索敵
「さて、貯水槽だ。警戒して行こう」
俺は少し緊張しつつも乾燥した唇をひと舐めしてユノに注意を呼びかける。
「せやな。ハンターのときのインスピレーションを呼び起こすわ」
周囲の音、気配、臭いすべてに意識を集中させることで索敵する。ハンティングスキルをかなり高いレベルにまで上げておかなければなし得ない技だ。
水と施設の独特の臭いと調査中の職員たちの足音、そして誰か奥で泣いているのか、啜り泣く音が貯水槽に響いていた。
「誰か泣いているのか?」
「うん。聞こえるな。何かわかるかも。行ってみよか」
ユノはそう言って貯水槽の奥へと進んでいく。いつでも射撃ができるように小回りの効くハンドガンを構えながら一歩一歩進む。俺もコンバットナイフを装備してユノの横に並ぶ。広さは体育館1つ分といったところだが、設備が多いためそう簡単に敵を見つけられない。
奥に向かうとともに敵の出現に警戒しなければならない。曲がり角なんかで鉢合わせして噛みつかれたらそれで終わりなのだから。
中へと進むにつれて疑問は浮かび上がってくる。この奥で誰が泣いているのか。敵に攻撃されてその痛みで泣いているのか、誰かが死んで悲しみで泣いているのか。敵はどこなのか。まず第一にこの空間に存在しているのか。
頭の中で様々な考察が行き来している。どれが的中してもおかしくはない。数秒後に戦闘に突入する可能性だってあるのだ。
敵に荒らされた形跡はない。幸い、主電源は落ちていないようで暗闇の中での探索ということにはならなかった。これならどこに敵が来ようと1人が気づきさえすれば、仲間を呼ぶことができる。数は圧倒的にこちらがまさっているのだから恐れることはない。
水質管理のキットや使い方もわからない機械、貯水タンクが点在している。このシェルターに来て以来、この貯水槽には入ったことがないため中の仕組みに関しては職員たちの方が詳しいだろう。
「君たち!」
後ろからかけられたその声は意識を警戒から攻撃態勢へと変わるトリガーとなって、2人は武器を背後に構えた。
「う、うわぁ!」
その動作を見て慌てて両手を上げる職員。黒のワークパンツとジャケットを着た見た目40代のおじさんだ。
攻撃対象が職員に向かってると認識した俺とユノはホッと息をついて銃と刃物を下げるのだった。
「び、びっくりした……」
心臓に悪いよ。と弱音を吐いているのを見て俺は謝罪する。
「すいません、こっちもびっくりしました……」
ホラー映画なんかでよくある、沈黙が訪れた瞬間に吃驚させにくる描写のようなシーンだった。警戒していたとはいえ急に来るのは勘弁してほしい。
「どうしてここに?住民には避難命令が出ているはずだが?」
「武器を持っているからゾンビを狩ってくれとマルスさんに頼まれたんですよ」
そもそもこのシェルターはモンスターと戦うことを想定して設計されていないし、長期間にわたる収容にも向いていないようだ。従って武器の所有は必要最低限となっているため、拳銃ですら幹部レベルしか持たされていない。
そう考えるとハンターを生業とする俺たちはこのシェルター内においては貴重な存在であるはずだ。他にもこのシェルター内に戦える者がいるかもしれない。
「そうか……その情報は皆に共有せねばならんことだな。あとで通達しておくよ。何かあったらすぐ職員に言うんだぞ」
「はい。わかりました」
これで同じように引き止められるということもなくなりそうだ。職員とすれ違うたびにこのやり取りをしていてはキリがない。
彼はそう言って探索を続行しようとしたが、俺はふと気になることがあって呼び止めた。
「あの、すいません。この奥で誰か泣いているように聞こえるんですが何か知りませんか?」
わざわざ直接見に行くよりも知っている人に教えてもらえればリスクも低いし手間も省けると思い、尋ねてみる。
「ああ、そりゃ多分シンジだな。お前たちは知らないと思うがここの統括なんだ、彼。それでその奥さんをついさっき亡くしたみたいでな。恐らく感染者によるものだそうだ。気の毒に、まだ若かったのに……」
え……?
