬を買った時です。『魔王様に近づかないで!』なんて言われて、城から追い出されますのよ」
「そうだったのか……」
*
ようやく砂漠を抜け、オアシスに辿り着いて、カジカ達は目を見張った。
「勇者! なんでお前が先に着いてるんだ!?」
「へっへ~ん、蜃気楼の馬車で先回りしたんだよーだ!」
今にもあっかんべー、と舌を出しそうな調子で喋るイサキを、カジカはガキみたいだと思った。
しかし、イサキが18歳の子どもなのは確かでも、さっき本人から聞かされた話を思えば妙に気後れしてしまう。
(畜生、羨ましい奴め!)
「馬車って、どこにも無いよ?」
コチがこてんと首を傾げる。カジカは視界の端でそれを捉えて気を落ち着けようとした。あくまで落ち着くためだ。逆ではない。
イサキは、簡単に言った。
「馬車は帰った」
「どこへ?」
「またすぐに戻って来るよ。だから早く村へ行こう」
「勇者くん、質問を無視してはいけませんよ」
「悪いなアイナメ、説明は後だ。魔王城へ行く前にしてやる」
「魔王城!?」
「ああ」
イサキはニヤリと笑った。
「召喚士の村へ行ったら、そのままハタハタの谷を降りて魔王城へ行くぞ!」
召喚士の村は、魔法使いの村と同じく、のどかな雰囲気だった。草を刈り取っただけの道を挟むようにして、家が点々と建っている。
違いと言えば、魔法使いの村で一面に広がっていた畑が果樹園に変わっている事ぐらいか。
その果樹園の手入れをしている村人の何人かが、イサキ達の方を物珍しそうにチラチラ見ている。
「小さな村だね……ボクの村より小さいかも」
「召喚士という職業自体、滅多にお目にかかれないのも頷けますね」
コチの呟きにアイナメが答える。
「ねぇ、そう言えば召喚士ってどんな職業なの?」
「ボクもよく知らないんだ~召喚魔法っていう、特別な魔法の使い手としか……勇者くん、知ってる?」
「ああ、そうだな……」
「……勇者?」
「話、聞いてないね~」
シャコとコチが話し掛けてくるのもうわの空で、イサキは別の事を考えていた。
黒馬車でのヒイラギとの会話は、旅の目的をはっきりさせる意味で実り多いものとなった。
『オレ達が倒すべき敵は判った。ヒイラギが散歩している理由も。……でも、一つ判らない事がある』
『何ですか……?』
『ヒイラギがさらわれた理由だよ。コノシロ国へ行って、脅迫状の内容を聞いたんだ。……一体あれはどういう意味なんだ?』
『……おそらく、意味はありません』
『えっ?』
『私をさらったのは、もちろん魔王様ご自身の判断でした……ですが、魔王様は教団の解体など望んでいないでしょう。ただ、教団を脅迫状で身動きとれなくさせられれば、それで良かったのです』
ヒイラギは淡々と言うが、イサキは嫌な気分になった。巫女を無事に奪還できても、その時教団がなくては無意味だと言われているようで。
『それだとますます判らないな。魔王は何のために、ヒイラギをそうまでして手許に置いておきたいんだ?』
『……最初は、魔物達に人間の言葉や社会での秩序を教えるためでした。巫女として何度も国民の前に立ち、コノワタ教の教義を語っていた私が適任だと思ったのでしょう』
そのヒイラギの言葉を聞いて、イサキは、自分達の敵が魔王ではないとの認識を強くした。
『魔物が人間達とうまく生活できるために教育していたのか……』
しかし、それだけで済まされない感情も当然あるわけで。
『待って。最初は、ってどういう意味?』
『それは……』
途端に口ごもるヒイラギ。
その瞳に涙の膜が張っていくのを見て、イサキは脳裡に巡らせた悪い想像を必死で拭う。
『……最近の魔王様は、事あるごとに、彼女と別れるからって私を口説いてきて……もちろん気は許してません。でもそれを彼女が知る度に、怒って当たり散らされるから、辛くって……』
イサキは、肩を震わせて泣くヒイラギを抱き寄せ、呟いた。
『やっぱり、魔王も個人的に一発殴らないとな』
イサキが物思いに耽っていると、不意に誰かから背中を押された。さっさと歩けと言わんばかりに。
「……アイナメ?」
イサキは首だけで振り返り、不思議そうに尋ねる。
「はい?」
「何でオレの背中を押すんだ? 何か急いでるのか」
「いえっ、気にしないで勇者くんは思索に集中してて下さい! 勇者くんだって、こんな村さっさと抜けて魔王城へ行きたいでしょ?」
言いながらアイナメはさらにぐいぐいと背中を押してくる。普段なら一人で勝手に町を観光して歩くアイナメだけに、目的を優先するのは珍しい。
「そりゃ、まあ、そうだけどさ……ほら、お前が背中押すから、あそこのお婆ちゃんこっちをジロジロ見てるぞ?」
「だーかーら、勇者くんは何も気にしなくていーんです!」
