帰省4
あの後急いで帰ったが、家のみんなが心配しており母に叱られた。もちろん理由は「道にまよった」である。
「金縛りにあって、知らない少女とはなした」なんか言ったら、精神科に直行になってしまう。そんなのは嫌だし明日は…
―十六日 五山送り火
京都府民、いや関西人にとって五山の送り火は祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。京都に住んでいる御所院家にとっても大事な行事である。
この送り火としては東山如意ケ嶽の『大文字』がもっともよく知られ、それゆえ送り火の代名詞のごとくいわれているが、そのほかに金閣寺大北山(大文字山)の『左大文字』、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の『妙法』、西賀茂船山の『船形』、及び嵯峨曼荼羅山の『鳥居形』があり、これらが、同夜相前後して点火され、これを五山送り火とよんでいる。
送り火そのものは、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意味をもつ宗教的行事であるが、これが一般庶民も含めた年中行事として定着するようになるのは室町から江戸時代以後のことであるといわれている。
翌日の昼になりみんなが大広間に集まっていた。
「みな今年もよく集まってくれた。本年は鈴姫が亡くなってから一九九年になる。我ら京都御所の守備兵として…」
“京都御所の守備兵”、“鈴姫”と言ったが、そろそろ御所院家について話そうと思う。
御所院家は、北朝の光厳天皇が皇居と定めた一三三一年から代々京都御所の守備兵として勤めてきた。この御所院も光厳天皇からいただいた苗字である。そして現在、御所は宮内庁が管理し長男の桐耶の父がそこのトップであり、親戚の叔父さん達数人もそこで働いている。
鈴姫とは、御所院家九代目当主の長女で、それは美しいと京では有名であり浮世絵も作られたほどである。そのため、御所院家の顔と言ってもよいのだ。その鈴姫の今日は二百回忌であるため、こんな日にMRI行きは罰あたりの話である。
夕方になり御所には宮内庁や府知事の関係者が集まっていた。夕方の京の空はまだ明るいとも暗いとも言えないが盆地特有の暑さは相変わらずはっきりとしていた。
―だが古都は今日も快晴である。
ここでは毎年、五山送り火があるこの日は固有名詞を持たずの神に奉納する伝統がある。
しかし今回はたまたまそれを持つ者に奉納する機会があるわけだが結局は大人がアルコールを呑み合うだけだ。酒の呑めない未成年者はオレンジュースやコーラを片手に大人の他愛のない話を偽の笑いで受け流すのである。
だが少年は今御所の外にいる。理由は本家のおじいちゃんに供え物の追加で日本酒を置いてこいと言われた。その誰に供え物をするかというと彼女である。
―御所院鈴姫墓地
それがこの墓には刻まれている。
両脇にはきちんと花が供えており彼女も幸せそうかもしれない。俺はそこに先ほどのお酒を置いた。
「せっかくだからやってくか…」
そして手を合わせて静かに目を閉じる。
(こっちは大丈夫なので安心して眠ってください…)
すると龍佳の左手に身に付けていた黒い数珠が大きな光を放った。その光は彼女の墓全体を包み込んだ。
「なっなんなんだ!」
大きな光がだんだん収まり目をあけると…
―少女が立っていた。