開放
「ええ。なんとか大丈夫です」
カルラは職員たちを盾に、口を緩ませて答えた。
ゾンビも攻撃対象をカルラたちからその前にいる3人の職員たちに移し、異常に伸びた爪と牙を突き立てる。
「後ろの君たち!私たちが食い止めているから早く逃げて!」
銃を構えてメンバーを保護しようとするのは20代後半ぐらいの女性だった。これほど頼もしい人員がこのシェルターに揃っているとはカルラは思いもしなかったが、彼らも背後にいる一般市民たちが裏切るなどと予想できるはずがない。
駆けつけた職員たちの中で銃を所持しているのは2人。それさえなんとかすればここを制圧できる。残る問題は内部の通信で仲間を呼ばれることだ。
「発砲します!」
速度を上げて接近してくる感染者に銃を構え、その引き金を引いて職員は発砲する。銃声が2発、3発と閉鎖空間に轟く。これで間違いなく、他の職員たちに存在を感知されただろう。しかし、まだ時間は残されている。
弾丸が肩や腕に命中したゾンビは怯み、一歩後ずさりしたが、生命活動を止めるまでには至らなかった。動きが止まったのもほんの一瞬だけで再びこちらに進み始める。
きっと職員たちも戦闘に関しては素人なのだろう。ここの管理ばかりしてきた彼らからすればモンスターとの戦闘などしたことがないに決まっている。
「死なないのか……!」
とりあえず早く戦闘を終わらしてしまいたい職員たちはその生命力に驚き、嘆いた。
「ちくしょう!喰らえ!喰らえ!」
職員もヤケになって無闇に銃を乱射する。そんな状態でヘッドショットなど狙えるはずもなく、すぐに弾を切らしてしまった。
何発か命中したものの、痛覚のない感染者からしてみればただの鉛玉同然だった。出血はしているがダメージが与えられているとは思えない。
「トーマス!何無駄撃ちしてんの!私が撃つ!」
「なんで死なないんだよ!」
トーマスと呼ばれる職員は愚痴を吐きつつそのまま引き下がり、もう1人の女性が攻撃を開始する。
「やるなら今だな」
その光景を後ろから見ていたカルラはニヤリと不気味な笑みを浮かべると強く足を踏み出した。何かを企んでいるかのようなその顔を他のメンバーは気付くはずもなく。
「カルラ!何を…!」
脱出犯の3人もカルラの予想外のアクションに声を漏らしたが本人はそれを気にもとめなかった。完全に独断行動に出ている。
そのまま足の速さに身を任せて銃を所持する女性職員の背中に体当たりをしたーーー感染者のいる方向へと。
「えっ……」
発砲する隙すらなく、重力に逆らうこともできず、感染者の攻撃可能範囲まで突き飛ばされる。
「グガァ!」
それに最も早く反応し、動いたのはいうまで間も無く感染者の方だった。転がり込んできた獲物を捕食しようと手を伸ばし、爪を突き立てその皮膚にかぶりつく。
「カノン!ダメだ!」
トーマスが予想だにしない事態に声を荒げた。しかし、感染者は無慈悲にもカノンの身体を押し倒し、捕食を始めていた。
「きゃあああ!!!」
甲高い悲鳴があがり、場の空気が凍りつく。すぐにゾンビの魔の手から彼女を救おうと2人の職員が手を伸ばす。
目の前にいる職員たちはカルラの理解不能な行動に驚き、憤っているに違いない。すぐにでも殺してやりたいほど恨んでいるかもしれない。しかし、2人はカルラへの復讐ではなくカノンを救出することを優先した。
それをカルラはすべて想定した上で1人で実行したのだ。脱出犯全員を救う唯一の方法、それは職員たちを犠牲にして時間を稼ぎ、門を開けさせるというものだったのだ。
「待ってろ、すぐに助けてやるから……なっ!」
そして救出に向かう職員をカルラは見逃すことなく、阻止してみせる。
「隙だらけだぜ、おっさん」
刃物を首に当てて、そこに食い込むように渾身の力を込めて肉を削ぎ落とした。溢れ出てくるのは想像を絶する痛みと大量の血液だけだった。
「ああああああ!!!!」
ドサリと地面に倒れこんで、戦闘する余力は残っていない。
残る相手は1人。トーマスだ。銃は乱射したためリロードされておらず、完全に丸腰になっている。カルラからすれば絶好のチャンスということになる。
