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血と復讐のヤルマール  作者: しのみん
残された者たち
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絶望への回帰

それはあまりにも唐突過ぎて、俺はしばらく何が起こっていたのか全く理解できなかった。きっと俺だけではないはずだ。


まるで図ったかのような完璧なタイミング、干渉を受けない閉鎖空間においてハロウィンパーティーが催される数分前に仮装ではなく、本物のゾンビが出現したのだから。


噛み付かれた女性が叫び、のたうちまわる様子を見た群衆もそれは果たしてネタなのかそうでないのか判断しかねてリアクションに困っていた。


「全員、そいつから離れてください!!」


次にどう行動すればいいのかわからずにもたもたしているところでシンジさんから号令がかかった。理解不能な状況の中の一喝にその場にいた者は皆、動揺の声をあげた。


「いやぁぁ!!」


噛み付かれた女性の友人らしき人物だけが、一番ゾンビに近い位置で絶望の声をあげていた。彼女だけがこれが冗談やネタなどではなく、本当に被害に遭って現に自分の友人が食べられているということを知っているのだから。


「離れるんだ!!」


シンジさんは繰り返し声をあげて動揺する人たちをゾンビから離れさせる。依然としてゾンビは最初に噛み付いた女性から離れようとはせず、ひたすらにその血肉を貪った。


そして疑問は確信に変わった。


そう、この蠢めく死体はハロウィンパーティーのネタや前振りなどではなく、正真正銘のゾンビだということを。


「おい、貴様!その女性から離れろ!!」


とうとう、シンジさん本人が食されている女性を助けるべくゾンビの元へと近づいていく。口調も変わり、警戒心と敵対心が混ざったような雰囲気を醸し出していた。


「パパ!!」


ゾンビに近づいていくシンジさんをずっと見ていたのは間違いなく息子のコウタだっただろう。いつもとは明らかに様子の違う父親を見て不安になったのか彼の元へと近づこうとする。


「コウくん!!ダメだ!!」


その行動にいち早く気がついた俺はすぐに後を追って背中から抱き寄せて、コウタが危険に晒されるのを阻止する。


「離してよ!嫌だよ!!」


案の定、暴れ始めたコウタを俺は必死に抱きしめて離そうとはしない。

絶対に離すものか!これが俺に任された最大の役目なのだから。


「今は危ない!行っちゃダメなんだよ!」


ここでコウタを守らなければ後でシンジさんとレーナさんに向ける顔がない。


ゾンビはモンスターとしては決して強い部類ではない。しかし、噛み付かれたら最後、ウイルスが脳を侵食する頃には肉体は腐敗し、すぐに人を襲うようになるだろう。油断すればそのまま食い殺されることだってある。


抗ウイルス剤も開発はされているが、入手は極めて困難で、手に入れるときには手遅れというケースが多い。


つまり、その爪牙は一撃必殺。どんなに強い人間でもモンスターでもウイルスに勝つことはできないのだ。


俺はコウタを抱えながらゾンビに一歩一歩接近していくシンジさんを見つめていた。遅かれ早かれ最初に噛み付かれた女性は助からないだろう。今助かったとしても、すぐにさらなる苦しみに襲われてゾンビ化するのだから。


しかし、それを理由に襲われている女性を助けないという選択肢をシンジさんは選ばないだろう。目の前で市民がやられているのを見過ごすような人ではないから。


だが、実際にゾンビを彼女から引き離すという行為はかなりのリスクが伴うのもまた事実である。一撃でも喰らえば終わり。接近戦はなんとしてでも避けるべき状況だ。


「ユノ、銃持っていないか?」


俺がこの状況で導き出した結論はユノが専門とする武器、すなわち銃の使用だった。一番安全に、確実にゾンビを再起不能にもっていける手段は遠距離攻撃ができる銃が最適だ。


「今は……持ってない。部屋に置いてきてるから」


当然といえば当然だろう。常識的に考えてシェルター内で拳銃を常備してるほうがどうかしている。誰がこの中で敵が出現するなんて予想できるというのか。


「わかった。くそっ、どうすればいい……」


シンジさんは今何も所持していない。ゾンビとの戦闘になれば間違いなく近接戦闘となり、圧倒的に不利だ。


遠距離攻撃といえば魔術もその部類に入るものが多いが、あいにく攻撃系魔術を扱えるほどの凄腕はここにはまずいないだろう。


「シンジさん!そいつに攻撃されたら終わりだ!気をつけてください!」


俺は今、出来る限りの事を考えて敵の特性を認識していないかもしれない周囲の人間に最も注意すべきことを叫んだ。幸い、漫画や映画でその特性は周知されている事柄ではあるが、実際に遭遇することなどは滅多にないからだ。


周りがどんな反応をしようが、その声はゾンビには届いていないようだった。ただ目の前の肉塊を貪り尽くし、食欲という1つの意識だけを顕現させている。


それ故にゾンビに接近するシンジさんの姿は全く見えていないようで、彼の内に秘めた殺意でさえも認識していなかった。


「あぁ。わかってるよ……」


ゾンビとの距離を徐々に縮めていき、5メートルを切ったところで小さく呟いた。


「ウイルスってぇのは、ゾンビ映画のお決まりだもんなぁ!!」


そこから一気に進むスピードを加速させて、彼の接近に目もくれないゾンビの顔面に蹴りを浴びせるのだった。緩急という概念がこの世にあるとするのならまさにこのことを言うのだろう。


