感染
「おい、まだ助けは来ないのかよ」
大衆の中で誰かがそんなことを呟いた。まるで他人事のように、すぐそこで奮闘している人とは違う世界に住んでいるかと思うほど傲慢な態度で呟いた。
しかし、彼だけが例外なのではない。殆どの人がこのシェルターの職員が戦っている様子を見世物のように黙って見ているだけという協力の欠片もない行為が続いているのが現状だった。
最初に噛み付かれた女性の友人は倒れたまま動かない身体を庇うように大粒の涙を流して泣き叫んでいた。
だが、こんな絶望的な状況の中でもそれに抗う者は存在した。ゾンビを撃退する手段を考える者、職員に助けを求めに行く者、武器を取りに走る者。
そしてその勇気ある行動は1つの結果として身を結んだ。
「シンジ!そこを動くな!」
重い金属音と共に大きく呼び声があがり、体力の限界が近づいていたシンジは横から聞こえてきた声に振り向かずただ一心に目の前の敵を止めることだけを考えていた。
引き金を引いて間もなく、銃声が2回こだました。
その拳銃から放たれた弾丸はゾンビの首筋と脳を貫通した。
「ーーーーーーーー!!」
周囲を取り囲んでいたシェルターの人々は今までに聞いたこともない音を立てる銃声と血を撒き散らして吹き飛んだ身体を前にどよめいていた。
ゾンビの腕を掴んで接触していたシンジ自身にも射撃による衝撃が伝わってきて身体をよろめかせていた。
そして全身の力が抜けたように膝をついて荒れた呼吸を整えていた。彼自身の肉体も限界を超えていたに違いない。
「キースか………助かった……」
まだ息を切らしていたが横から聞こえた声で誰が発砲したのか判断し、感謝の意を示した。
発砲したのはシェルター副統括のキース・ハインド。市民の助けを聞きつけて、急いで事務室から拳銃を持ち出したのだという。そして現状を把握し、射殺した。
「倒れている場合ではない。彼女を急いで医務室まで運ばねば。じきに担架が到着する。応急処置をーー」
疲弊するシンジに対してキースが冷静に次なる課題を投げかけたが、シンジは深く目を瞑り彼の言葉を否定した。
「いや、それはまずい。やめておいたほうがいいだろう」
「何故だ?まずは状況を詳しく聞かせてもらおう。こいつは何だ。ゾンビが出たとは聞いてはいるが……」
状況の詳細を知らされていないキースは顔を顰めながらシンジに説明を求めた。
「ああ。こいつはゾンビだ。誰かわかるか…?」
多くは語らず、それだけで何かを察してもらおうとキースに問いかける。今、ゾンビの亡骸は射撃によりうつ伏せになっているので顔を確かめるには難しくなっている。誰も血だらけのゾンビの顔など見たくもないし、感染の危険もあるため尚更だ。
「遠目からしか見てないからな……待てよ。……まさか、リックか……?」
心当たりがあったのか、思い出したようにふとその名を口にした。その名はシンジもゾンビと対峙したときに呟いていたものと同じだった。
「いや、そんなはずはない。彼は医務室で絶対安静の状態だ。回復しているのならまだしも、あの傷で動けるはずがない!」
キースは自分で自分の憶測を否定した。そう、リックとは傷を負いながらも捜索隊で唯一シェルターに帰還した人物なのだ。傷は深く、気を失ってしまったため、医務室で治療を受けている途中だった。立つことでさえ困難だった彼の様子から考えると妥当な判断である。
「ああ。あいつがもし人間だったらの話だがな」
しかし、シンジのその一言でキースの考えは全て論破される。彼も漸く真実に気づいたのか、ハッとしたようにシンジの顔を見た。
「ゾンビ……そうか。肉体は腐敗し、痛覚もない。どんな傷を負っても無駄なわけだ。しかし、なぜ……?」
標準よりも体型が大きく、本来ならば救助や捜索に特化しであろうた肉塊を見てキースは眉をひそめた。
「原因まではわからないさ。確かなことはリックは既に死んでいるということ。そして、あそこで倒れている女性もじきに感染するということだ」
シンジは疲れ切っていたが、脳の思考を停止させることはなく、状況を冷静に把握し対策を考えているところだった。
「そうか。あの女性も……もう、手遅れなのか……。応急処置も魔術の治療も……」
「無駄だ。抗ウイルス剤は高価で取引されていて入手は困難だし、モンスターを倒して素材を集めても錬金しなければならねぇ。魔術でウイルスを取り除くなんて聞いたこともないしな」
シンジは諦めたように悲しげに呟いた。彼女を救う手立てはもう残されていない。目の前にはこんなにも守らねばならない市民たちがいるのだから。
「パパ〜!!!」
