日曜日、キミと太陽の下で
以前書いた「歩道橋の向こう側」というお話に出てくる二人の、その後のお話です。
「幼なじみ」と「恋人」の違いはなんだろう。
お互い「好き」って伝え合っているのに、僕とみのりの関係は「幼なじみ」のまま。
遠い昔に手をつないだ記憶はあるけれど、それ以上のコトはしたことがない。
幼い頃から見慣れたみのりを、抱きしめるとか、キスするとか、どうしても想像できないし、だいたいみのりがそれを望んでいるのかどうかも謎だ。
「葵っ!」
約束通り乗っていた先頭車両から降りると、僕を見つけたみのりが駆け寄ってきた。
「久しぶりっ」
「うん」
「やだなぁ、もっと嬉しそうにできないかなぁ」
みのりがそう言って、僕の前で苦笑いする。
「嬉しそうにって……どういうふうに?」
「『会いたかったよー』って、いきなり抱きしめるとかさ」
できるわけないだろ? 夏休み最後の日曜日、こんなに人がごった返すホームの真ん中で……というか、誰も人がいない所でも、僕はできないと思うけど。
「あ、本気にした」
「してないって」
みのりがおかしそうに笑いながら、僕の前を歩き出す。
今日もみのりは元気だ。水玉模様のタンクトップとカーキ色のショートパンツ。日焼けして真っ黒な肌に、男の子みたいに短い髪の毛。
僕はそんなみのりの一歩後ろを、追いかけるようについてゆく。
「どこに行こうか?」
「公園とかどう? あたしお弁当作ってきたよ」
みのりは決断力と資金力のない僕を気づかって、今日もそう言ってくれた。
今から一年前の中三の夏。「幼なじみ」のみのりは、親の都合で静岡に引っ越した。
僕は横浜から鈍行列車に乗って、三時間かけてみのりに会いに行く。
だけど高校生の僕たちには、自由な時間もお金もない。
特にみのりは部活の練習が忙しかったから、僕たちが会えるのは、夏休みや冬休みのたった数日間だけ。
今日だって急にできたみのりの休みと、僕のバイトの休みが重なって、やっと会えることになったのだ。
「でね、その先輩、超モテるくせになんか抜けててねー」
みのりは高校でも野球を続けていた。
野球部でたった一人の女子部員であるみのりは、公式戦には出られない。
それでも体の大きな男子に交じって、同じ練習を続けているっていうから、僕はみのりのことを密かに尊敬している。
並んで歩くと僕よりたくましく見えちゃうところが、ちょっぴり残念なんだけど……。
夏の終わりかけた空の下、駅から続く道を歩きながら、みのりはたくさん話をした。
練習試合に初めて出させてもらったこと。
クラスにいるおかしな友達の話。
学校の近くのラーメン屋がめちゃくちゃおいしいこと。
僕の知らないみのりの高校生活は、とても充実しているようだった。
「葵」
「うん?」
「あたしの話、つまらない?」
「そんなこと……ないよ」
ないけど……。
あんまりみのりの毎日が楽しそうで、そんなに楽しいなら僕になんか会わなくてもいいんじゃないかって思っちゃうだろ?
