青き生存者
「あれは‥‥‥」
緑の鬼。さっき掲示板曰く三頭の中では最弱。
四天王の中でも奴は最弱。みたいな表現の仕方をしていたが果たしてどれほどの力を持っているだろう。
全身がゴブリンよりもずっと深い緑に包まれたその体からむき出しのはち切れんばかりの筋肉、あの図体の頭部には二本の鋭角、左手に握られた自分の身長ほどある金棒。大地を一歩一歩踏みしめてこちらに接近してくる。その外見だけで萎縮してしまうような威圧感を誇っている。
それだけで自分たちでは敵わない相手だということはわかる。
逃げろ。逃げろ。と身体が合図する。
まだ敵影を確認してから数秒だが私たちは完全に圧倒され身動きが取れなかった。
「みんな、自分らの命とレオトの救出どっちがいい?」
緑の鬼から視線を外さずに睨み合ったままユノが呟いた。ここからでは敵がこちらに気づいているのかすらわからない。
私もダンゾウも一歩後ずさりしただけで答えを察知したのか少しニヤリとしたユノは左手はバッグに、右手に3本指を立ててカウントダウンを始めた。
鬼がゆっくりと一歩ずつ前に進んでくる。巨大な金棒を引きずりながら近づいてくる。矮小な私たちには本気を出すまでもないとでも言っているようだ。
「3、2、1」
バッグの中からカチンと音がしたかと思うと左手に握られているのはグレネードだった。栓はすでに抜かれている。
鬼が徐々にペースを上げてくる。同時に左手から放たれたグレネード。
「走れ!」
ユノが声を荒立て、接近してくる鬼に背を向けて疾走する。鬼が加速しだしたあたりから嫌な予感はしていたがやはり逃げるのが最善のようだ。
後ろから激しい光が周囲を包み込むのを感じた。さっきのはフラッシュグレネードだったのだろう。逃走にはもってこいだ。
「どこに逃げれば!」
「ハンター集会所しかないやろ!ユノが足止めするから逃げて!」
「いくらユノでもあれは‥‥‥!」
フラッシュを見事に至近距離で食らったのか、まだ視力が回復していない。現状、鬼は近づいてこないが間違いなく距離を詰められたら一撃で殺られる。
「すぐに後を追うから!速く!!」
ユノは1人、鬼から少し離れたところで足を止めてスナイパーライフルを構えた。
それ映画とかでよくあるやつじゃん!死ぬやつじゃん!
「ユノ!死ぬときは一緒だよ!」
体が勝手に動き、ユノとここに残るという選択をしていた自分にびっくりする。赤の他人には自分の命を優先したくせに。
私とダンゾウもそれに足を止めて武器を手に取り、ユノの援護態勢に入る。
「マナ、ダンゾウ‥‥‥本気で死ぬで?」
「ユノにだけかっこいいとこ見せられないからね」
ダンゾウは大剣を背中の鞘から引き抜いて両手で前方に構えて言った。鬼の棍棒にサイズでは劣るものの、もしかしたらダンゾウなら少しは通用するのではないかという淡い期待を込める。
自殺行為なのはわかっている。でもユノを置き去りにするのは気がひける。
「マナ、じゃあ集会所から救援を呼んできてほしい。ダンゾウはユノの援護して。このまま3人やったら勝ち目ないから」
ここで鬼を迎え討つ作戦というわけか‥‥この地方のハンターの力を貸してもらえれば勝機はあるかもしれない。
私は今、思わず私情を挟んでしまったがこの状況下ではそんなものは無駄で命取りになる行為だった。ユノは経験上それをわきまえているから的確な判断や指示ができるんだ。
「わかった。ユノ、絶対死んじゃダメだよ!」
「僕は?死んでもいい?」
ダンゾウが自分に指差しながら口走った。
「冗談はよしてよ。すぐ戻るから!」
私は2人にそう告げて集会所を目指して再び走り出すのだった。逃げるのではない。仲間を呼びに行くのだ。見捨てることにはならない。
ここから集会所までの距離は500メートルくらいか‥‥往復1キロ。
ハンターたちを引き連れて戻るまで約7分‥‥
「ヘイスト」
魔術で移動速度を上昇。
遅刻しそうなときにはよくお世話になったっけ。
街には炎上した車や切れた電線、血だらけの遺体がところどころ転がっていた。
だがそんなものに注目している余裕もなかった。
2人が今戦っている。どれだけ足止めできるか想像もつかない。数分後に死体だけ残っているなんて想像もしたくない!
もくもくと立ち昇る煙のせいか心なしか呼吸が苦しい気がした。
急げ。急げ。もっと速く!
集会所までたどり着けば少なくともさっき掲示板に居た人たちが駆けつけてくれる!
「はぁ、はぁ、はぁ‥‥着いた‥‥」
集会所の扉を両手で勢いよく開けて中にいるハンター全員に聞こえるように大声で叫ぼうと深く息を吸い込んだ。
しかし、私の発声しようと溜め込んだ息は絶句へと変わってしまった。
「あ‥‥‥‥‥‥そん‥‥‥な‥‥」
その現場を一言でまとめるとしたら全員死亡ということになるだろう。
蝋燭の火が照らす地面にはついさっきまで息をしていたであろうスタッフを含めたハンターたちの屍がカウンターや机に散乱していた。
首は捥げ、鎧はズタズタにされ、自分の武器で腹を串刺しにされ、眼球が転がり、血があらゆる部位からドバドバ流れていた。いくつも。
そしてその奥で1人、死体を踏んで佇んでいる2メートル級の青の生存者。
その頭部をグシャリと踏み潰し脳みそを飛び散らせたかと思うとこちらに視線を向けた。
凍るように冷たい鬼の目付きを全身に感じ取る。
さっき緑の鬼に出くわしたときよりも遥かに強い圧倒感。その場にいれば十中八九死ぬということがこの時点で理解できる。恐怖が身体中を包み込み、死を実感させる。
どうやってこんな奴に勝てって言うんだ‥‥‥。
叫び声も出ない。息が止まりそうだ。どうしてこんなことを‥‥‥
鬼が一歩、また一歩と近づいてくる。歩くたび床に振動が走る。死体を踏みつけ、その度に血飛沫があがる。
腰が抜けて尿が床に染み出してきた。
羞恥心も感じない。恐怖心が強すぎて。笑えない。
「ググググ‥‥‥」
頭が真っ白になる。
私、ここで死ぬんだ。
私だけじゃない。ダンゾウもユノも、ここで死ぬ。
覚悟を決め、死ぬ前にせめてこの光景だけは焼き付けたくないと目をギュッと閉じて私が肉片に成り果てる時を待った。
しかし、声は唐突に聞こえた。
「鬼がいるとかいう情報があって急遽来たのに‥‥吸血鬼じゃねぇのか。無駄足だったな」
集会所の裏口から青年の気怠げな声が。




