殺戮の鬼
入り口から突然現れ、殺戮を開始した青き鬼。どこから来たのか、何をしに来たのかも理解できぬまま俺はその光景を双眸に焼き付けていた。
やめろ。やめてくれ……
そう心の中では叫び続けているが声に出してこの足を前に進めることがどのような結果を招くかなど目に見えている。
自分の命をここで優先するならばロッカーに隠れるのが最善策か。そんな考えが出てきてしまう俺の性根は愚かで醜い。
幸いにもロッカーは大人1人すっぽり入ってしまうほどのサイズで俺の身体を丸ごとかくまってくれた。
しかし、そんなアクションを起こしている間も絶えず、すぐ隣から聞こえてくる悲鳴は鳴り止まない。肉塊を叩き潰す音、血だまりを踏みつける音、肉片が飛び散る音。耳を塞ぎたくなるような怨嗟が俺の耳に次々と入ってくる。
俺を看てくれたエイルさんもあの集団に居たのか?
会ったばかりの人間でも繋がりがあるならば強い罪悪感を生み出す。あの笑顔や温かい治癒が踏み躙られるのか。
想像しただけで吐き気がする。
俺の隠れているロッカーは中に何も入っていない、空のロッカーで、胎児の如く身体を丸めて収納しやすい体勢で息を殺している。隣のロッカーは俺の荷物が入っているためスペース的な問題で入ることができないだろう。
ここから生還したければ、この後のことを考えろ……街の状況が訳のわからない中でどう立ち回るかが己の矮小な命を守る唯一の手段だ。
隠れてあの青鬼、一瞬だけしか目視できなかったが確かに青色の鬼だった。あいつがここから離れるまで身を潜めてそれから……
病院からの脱出をイメージしている途中で俺の思考は仮想空間から現実まで瞬時に引き戻された。
何者かの足音が徐々に近づいてきたからだ。
ペタリ、ペタリとスリッパでもブーツでもない地肌が地面を擦り付けているような音。
湿っているのか足裏に水分を含んでいるようにも聞こえる。
そして、直後に俺の臭覚を刺激した生々しい臭いが接近してくる者の正体を確信させた。
青鬼。己の五感を総動員して判定した結果、その2文字がはっきりと浮かび上がってきた。インフォメーションから聞こえていた声もいつの間にか全て止んでいる。黙らせたというよりも喋られない状態まで持っていったというほうが正しいだろう。
全員死んだのか……少なくともあれだけの数の人が。
他人の心配なんてしている暇は今の俺には無い。
息を殺せ。己の存在を全否定しろ。気づかれるな。
自分にそう言い聞かせるが心臓の鼓動はどんどん早くなって世界にその存在をアピールする。
ロッカールームに入ってきた青鬼は息を荒立たせて人が残っていないか徘徊を始める。手に取るように青鬼の位置がわかる。
ハンターの癖に全く戦おうという気が起きない。勇敢で意識高い系のハンターって今の状況だったら隣の装備一式取り出してここで決着をつけにかかるとかいう暴挙に出たりすんのか?
授業中とかによくやる自分が英雄になったイメージを狭いロッカーの中で繰り広げてみる。鬼の金棒をロッカーで防御し、隙を見て接近し急所を突く。頭の中では100パーセント勝利への道が見えているが実際にやってみると生きて帰れる気がしないので安全地帯でのニート生活を満喫させてもらう。
足音が次第に小さくなっていく。峠は越えたようだ。
念のため、ロッカールームから出て行って安全の確認が取れてからここから出ることにしよう。
一刻も早く、この蒸し暑いロッカーの中から飛び出したい気分だ。俺の緊張や焦燥感が熱を放出しているのか、それとも外の炎が病院を包み込み始めて気温自体が高くなっているか、今の俺には確認のしようがない。
体から汗が滴り、べたつく肌からは悪臭を醸し出しているかもしれない。しかし、今ここで耐えねば全てがおじゃんになってしまう。
そして、危機が去り、俺が安堵の息を吐き出そうと動き出した時、
『ピロリロリロリロリーン♫ピロリローン♪』
スマホの着信音が俺のすぐ横から聞こえてきたのだ。
隣のロッカー。つまり、俺の装備一式が入っている鞄の中から何者かによる着信が入りバイブレーションとともに盛大な音楽を奏でたのである。
俺は言うまでもなく顔面蒼白。血の気が引いていくのがわかる。
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!
頭が真っ白になり、思考が停止する。
これ、アカンやつや。
「グルル………」
もちろん青鬼もその音に即座に反応し、回れ右してロッカールームへと引き返してくる。
ゲームとかならこのままじっとしてればやり過ごせるはずのイベントだろこれ!
なんでそんなハードモードなんだ!完全に死亡フラグじゃねぇか!
最早、誰に対して叫んでいるのかもわからないが、確実に鬼はこちらへ接近してくるのだけはわかる。
どうする?考えろ!何をしにくる?まだ死んだと決まったわけじゃねぇ!スマホは隣のロッカーだ。俺の入ってるロッカーは無関係だろ!ってことは俺の入ってるロッカーに用はねぇはずだ。無視するはずだ。
だけどあの金棒で薙ぎ払いでもされたらどうする?!ロッカーどころか俺の身体までグシャリだ!
考えてる暇がねぇ!
先に体が動いていた。
ロッカールームから勢いよく飛び出して、眩しいライトの光に目が眩みつつも隣のロッカーの荷物をごっそりと持ち出してすぐ右をチラ見する。
初めて青き悪鬼の凍りつくような目と目が合った。
その距離、約10メートル。
床には人間の血が付着した鬼の足跡がくっきりと残っていた。
俺は生まれて初めて、死を覚悟した。