いつになく真面目で強引なアイナメの態度をイサキが疑問に思っていると、コチがウグイに乗って走ってきた。どこかへ行っていたらしい。
「アイナメさーん! 族長さんから召喚士のロッドもらってきたよ! 紹介状を見せたらね、すぐに用意してくれた~」
と、コチが嬉しそうに振り回しているのは、細い魚の形をしたロッドだ。
先端で魚の口に咥えられている赤い宝石が、魔力を宿す触媒なのだろう。
「そうか、召喚士のロッドがもらえたなら……もう用はないな。しかし……アイナメ、お前が指図したのか? やけに手際がいいな」
「勇者くんがずっと考え事していたから、代わりですよ」
「う、そう言われると……」
そんなやり取りがあって、一行はあっさりと召喚士の村を通り過ぎ、ハタハタの谷に着いてしまった。
「さてと……」
イサキは、きょろきょろと辺りを見回してから、声を張り上げる。
「おーい、馬車引きーーー!! 着いたぞーーーー!」
すると、崖下を覆っている白いもやの奥から、二つの黒い影がバサバサと音を立てて飛んできた。
人間の大人並みの大きさで鷹の頭と翼を持つ魔物――アカガイとミルガイである。
彼らが崖の上に立っていつもの黒装束を脱いだ時、シャコが呻いた。
「やだ……魔物……?」
いかにも異形の姿をした二人に、緊張が隠せない仲間達。
そんな場の空気に似合わない明るい声で、イサキが紹介する。
「彼らが、ヒイラギの監視をしている馬車引き……じゃない、アカガイとミルガイだ。この二人がオレ達を魔王城まで連れていってくれる」
アカガイとミルガイは、イサキの隣に立って会釈するだけで無言を通した。大きな鷹男に頭を下げられるのは、いささか怖いものがあるが。
「味方、なんですか?」
半泣きで問うヤガラにイサキが頷く。
「完全な味方じゃないけど、敵でもないから安心してくれ。本当は、ヒイラギが城から逃げ出さないよう見張る役目だけど、彼女の命令はできるだけ聞くように魔王から言われてるらしい。これも命令のうちってわけだ」
「崖の下へ行くのに飛べる魔物を使うとは、考えましたね」
感心したように呟くのはアイナメだ。
「他に方法ないからな」
イサキは苦笑してから、皆へ向かって静かに語り始めた。
「さて、この断崖絶壁を降りれば魔王城なわけだが……一度城に乗り込んでしまえば、もう決着をつけるまでは外へ出られないだろう」
谷底へ降りる手段ができた事で魔王城へ赴く実感が沸いたのか、神妙に頷く五人。
「だから、皆これから故郷へ帰って、家族や友人に別れを告げてきたらどうかな」
しかしイサキの突然の提案には、きょとんとした顔になった。
「別れって、えらく弱気だな? 魔王ぶちのめして大手振って帰ればいい事じゃねーか」
皆の気持ちを代弁したカジカだが、イサキはあっさりと無視して。
「ああ、故郷が遠くても心配はないぞー。アカガイとミルガイに運んでもらえばひとっ飛びだ! 何せこいつらが、あの黒馬車を引っ張ってたんだからな!」
「人の話聞けよ!!」
思わずツッコんだカジカだが、イサキが故郷へ帰るのを止めるつもりはないらしく。
「そうだ! 皆帰るなら、オレとコチが残って留守番を……」
「却下。……じゃ、オレは早速帰るからな~」
「こういう時だけツッコむなッ!」
生活用品を仲間に持たせているイサキの荷物は少ない。武器を除いて大事にしている物と言えば、常に身につけているペンダントとサークレットぐらいだ。
銅の剣と錫杖を纏めてアカガイの足に縛るイサキに、シャコが声をかける。
「あ、勇者。ワラサ国へ帰るんならアタシも。家に今までの戦利品を置いてきたいのよ」
「戦利品って全部盗品だろ、まったく……。じゃあアカガイ、ヒラマサの町でシャコを降ろして、ワラサ国へ向かってくれ」
「……」
アカガイは、シャコが抱える“戦利品”の入ったズタ袋の大きさに青い顔をしたが、健気にも力を振り絞って二人を掴み、翼を広げた。
よろよろとアカガイが飛び立つのを見送って、ヤガラが口を開く。
「あのぅ、コチくん。今地図を見たら僕の村が思ったより近いんだ。それで、ミルガイさんに送ってもらうほどの距離じゃないから、ウグイを貸してくれないかな」
「うん、いいよ。気をつけていってらっしゃい☆」
そして、ヤガラがウグイの背にしがみついて去っていくと、カジカがコチの肩を叩いた。
「コチはどうする……魔法使いの村へ戻るのか……?」
「……ううん、あのね、カジカちゃん」
コチは振り向いてみたものの、何故か途中で言葉を詰まらせてしまう。
「何だよ」
「あ……のね、お願いが……あるんだけど」
やけに弱々しい声で言葉に詰まるコチは、何が恥ずかしいのか頬を赤く染めている。
(これは……もしかして、もしかすると、もしかするかもしれない!)
