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特別版保管庫

BSF!!(仮題)

本作品は本編の第一章までを載せたモノとなります。ご了承の程を宜しくお願いします。(10/20 一部修正。修正箇所については諸処の事情によりお答えできません)

 夏と、ひとときの休みが終わって早くも一ヶ月。起き上がって、まどろんだ目で窓から外を見ると、空はまだ太陽の輝きを完全には取り戻していないようだった。枕元の時計を見ると、なるほど四時半か。このまま二度寝を決め込むのも悪くはない。しかし、今日という日に限ってそれは危険か。

 俺は頭を振って目を覚まし、ジャージに着替えると家族の迷惑にならないようにそっと靴を履く。

 玄関の扉を開けた途端、秋特有の心地よい涼しさが駆け巡った。更に一歩家の敷地から出ると、道の向こう側で犬の散歩をしている人が居た。それを尻目に俺は川沿いを歩く。

 早起きが何文の得かも考えずに闇雲に外出してみたが、この選択肢は意外と正解に近かったかもしれない。

 と言うのも、なんと今日は俺の通っている住良木(すめらぎ)高校きっての一大イベント、文化祭の日なのである。数メートル先に見える校門は、普段とは違う『スメラギ祭』の文字が躍っている。一番乗りの特権として、一人でお先に校舎内を見学でもしてやろうか。

 ――いや、もういい。あれだけ準備中も見て回ったのに、またというほど固執しては居ない。それに、泥棒と間違われても困るしな。

 踵を返し、俺は数百メートル程度の散歩を終えた程度で気分を意味不明に高揚させながら、静かに玄関のノブを捻った。

 靴を元に戻して廊下を歩いていると、突然左側のドアが開いて、俺は悲鳴を上げそうになった。すんでの所で声を喉に押さえ込むことに成功はしたが、余りのタイミングの良さに俺は若干の怒りすら覚える。