「あ、野球やってる……」
急にテンションの落ちたみのりが、僕の隣で立ち止まる。
駅周辺から少し歩くと、大きな川が流れていて、僕たちはその土手の上まで来ていた。
河原の小さなグラウンドでは、おじさん達が草野球をやっている。
「あれ、見に行こう」
みのりが前を向いたままそう言って、僕の手をつかみ強引に引っ張る。
懐かしいような初めてのような、不思議なみのりの手の感触。
初めてつないだのはいつだったか、覚えていないくらいずっと前から、僕たちは一緒にいるのだ。
土手を少し下った草の上に座って、僕たちはぼんやりと草野球を眺めていた。
みのりはあれから黙り込んで、何もしゃべろうとしない。
空は青く晴れ渡り、緑の草が風に揺れる。真夏のような蒸し暑さはピークを過ぎ、僕たちを包む空気はどことなく爽やかだ。
だけど――僕はなぜだか泣きたい気分だった。
隣に座るみのりが近いようで遠い。
肩が触れ合うほど、僕たちはこんなに近くにいるのに……。
「あっ、打った!」
キンッという音と共に、みのりが反射的に立ち上がる。僕もつられてその横に立つ。
太ったおじさんの打った球が、僕たちと反対のレフト方向へ伸びてゆく。
その行方を追っていた僕の目の前に、突然みのりの顔が現れた。
「えっ」
唇に触れた柔らかな感触。
それはほんの一瞬の出来事だった。
野太い歓声が遠くに響く。
転がるボールを追いかける外野手。打ったおじさんは必死に走って、セカンドベースを踏む。
「ナイスバッティーン!」
みのりが両手を口元に当て大きな声で叫ぶ。
「あ……あの」
そんなみのりに恐る恐るつぶやく僕。
「今の……」
「葵のために、あたしの『初めて』とっといたんだから。ありがたく思ってよねっ」
僕を見ないままそう言って、みのりはペットボトルのキャップを開ける。
だけど……その手は小さく震えていて……。
ドギマギしているのは僕だけじゃないってわかったら、みのりのことがものすごく可愛く思えてきた。
「あのさぁ」
「なによ?」
ぶっきらぼうに言いながら、みのりはペットボトルに口をつける。
「なんか、お腹すかない?」
その言葉に、みのりはゆっくりと僕に振り向く。
「みのりが作ってくれた弁当、食べたいなぁ……なんて」
眩しい陽射しの中で、みのりの顔がぱあっと輝く。
「どうせほとんど、おばさんが作ったんだろうけど」
「失礼ねっ! あたし五時起きで作ったんだから」
みのりがごそごそと弁当を取り出しふたを開く。
ちょっといびつなタコさんウインナーに、少し焦げた玉子焼き。
それを見ながらみのりがつぶやく。
「なんだか……あたしばっかり、葵のこと好きみたいで悔しい」
「そんなことないよ」
ウインナーをつまんでパクっと口に入れる。
「僕も……さっきまで、そう思ってたから」
おじさんたちの珍プレーを眺めながら、太陽の下で弁当を食べた。
みのりは僕の隣で嬉しそうに笑っている。
うん。こういうの、もしかしてすごくいいかもしれない。
もやもやした不安な気持ちは、もうどこかに消えていた。
帰りの電車を待つホームで、僕はみのりに言う。
「また会いに来るから」
「今度はあたしが会いに行くよ」
泣きそうな笑顔でみのりが言うから、なんだか僕まで泣きたくなる。
上り電車が僕たちのホームに滑り込んできた。
みのりに「じゃあ」って言って背中を向ける。
そんな僕のTシャツの裾を、みのりがぎゅっとひっぱった。
「もっと名残惜しそうにできないの?」
「名残惜しそうって……どういうふうに?」
「だから……ほっぺに『チュッ』ってするとかさ」
電車のドアが開いて、たくさんの乗客が降りてくる。発車のアナウンスがホームに響く。
「なんてね。冗談……」
みのりの声をさえぎるように、素早くその唇にキスをした。
電車のドアが静かに閉まる。
ゆっくりと動き出す窓越しに、みのりの驚いた顔が見える。
みのりは頬を真っ赤にして、そのあと僕に今日一番の笑顔を見せてくれた。
みのりとキスしてわかったこと。
どんなに離れていても、会える回数が少なくても、僕とみのりの気持ちはいつも近くにあるってこと。
こうやってゆっくり少しずつ、僕たちは「幼なじみ」から「恋人」へ、近づいていくのかもしれない。
***
僕の住む町に、めずらしく雪がちらついた日曜日。
少し遅れたバスから飛び降りると、駅の改札口に立つみのりの姿が見えた。
夏の終わりより少し伸びた髪。去年のクリスマスに僕があげたマフラー。あたりをきょろきょろ見回しながら、少し不安そうな顔で、みのりは僕のことを捜している。
このまま駆け寄って、いきなり抱きしめたら驚くだろうな……。
そんなことを考えながら、僕はみのりの名前を呼ぶ。
「あっ、葵っ!」
僕を見つけたみのりが嬉しそうに手を振る。
片手に早起きして作った弁当を抱きしめ、小さい頃と変わらない僕の大好きな笑顔で……。