#01-07 物語の始まり
翌朝、遊朱は少し早めに家を出ると昨日の事を思い返していた。
黒い八面体を握った瞬間に自分の身体に起きた変化。
それは人間を超越できるような全能感。そして、冴え渡る思考。あれでも、本物とは程遠いというのが驚きだ。あとで聞いた話だが、アレでも特殊能力は付加されないが潜在能力は引きだしてくれていたらしい。
これから遊朱専用に調整される黒柩を使えば更なる恩恵がもたらされる。少々危険な思想だとわかっていても、楽しみで口元が歪んでしまう。
小中高12年間、優等生として過ごしてきた自分にこんな本性があったとはびっくりだが、母方の祖父までは代々軍人という戦闘民族の家系なので、血のせいだという事にして深く考えるのをやめた。
1コマ目の教室にたどり着く。
講義開始30分前。まったく人気はない。友達作りに関してはスタートダッシュに失敗した感はあるが、とくに問題も感じないので焦ることはない。
5分ほど端の席で本を読んでいると、机を綺麗な指が2度叩いた。ふと顔を上げると、見知った顔が。
「あ、おはようございます。白水さん、でしたよね?」
「はい。お久しぶりです。試験に合格したとお聞きしましたが――あ、隣いいですか?まだ、友達がいなくて」
「構いませんよ」
隣の席に座った咲良は長い髪を結いあげ、制服とは異なった柔らかい色合いの服を着ている。どこからどう見ても良家のお嬢様にしか見えない。
「ふふ、とても前線に立つ人間の姿には見えませんね」
「それを言うなら、黒木さんこそ」
お気に入りのワインカラーのサーキュラースカートからは惜しげもなくその綺麗な脚を晒す遊朱。
徐々に教室にやってきている男子共の視線が集中しているが、遊朱本人は気にも留めていない。
「寒くありませんか?」
「大丈夫ですよ、体は強いので」
「そういう事ではないんですけど……」
「白水さんはこの授業の後は?」
「2限と3限は取ってますね」
「じゃあ私と一緒ですね」
「ええ、せっかくなのでお昼も一緒にどうですか?」
「喜んで」
ふわりと微笑む遊朱の笑顔に心に何か満たされたものを感じながら、咲良は自らの携帯端末を取り出す。
「あの、黒木さん。アドレス交換してもいいですか?」
「はい、あと遊朱と呼んでください。それと敬語も不要ですよ」
「ありがとうございます。それでは遊朱、私の事も咲良と」
「よろしくお願いしますね、咲良」
「ふふ、人に敬語をやめろという割には、自分は敬語外れないの?」
「なかなか難しい、ね……?」
混乱する遊朱と笑う咲良。
教室の席も半分以上が埋まり、人の数も増えてきた。
だが、圧倒的に女子が少ない。
そんな男共の集団の中で、1つのグループがこちらに視線を向けていた。
「おい、お前行って来いよ」
「何話せばいいんだよ」
「昨日バス一緒だったんだろ?」
「それはお前らもだろ」
グループのうち一人が輪の中から押し出されこちらに歩いてくる。
「あの、おはよう……ございます」
「え?ああ、はい。おはようございます」
「――遊朱、知り合い?」
「ううん、見たことない顔だけど……」
「えっと、昨日バスで見かけたんだけど。えっと、君も管理局の試験受けてたの?」
「ええ、受けましたが」
「その、今日顔合わせらしいし僕らと一緒に行かない?」
「え?そんなのありましたっけ?呼ばれてはいますけど」
素で隣の咲良に尋ねる。すると咲良はすぐに首を横に振る。
「うちの班はそういうの無かったはず。というより、まだ班の枠埋まってないし顔合わせするほどでもないかな」
「そうだよね。巽さんにはもう全員と会いましたね、て言われてるし」
「え、あの、何の話?」
「そもそもあなた達どこの所属なの?」
