悔恨と責任
死んでよかった者などいなかったはずで、間違いなく幸せになるべき人が死にゆくこの街で俺は走った。
エイルがあの部屋で何を思って衰弱し、息を引き取ったのかはわからない。しかし、想像すればいつも俺や患者、友だちのことを気にかけるエイルの姿が脳裏をよぎった。
想像するたびに、回想するたびに頭が痛くなって涙が出てきて部屋から逃げてきたことを後悔する。
「何で俺はずっと………」
俺のことばっかりだ。
人のためと尽くしてきたつもりでも、きっとそれは自分のためで、俺は結局自分がかわいいだけの愚か者だったんだ。彼女とは程遠い。
客観的に見て、エイルという2人目の感染者が発生したことなんて正直どうでもよかった。それはつまりこの街の人間がどうでもいいと思っているのと同義だ。
本当にこの街の住民たちのことを思っていたなら、今すぐにでもあの部屋へと戻ってエイルを息の根を止めるべきなのだ。しかし、その仕事を責任を持って俺ができるのかと言われると無理な話だろう。
ゾンビ映画で友人や家族が感染して、自分の手でそれを処理するなんてのはよくある描写だが、実際にやれと言われてできるやつが何人いるのか。
これで俺がエイルを殺さなかったせいで感染が拡大し、全滅したとしてもきっと後悔はしないだろう。それが俺の選択した結果なのだから。
なんて無責任なんだと改めて己を客観視したときに卑下したくなる。
自分を責め続けながらふれあい広場に接近していく。さよならさえも言えないまま彼女は死んでいったのだから。
そして遂に、心に体が追いつかないまま目的地に到着した。俺自身、あれからどれほどの時間が経過したのかわからない。一瞬だった気も永遠だった気さえもするが、自分の精神が平生とは遠いところにあったために脳が時間を感知できていなかったのかもしれない。
見ると何人もの職員たちがふれあい広場に駆けつけており、状況は終了しているように見えた。
シンジさんが居たところには血痕だけが残っていて慌ただしい雰囲気が周囲を取り巻いていた。
一体俺のいない間に何があったのだろうか。シンジさんもユノもダンゾウもコウタもこの場にはいないじゃないか。
悲観的な思考になっているからだろうか。嫌な予感がする。この目で見ていないから何とも言えないが、シンジさんが攻撃を受けて感染したとか、他の誰かが犠牲になったとか。
「…………」
俺は今、ここで何をしているんだ。周りの人が視界からフェードアウトして、ふと気がつくと孤独だけがそばに佇んでいた。封鎖された場所で誰が生きているのかもわからず、外に何が潜んでいるのかもわからず、マナは行方不明で、街は壊滅していて、エイルは……
「どうしてこうなったんだ………」
こんなはずではなかった。そう考えるのは間違いなくこの場にいる全員が1人残らず思っていたことだろう。俺よりも悲惨な目に遭った人だっている。だがそんなことは今更何の気休めにもならなかった。
エイルの死を前にして完全に俺は狂人と化していた。こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。何の覚悟もせぬまま、ただやられるがままに事態は悪化していく現状。
身体は吐き気を催し、蹲って痙攣する。明らかに精神状態が不安定だ。張り詰めていたものがプツリと切れて涙が流れ、何も考えられない。
もう、いっそのこと死ーーーーーーー
「レオト!!!」
そのとき初めて他者からの声が耳に響いた。
「どうしたん!?しっかりして!」
息を荒げながら駆け寄って、その少女は優しく、倒れた少年の肌に触れた。
「あ……ああああ。ユノ……ごめん……俺……」
声にならない声を必死に出して言葉を紡ごうとする。
「大丈夫。なんも言わんでええよ。辛かったなぁ、レオト……」
彼女はこの無理解の状況の中、俺に説明を求めようとはせずに、頭を優しく撫でるのだった。発せられた言葉は平生ならば恥ずかしくて聞いていられないようなものなのかもしれないが、何の違和感もなく、柔らかく心に染み込んだ。
真っ黒に染まりきった心に眩しすぎるほどの光が差し込んだような気がして心が浄化されていく。涙腺が緩んで涙が滂沱の如く流れていくのがわかる。
絶望の中で人の優しさや慈愛がこれほどまでに煌めくなんて知らなかった。
年はあまり変わらないだろうが、母性と表現できるほどの包容力で嗚咽の止まらない身体を包んでくれた。
情けないことも恥ずかしいこともみっともないこともわかっている。しかし、そんな感情ですら凌駕するほどの鬱を前にすれば何も気にならなかった。
「落ち着いた?」
泣いて泣き喚いて、涙が枯れて、ユノは俺の顔に手を添えて一言だけそう尋ねた。
「……うん。ごめん、ユノ。俺は何てことを……」
今更になって何かものすごい罪悪感というのか申し訳なさがたまらなく込み上げてきた。
しかし、ユノは笑った。
「気にしたらあかんよ。泣きたくもなるよね」
こんなときでも俺を元気付けさせてくれようとする彼女の満面の笑みが眩しくてまた涙を零しそうになる。その涙を堪えてしばらく次に言うべきことを声に出して言うべきなのか、考えた。そして、
「エイルが……………感染していた……」
俺は声を震わせて告白した。
「そんな……」
この一言でなぜ俺が取り乱していたかの辻褄が合っただろう。しかしそれと同時に与えられたのは事態悪化の現状と俺への同情、知り合いが亡くなった悲しみという思いだけだった。
「殺してやれなかった……!エイルには俺しかいないはずなのに……弔ってやれなかった……!俺は……逃げたんだ!」
立ち竦んで、萎縮して、動けなくて、思考は止まって、目の前を理解するのに必死で、現実を受け入れられなくて、絶望して、抗えなくて、叫びたくて、涙を流して、震えて、よろめいて、逃げてーーーーーー
「レオトは悪くないよ!!」
自責の念にかられ自己批判を繰り返す俺の言葉を彼女は否定した。俺はハッと我に返ってその声を心に響かせる。
「友だちが……仲間がそんなになって、何の躊躇いもなく処理できるほどユノら強くないやん!」
「だけど……!!」
それはあまりにもエイルが報われないではないか。可哀想じゃないか。
あの狭い部屋で独りきりで彷徨い続けるなんて。
「じゃあ俺はどうすればいい……」
「ユノらがあの子の分まで生き延びることぐらいしかできることなんかないと思う」
そのためにこのシェルターから何としてでも生き延びて、この呪われた街から脱出しなければならないのか。それはきっと苦難の道だろう。
しかし、死んでいった者たちの分まで生きなければならないという使命感が静かに俺を奮い立たせていた。
しばらく俺は沈黙し、返答した。
「そうだな……ユノ。ありがとう。絶対に生き残ろう」
この危機を乗り越えてエイルを弔うまでは死ねないと俺は心から誓いを立てた。
今日という日を乗り越えて強くなるため。




