叙事詩 最終章
翌朝、トールが坑道を訪れた時、バルグリムは炉の前で静かに座っていた。
「バルグリムさん、おはようございます」
返事がない。
トールは不審に思い、近づいた。
「バルグリムさん?」
バルグリムは目を閉じていた。穏やかな顔だ。
トールは、バルグリムの肩に触れた。
冷たかった。
「...バルグリムさん」
トールの声が震える。
「バルグリムさん!」
叫んだ。だが、バルグリムは目を覚まさない。
トールは、ゆっくりとバルグリムの体を横たえた。
そして、声を上げて泣いた。
「バルグリムさん...」
「嘘だ...」
「まだ、話したいことがたくさんあったのに...」
トールは一人、坑道で泣き続けた。
やがて、村人たちが駆けつけてきた。
「トールさん、どうしたんだ」
「バルグリムさんが...」
「...そうか」
村人たちも黙祷を捧げた。
バルグリム・鉄髭は、181歳でこの世を去った。
葬儀は、村で執り行われた。
王国からも使者が来た。グンナル将軍自らが参列した。
「バルグリムよ」
グンナルが棺に語りかける。
「お前は、立派に生きた」
「誰にも縛られず、だが誰かを支え続けた」
「それが、お前の生き方だった」
「安らかに眠れ」
村人たちも、次々と花を手向けた。
「バルグリムさんの道具には、何度も助けられました」
「一生使える、本当でした」
「ありがとうございました」
トールは、棺の前で最後の別れを告げた。
「バルグリムさん」
「俺は、あなたに拾われた時、何も持っていませんでした」
「家族も、技術も、何もなかった」
「でも、あなたは俺に全てを教えてくれました」
「鍛冶を、生き方を、家族の意味を」
「俺は...あなたを父のように思っていました」
トールの涙が止まらない。
「ありがとうございました」
「本当に、ありがとうございました」
グリムも、祖父のように慕っていたバルグリムに別れを告げた。
「バルグリムさん、俺、頑張ります」
「父さんみたいな鍛冶師になります」
「いや、バルグリムさんみたいな鍛冶師になります」
「だから、見ていてください」
棺は、王国の墓地に埋葬された。
墓石には、こう刻まれた。
『バルグリム・鉄髭 享年181歳 誰にも縛られぬ鍛冶師 誰かの剣を支える鉄』
葬儀の後、トールは坑道に戻った。
バルグリムの遺品を整理するためだ。
坑道は静かだった。炉の火は消えている。
トールは、一つ一つの道具を手に取った。
鎚、鏨、鉗子。全てが使い込まれている。
「バルグリムさん...」
トールは涙を拭いた。
その時、奥に布で覆われた何かがあることに気づいた。
布を取ると、そこには古い剣があった。
兄弟たちが作った剣だ。
「これは...」
剣の横に、紙が置いてあった。
トールが開くと、バルグリムの字で書かれていた。
『トールへ。この剣は、俺の兄弟たちが作ったものだ。だが、完成させたのは俺だ。そして、その意志を継いだのはお前だ。だから、この剣はお前に譲る。大事にしてくれ。バルグリム』
トールは震える手で剣を握った。
「バルグリムさん...」
剣は重かった。だが、温かかった。
まるで、バルグリムの手が、まだそこにあるように。
数日後、トールは坑道の整理を終えた。
だが、炉だけは残すことにした。
「この炉は、バルグリムさんの魂だ」
トールは決意した。
「ここを、記念館にする」
村人たちも賛成した。
「バルグリムさんの功績を、後世に伝えるべきだ」
「賛成だ」
こうして、坑道はバルグリム記念館となった。
炉、道具、そして剣。全てが展示された。
多くの人々が訪れた。
「これが、バルグリム・鉄髭の炉か」
「伝説の鍛冶師だ」
「彼の作った道具は、今でも使われている」
トールは、訪問者に説明した。
「バルグリムさんは、誰にも縛られぬ鍛冶師でした」
「だが、誰かを支え続けた人でした」
「武器は命を奪う。道具は命を繋ぐ」
「それが、バルグリムさんの信条でした」
人々は感動した。
「素晴らしい人だったんですね」
「ええ」
トールが頷く。
「俺の、師匠でした」
一年が経った。
トールは、バルグリムの遺志を継いで鍛冶を続けていた。
グリムも順調に成長し、簡単な道具なら一人で作れるようになっていた。
ある日、グリムが尋ねた。