「僕らは全員1班だけど。結構成績よかったんだよ?ほら、あそこに座ってる奴とか5班補欠だって笑えるよね」
「……なんだ灰か。たぶん、顔合わせついでに基礎能力測定だと思う」
「そういえば、55点で咲良より高いとか言われたんだけどあれはなんだったの?」
「え?テスト機でそんなに高得点出したの?」
「これって高いんだ……」
「下手したら正規装備の隊員より高い」
「思ったよりみんな弱いのかな?」
「その見た目に反する強さはどこから……あと成人男性の評価点がF、24点以下で、評価が1つ上がると倍強くなると思って」
首をかしげる遊朱の頭の先から脚までを見下ろす咲良。
どう見ても線の細い少女でしかないが、この少女が成人男性の128倍の戦闘力を持っている不思議は解決されなかった。
「黒柩ってすごいんだね」
「絶対それだけなじゃないと思う」
「自分のこと棚に上げてるけどそんなに変わらないでしょ?」
「私は基礎ならC+だから」
「誤差の範囲だよ」
置き去りにされた男子生徒は教壇に上がった講師に睨まれて席に戻る。
月曜の1限から専門科目、内容はワールドゲートにおける基礎的知識だった。
元々成績の良い遊朱、悪くはないであろう咲良は既に知っている内容だったので先の内容を予習したりしていたが、教室の大半は眠りの世界に落ちていた。
その後同じ調子で2限を過ごし、昼食へ。
2人とも自作の弁当を持ち、カフェテリアの空いているスペースに腰を下ろした。
「案外混んでるね」
「こっちは他の学部の子たちも来てるから」
「あ、そういえば」
気になって携帯端末の通知をチェックすると、紘奈から大量のメッセージが届いていた。
「わすれてた」
「友達?」
「うん。咲良とご飯食べるのがうれしくて、忘れてた」
「え」
「まあ、紘奈には和生がいるから大丈夫だろうけど」
「ひろな?さんには彼氏がいるの?」
「そう。2人とも幼なじみなの」
「へぇ、私高校の時にこっちに引っ越してきたからそういうのいない」
「そうなんだ。私のこと幼なじみぐらい可愛がっていいよ」
「私が可愛がる前提なの?」
「なんかみんな私に対しては過保護で困ってるの」
「でも、遊朱はそういう――守りたくなるようなオーラ出てるよ」
「えー?」
先ほど購入したオレンジジュースのストローを咥えながら遊朱が首をかしげる。
「そうかな?こっちとしては守る気満々なんだけど」
「まあ、物理的にそれは可能みたいだけど……」
「何はともあれ、今日からよろしく、なんだけど――にゅ!?」
奇妙な悲鳴を上げる遊朱。
その背後に抱き着く一人の少女。
「探したわよ!遊朱!」
「ひ、紘奈!?」
「なんで連絡付かないのよー!」
「紘菜、落ち着いて。周りの迷惑になるから」
「う、ごめんなさい」
「……とりあえず離れよう?」
「えー……あ、こっちの綺麗な子は?」
「え、あ、私?」
「咲良だよ。新しい友達」
「なるほど、これはいい組み合わせね」
「二人でいるとすごく目を引くね」
「そうなの?それで、2人はこれからどうするの?」
「私たちは4コマ目まで講義」
「じゃあ私先にかえ――じゃなくてお仕事行かないと」
咲良に視線を向けながらウィンクする。
「一人で大丈夫?」
「咲良も一緒だから」
「うん。私が守るから」
「うん?」
「よろしくね、咲良ちゃん。あ、私は佐々川紘菜。こっちは平坂和生」
「どうも」
「白水咲良です。よろしく」
「じゃあ、私次の授業行くからー」
「僕もそろそろ行こうかな」
嵐のように去っていく二人を見送って2人も荷物を持って席を立った。
「あはは、ごめんね。突然」
「いいよ。気にしないで。あれが幼なじみね」
「世間一般の認識とは少し違うと思うの」