覚醒する者たち
山姥のエナジードレインのせいで徐々に俺の意識が遠のいていく。それは身体能力はおろか、自身の精神力も思考能力も着実に枯渇させていった。
しまいにはダークアイを発動していなければ見えることのない奈落の洞穴の中に青白く輝いた光の幻覚まで出現した。
眩しさなど微塵も感じられない暗闇に澄み切った大空のような輝きを放つ光線が、天を仰ぐ状態にある俺の頭上に広がった。
突如その光は形態を変化させ、人間の命を奪うには十分なほどの鋭さを先端に纏わり付かせる。
この蒼い輝きはどこかで見たか‥‥‥それとも遂に俺の脳味噌が沸いちまったのか。
その煌めきは一気に軌道を変えて山姥の埋もれている穴とそこから伸びた腕へと加速させる。
もちろん、鐘乳石の下敷きとなっていた山姥がそれを回避する余裕は無く、蒼き斬撃が亀裂とともに容赦なくその肉体を引き裂いた。
それによって生じた山姥の怯みのおかげで俺は奴の魔の手からスルリと零れ落ちた。
「!?」
吐血も嘔吐もする間なく、意識朦朧とした中で俺はただひたすら爆風と衝撃に耐えるために仰向けになった身を翻す。
今の一連の流れは幻覚か錯覚かなどと思いを馳せるが、辛うじて命だけはまだあるという奇跡を享受する。
砂煙と胸の苦しさの相乗効果か、ゲホゲホと咳き込んで暫くその場を動くことができない。幸い、山姥もダメージを負ったか、この視界の中で迂闊に動けないのか攻撃は止んでいる。
限りなくゼロに近い魔力を振り絞ってフラッシュジャンプで粉塵と山姥の元から離脱し、態勢を立て直すべく棺桶の側に着地する。
「はぁ、はぁ。まだ‥‥生きてるよな‥‥。生きてる」
乱れた呼吸を整え、死の淵を彷徨った自分に冷静さを取り戻すよう言い聞かせる。
棺桶からエリクサーを取り出してゴクゴクと飲み干し、魔力を回復させる。新鮮で冷たい水分がエナジードレインにより乾ききった喉と生気を取り戻してゆく。
「一体誰が……」
名も無きガンナーとエナジードレインの餌食となるはずの4人組。この場に居たのは確実にそれだけだった。ガンナーと一緒にいた魔術師は間違いなく屍人の群生に殺害された。
あの光は……魔力により生成されたあの魔術は最近見た覚えがあるものではなかったか。
宙に舞う粉塵が次第に止み始め、そのど真ん中に立つ人影が目に映った。
小柄で頼りないその背中はこれまでに何度も目に刻みつけたことのある少女のシルエットによく似ていた。命懸けの戦いになるからと、すぐに山姥を倒し生還すると誓った、魔術師としてはまだ未熟である少女マナの姿がそこにはあった。
カンナの魔力を引き継ぎ、絶妙なコントロールと繊細な技術により、未熟ではあるが精緻な魔術を発動することができる彼女のホーミングフラッシュに俺は助けられたのだ。
大粒の涙を流して死への恐れを痛切に感じていたさっきまでの彼女が、だ。
「ネオ!」
彼女の目に涙はなく、覚悟に満ち溢れたその眼差しには一片の恐怖も感じ取らせることはなかった。
その直後、マナを取り囲むように洞穴の上部から4人の逞しいハンターたちが着地する。
マナの放ったホーミングフラッシュの斬撃によって彼らを拘束していた糸を断ち、死を待つだけだった4人のハンターを救出することに成功したのだ。マナの周囲に纏わりついている蒼い残光が何よりの証拠だ。
「やっと抜け出せたね〜エルド」
ヒーラであるジンが縛り付けられていた糸の残りを払ってのびのびと腕を伸ばした。
「まったくだ。不意打ちにもほどがある」
エルドは腕を組んで怨嗟の眼差しをその双眸に宿して山姥を睨みつけていた。
黒魔術師のサクヤは目覚めたばかりなのか少し眠たそうな顔を浮かべながら欠伸をしていた。
剣士であるカズトは途中で落っことしたのか装備がないことに気づいて手探りでポケットやらポーチやらを確認している。
全員、無事で何よりだ。
しかし、態勢を立て直すことに成功したのはこちらだけではない。山姥もまた、巨大な鐘乳石の瓦礫から持ち前の馬力で這い出てきて、エナジードレインによって吸収した養分を治癒に当てることで完全回復までもっていった。
「マナちゃん……だよね。ありがとう。ほんとに助かったよ。この恩は今すぐ返させてもらうね」
ジンはマナに深々と頭を下げて礼をしたのち、涎をダラダラと垂らす鋭い目付きの山姥を睨みつけた。
ジンのパーティ4人全員が山姥の前に立ち塞がり、山姥の殺意や気迫に打ちのめされぬように威圧するような態度で臨んでいた。
と同時に屍人と今まで戦闘を繰り広げていたガンナーが一旦退却して俺の傍まで飛んできた。
「悪いが魔力と弾切れだ。これ以上は厳しい戦いになりそうだ」
少し息を切らして疲弊しているのが見ただけでわかる。よくここまで頑張ってくれた。
