危機の予兆
街が燃えている。燃え盛る炎は勢いを増して物を、人を、魂を焼き尽くしてゆく。この炎の果てには何があるのだろうか。何が残るのだろうか。残るものなどあるのだろうか。何も残らずに地図からも姿を消し、無が広がるのみという結末はどうだろう。それとももっと酷い、闇だけが全てを包み込み絶望だけが待ち続ける滅びの街になるという結末もあり得る。
そうにはならない希望ある未来を信じたい。どうかこの街に平穏が取り戻せますように。
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レオト
ペルーは15キロ平方メートル程度の比較的小さい街だ。決して都会ではないけれど外に出れば賑やかで騒がしい毎日が俺たちを待ってくれている。いつでも優しく迎えてくれる俺の故郷だ。
ハンターを生業とする俺からしてみれば自然に恵まれた環境下で実践的な経験を積めるから願ったり叶ったりだ。同期のマナ、ダンゾウと共に育って同じ道を歩むことになり付き合いも長かった。
背中を預けられる戦友だった。まだ新米ハンターだけれど3人、最近新たにパーティに加わったユノを合わせて4人で充実したハンターライフを送っていくつもりだった。
きっとそれが幸せと呼ぶべきものなのだと、仲間に囲まれて日々成長するささやかな日常が生き甲斐になるのだと思っていたんだ。
しかし、そんな思い描いていた理想は夢物語だった。
幸せな毎日は時として一瞬で奪われてしまう。そして初めて気づく。現実は理想とはほど遠いということを。
それに気づいたのが遅すぎたのだ。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
俺はずっと走ってきた故郷の道を息を切らしながら一度振り返る。どれだけ走ってきたのか、どれくらい時間が経ったのか、もうわからない。俺の知っているペルーの街は、あの景色は2度と戻ってはこない。
「もう、ダメかもしんねぇな……俺……」
疲弊した身体は既に限界を越え、付着した血や泥が重みとなり俺の体を徐々に蝕んでゆく。休んでいる暇などない。いつ何処で殺人鬼が迫ってくるのかもわからないのだから。
「諦めてたまるかよぉ!」
ここで死ねばみんなに会うことも、あの生活すらも2度と戻らない。命はまだあるんだ。弱音など吐いていられるか。命ある限り足掻かせてもらう!
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「おはようございます。レオトさーん、消毒と治癒魔術の時間ですよ〜」
朝日が昇り、目を覚ますとすぐに看護師が駆けつけてきて、ゴブリンに付けられた傷の治療を促してきた。
嫌な夢でもみていたのか、喪失感と不快感が目覚めてすぐに襲ってきた。昨日までの疲労と慣れない病院のベッドで眠りについたせいかもしれないと勝手に判断して完全に覚醒する。
ユノがパーティに入って初めてのハンティングでゴブリン討伐に行っていた俺は深手を負い、応急処置をしたのちペルーの総合病院に運ばれた。
負傷したのは右太腿で残りはかすり傷程度だったので魔術だけで治療が終わった。しかし、鋭利な刃物で抉られた右太腿だけは集中して傷跡が残らぬように診てくれるようだ。
さっさと足を出さない俺を看護師が無理矢理持ち上げてズボンの裾を捲ってゆく。
「ちょっ、1人でできますよ!」
ってか病人相手に容赦ないなぁこの看護師も。
白衣を身に纏う看護師は見た目はおっとりした顔つきで優しそうな第一印象を植え付けてきたのだが、治療が始まるとその固定観念はガラガラと崩れ去っていった。小柄で青みがかったロングヘアをした若い看護師は傷付いた俺の生足を見て艶やかに、
「綺麗な足ね〜傷が無ければもっといいのに。私がキレイにしてあ・げ・る」
そうせせら笑うのだった。手慣れた動きで消毒し、傷薬を満面なく塗って、凄く楽しそうに仕事をしているが(少なくとも俺の前では)常に発揮しているお色気アクションが止まらない。
「やめてくださいよ〜調子狂いますって」
名前はエイルと言うその看護師はこのペルー総合病院に就職して1年目になるのだとか。ということは俺とほぼ同い年で、新米看護師ということになる。しかし、話を聞いている限り治癒魔術が大得意だそうで彼女の持つ癒しの加護はこれから多くの人々を救うだろうと期待されているみたいだ。
医療業界のホープか。いいなぁ、俺もハンター界の逸材とか言われてみてぇよ。
そんなことを考えてたら、
「じゃあ、今夜私と良いことしましょうー」
耳元に温かい吐息がかかり、思わず萎縮してしまう。
「!?」
俺は超赤面しながらも病室のベッドの奥に後ずさりする。
こいつ看護師よりも風俗嬢のほうが向いてんじゃねぇのか?