カジカは、期待――という名の都合の良い妄想――に胸を高鳴らせた。
『お願いって何だよ』
『あの……もし、皆で魔王を倒せて、世界が平和になったら……ボクと』
『ボクと?』
『ボクと―――!』
(まさか、魔王城での最終決戦の前に、俺に……)
そんなカジカの想像など知らないコチは、ようやく意を決して言った。
「一緒に、勇者くんを尾行して欲しいんだ!!」
「…………は?」
あまりに予想から外れた内容に、呆気にとられるカジカ。妄想との落差を差し引いても、驚くのも無理はない。
「び……尾行って、何で?」
「決まってるでしょ!? 勇者くんは、“実家に帰る”と言ってたんだよ!」
コチの熱の籠った語りように、アイナメが説明を付け足す。
「つまり、勇者くんは実家で母上と顔を合わせる可能性があるんですよ。以前、関係のあった母上と!」
「アイナメ、いたのか」
「いちゃ悪いですか?」
「…………いえ、別に……」
がっくりと肩を落とすカジカに、コチがねだる。
「ねぇ、行こうよ~カジカちゃん! 気になるじゃない、勇者くんが本気になるぐらい美人なお母さん!!」
*
しばらく経って、カジカ達はイサキの生家と思しき教会の前にいた。
教会は近くの街から脇道に逸れた場所にあり、空から眺めると簡単に発見できた。
入口の正面には竹藪があり、大の男三人でも充分に身を隠せる。
「……コチ、ここが本当に勇者の家なのか?」
不安そうに言うのはカジカだ。尾行するつもりが、イサキ達がヒラマサの町で予想以上に時間を費やしているため、仕方なく先回りしたのだ。
「大丈夫です。ワラサ国で竹藪の近くにある教会はここだけですから、間違いありません」
自信満々に答えるアイナメ。
ちなみに三人を連れてきたミルガイは、竹を止まり木代わりにしている。
教会の前では、一人のシスターが箒を持ち掃除をしていた。
彼女はまだ年若く、青い法衣の上からでも蠱惑的な体のラインがはっきりと見てとれた。
帽子から覗く巻き毛は艶のある藤色。キツく見える切れ長の瞳は鳶色で、それを縁取る睫毛は長い。薄く刷いた頬紅が映える白い肌に、赤い唇はまるで薔薇の花弁のように妖艶で。
三人は確信した。この美女がイサキの義母に違いないと。
「うわぁ、やっぱり美人だね~~勇者くんのお母さん! スタイルも良いし、なんと言うか、こう……人妻独特の色気って言うのが、ねぇ?」
コチが、やけに興奮した様子で言った。
「コチ、興奮してるところ悪いが、お前のような童顔で人妻のフェロモンについて語られてもなぁ……俺やアイナメが言うならともかく」
「やだな~、ボクの事しか見てないカジカちゃんが言うよりは現実味あるでしょ? ほら、ギャップ萌えとでも思っておけばいいよ」
「う~ん、俺あまりギャップには興味―――え!?」
「どしたのカジカちゃん?」
「コチ、今何て……」
カジカが一気に赤面するのを見ながらも、コチは可愛らしく微笑むだけだ。
「……どうやら、私はお邪魔みたいですねぇ」
気を利かせて二人から距離を取ろうとするアイナメの背中を、コチがガシッと掴む。
「どこ行くのアイナメさん。ほら、勇者くんが来たよ!!」
コチが指で示した方向にカジカ達も視線をやると、街の中心地へ続く大通りからイサキが姿を見せた。
「……」
イサキは、家出の後ろめたさからか教会から距離を取って立ち止まり、義母に声をかけた。
「メジナ」
メジナと呼ばれた義母は、イサキを見て顔を綻ばせる。
「イサキ! 随分長い家出だったのね」
「そうか?」
イサキもまた微笑む。