ことが終わったのを見て、息子のコウタがシンジのもとへダッシュで駆けてきた。コウタの顔は涙で溢れていたが、シンジは笑顔でコウタを抱き寄せた。
「心配かけてごめんな」
「しかし、これからどうする?」
泣きじゃくるコウタの頭をよしよしと撫でるシンジにキースは改めて言った。
「死者が出た以上、ハロウィンは中止だ。まずはあの女性の処理を考えねばならん。対策はこれからだ」
なぜこのような事態になったのか、なぜゾンビなどという邪悪な存在が出現したのか、これからの方針はどうするか。課題は山積みだ。
医療班がすぐに担架を持ってきて、女性は安置所へと運ばれていった。
「嫌よ!ミズキをとこに連れていくの!置いていかないでよ!」
ずっと泣き喚いていたのは最初の被害者となった女性の友人だった。まだ被害者は辛うじて息をしているものの、感染は免れないだろう。この光景を前に、辺りには虚しさと悲愴感だけが漂っていた。
「火葬するんだぞ。土葬では蘇る恐れがあるからな。骨まで焼き尽くすんだ」
シンジは医療班たちに念を押して新たな災厄が降りかかる前にその根を摘み取った。
緊急事態は一時的に収束したものの、これからどうすればいいのかわからずシンジは途方に暮れていた。
この数日で何人死んだ?俺の命令で誰が犠牲となった?シェルターはあと何日もつ?なぜこんな化け物が発生した?外には何がいる?外に逃げたほうが安全なのでは……?
「シンジ、落ち着け」
軽くパニック状態に陥っていたシンジを見兼ねてキースが軽く肩を叩いた。
「そんなに取り乱していたか…?」
「自責の念に押し潰されたような顔をしていたぞ。図星か?」
伊達に副統括を務めてきてるだけはあってシンジの思考をいとも簡単に言い当ててしまう。一種のサイコパスと言っていい。
「いや、大丈夫だ。それよりこれからどうする?」
「取り敢えず、ハロウィンパーティーは中止だな。こんな状況じゃ気分も乗らねぇだろ。それにリスクが高すぎる」
状況が終了しても尚、市民たちはざわざわと落ち着かない雰囲気を漂わせた。あのゾンビを見て不安を駆り立てないほうがおかしいだろうが。
あのアクションはハロウィンパーティーの演出だからと言って住民を安心させるという手も考えたが、流石に無理があると思いやめておいた。
「それは他にも奴らがいる可能性があるというわけか?」
「ああ。俺の勘だがな。ゾンビが単体というのもおかしな話だ。これは提案なんだが住民たちはしばらく集団待機させるべきじゃないか?感染の危険を防ぐためにも」
言われてみれば、一人のときにゾンビに襲われたら戦う術がない。一対一で戦うにしても格闘スキルの高い者じゃないとあの攻撃をかわしきれないだろう。一撃でも受ければそれで終わりなのだから。
「そうだな。職員の護衛をつけることにしよう。それから24時間体制で職員は警備に回らせよう。拳銃は全員に所持させるんだ」
「おい!」
2人が会話しているところで住民たちの方から声が聞こえたので見ると大柄な男が青筋を立ててずかずかと近づいてきた。
「お前たちの粗末な対応でこんな惨事が起こったわけだが、どう責任を取ってくれるんだ?!」
一瞬、近づいてきた男に萎縮したが、現状を考えればこの男の怒りも納得がいく。安全だと思って避難してきたシェルターが決して安全ではなかったのだから騙された気分にもなるだろう。この男がさっきの女性の家族だろうがそうでなかろうがこの場で1人死んだことに変わりはないのだ。
「申し訳ありません。ただいま対応を考えておりますのでもうしばらくお待ちいただけないでしょうか?」
「謝って済むと思うなよ。ハロウィンパーティーなんぞ生ぬるいイベントなんてやってる暇があればさっさと助けをよこせ」
正論といえば正論だ。彼らの憤る理由は明確だしもっともだ。しかし、もがけばもがくほど状況は悪化し、打開策を考案することが難しくなっていく。
そして、それとともに住民たちの信頼が失われていってることも確かなのだ。シェルター内にモンスターが出た、人が死んだ。それだけでこのシェルターが潰れる理由としては事足りる。
最悪のケースだけは免れなければならない。シンジはこれからのことを見据えてこのシェルターの存亡の危機を脱する手立てを考えた。
そのときだった。
「おい!!!!!ゾンビが出たぞ!!」
ふれあい広場から少し離れた貯水槽付近から確かにその言葉が発せられた。それは恐るべき事態が再び発生したこと、また絶望の淵に突き落とされることを告げる最悪の一言だった。
シンジは背筋が凍りつくように固まった感覚に襲われ、思考を停止させる。