「不意打ちだったとはいえここまでうまくやれるとは思わなかったよ」
カルラは勝ち誇ったようにトーマスに言い放った。他のメンバーの手を借りることもなく、1人で職員2人を無力化することに成功したのだ。
トーマスは職員の血のついた手をブルブルと震わせてカルラを睨みつけていた。その表情に刻み付けられているのは怒りか恐怖かはわからなかった。
「カルラ、お前やりすぎだろ……」
少なくともゾンビに捕食されている女性は助かる見込みがゼロに等しい。首を斬りつけられた職員だってこのままでは確実に命を落とすだろう。
カルラ以外のメンバーは思わぬ方向に事態が進みだし、青ざめた顔で彼を見つめていた。まさか行動を共にしてきた仲間が平気で人を殺すとは思わなかっただろう。
「こうでもしないと生き残れないと思うが?」
カルラは血の滴る刃物をトーマスに向けて、立ち尽くすメンバーに現実を突きつけた。
「な、なぜこんなことをする!?」
生存が絶望的な状況の中、トーマスはカルラにその目的を問いただした。これほどの犠牲を払ってまで、リスクを背負ってまでして何がしたいのかを言及する。
「外に出たいだけさ。あんたらがこんなクソみたいな場所に閉じ込めるから悪いんだろーが。それとも手を貸してくれるのか?」
他の職員たちが駆けつける時間は刻一刻と迫ってきている。時間を稼がなければならない状況で時間をかけられないという矛盾。それが彼らを徐々に苦しめていた。
「……いいだろう。手を貸してやる。あの奥で作業しているのがそうだな?」
トーマスは自分の命とシェルターを天秤にかけて、自分の命を優先させるのだった。苦渋の選択だ。
「ああ。その通りだ」
「だが、感染者を放って置くわけにもいかんだろう。どうするつもりだ?」
すぐ隣で感染者は決して満たされることのない食欲を満たすためにカノンの血肉を啄んでいく。ぐちゃぐちゃと汚い音を立てながら既に意識のない女性の身体を貪る。
「好きにしろ。どうせここから出ていくんだ。シェルター側の問題は俺には関係ない」
むしろカルラたちからすればカノンがこのまま捕食されていることは好都合なのかもしれない。
ゾンビの意識が彼女に向けられていれば攻撃してくることはないだろうし、他の職員が来ても時間稼ぎになると考えたからだ。
そしてカルラは嘲笑うようにトーマスを卑下して続けた。
「それに、もう手遅れの仲間をリスクを犯してまで助けることに意味があるのか?」
「貴様……」
目の前に苦しんでいる仲間がいるのに何の慈悲もなく切り捨てようとする非人道的な行為、発言。その口から放たれる一言一言にトーマスは憤りを感じた。
「生き延びたければついてこい。ゾンビに殺されるか、俺に殺されるか、生きてここから脱出するか、ここに残るか、好きなのを選べ。お前たちは先に扉の解錠を手伝いに行ってこい」
「わかった」
すべてはカルラの思うツボだった。仲間の3人を先に門へと移動させて作業効率を上げる。すぐにでもここから出られるようにセッティングしておく。
既に作業に取り掛かってから5分以上経過しただろうか。固く閉ざされていた扉は徐々に開かれようとしていた。ついに閉鎖空間が開放されるのだ。
「さぁ、どうする早く選択せねば俺がお前を殺してやるぞ。生き延びたければ無駄な抵抗はしないことだ」
「くっ……わかった。手伝おう。ただし門を開けるのを手伝うだけだ。それが終われば自由にさせてもらうぞ」
トーマスは遂に決断した。正直、外に何が潜んでいるかはわからない。もしかしたら外は安全な場所かもしれない。救助隊が駆けつけているかもしれない。この絶望的な状況を打開できる何かがあるかもしれない。
そんな淡い期待を寄せてシェルターへの背反行為に手を貸すことにしたのだ。
「物分かりのいいやつは好きだ。さっさとついてこい」
首から大量の血を流す同じ職員の遺体を跨ぎ、ゾンビに貪られる職員を横目にカルラとトーマスは扉を開放させるべく進みゆく。この先に待ち受ける運命など知らずに。