 ドアというのもトイレの扉で、そこからは眠たそうな目をした妹が出てきた。

「おふぁようございまふ」

 いつも結んでいるはずの髪を振り乱している姿は、何となく不自然で、目新しい。

「お、おう」

 予想外に早起きな妹である。老人かこいつは。

「ひょっとして、また趣味で徹夜して朝までコース? よくないと思いますよー、そーゆーの」

「うるさいな……さっさと部屋に行きなさい」

 散歩してましたと言い訳するよりは首肯した方が楽だったので、俺はそっちに流れる事にした。つくづく、ダメな家系である。

「はいはい。じゃ、おやすみ」

 そう言って、過保護な妹は二階にある一番奥の子供部屋へと消えていく。

 部屋に戻ってまず、時計を見た。五時半ちょっと前。もうそんなに経ったのか。今からじゃ一時間仮眠、と言うわけにもいかなさそうだ。

「――目覚まし時計を先にやっつける日が来るとはな」

 俺は目覚ましの設定を切り、カーテンを開けて少しはマシになってきた日差しを部屋に取り込む。窓を開けると、寒い。五センチぐらい開けて、放置。

「さてさて。――忙しい日になりそうだ」





 ――寒さは朝ほどではなかったが、涼しいと言ってしまうとニュアンスとして心地よいのではないかと思われがちだから、敢えてこう表現しておこう。

 寒い。

 道すがら、マフラーをしている女生徒を見て若干ギョッとした事もあったが、寒がりなら仕方あるまい、と思いながら俺はポケットに手を突っ込みながら歩みを進める。

 その時既に、背後から息を荒げながら走ってくる奴が居るとなんとなく悟っていたが、それが俺の隣で止まるところまでは予想が付かなかった。

「おはよう、伊崎!」

 珍しく興奮した様子の同級生、砂智愁井(すなちしゅうい)だった。

「何だお前……張り切っちゃって」

「そりゃそうだ、一年目は店番ばっかでつまんなかったからな! 今年はしっかり飲み食い歩き、そしてコレもしっかり手中に収めたい所存です!」

 コレ、と言うときに薬指を立てた時は心の底からどん引きしたが、きっと意味を間違って使っているのだろう。

「そうか。頑張れよ」

 その途方もない目標に俺は呆れて、眼前で起きている間違いを訂正する気にもならなかった。せいぜい、その意中の相手の前で恥をかいてくれ。

 それに少なくとも俺は頑張ると言っている奴の腰を折る気はない、いい奴なのである。

「お? 伊崎に言われると何だか照れるな」

 砂智の顔面が紅潮しているのは、きっとこの寒さのせいだけではあるまい。

くわばら、くわばら。

「――あー、席がないから適当な所にしゃがめ。じゃあ出席取るぞ。伊崎(いざき)―、伊崎橙羽(いざきとうは)!」

 教室に着くと、そこにあったのは出店の一部……ではなく、無数の通学鞄だった。俺のクラスは今年他のクラスと共同でお化け屋敷だかなんだかをするとかで、この普段使っている教室はさながら簡易倉庫のような様子になっていた。

「はい」

 そこまで大声を出せる質ではないので、手も上げてアピール。

 自分の用が済むと、さっさと財布の中身を確認する。

 ひいふうみい……と銀行券の枚数を数えてから再度ポケットに仕舞う。学祭如きでそこまで出費することはないだろう。一応、急いで家に帰れば軍資金を充填する事は出来るが、どうもそこまで熱心にはなれそうにない。

「――ねぇ、伊崎君。来生(きすぎ)さん知らない?」

 不意に声を掛けられて肩が震えるという、何とも情けない姿のまま俺は振り返る。

 肩口で揃えられた黒髪。白い肌、整った顔立ちの女生徒が、十数センチ先という超至近距離に居た。

 これでドキッとしない男は、よほど鈍感か前世が女であろう。

「う、うん? 来生って……二組の来生奈月(きすぎなつき)さん?」

 出来るだけドギマギしている様子が伝わらないように声色を作って話すが、返ってわざとらしい感じになった。

 こいつも同じ二年三組の住崎真霧(すみさきまきり)。容姿端麗にも関わらず割とお堅い方の部類で、冗談はあんまり通じない。今年も開かれるであろう住良木祭ミスコンに出れば他の出場者が何人束になってもゲームにならないほどのソレであるが、肝心の本人がこの様子なら一生無理だな。

「そう。もうHRは始まっているんだけど、教室に来ていないみたいなの」

「教室に来てない……? どういう事だよ」

 何だかおかしい物言いに、俺は奇妙な感覚を覚える。

「言葉通りよ。学校には来ているのに、教室には来ていないの」

 途中、先生が「住崎―、住崎真霧―」と呼んだので彼女が「あ、はい!」と返事をする瞬間を目にしながら、俺は何事かを考える。

 学校に来ているというのを確認したと言う事は通学カバンか下駄箱を確認したという事だろう。その他の存在を匂わすモノがあったとなれば、今頃全職員が捜索作業だ。しかしながら、担任が今平然と出席確認をしていると言う事はまだ大問題にはなっておらず、登校のみが確認されている状態だろう。

「何処かで見たとか、情報ないかしら?」

 ……いやいや。何を考えているんだ、俺は。今聞かれているのはアイツの目撃情報だ。俺がどうこうする事じゃあない。

「いや、何も……」

「うーん。朝にみんなに聞いて回ったけど、誰も知らないっていうのよ。困ったものね」

「トイレか何かじゃないのか」

 我ながらデリカシーに欠けた発言であったが、彼女も彼女なりに悩んでいるらしくその事には突っ込まれなかった。

「そうだといいんだけど……」

 連絡を終えて出て行く担任の姿が彼女越しに見えたと思った時、手を叩く音が教室に木霊した。

 クラスの中での出し物担当、今上瑠衣(いまがみるい)のものだった。眼鏡をクイッとあげながら、彼女は話を続ける。

「じゃあ、手短に話すわね。昨日の内部専用公開とは違って開始が十時からだから、午前中の裏方スタッフは準備を急いで貰えるかしら? 後はみんなそれぞれの部での仕事があるだろうから、どっちを優先するかは自分で判断して分かれること! どっちつかずでウロウロして、両方に迷惑を掛けることがないように! 最後にお化け屋敷関連だと、緊急事態で予定時間帯に交代できないって人は、出来るだけ早く私か砂智(すなち)、最悪二組の大梨(おおなし)神去(かざり)に伝える事! ――それじゃあ、作業開始!」

