悲しみを乗り越えて
「とりあえず、状況を整理しておきたいんだけどユノ、わかる?」
この数日間の全体像を再確認して絶望するよりもいま目の前で起こっている問題を解決することが何より優先すべきだと俺は判断した。
「今来たばっかやからなぁ。何があったのかさっぱりやわ」
見ると、肩からオーバーサイズのミリタリーバックパックを背負って装備は充実しているように見えた。ゴブリン討伐クエスト以降、ユノとクエストに出ていないが、普段から愛用していたものなんだろう。
これだけの装備があればゾンビなんて怖くない。その気になればシェルター脱出作戦も決行できるかもしれない。
「そうか。なら近くにいる職員さんに聞いてみるか」
「それが得策やな。シンジさんとかはおらんけどなんとかなるやろ」
先ほどまでゾンビとの戦闘が繰り広げられていた場所にシェルター職員たちが数名集まっていたので事態を把握すべく声をかけた。
「すいません。ここで何があったんですか?」
「ああ。職員の1人がウイルスに感染していたようで、凶暴化した感染者と戦闘があったんだ」
職員は側に付着した血痕を眺めながら言った。さっきまでシンジさんが戦っていたところだ。そこまでは俺もユノもここで様子を見ていたから自明だった。
「それで、結果は?」
俺は祈るようにその職員の返答を待った。頼むから誰も犠牲になっていませんようにと心の中で何度も何度も唱えた。
「ゾンビは死んだよ。副統括のキースさんが銃殺したんだ。今はそれの後始末と感染防止に取り掛かっている」
「ああ!よかった!」「よかったなぁ!」
俺は胸を撫で下ろして深く息をついた。ユノも同調するように歓喜の声をあげて喜びを分かち合った。
「しかし、だ」
その職員は俺たちの喜びを否定するかのように声を低くして話を続ける。どうやら事態はまだハッピーエンドにはならなそうだ。
「新たな感染者が出たという情報が回っている。君たちも十分警戒して欲しい」
新たな感染者という言葉を受けて真っ先に思い浮かんだのはエイルだった。間違いなく彼女は新たな感染者であり、俺はそれ以外に思い当たる節がない。
しかし、おそらく彼女がゾンビになっているのをあの場で見た者は俺以外にいないはずだ。だとすれば今、目撃情報が飛んでいるのは全く別の感染者のことなのだと想定される。
エイル以外にも感染者がいたということだ。感染が拡大している。このままだとこのシェルターは絶望の渦に巻き込まれてしまう。ゾンビが蔓延る封鎖空間での生活なんて正気じゃない。
「わかりました。その感染者はどこにいるかわかりますか?」
「君たち、まさか戦うつもりなのか!?」
住民たちの安全を第一と考える職員からすれば、予想外の返答をされて困惑するのも頷ける。
「ええ。こっちには武器があります。ゾンビ相手なら圧倒できるほどの火力がある」
するとその職員は絶句したように黙ってしばらく考え込んだのち、仕方なさそうに答えた。
「……わかった。君たちなら奴らを倒せるかもしれない。ゾンビは貯水槽付近と出入り口のあたりで目撃情報が出ている。住民には避難命令が出ているが特別に任せてもいいかな?」
「任せてください!」
威勢のいい返事をすると彼は微笑んで手を差し伸べてきた。自己紹介をするつもりなのだろう。
「僕の名前はマルス。よろしく、何かあったら聞いてくれ」
「レオトです」「ユノです」
マルスさんは2人に握手を交わすと出陣する俺たちに大きく手を振って見送ってくれた。キースさんにシンジさん、レーナさん、マルスさんと、ここの職員は優しい人たちばかりだ。
誰1人死んでほしくない。生きている限りこの運命に抗い続けよう。
「どうするユノ?貯水槽と出入り口付近に分かれているぞ」
「せやなぁ、二手に分かれたほうがいいんかな?」
貯水槽と出入り口は距離が600メートルほど離れており、もし何かあったとしても早急に駆けつけることはできない。この選択はどちらを選ぶべきか、どれが正解なのか。
「………」
ことを慎重に運ばなくてはならない。これ以上、事態を複雑にしたくない。俺は少し黙って考える。
「いや、お互い何かあったらまずい。一緒に行こう」
ミイラ取りがミイラになるというようにゾンビ狩りがゾンビになっては元も子もない。確実に息の根を止めたほうがいいだろう。
「わかった。ここからは貯水槽のほうが近いな。そっちから行かへん?」
「ああ!急ごう」
これ以上の被害を出さないために、そしてこの危機から脱するために武器を所有して貯水槽へと急行した。
周りには避難したためか住民の姿はあまり見られずまっすぐに目的地へと向かうことができた。ゾンビが一体とは限らない。アレは群れをなすことによって強さを発揮するモンスターだ。数体出てきただけでもかなり厄介になる。
そうなる前に芽を摘んでおかなければ取り返しのつかないことになりそうだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
貯水槽
「………いつからだ?」
男は自分の感情を押し殺すように声を低くして尋ねた。悲しみと怒りを内に秘めているのは周囲にいる職員の誰がどう見てもわかった。
「えっと……」
「いつ彼女が死んだのか聞いているんだ!」
目の前で既に息を引き取ったレーナの変わり果てた姿を瞳に映し、シンジは怒りの声をあげた。
「……ついさっきです」
タンクから遺体を引き上げる頃にはもう、彼女の肉体は腐食し始めていた。そして正確に彼女の死を確認できたのはシンジがここに来て間もなくのことだった。この貯水槽の管理を任されていたサリーも悲しげにありのままの事実を伝えるしかなくて。
「どうして……こんな……!!」
彼のたった1つの望みをこんな形で失わせたくなかった。涙を流して2度と力の入ることのない手を握ってシンジは嘆く。
「ごめん。レーナ、ごめんな……俺のせいで。……守れなかった。1番大事にしなければならない君を……こんな姿に……」
彼女が感染していることは火を見るよりも明らかだった。しかし、そんなことは構わずにシンジはレーナの手を握り続けた。もう自分の命などに価値はないと思っているのかもしれない。もう自分も感染してもいいなんて、彼女を死なせてしまったことに責任を感じているからかもしれない。
「まさか、ゾンビが出現したというのは彼女のことではあるまいな!!」
まだ感染者には至っていない彼女をゾンビと呼ぶことは彼の逆鱗に触れることは間違いないだろう。死んだ彼女に対しても不敬であることに変わりはない。
たとえこのままでは100%ゾンビと化してしまう運命であるとしても、まだゾンビと呼ぶのには早いのだから。
「まさか!そんなわけありません!」
サリーもシンジの悲しみや怒りに呼応したからか感情的に返答し、否定の言葉を口にする。
「……すみません。熱くなりました。でも間違いなく他にもう1人、このフロアに感染者はいます。レーナさんを攻撃したのはグロウです。貯水槽の管理中に急に……」
シンジに今、この報告をしたところで聞き入れてくれるかどうかは正直わからない。既に自暴自棄になっているかもしれない。心が折れているかもしれない。
冷静な判断ができない可能性が高い。サリーはどうすればいいのか途方に暮れていた。
しかし、ここで2人のハンターが貯水槽に到着し、為さねばならぬことをやり遂げようと行動を開始するのだった。