何を……言っているんだ。
俺は一瞬、彼の言うことが本気で理解できなかった。
シンジさんの奥さんって、まさか、
「レーナ……さん……?」
「ん、知っているのか?」
頭の中に回想されるのはほんのすこし前に見た元気な親子の日常だった。嘘だろ。レーナさんはつい昨日まで元気にコウタと遊んでいて。そんなはずは……
その時だった。
「うわぁああああああああ!!!!!!」
俺の精神は彼女の死を悼む間も無く、その叫び声に葬り去られた。斜め右方向から発せられたその声は貯水槽の空間内にこだまし、内部にいる者すべての意識を集中させた。
そして確信させた。間違いなく感染者の攻撃によるものであると。
「レオト!」
ユノは既に戦闘態勢に入り、ハンドガンを前方に構えなおした。
「ああ!わかってる!」
俺もすかさずナイフを構え、敵がいつ来ても攻撃できるように警戒する。
悲鳴が聞こえたのは約30メートル先。ユノはいち早くその地点へとたどり着こうと走り始める。俺もそれに続くように移動を開始する。
ユノは助けようとしているのだろう。叫び声をあげた男の命を。たとえ感染してしまう運命にあったとしても、すぐに尽きてしまう命だとしても。
抗ウイルス剤なんて都合よく用意されていないのが現実だ。フィクションの映画のようにうまくいかないのが現状だ。それでも目の前の命を助けるために動くのが今やるべきことなのだ。
30メートルならば直線でなくても数秒あれば向かうことができる。次の角を曲がればきっと……
「これは……!」
喉を破壊され、助けを呼ぶことも悲鳴をあげることもできなくなった職員が感染者に倒され、肉体を貪り食べられている。必死に抵抗するも、弱り切ったその体で使える筋肉はもうほとんど残っていないのか、やられるがままに食されている無残な光景だった。
幸いこちらに気づいていないのか、感染者は食べることに夢中になっていて警戒している様子はない。距離は約5メートル。
「ユノ、俺がいく」
俺は銃弾がゾンビを貫通し、被害者にまで命中する可能性を考えてユノに攻撃をさせないよう前に手を出した。コンバットナイフを強く手に握り締め、強く床を踏み込んだ。
先手必勝だ。スピードに身を任せてゾンビのうなじを狙う。
いける!奴はまだ気づいていない!
そのとき俺の踏み込みの音にすこし反応したのか感染者が一瞬、ピクリと捕食の手を止めるのに俺は気づかなかった。
振り返りざまに飛んでくる鋭爪は俺の装備していたナイフの先端に直撃し、火花を散らした。不意打ちは防がれてしまったが、手からナイフが弾き飛ばされていないことが唯一の救いだ。
そして奴の意識を職員からこちらに逸らすことができた。捕食を阻止することに成功したのだ。
しかし、ゾンビからの思わぬカウンターにより、刹那の隙ができたのは俺の方だった。即死を狙うはずだった俺のナイフはすでにゾンビの爪先を通過し、空を切った。
そして食欲という最強の武器を最大限に発揮させるゾンビは反動で動きの鈍い俺の身体にかぶりつこうと口を大きく開けて手を伸ばす。これを避けられなければゾンビの仲間入り確定だ。
「あっぶ、ねぇ!!」
すかさずそのままバックステップで距離をとって直接攻撃されるリスクを回避する。
大丈夫だ。落ち着け。奴はゼロ距離でないと俺に攻撃できない。近づけさせなければ問題はない。
「レオト!伏せて!」
盗賊スキルの唯一の遠距離攻撃である投げナイフを使うべきかと思案していたところで背後にいるユノから指示がとんだ。何の違和感もなく言われた通りにその場に姿勢を下ろしてうつ伏せになる。
おそらく射撃の準備が完了したのだろう。ゾンビの立ち位置から考えても確実に弾丸は命中するし、職員も立ち上がれないため、奴を阻むものは何もない。
ユノはハンドガンの引き金を強く引き、両手で照準を合わせて目の前にいる感染者めがけて発砲するのだった。




