叙事詩 3章
冬が来た。
雪が坑道の入口を覆い、外界との繋がりを断つ。だがバルグリムとトールは、炉の火を絶やさず仕事を続けていた。
トールは17歳になっていた。体格も立派になり、一人前の鍛冶師として認められるようになっていた。村人たちも、トールに直接依頼するようになった。
「トールさん、鍬を一つお願いできますか」
「わかりました」
トールが依頼を受ける。バルグリムは黙ってそれを見ていた。
「成長したな」
バルグリムは呟いた。
四年前、吹雪の中で倒れていた少年が、今や立派な鍛冶師になっている。
「バルグリムさん」
トールが声をかけてきた。
「何だ」
「俺、そろそろ一人でやっていけると思います」
バルグリムは手を止めた。
「...何を言っている」
「いえ、バルグリムさんに迷惑をかけ続けるわけにはいかないと思って」
「迷惑などかかっていない」
「でも...」
「いいか、トール」
バルグリムが真剣な顔をする。
「お前は、ここにいろ」
「でも、俺はもう一人前で...」
「一人前だからこそ、ここにいろ」
バルグリムが言う。
「俺は...お前が必要だ」
トールが驚く。
「バルグリムさん...」
「一人は、寂しい」
バルグリムが小さく言った。
「お前がいなくなったら、俺はまた一人になる」
「...わかりました」
トールが頷く。
「ここにいます」
バルグリムは安堵した。
「...すまん。わがままを言った」
「いえ」
トールが笑う。
「俺も、ここにいたいです」
二人は再び仕事に戻った。
その日の夕方、坑道に訪問者があった。
王国の使者だった。
「バルグリム・鉄髭殿」
「何の用だ」
「王の命により、参上した」
使者が巻物を差し出す。
「これは?」
「王都への招待状だ」
バルグリムは巻物を開いた。
『バルグリム・鉄髭殿へ。王国を救った功績を称え、王都にて式典を執り行う。ついては、ご出席願いたい』
「...断る」
バルグリムは巻物を返した。
「しかし、王の命令です」
「俺は王国の臣下ではない」
「だが...」
「帰れ」
バルグリムが冷たく言う。
使者は困惑したが、最終的には去っていった。
「バルグリムさん、いいんですか」
トールが心配そうに尋ねる。
「いい」
「でも、王の命令を...」
「俺は誰にも縛られん」
バルグリムが言う。
「それが、俺の生き方だ」
トールは何も言わなかった。
だが三日後、再び訪問者があった。
今度は王国の将軍、グンナル・金剛石だった。
「バルグリム」
グンナルが低い声で言う。
「久しいな」
「...グンナル」
バルグリムは驚きを隠せなかった。
グンナルは、50年前の竜害を共に戦った仲間だった。
「お前、まだ生きていたのか」
「生きている」
グンナルが苦笑する。
「お前もな」
「...何の用だ」
「王の使いだ」
グンナルが真剣な顔をする。
「だが、それだけじゃない」
「何だ」
「お前に、話がある」
バルグリムは少し考えて、グンナルを坑道に招き入れた。
「トール、席を外してくれ」
「はい」
トールが奥へ引っ込む。
二人きりになった。
「で、何の話だ」
「50年前のことだ」
グンナルが言う。
「竜害のことか」
「ああ」
「...何を今更」
「お前、あの時何を見た」
グンナルが尋ねる。
「竜が死ぬ前、何か言っていなかったか」
バルグリムは黙った。
「...言っていた」
「何と」
「『復讐をするな』と」
バルグリムが答える。
「竜は、自分の子供に伝えてくれと言った」
グンナルが驚く。
「復讐をするな...?」
「ああ」
「なぜだ」
「竜は、王国の宝を守っていただけだった」
バルグリムが説明する。
「だが、裏切り者が宝を盗もうとした」
「竜は、それを阻止しようとして...戦うことになった」
「裏切り者...誰だ」