「ねぇ、シフトはいつ入ってる?」

「いや。自分は……」

 実のところ、誰かとワイワイ楽しく作業をする気がなかったので、何かを頼まれる旅度に自分は一年生の頃に怪我をしたせいで辞めたはずの陸上部所属だと偽って、作業をサボり続けていたのだった。

「……ふーん」

 言外に何かを見いだしたのか、はたまた彼女が俺の心を読み切ったのか、住崎の目が据わっていた。

「まぁ、今更咎める気はありませんけど。でもそこまでフリーなら、彼女の捜索を断る理由はないって事でいいわよね?」

 是非に及ばず。

「――まだ九時過ぎだ。歩き回ったら、準備の邪魔だろ」

「彼女の靴はまだ昇降口にあるらしいから、絶対に校舎内に居るはずなの。出来るだけ大事にならないうちに、来生さんを見つけて。そうしてくれたら、さっきの事は誰にも言わないから!」

 文化祭一日目、つまり昨日は内部公開という事で、テストも兼ねて学生だけがそれぞれの出し物を見学できる日であった。一般の日に生徒だけで騒ぐのを抑えるための策でもあったのだが、その日に俺は興味もなかったので何もせず屋上でボーッとしていたりする。

 他のクラスの出し物を強制見学せざるを得ないと言うのも、何だか酷な話だが、この際仕方あるまい。

「――九時、五十分……。やばい、あと十分で校舎が開いちまう」

 気がつけば階段を上り下り、教室を右往左往した挙げ句、こんな寒い日にも関わらずトラックを十周したかのように汗を掻きながらひた走っている俺が居た。

 結果としては、梨の礫であったが。

 女一人ぐらいならすぐ見つかると内心思っていたのがここまで裏目に出るとは思っていなかった。思わず俺は壁に拳を叩きつける。

「あれ……伊崎? お前こんな所で何してんの?」

 ふと聞き覚えのある声に顔を上げると、そこに居たのは砂智愁井だった。一瞬、事情を話して協力して貰おうかと思ったが、話を大事にするのは何となくマズい気がした。

「いや……ちょっとね」

「何だよ、煮え切らねぇな。困っているなら助け合うって、お前が部活辞めちまった時に言っただろ?」

 ……。そう言えば、そんな事もあったか。

 俺は素直に事情を話した。

「あぁ……そういや二組の奴らの動きがやけに鈍いと思ったら、そういう事かよ」

「二組の中でも情報が伏せられてるみたいだな、その物言いだと」

「っぽいな。分かった任しとけ、後はどこに行けばいいんだ?」

 あと、探していない所と言えば――。

「一階職員室周辺と、そこから繋がる部室棟だ。頼めるか?」

「合点承知、ここは俺の観察眼って奴を見せつけて――」

 すると、その砂智の決意を邪魔するかのように、声が差し挟まれた。

「砂智君」

 ――この女の声は、聞き覚えがない。聞き覚えがないのに、砂智の名前を知っているとは、どういう事だ?

 振り返ってその声の主を見、更に驚愕した。

「どうしたんだよ、那波姉(ななみねえ)