「そうよ……」
メジナはどこか頼りない足取りでイサキへ近づくと、寄り掛かるように抱きついた。
「心配、したんだからね―――!」
気の強そうな瞳が潤みかけるのを見て、イサキにも込み上げるものがあるらしい。
「……ただいま、母さん」
二人が教会の前で抱き合うのを目の当たりにして、三人は一様に感嘆の溜め息。
「はー、18歳と24歳のハグは絵になりますねぇ」
「ほんとだね~しかも教会の前だもんね」
「表面上親子だけどなー」
すると、今しがた教会に入ったはずのイサキが、乱暴に扉を開けて飛び出してきた。
その腕にメジナが取り縋って何か訴えている。
「ねぇ、一度でいいのよ。もう帰ってこないつもりなんでしょう?」
「嫌だ。勘弁してくれよ」
イサキの口調は冷たかったが、メジナは腕を離そうとしない。
「そんな事言わないで……ね、最後に一度でいいの」
「…………」
真剣に耳をすましていたコチが、隣で同じくメジナの声に集中するアイナメに語りかけた。
「一度……一度だけって……アイナメさん、もしかして――!」
「……でしょうね。尾行した甲斐もあったというものですよ!!」
「お前ら……勝手に盛り上がるのはいいが、しゃがんでないと見つかるぞ」
イサキは、どうしてもメジナの頼みを聞き入れたくないらしい。
「嫌だっつってんだろ。オレは母さんの顔を見に帰ってきただけで、別に……!」
「どうして、そんな意地悪言うのよ?」
それでもメジナは粘る。彼女は、男を籠絡するためなら自らのプライドなんて簡単にポイできる女だった。
それが男の庇護欲とも言うべき優越感をくすぐる事を知っている――。
「本当に一度でいいからぁ……お願い」
普段は強気なメジナがここぞという時に出す、甘く柔らかい声にイサキは弱い。
「イサキ――お願い、だから」
「……っ」
しまいには涙声になるメジナに、イサキはたまりかねて叫んだ。
揺らぎそうな理性に自分で喝を入れるために。
「いーやーだー!! 親父に会ったところで話す事なんかねーよ!」
「そう言わずに会ってあげて! あの人だって、口では言わないだけでイサキの事心配してるのよ!!」
「…………」
カジカは思った。
今の叫びを聞いて、こんなにも落胆している人間がいるとは、イサキには思いもよらないだろう。
しかも、イサキが父親と会わない事を心配する仲間としての落胆ではない。
まったく別の意味での落胆である。
「なーんだーーお父さんに会う会わないで言い争ってたのかぁ……期待して損しちゃったね」
「ええ……勇者くんと若い母上の痴情の縺れかと思ったのに、残念です」
至極残念そうに言うコチとアイナメ。
「…………」
カジカは呆れて物が言えなかった。
*
「よーし、皆集まったな!」
ハタハタの谷に戻ってきたイサキは上機嫌だった。
「実家の教会へ寄ってきたんだけどさ、何にもなくてよかったよ!」
実は、イサキが自分から家出した家にわざわざ帰ったのには、理由があった。
魔法使いの村を襲撃したクエの言葉が気にかかっていたのだ。
『どっかの大会で準優勝するような実力の魔法使い、この村の出身に決まってるわよねぇ』
準優勝のコチの故郷でさえあんな酷い目に遭ったのだ。優勝した自分の実家はもっと危ないかもしれない――と。
そういう意味でイサキは、教会や家族が無事で良かったと言ったのだが。
不満そうにぼやくのはコチとアイナメ。
「何にもなくてつまんなかったーーー」
「同感です」
「へ?」
二人の非難めいたまなざしに、イサキは首を傾げるのだった。