顔面にクリーンヒットした勢いで女性からは引き離されて1メートル弱吹っ飛んだゾンビは奇声をあげながら静かに立ち上がり、焦点の合わない目でシンジさんを見つめた。


視線が合って初めてシンジさんはその顔を認識し、何かを察したように目を見開かせた。


「リック。お前なのか……医務室で治療を受けていたはずだ……」


血に塗れたアルカディアの作業着を着たリックと呼ばれるゾンビはシンジさんの言葉には何も反応しない。生きていたときの意識は完全に失っており、もはや痛みすら感じない体になってしまっている。


しかし、ゾンビの強さはそこにある。


意識がないから平気で仲間や家族を殺せるし、痛覚もないから肉体が限界を感じることすらない。それにひきかえ、人間はたとえゾンビの姿であっても仲間や家族をその手で殺めることは難しいし、五感があるから戦闘が不利になることもある。


ウイルスの存在だけで人を180度変えられるというのがゾンビの強さなのだ。


対峙。シンジさんとリックの現在の状況を説明するのに最も相応しい言葉である。彼の呼びかけに無反応のリックと、同じときを過ごした同僚の変わり果てた姿に動揺する彼。


周りは救援も呼ばずにその2人をただ傍観するのみ。それが人間の心理なのだ。俺を含めて全員が硬直状態にあった。


他の誰かが助けを呼んでくれる。俺がやらなくても、他の誰かが対応してくれるに違いない。もちろん、シンジさんが離れろと命令したから距離をとったのは間違いない。が、助けを呼ぶなとは言っていない。できることがないわけでもない。


寧ろ助けを呼んだ方が状況を打開する可能性が上がるはずだ。いつだってそうだ。人間は被害を被りたくないがために傍観し続けるだろう。


しかし、ゾンビは違う。


常識、心理?そんな枠にとらわれない。ただ欲望のままに目の前の人を食い尽くすだろう。そしてその標的はシンジさんだ。


シンジさんも覚悟を決めたのか、少しづつ接近してくるゾンビを見て目つきを鋭くさせた。


ゾンビの体格は見た感じで180センチ以上あって、シンジさんより一回り大きい。冷静に考えれば距離を取るのが最善のように思われるが、彼は勇敢にもゾンビに立ち向う姿勢を崩さなかった。


「あ゛あ゛あ゛!!」


人ならざる声をあげて両手をシンジさんの体へと伸ばして口を大きく開けて突っ込んでくる。シンジさんは絶対に自分に腕を近づけさせまいとゾンビの腕の関節部を掴んで行動を封じる。


どちらかが力比べに負ければ勝負は終わるかもしれない。いや、武器を所有していないシンジさんの方がどう考えても不利だ。攻撃する手段がほぼないに等しいのだから追い込まれるに決まってる。


しかし、両者は意外にも拮抗していた。ゾンビの方が体格的に有利のように見えたが、恐らく人間特有の経験や気合いといった精神力がカバーしているのかもしれない。


その戦闘を見ている間も、俺は必死に頭を働かせていた。何か策はないか、シンジさんを助ける術はないかと。しかし、コウタを抱えながら戦うことはできないし、ここには魔術や超能力を使えるものはいない。


コウタを誰かに預けたとしても普段ハンティングに使う装備は部屋に置いているから背後から斬りつけることもできない。


部屋に戻って装備を持ってくるのに少なくとも5分はかかる。その場合はユノの銃が一番最適だ。


どうする。行動を起こすか……


それまでシンジさんがもってくれるかに全てがかかっている。


何もしないよりはずっとマシなのはわかっている。

それこそ、できるできないの問題ではなくやるかやらないかなのかもしれない。


俺はゾンビと拮抗状態にあるシンジさんを一瞥する。


「ぐぐぐぐ……」


明らかに耐久戦に持ち込まれている。体力の限界があるだけ不利になるのだから当然だ。負けるのは時間の問題か……


「ダンゾウ、コウタを頼む。目を離すなよ」


「え、うん……」


俺は父親の元へ行きたがるコウタをダンゾウに託すことにした。


「離してよ!パパのところに行くんだ!」


「コウくん、今パパが怪獣と戦ってるから応援してあげて。邪魔しちゃダメだよ」


俺は腰を下ろして、喚くコウタの目を見て言った。


「ウルトラマンごっこ?」


きっと怪獣というワードに引っかかったのだろう、コウタが連想したのは昨日俺としたごっこ遊びだった。俺がそう連想するように誘導したのだが、現状ではそう解釈してくれるのが都合がいいので話題に便乗することにした。


「そう。誰があの怪獣を倒せるか、勝負だよ。だから、パパのこと応援してあげて?」


「……わかった。パパ!!頑張れ〜!」


コウタは子どもらしい元気な声で戦う父親を応援し始める。シンジさんに届いているかはわからないが、少なくともこれで俺は武器を取りに行くことができる。


「ダンゾウ、しばらく頼んだぞ!」


「任された!」


ダンゾウは俺に親指を突き立ててコウタを預かってくれた。こういうときには頼りになるのが彼の強みだ。


「ユノ!武器を取りに行く!一緒に来い!」


俺はダンゾウのすぐ近くにいたユノの肩に触れて、宿泊施設に同行するように促した。


「えぇ!?わかった!行く行く!」


ユノも一瞬戸惑ったが、走り去る俺についてきてくれた。彼女が装備を取ってきてくれることでこの問題は解決する。ユノの射撃スキルと装備があればゾンビを片付けることなど造作もない。


すべて間に合えばの話だが。


俺とユノは装備を取りに戻るため、ふれあい広場から全速力で駆けていった。

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