 矢浜那波(やはまななみ)。住良木高校きっての才女で、為す事全てがこの高校の歴史を塗り替えているに等しいとされている女生徒だ。当然ながら、その役職は生徒会長。

 それが、どういう事だ。砂智は矢浜那波の事を敬意の欠片もない言葉で呼んでいるではないか。

「学校で『那波姉』はやめてって何度も言っているでしょう」

「校舎内じゃそれほど会う機会も無いのに、今更過ぎるじゃん」

「それなら私はあなたを『シュー君』って呼ぶわよ。今更――クラスメイトに自分の、まるで小学生みたいなあだ名を暴露されたら、さぞかし面白い事になるでしょうね?」

 今更、と言ったときに彼女は俺の方をチラリと見た。

「シュー君がお世話になってるわね。あなたは二年三組の伊崎橙羽、だったかしら?」

 俺の名前を知っているとは、流石としか言いようがない。

「あなた達も準備が忙しいんじゃないかしら? 教室もない一階で何を?」

 待て、と俺が静止する前に、既に砂智が彼女に事情を話してしまっていた。

「それ本当なの? だったらすぐに警察に――」

「いや、学校内にいると分かってるんだからそれは大事にしすぎでしょう……」

「でも、まだ見つかっていないんでしょう? 本当に大事になっていたら、あなたは責任取れるの?」

 早く探しに行きたいのに、困ったモノだ。そう思った時、遠くの方――昇降口の方から、声が聞こえてきた。

「二人とも!」

 住崎だった。どうやら買い出しの帰りらしく、スーパーの袋を提げていた。近づくと、そこに居た矢浜の事を見て頭を下げる。

「矢浜先輩、おはようございます」

 そう言えば……住崎は生徒会議長だったか。高校ともなると生徒会の動きなんてめったに耳にしないから、すっかり名ばかりかと思っていた。

「事情は聞いたわ、住崎。その件、私も手伝うわ」

「えっ!? で、でも、生徒会長は非常時に備えて待機というのが常では――」

「常識は塗り替えて当然、でしょう? それに、早く見つかれば見つかるほどいいのだから、人が多いのに越したことはないわ」

 言われるがまま、住崎の荷物を偶然近くに居たクラスメイトに預け、俺たちは渡り廊下を経て部室棟へ行く。すると、綺麗に飾り付けられた廊下を一生懸命生徒達が掃除しているのが目についた。

「もう、人が入って来ちゃうからかなりギリギリじゃない。事前に廊下は最優先で綺麗にしておくように言っておいたはずなのに……」

 矢浜がそうぼやくと、側に居た生徒――札を見る限り、科学技術部らしい――が、彼女に近づいてきた。

「誰かの悪質な悪戯ですよ! 張り紙や装飾が剥がされなかっただけまだマシで、朝来たらどこもこんな風に、ゴミ箱をわざとひっくり返したような状態になっていたんですよ!」

 憤慨気味にそう言った彼は、矢浜に慰められながら渋々作業に戻る。

「そう言えば、十時まであと何分ですか?」

「え? ええと、確か――」

 彼女が腕時計に視線を落としたとき、校舎内で手を叩くような乾いた音が響いた。

「まずい、もう十時なのね。急がなきゃ」

 この音は確か生徒会が校庭の真ん中で鳴らしているのを、去年見たような気がする。

 確か、放送で時間を告げると作業中のグループに迷惑が掛かるという理由から、住良木祭では出来るだけ簡素に開場時刻を知らせると言う意味合いで、毎年この運動会みたいな事をするのだ。

 同時に、校舎内のあちこちから拍手の音。これで、正式に客人を向かい入れる準備が出来たという事になるのだ。一見さんはちょっと驚くだろうが、この地域で一見さんとなる人はほとんど居ないから特に支障はない。

「出来るだけ迅速に探しましょう。手分けして、住崎さんは二階、私は一階を――」

「じゃあ、自分は四階行きます。砂智、三階よろしく」

「おう!」

 ――分かれるなり、側にある階段を駆け上がる。そして、肩で息をしながら四階にたどり着いて俺は驚愕した。

 下階の喧噪が嘘のように止んでいたからだ。それどころか、廊下には飾り付けはおろか人っ子一人居ない。四階は、出し物がない階なのだろうか?

 見てみれば文芸部、天文部など、他の高校にもありそうな部活の部屋が並んでいるではないか。この部活の人達は何も無いという事か? とは言え、部が入っていない部室の方が多いというのも事実であった。『速読同好会』『卓上旅行愛好家同好会』など、大学でやれと言わんばかりのフリーダムさにありふれたネームプレートが、中途半端に消された状態で放置されているのを見ると、新しい部活動が発足しない限りここは空き教室になっていそうだ。これについては、フレキシブルで好奇心旺盛な後輩が入学してくれるのを祈る限りである。

 念のため、ノックをしてから文芸部のドアノブを捻ったが、開かなかった。困ったように辺りを見回すと、背後の窓に『住良木高校文芸部文集第百十二集【パレット】、校庭にて発売中』という張り紙があるのを見、納得する。

 流石にどうかとは思ったが、一応任されたことはやらねばなるまい。そう思い、天文部へ行って同じ事をしたが、こちらもドアは開かず、ましてや張り紙らしきモノなども見当たらなかった。何もしないのだろうか?

