叙事詩 4章
十年が経った。
バルグリムは177歳になっていた。髭はさらに白くなり、腰まで届く長さは変わらない。体はまだ頑健だが、以前ほどの力はない。
トールは27歳。二人の子供の父親になっていた。村の鍛冶師として、確固たる地位を築いている。
だが、トールは相変わらず週に一度、バルグリムを訪ねていた。
「バルグリムさん、子供が生まれました」
トールが嬉しそうに報告する。
「...そうか」
バルグリムが頷く。
「三人目か」
「はい」
「名前は?」
「グリムです」
バルグリムは驚いた。
「グリム...?」
「はい」
トールが言う。
「バルグリムさんの兄さんの名前をもらいました」
「...いいのか」
「もちろんです」
トールが微笑む。
「バルグリムさんの家族の名前を、俺の子供に」
バルグリムは何も言えなかった。
ただ、涙が出そうになった。
「...ありがとう」
「いえ」
トールが頭を下げる。
「こちらこそ、ありがとうございます」
ある日、バルグリムは炉の前で倒れた。
意識はある。だが、体が動かない。
「...くそ」
バルグリムは呻いた。
「もう、年か」
幸い、トールがその日訪ねてきた。
「バルグリムさん!」
トールが駆け寄る。
「大丈夫ですか」
「...ああ。少し疲れただけだ」
「嘘だ。顔色が悪い」
トールがバルグリムを寝台に運ぶ。
「医者を呼びます」
「いらん」
「いえ、呼びます」
トールが村へ走った。
医者が来て、バルグリムを診察した。
「...過労だ」
医者が言う。
「休養が必要だ」
「休養...」
バルグリムが苦笑する。
「俺は鍛冶師だ。休むわけにはいかん」
「だが、このままでは命に関わる」
「...わかった」
バルグリムは渋々承諾した。
トールは、その日からバルグリムの世話をした。
「トール、お前には家族がいる。そっちに帰れ」
「いえ、ここにいます」
「だが...」
「バルグリムさんは、俺の家族です」
トールが言う。
「だから、看病します」
バルグリムは何も言えなかった。
一週間後、バルグリムは回復した。
「もう大丈夫だ」
「本当ですか」
「ああ」
バルグリムが立ち上がる。
「仕事に戻る」
「無理しないでください」
「無理してない」
だが、体は正直だった。
以前のように長時間働けない。
鎚を振る力も弱まっている。
「...年には勝てんな」
バルグリムは呟いた。
トールが提案した。
「バルグリムさん、村に来ませんか」
「村...?」
「はい。俺の家に」
「断る」
「なぜですか」
「俺は、ここで死ぬ」
バルグリムが言う。
「兄弟たちと同じ場所で」
トールは何も言えなかった。
だが、数ヶ月後、事態が変わった。
坑道に、王国の兵士たちが来たのだ。
「バルグリム・鉄髭」
隊長が言う。
「この坑道は、王国のものだ」
「何...?」
「立ち退いてもらう」
バルグリムは怒りを覚えた。
「ここは、俺が十年以上住んでいる場所だ」
「だが、正式な許可を得ていない」
「許可など、いらん」
「法律で決まっている」
隊長が冷たく言う。
「一週間以内に出ていけ」
「断る」
「では、力ずくで追い出す」
隊長が剣を抜く。
バルグリムも戦斧を手に取った。
だが、その時、トールが割って入った。
「待ってください」
「誰だ」
「俺は、村の鍛冶師です」
トールが言う。
「バルグリムさんは、俺の師匠です」
「それがどうした」
「バルグリムさんを、追い出さないでください」
「法律だ」
「なら、俺が許可を取ります」
トールが提案する。
「王国に申請します」
隊長は少し考えて、頷いた。
「...一ヶ月だけ待つ」
「それまでに許可が下りなければ、出ていけ」
隊長たちは去っていった。
「バルグリムさん」
「...すまない」
バルグリムが頭を下げる。
「俺のせいで、お前に迷惑をかけた」
「いえ」
トールが首を振る。
「必ず、許可を取ります」
トールは王都へ向かった。
王国の役所で、正式な居住許可を申請する。
だが、役人は冷たかった。
「バルグリム・鉄髭?知らんな」
「彼は、竜を倒した剣を作った鍛冶師です」
「それがどうした」
「王国を救った恩人です」
「証拠はあるのか」
「...」
トールは困った。
証拠など、ない。
「では、却下だ」
役人が書類を突き返す。
トールは諦めなかった。
何度も何度も、役所に通った。
だが、答えは同じだった。
「却下だ」
一ヶ月が経とうとしていた。
トールは絶望していた。
「どうすれば...」
その時、一人の老ドワーフが声をかけてきた。
「お前、バルグリムの弟子か」
「...はい」
「俺はグンナル・金剛石」
「将軍...」
トールは驚いた。
王国の最高司令官だ。
「お前の話、聞いていた」
グンナルが言う。
「バルグリムの許可、俺が取ってやる」
「本当ですか」
「ああ」
グンナルが頷く。
「バルグリムは、俺の古い友人だ」
「恩がある」
翌日、許可が下りた。
トールは歓喜した。