「父さん」
「何だ」
「俺、バルグリムさんみたいになれるかな」
トールは微笑んだ。
「なれる」
「本当?」
「ああ。お前には、才能がある」
トールが続ける。
「でも、それだけじゃない」
「何?」
「心が大事だ」
トールが言う。
「バルグリムさんは、常に誠実だった」
「鉄に対しても、人に対しても」
「お前も、そうあれ」
グリムは力強く頷いた。
「わかった」
その年の秋、王国から使者が来た。
「トール殿」
「何でしょうか」
「王より、称号を授けたいとのことです」
「称号...?」
「王国鍛冶師頭です」
トールは驚いた。
「俺が...?」
「はい。あなたの功績は、王国中に知られています」
「竜を倒した剣を作り、バルグリム・鉄髭の遺志を継いだ」
「王は、あなたを讃えたいと仰っています」
トールは少し考えた。
「...お断りします」
「なぜですか」
「バルグリムさんの教えです」
トールが答える。
「誰にも縛られるな、と」
「俺は、自由な鍛冶師でいたいんです」
使者は困惑したが、最終的には理解した。
「...わかりました」
「王には、そう伝えます」
使者が去った後、グリムが言った。
「父さん、いいの?」
「いい」
トールが頷く。
「俺は、バルグリムさんの弟子だ」
「バルグリムさんの生き方を、継ぐんだ」
グリムは満足そうに笑った。
「わかった」
五年が経った。
グリムは17歳になっていた。一人前の鍛冶師として、村で認められていた。
ある日、グリムは一人で坑道を訪れた。
バルグリム記念館だ。
「バルグリムさん」
グリムが炉の前で呟く。
「俺、一人前になりました」
「父さんに認められました」
「これも、全部バルグリムさんのおかげです」
グリムは剣を見た。
兄弟たちの剣だ。
「この剣、すごいです」
「でも、俺もいつか、こんな剣を作りたいです」
「バルグリムさん、見ていてください」
炉の灰が、少し舞い上がった。
まるで、答えるように。
グリムは微笑んだ。
「ありがとうございます」
十年が経った。
トールは40歳になっていた。髪に白いものが混じり始めている。
だが、鍛冶の腕は衰えていない。
グリムは27歳。結婚し、一人の子供の父親になっていた。
ある冬の日、トールとグリムは二人でバルグリム記念館を訪れた。
「父さん、久しぶりだね、ここに来るの」
「ああ」
トールが炉を見る。
「バルグリムさん、元気ですか」
「もう十年か...」
「早いね」
「ああ」
二人は黙って炉を見つめた。
「父さん」
「何だ」
「俺、息子に鍛冶を教えようと思う」
トールは驚いた。
「...もう、そんな歳か」
「まだ5歳だけど」
「そうか」
トールが微笑む。
「いいことだ」
「世代が、続いていく」
「うん」
グリムが頷く。
「バルグリムさんから、父さんへ」
「父さんから、俺へ」
「そして、俺から息子へ」
「...そうだな」
トールが言う。
「バルグリムさんの遺志は、こうして続いていくんだ」
二人は満足そうに微笑んだ。
その夜、トールは一人で黒麦酒を飲んだ。
バルグリムと同じように。
「バルグリムさん」
トールが呟く。
「あなたの教え、忘れていません」
「鉄は生きている」
「火は語りかけてくる」
「打つ音は心音に似ている」
「武器は命を奪う。道具は命を繋ぐ」
「鉄は裏切らん。裏切るのは鍛え手だ」
「全て、胸に刻んでいます」
トールは酒を飲み干した。
「そして、グリムにも教えました」
「グリムは、また自分の子供に教えるでしょう」
「こうして、あなたの教えは続いていきます」
「永遠に」
トールは空を見上げた。
星が輝いている。
「バルグリムさん、見ていますか」
「俺たちは、あなたの遺志を継いでいます」
「これからも、継いでいきます」
風が吹いた。
まるで、答えるように。
トールは微笑んだ。
「ありがとうございます」
「バルグリムさん」
二十年後。
トールは60歳になっていた。引退し、グリムに全てを任せている。
グリムは47歳。村の長老鍛冶師として尊敬されている。
そして、グリムの息子も25歳になり、立派な鍛冶師になっていた。
ある日、グリムの息子が尋ねた。
「父さん、バルグリム・鉄髭って、本当にいたの?」
「ああ」
グリムが頷く。
「伝説の鍛冶師だ」