 パンフレットは――しまった、持ってくるのを忘れた。これでは確かめようがない。ひとまず、この階を探したら教室に取りに戻るか。

 後は、廊下の曲がり角の向こうぐらいしか行くところがないんだが、あそこはトイレと階段ぐらいしかないはずだ。

 ……トイレに一々ノックをして、居ますかと問うのもなかなか怪しい光景だ。それに、校舎内のどこにも居なかった彼女が、こんな校舎の隅の誰も居ない階のトイレに延々と籠もっていたというのもなんだかしまらない話である。

 仮にそこに居たとしたなら、理由を原稿用紙三十枚以内で示して欲しい――そんな、半ば楽観的だった俺の考えは、そこに広がる光景で完全に打ち消される事になった。

「バカな」

 知らず知らずのうちにそんな言葉が口をついて出てしまっている程、それは自分の中のあらゆる記憶にも該当しないセンセーショナルな衝撃として、俺の身体を音速で駆け抜けていっていた。

 そこに死体があるとか、そんな直接的表現だったらどれだけ(吐き出すモノがあるという意味合いで)楽だったかとさえ思う俺の異常さを、歪さを、一瞬だけ不快に思う。

 現場の状況は、極めて簡素。

 トイレはこちらから見て左側。現場は更にその向こう、行き止まりになっていながら右手に階段がある場所である。そこに、スプーンで数度掬ったぐらいの血糊。それが床から壁に掛けて付着しているだけ。

 たったそれだけなのに、一歩そこに近づくことさえ躊躇われた。

 落ち着け俺、動悸を抑えろ。

 その時、足下にある『何か』に気付く。俺は即座にハンカチを取り出し、その何かに触れる。

 漫画で見たことがある。

 銃弾もとい、薬莢というやつだ。まだ生暖かい。

 無数の疑問が沸いて出る。だけど、それを考えようという気に全くならないのは何故だ。

 そこまで考えて、ようやく気がついた。

 息が荒い。

 このままじゃ過呼吸になる。思わず口を手で押さえ、手前にあった窓を割れんばかりの勢いで開き、まるで水中に数分押し込められた所から解放されたかのように、粗く、一定でないタイミングで数回深呼吸をした。

「おい、伊崎! さっき大きな音が――」

 階下からぞろぞろと役者達が集い、そして状況を見て絶句する。

「何が起こったの!? ねぇ、説明して!」

 クールビューティだった矢浜の表情が今や青ざめ、住崎も砂智もオロオロとしている。

「分かりません。でも恐らくこの状況から察するに……彼女を捜すのをかなり急がなければならないみたいです」

 状況を整理しよう。血液は既に乾いているように見える。ただ、高性能な偽物かもしれない、と言われてしまえば信じてしまいそうでもある。ただの高校生に、確かめる手段はない。

「…………。あら、あれは何?」

 俺はハンカチで包んでいた薬莢を三人に見せる。流石に誰も触れたがらなかった。

「オイオイ……ただ事じゃないだろ、これは」

「ど、どういう事よ、砂智君!」

 その住崎の質問には矢浜が答える。

「もし仮にこれを発射する装置があったとして、今それは誰かの手の中にあるという事よ。しかもその人間は、今も尚この校舎内に居る可能性が高い」

 外部犯の可能性があり得ないのは、校舎が開いたのがついさっきだったという事からもはっきりと分かる。

 問題はこれがいつ用意されたかと、誰が用意したかである。

 その時、砂智が遠慮がちに述べた。

「しかしでも、もし仮にここで殺人事件が起こっていたとして、ちょっとこの量は――なんというかその、凄く稚拙で野蛮な言い方なんですけど――少なすぎませんか?」

「そうね。何より、血が点点と跡を作っていない事も気になるわ」

 もしここで血を流したとして、その人物が今ここにいないとなれば、その血液の大元は移動したことになる。はずなのに、その移動した先の痕跡が無いというのはどういう事だろうか。