「ふふ、冗談よ。朝の治療はこれでお終い。あと、敬語とか使わなくていいわ。堅っ苦しいから。治療費に関してはハンター手当が出ているから無償で受けられるけれど、もしアレだったら身体で払ってくれてもいいのよ?」
最早冗談なのかどうかすら怪しい発言をして病室を出てゆくのだった。なんだかんだ言って彼女も割と忙しそうだ。
実際、足の怪我の様子は目でわかるほどに順調に回復している。昨日の晩に見たときは目も当てられない傷が視線を下ろすとあったのだ。それを一晩でここまで回復させられることに驚きだ。一流の魔術師は戦場で負傷しても一瞬にして傷を治してしまうのだろうか。
「しっかし、暇だなぁ〜」
マナもダンゾウもユノもちょっと大怪鳥狩りに行ってくる!とかゆう伝言を残してクエストに行ってしまったし、ユノがいるから安心だけど俺抜きで出てったのは少し寂しい。今頃はモンスターと遭遇して力戦奮闘してるんだろうなぁ。
これであいつらにハンターの序列抜かれたらたまったもんじゃない。今すぐにでもクエストに行って遅れを取り戻したい気分だ。
傷は多少残っているが痛みはもう無いし、クエストに支障が出るとも思わないがここは大人しく待機しておくべきだろう。次に備えるのが一番だ。
病室で暇をつぶす術もなく、ラジオを聴いたりしつつ暇を持て余して時刻は正午を回り、雲行きが徐々に怪しくなってきた頃ーーーーーーーーーーーー
「今日は雨でも降んのかなぁ」
それは起こった。
突如、天から稲妻が走り身を震わせる衝撃が身体中に、いやペルー全体に轟いたのだ。
「うわっ!!!」
俺のいる病室も例外なくその震動は襲いかかり、窓の外を眺めていた俺の体はバランスを崩し、ベッドの上にひっくり返る。何が起きたのか理解できない俺は体をばたつかせて姿勢を崩さぬように設置された手摺にしがみついた。
何が……起こったんだ。
閃光がほんの僅か、ペルー全土を走り抜けて曇り空の下に眩き光を放った。
衝撃波はその一度だけで、地震というわけではなさそうだが……自然現象にしてはあの落雷はあまりにも不自然すぎる。何の前触れもなくあのような稲妻が発生するものか。
付けていたラジオは何事もなかったかのように放送を続けているが、間違いなくここの市民たちに被害が行き届いているはず。
俺はもう一度、窓の方に向き直り雷の落下予測地点に何か変化はないか目を凝らした。
「火事だ………」
病院からは数キロは離れているこの距離からでも住宅街に火の手があがっているのが確認できる。今の時代、魔術か機械で電流を地面に放電するシステムのない建物など数少ないはずだ。あの住宅街だって例外ではない。
落雷によって火事が起こったわけではないのか?
俺はあの火事の原因を追求しようと思考し続けるが、ふともう一度窓に目をやると炎の範囲が拡大していることに気がつく。
燃え広がっている。まるで山火事のように。
何だこのスピードは。火が街を覆い尽くしてゆく。わかっていることが1つ、あの火は絶対にただの火などではないということ。何らかの理由で魔術干渉が伴っているか、並の炎とは異なる性質を持っている。
「何で………こんな……………」
雷の落下地点付近から順に建物が倒壊してゆく。津波が町中を飲み込んで瓦礫を押し潰し、流してゆくように炎が範囲を拡大させて街を火の海へと変貌させてゆく。
まずい。このままではこの病院も炎の餌食となる。この速度なら10分やそこいらでここまでたどり着くだろう。
現状把握などしている余裕はなかった。すぐに行動に移さなければ命はないと思ったほうがいい。
ラジオ局もどうやら街の異変に気付いたらしく、住民に避難指示を仰いでいる。
俺は今一番やらねばならぬことを頭の中で整理する。
まずはハンター装備の回収。ここは3階で、1階のロッカーの中に武器防具一式入ったバッグがある。それを回収した後……どこに逃げればいい……
ペルーの地下シェルターか、それとも街の外か……
病院付近にはハンターの集会所があり、そこから1キロ先くらいに地下シェルターはある。ペルーの外に出るよりも安全で距離も近い。目指すべきはそこだろう。
『ピンポンパンポーン、只今、災害が発生しました。病院内におられます皆様は落ち着いて1階のインフォメーションまでお集りください。繰り返します……』
病院側も避難指示を出したか……
この街に何が起こっているのかはわからないが考えている時間が惜しい。幸いにも傷がほぼ治りかけだったので走るくらいはできそうだ。エイルさんに感謝しなくてはならない。
俺は急いで病室を出て、エレベーターではなく、階段で1階まで駆け下りていった。既にかなりの人だかりが出来ており、看護師やスタッフが患者に指示を出している。
そちらに行くのではなく、先にロッカーの荷物を持っていくためにインフォメーションの奥の部屋のロッカールームに足を運んだ。皆、非難中のためか中に人気はなく、室内には俺1人だけが残っていた。
さっさと回収して俺も避難しねぇとな……
その時だった。皆が集まっている受付から若い女性の悲鳴が上がったのだ。それも1人ではない。生々しい命の危機を察したかのような渾身の叫び声だ。
「えっ………?!」
インフォメーションの側で並ぶ人たちに何かあったのかと奥から顔を覗かせ、
「!?」
目を見開いた。何だアレはーーーーーーーー
激しく飛び散る血飛沫と取り乱す患者や看護師の悲鳴。さらにその奥には2メートルほどの体躯を持つ棍棒を握りしめた青い鬼が人々を蹂躙しているのだった。