「やった!」
だが、グンナルが言った。
「ただし、条件がある」
「条件...?」
「バルグリムに、王都へ来てもらいたい」
「なぜですか」
「王が、直接会いたいと言っている」
グンナルが説明する。
「竜を倒した剣の鍛冶師に、礼を言いたいと」
トールは少し考えて、頷いた。
「...わかりました。伝えます」
坑道に戻ったトールは、バルグリムに報告した。
「許可が下りました」
「...そうか」
バルグリムが安堵する。
「だが、条件があります」
「条件?」
「王都へ、来てほしいと」
バルグリムは眉をひそめた。
「...断る」
「でも、バルグリムさん」
「俺は、王都へは行かない」
バルグリムが頑なに言う。
「なぜですか」
「...理由はある」
バルグリムが小さく言った。
「だが、言えない」
トールは困った。
「でも、許可の条件なんです」
「なら、許可はいらん」
「バルグリムさん!」
「いい」
バルグリムが言う。
「俺は、ここを出る」
「どこへ行くんですか」
「...わからん」
バルグリムが答える。
「だが、ここにはいられない」
トールは涙を流した。
「そんな...」
その時、グンナルが坑道に現れた。
「バルグリム」
「...グンナル」
「お前、まだ頑固だな」
「お前もな」
二人は向き合った。
「バルグリム、頼む」
グンナルが頭を下げる。
「王都へ来てくれ」
「...なぜ、そこまでする」
「お前に、知ってほしいことがある」
グンナルが言う。
「50年前の真実を」
バルグリムは黙った。
「...真実?」
「ああ」
グンナルが頷く。
「お前が知っている真実とは、少し違うかもしれん」
バルグリムは長い沈黙の後、溜息をついた。
「...わかった。行く」
「本当か」
「ああ。だが、すぐに帰る」
「構わん」
グンナルが微笑む。
「ありがとう」
三日後、バルグリムとトールは王都へ向かった。
バルグリムにとって、50年ぶりの王都だった。
「...変わったな」
バルグリムが呟く。
街は発展し、人口も増えていた。
「こちらです」
グンナルが案内する。
城の奥、謁見の間へ。
玉座には、老いた王が座っていた。
「バルグリム・鉄髭」
王が言う。
「久しいな」
「...陛下」
バルグリムが一礼する。
「顔を上げよ」
バルグリムが顔を上げると、王は悲しそうな顔をしていた。
「すまなかった」
「...何を」
「50年前のことだ」
王が言う。
「お前の兄弟たちを、死なせてしまった」
バルグリムは黙った。
「竜は、宝を守っていただけだった」
王が続ける。
「だが、俺の弟が、宝を盗もうとした」
「竜はそれを阻止しようとした」
「俺は...真実を知りながら、竜を討伐した」
「お前の兄弟たちを、利用した」
バルグリムは拳を握った。
「...知っていた」
「そうか」
王が頷く。
「だから、お前は王都へ来なかったのか」
「ああ」
「すまなかった」
王が深く頭を下げる。
「許してくれとは言わん」
「だが、謝罪はさせてくれ」
バルグリムは長い沈黙の後、言った。
「...兄弟たちは、もう戻らない」
「謝罪されても、どうにもならん」
「わかっている」
「だが」
バルグリムが続ける。
「お前が真実を認めたことは、評価する」
「...ありがとう」
王が涙を流した。
「バルグリム、もう一つ頼みがある」
「何だ」
「王国の鍛冶師頭になってくれないか」
バルグリムは首を振った。
「断る」
「なぜだ」
「俺は、誰にも縛られぬ」
バルグリムが言う。
「それが、俺の信条だ」
王は悲しそうに頷いた。
「...そうか」
「だが」
バルグリムが付け加える。
「必要な時は、力を貸す」
「本当か」
「ああ」
バルグリムが頷く。
「誓いを交わした相手のためなら、剣も打つ」
「それが、俺の掟だ」
王は満足そうに微笑んだ。
「ありがとう、バルグリム」
王都を後にする時、グンナルが見送りに来た。
「バルグリム」
「何だ」
「お前、いい弟子を持ったな」
グンナルがトールを見る。
「...ああ」
「大事にしろ」
「言われなくてもわかっている」
バルグリムが答える。
「お前も、達者でな」
「ああ」
二人は握手した。
「また会おう」
「...ああ」
バルグリムとトールは坑道へ戻った。
「バルグリムさん、よかったです」
「...何がだ」
「許可が下りて」
「ああ」
バルグリムが頷く。
「お前のおかげだ」
「いえ」
トールが首を振る。
「グンナル将軍のおかげです」
「...そうだな」
二人は坑道に着いた。
「ただいま」
バルグリムが呟く。
炉の火は消えていた。
だが、またすぐに灯せる。
「さて、仕事だ」
バルグリムが言う。
「ああ」
トールが頷く。
二人は炉に火を入れた。
赤い炎が燃え上がる。
「帰ってきたな」
バルグリムが呟いた。
「ああ」
トールが答える。
二人は、再び鍛冶を始めた。
カン、カン、カン。
鎚の音が、坑道に響いた。
静かな、だが力強い音だった。