「会ったことある?」
「ああ。子供の頃、何度も」
グリムが語り始める。
「バルグリムさんは、厳しかったけど優しかった」
「鍛冶の技術だけじゃなく、生き方も教えてくれた」
「どんな人だったの?」
「誰にも縛られない人だった」
グリムが答える。
「でも、誰かを支え続けた人だった」
「『俺は剣にならん。だが、誰かの剣を折れぬよう支える鉄にはなれる』」
「それが、バルグリムさんの言葉だ」
息子が感動した顔をしている。
「すごい...」
「お前も、そうなれ」
グリムが言う。
「バルグリムさんみたいに」
「わかった」
息子が力強く頷いた。
五十年後。
トールは、110歳で亡くなった。
人間としては驚異的な長寿だった。
最後まで、バルグリムのことを語り続けた。
「バルグリムさん...会いに行きます...」
それが、トールの最後の言葉だった。
トールの墓は、バルグリムの隣に作られた。
墓石には、こう刻まれた。
『トール 享年110歳 バルグリム・鉄髭の弟子 遺志を継ぎし者』
百年後。
バルグリム記念館は、今も残っていた。
何代も続いた子孫たちが、大事に保存していたのだ。
炉は、今も展示されている。
剣も、道具も。
そして、多くの人々が訪れる。
「これが、バルグリム・鉄髭の炉か」
「伝説は本当だったんだ」
「彼の作った道具、今でも使われているそうだ」
「驚異的だ」
ある日、一人の若い鍛冶師が訪れた。
グリムの曾孫の、さらに孫だ。
「曾曾曾祖父さん」
若い鍛冶師が炉の前で呟く。
「俺も、鍛冶師になりました」
「あなたの教え、今も受け継がれています」
「武器は命を奪う。道具は命を繋ぐ」
「鉄は裏切らん。裏切るのは鍛え手だ」
「これからも、守っていきます」
炉の灰が、少し舞い上がった。
風もないのに。
まるで、答えるように。
若い鍛冶師は微笑んだ。
「ありがとうございます」
時は流れる。
王国は繁栄し、人々は幸せに暮らしていた。
だが、バルグリム・鉄髭の名は忘れられなかった。
彼の教えは、何世代にもわたって受け継がれた。
鍛冶師たちは、今も彼の言葉を胸に刻んでいる。
「俺は剣にならん。だが、誰かの剣を折れぬよう支える鉄にはなれる」
それが、バルグリム・鉄髭の遺志だった。
そして、それは永遠に続いていく。
ある夜、バルグリム記念館に、不思議な光が現れた。
管理人が驚いて見に行くと、炉の前に七人のドワーフの影が見えた。
いや、八人だ。
七人の兄弟と、一人の末弟。
彼らは、満足そうに微笑んでいた。
そして、一人の人間の影も見えた。
トールだ。
彼らは、炉の周りで語り合っている。
「バルグリム、お前はよくやった」
グリムニルが言う。
「ああ」
ソリンが頷く。
「お前は、俺たちの遺志を継いだ」
「そして、次の世代に伝えた」
バーリンが言う。
「それは、素晴らしいことだ」
ドワーリン、オーリ、ノーリ、オーインも頷いている。
「兄弟たちよ」
バルグリムが言う。
「俺は、幸せだった」
「お前たちを失って、辛かった」
「だが、トールを得て、再び家族を持った」
「そして、お前たちの遺志を果たせた」
「後悔はない」
トールが言った。
「バルグリムさん、俺もです」
「あなたに拾われて、本当に良かった」
「あなたは、俺の父でした」
バルグリムは微笑んだ。
「トール、お前は俺の息子だ」
「いや、家族だ」
八人のドワーフと一人の人間。
彼らは、炉の周りで輪になった。
そして、カンパイの音が響いた。
まるで、鎚が鉄を打つ音のように。
カン、カン、カン。
永遠に響く、鍛冶の音だった。
管理人が再び見た時、影は消えていた。
だが、炉の灰が温かかった。
まるで、今まで火が燃えていたように。
管理人は不思議に思った。
だが、すぐに理解した。
「バルグリムさん...」
「帰ってきたんですね」
管理人は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あなたの遺志、守り続けます」
風が吹いた。
優しい、温かい風だった。
バルグリム・鉄髭の物語は、ここに終わる。
だが、彼の遺志は終わらない。
何世代にもわたって、受け継がれていく。
鍛冶師たちは、今日も鉄を打つ。
カン、カン、カン。




