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第三話

 母の病気がよくならないという。わたしはまだ母に会いに行っていなかった。


 ――断頭台に首斬り役人(コルレーネ)を待つ

   誰か教えておくれ

   わたしの人生に後悔はなかったかと――


 わたしは今日も公演(レビュ)の舞台で歌を歌う。わたしの役は魔性の女コーム・レーメ。その最後の歌、『断頭台のコーム・レーメ』。


 ――懺悔の言葉はいくらでも

   けれどわたしの心残りは

   それでも足りないとわたしを責めるあなたたち――


 コーム・レーメは百年前に起きた革命の発端のひとつになった女だ。高級娼婦から皇太子の愛人となり、帝国が傾くほどの贅沢を尽くした。そして最後には民衆の怒りを買って断頭台に消え、稀代の悪女とされた女である。


 ――断頭台に首斬り役人(コルレーネ)がやってきた

   ああ、わたしの首が

   あなたたちに差し上げられる最後の懺悔

   さあ、ひと思いに

   麗しき首斬りの(ヴィッラ・コルレーネ)コルレッタ――


 舞台の袖から、革命時代に活躍した有名な女処刑人コルレッタに扮した役者が上がってくる。コーラスの熱唱に舞台はクライマックスを迎える。最後の場面。コーム・レーメでも最後には自分の首で懺悔をしたのだ。母にも懺悔の気持ちがあるのだろうか。コルレッタが剣を抜き、わたしの首元に突きつける。


 ――正義の剣はおまえの罪を切り捨てよう

   贖罪こそが我が仕事

   汝の首に救済を――


 コルレッタの歌が終わる。剣が振るわれ、舞台は暗転。喝采の拍手。わたしは今日の仕事を終える。


「今日もいい舞台だったわね、ダミア。ところでお母さんの具合はどうかしら?」


 舞台を降りたわたしは、裸婦(パティ)のエカテーナの軽口を相手にせずに楽屋へ戻る。どしんと鏡台の椅子に腰かけ化粧を落とし始めると、まだらに落ちた化粧の隙間から疲れに青ざめた顔が出てくる。ひどい顔。わたしは鏡台の隅に置かれた電報の紙片を見やる。


『母、重篤。治療費を至急送金願う――貴女の弟、ジェルマン』


 鏡の中のわたしが涙を流した。


「救済ね――」


 死人に贖える罪はない。わたしはしばらく自分の泣き顔を見つめていた。


「ヴェスペールだ、ダミア。入ってもよろしいかな?」


 そのとき扉を叩く音がした。わたしはハッとして涙を拭くと、「どうぞ」と支配人のダン・ヴェスペールを迎え入れた。


「どうしました?」


 差し出した椅子に座った彼は、楽屋を見渡して少し息をついた。


「大丈夫かい? キミの歌がいつもよりも沈んでいるように聞こえたからね」


 わたしは目を伏せた。ヴェスペールが続ける。


「お母さんはよくならないらしいな」


 無言で目を伏せたままでいるわたしに、彼は苦笑した。


「キミも意固地だな」


 そう言ってヴェスペールが頭を振る。そうなのだろう。だからといってどうすればよいのか、わたしにはわからなかった。いまさら母に会って、なにを話すというのか。わたしの母との思い出は、あの手があたしの頬をひっぱたく感触だけだった。

 わたしが黙り込んでしまうと、ヴェスペールはため息をついた。そして表情を引き締めると、彼はわたしの目を射るようにして見た。


「キミがキミのお母さんとなにがあったのか、わたしは知らない。知る必要もないことだ。しかし、わたしがキミを歌姫(フェルノール)にしたのは、あんな歌を歌ってもらうためではない。このことはわかっているな?」


 じっとわたしを見るヴェスペール。わたしはうなずいた。彼の目が細くなる。


「ここに来て、もう三年か。キミは素晴らしい歌を持っていた。そしてキミは野心的で、初めて会ったとき、キミの目は射すくめるようにわたしを見ていた。だからわたしはそれに応えたのだ。ダミア、わたしが望むのはそんなキミだ」


 そして彼は楽屋から出て行った。わたしは拳を握り締めた。じんわりとした痛みが手から伝わる。わたしは立ち上がった。

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