「そう言えばこの校舎、エレベーターあったわよね。あなた、そこは調べた?」

 いいえ、と俺は首を横に振る。エレベーターはさっき俺が階を上がってきた方の廊下の奥にある。ただし張り紙の通り一般生徒の利用は普段から禁止で、今回は足の不自由な方にも見て頂けるように特別解放しているようであった。

「不思議なんですけど、どうして部室棟だけエレベーターが?」

「主に、天文部の影響ね」

 彼女が言うには、天文部は定期的な天体観測を本校舎の屋上で行うのだそうだ。本校舎は五階建てだから、必然的に四階建ての部室棟よりは高くなるのだから妥当な措置である。しかし、天文部の部室はあのように四階。どうやらこれも伝統らしく、『天に輝く星となる』をスローガンとした天文部のポリシーとして、四階に居を構えているらしかった。その為、観測に必要な機材の移動は一旦それを部室棟の下まで運び、連絡通路を通ってから本校舎に行き、さらに五階まで……と、聞いただけでさながら運動部のような活動内容を強いられる事となる。

 エレベーターはその手間を緩和する為に設置されたものらしい。とは言え導入してからまだ十年も経っていないそうで、OB達からすればこの『近代化』については嘆かわしいの一言らしい。

「それは知らなかったな。伊崎、知ってたか?」

 お前が知らないのに俺が知ってるわけ無いだろう、砂智。

「とにかく、今は彼女を捜すことを急ぎましょう。きっと彼女は、ここじゃない所に移動しているはずです」

 しかし、疑問は残る。

「で、でも、拳銃が本当にあったとして、いつ発砲したのかしら……」

「タイミングが一つあります。十時の開場告知の空砲です」

 これは恐らく矢浜先輩も考えに至っているだろう。発砲音はかなり大きい。人っ子一人居ない四階で撃ったとしても、三階だけじゃなく校舎全体に響く可能性がある。それを誤魔化せるタイミングは、十時のそれしかあり得ないだろう。

「となると、ますます内部犯の可能性が高いわね……生徒を疑うのも酷な話だけど」

「犯人はその盲点を突いてくるかもしれません。確かに四階に人は居ませんでしたが、犯行時刻より前に犯人が四階にはいなかった、という確証までは掴んでいないワケですから」

 俺も言っていてよく分からなくなってくるが、思いは矢浜先輩と一緒で、生徒の中に犯人が居て欲しくないという感情そのものだろう。

 俺たちは生徒会の奴らが作業をしているのを見てから、部室棟の一階で再度落ち合う。既に、人がごった返していた。

「とりあえず、現場は保存ね。生徒会で、立ち入り禁止のコーンとポップを出しておいたわ」

 ありがとうございます、と礼を言いながら俺たちは矢浜先輩と別れる。

「さて……これからどうする、二人とも?」

 住崎に問われ、俺は思惑する。

「にんともかんとも。もし仮にあの血が来生奈月のものだとすれば、彼女は今確実に手負いだということ。これだけ忙しい作業をしている最中であっても、そんな怪我をした人間を見過ごすことがあるのかな、と思ってる」

 そうなればまず向かうべきは、保健室だろうか。

「それなら、保健室には私が行くわ。砂智君はお化け屋敷の事もあるから、仕事に戻りつつ引き続き校舎内をお願い」

「じゃあ、俺は靴で歩けるギリギリの範囲――校庭を探してみるよ」

 まだ、誰も知らなかっただろう。この出来事が、今日という長い一日のスタートに過ぎなかったという事を。

作中に於いて主要とされる謎を追うことは展開的にほぼ不可能ではありますが、『作品の裏に流れているもう一つの何か』の伏線は既に張られています。「おや?」と思ったあなたは、きっとこの作品を一番楽しんで頂いた人に違いありません。

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