「ありがとう。あとは俺に任せてくれ。それと、名前を教えてくれないか」
折角ここまで耐え凌いでくれたのだから、名前も知らないまま彼に死なれては寝覚めが悪い。
「紹介が遅れたな。ガンナーのアレンだ。君は?」
「ネオ。ネオ・イカロスだ。よろしく頼む」
異変に気付いたのは俺が自己紹介を終えてからのことだった。ふと右の方を向くと、さっきまで感じていたマナの魔力とはまた違った種類の力をこの肌に感じたのだ。それも、俺の馴染み深い感覚で、嗅覚を刺激する血生臭い何かが己の脳に信号を送った。3年前のあの惨劇をフラッシュバックさせる、ヴァンパイアのオーラをすぐ近くから感知したのだ。
俺は唐突のそれに意外そうな顔を浮かべてその根源を探そうとしたがその中でエルドは珍しくニヤリと笑って言った。
「なぁ、ネオ。俺たちのことなんぞで命を懸けて戦う義理はお前にゃねえだろ。迷惑かけちまったな。あとは俺たちでなんとかするから、行ってくれ」
予想だにしないエルドの発言とその周囲に纏わりつくオーラに圧倒されつつも、俺には彼らが山姥に勝利するヴィジョンが見えなかった。
責任感が人一倍強いからなのだろうか。虚勢を張っているだけなのだろうか。それとも彼らには勝算があるというのか。
そもそも攻撃する武器を失った彼らに戦闘する手段など残されてはいないのだ。命が惜しいのならば尻尾巻いて全員で離脱するのが一番ではないか。
しかし、彼らの心中を暴く時間など山姥が許してくれるはずもなかった。長い手足を地面に滑らせ、すぐにマナを含めた5人の元へと距離を詰める。そこから攻撃に踏み出すのかと思うと、足の爪先を大地に突き立ててあの図体には似合わない大ジャンプを繰り出す。
洞穴の天井に届くほどの高さで滞空時間も長い。この化け物はフラッシュジャンプ擬きを使えるらしい。
大車輪のごとく巨躯をぐるぐると回転させ、有り余った魔力を鋭爪に宿したかと思うとその真下にいる5人にダイブする。その速度は俺が先の戦闘で経験したものをはるかに上回っていた。
水を得た魚のような俊敏な動きを見せる山姥を目に、この実力こそが奴の真骨頂なのだということを痛感する。アレを喰らえば間違いなく全員御陀仏だと。
しかし、奴が飛び込んだ先にあったのは俺の予想とは大きく異なった結果であった。
エルドがマナを攻撃範囲外まで突き飛ばし、残る4人が紙一重のタイミングで山姥の周りを囲むように回避する。彼らにあれほどの機動力があったのかと目を丸くする。
そして初めて4人の横顔を拝んだときにジンを除く3人の双眸に宿った光がその意味をはっきりと表していた。
暗黒の空間であればあるほどその効力を発揮する、血の如く赤いその目をーーー
太陽の光がほとんど届かぬハイナギ山にいたこと、昼間に索敵スキルや戦力が著しく低下していたこと、ヴァンパイアというワードに過剰な反応を示したサクヤのことも、俺の五感を敏感にさせるほどのオーラを醸し出していたのも。
「そーゆうことかよ。馬鹿野郎」
ヴァンパイア狩りは俺の専売特許だった。が、この場において狩猟対象となるのは山姥と屍人共である。
「マナ、助けてくれてありがとう。あとは私たちに任せて」
余裕のある表情でサクヤは突き飛ばされて腰を抜かしているマナに優しく言った。マナは動揺しつつも「は、はい!」と返事をして4人の背中を見届けた。
しかし、その優しさを帯びたサクヤの表情も山姥の方に向き直った途端消え失せて赤黒い視線を放ち戦闘態勢を取る。その形相は最早、人のものではなくモンスターが狩りを行うときに見せるようなまさに鬼の目をしていた。
山姥のダイブを回避した直後にアクションを起こしたのはヒーラーのジンだった。パーティの中で唯一ヴァンパイア化していない彼はおそらく補助に徹しているのであろう。
「タナト、マッハ、クイック、トルネ」
次々に魔術を詠唱し、アタッカーである3人のステータス上昇に魔力を消耗させていく。
そしてヴァンパイアである3人の身体はみるみるうちに変化を見せはじめた。
エルドは自慢の筋力を増幅させて上半身の筋肉の厚さを倍化させていく。着用していた人間サイズの服はビリビリに破けて、大男と呼ぶに相応しいがたいをあらわにした。
剣士であるカズトは自らの腕を硬直させて、ヴァンパイアの特殊スキルである物質変化能力を駆使して両肘から指先にかけて鋭利なブレードを具現化させた。
サクヤは黒魔術の発動を促進させる禍々しい漆黒の魔力ゲートを出現させてそれを対象に翳すことで構えを取る。
「全員人間やめてるじゃねぇか……」
さっきまでぐるぐる巻きにされて宙をぶらぶらしていた奴らとは思えない。これで山姥を撃破できないのならばそれはもう触らぬ神に祟りなしということになってしまう。