「...王家の者だ」
バルグリムが小さく言った。
グンナルは絶句した。
「それは...」
「だから、俺は王都へ行かない」
バルグリムが言う。
「王家とは、関わりたくない」
「だが、それでは...」
「真実を隠し続けることになる、か」
バルグリムが言う。
「そうだ。でも、それでいい」
「なぜだ」
「真実を明かせば、王国が揺らぐ」
バルグリムが言う。
「それは望まない」
グンナルは長い沈黙の後、頷いた。
「...わかった」
「王には、何と言う」
「お前が固辞したと伝える」
グンナルが言う。
「それでいいか」
「ああ」
グンナルは立ち上がった。
「バルグリム」
「何だ」
「お前、幸せそうだな」
「...何を言っている」
「いや、見ればわかる」
グンナルが微笑む。
「あの子、お前の弟子か」
「...そうだ」
「いい弟子を持ったな」
「...ああ」
バルグリムが認める。
「俺は、もう一人じゃない」
グンナルは満足そうに頷いた。
「そうか。なら、よかった」
「では、また」
グンナルが去っていった。
バルグリムは一人、炉の前に座った。
「...王家か」
50年前の記憶が蘇る。
あの時、竜を倒したのは自分たち七人兄弟だった。
だが、竜は死ぬ前に真実を語った。
王家の者が宝を盗もうとした。竜はそれを阻止しようとした。だが、王は竜を討伐しようとした。
竜は戦うしかなかった。
そして、死んだ。
「...俺たちは、利用されたのか」
バルグリムは拳を握った。
だが、今更怒っても意味がない。
兄弟たちは戻ってこない。
「...忘れよう」
バルグリムは呟いた。
「過去は、過去だ」
その夜、トールが尋ねてきた。
「バルグリムさん、さっきの人は?」
「...古い知り合いだ」
「そうですか」
トールが炉の前に座る。
「バルグリムさん」
「何だ」
「俺、バルグリムさんのこと、ほとんど知りません」
「...そうか」
「教えてくれませんか」
「何を」
「バルグリムさんの過去を」
バルグリムは黙った。
長い沈黙の後、口を開いた。
「...俺には、七人の兄弟がいた」
「七人...」
「ああ。鍛冶一族だった」
バルグリムが語り始める。
「長兄グリムニル。次兄ソリン。三兄バーリン。四兄ドワーリン。五兄オーリ。六兄ノーリ。七兄オーイン」
「そして、末弟の俺」
「みんな、鍛冶師だったのか」
「ああ。最高の鍛冶師たちだった」
バルグリムが続ける。
「だが、50年前、竜害があった」
「竜が王国を襲ったんだ」
「俺たち兄弟は、竜を倒すために剣を作った」
「だが、完成する前に...戦いが始まった」
「兄たちは、俺を守るために戦った」
「そして、全員死んだ」
トールが息を呑んだ。
「俺だけが、生き残った」
バルグリムが小さく言った。
「なぜ、俺だけが...」
「ずっと、わからなかった」
「それ以来、俺は仲間を持たぬと決めた」
「失うくらいなら、最初から持たぬ方がいいと思った」
「...」
「だが、お前が来た」
バルグリムがトールを見る。
「お前は、俺に仲間を思い出させた」
「俺は...」
「いいんだ」
バルグリムが言う。
「お前のおかげで、俺は変わった」
「もう、一人じゃない」
トールが涙を流した。
「バルグリムさん...」
「泣くな」
「すみません」
トールが涙を拭う。
「俺、バルグリムさんを守ります」
「...そうか」
バルグリムが微笑む。
「頼もしいな」
二人は炉の火を見つめた。
静かな夜だった。
春が来た。
雪が溶け、新しい季節が始まる。
バルグリムとトールは、いつものように仕事をしていた。
だが、その日の午後、坑道に複数の人影が現れた。
村人たちだった。
「バルグリムさん、トールさん」
村長が先頭に立っている。
「どうした」
「頼みがあるんだ」
村長が真剣な顔をする。
「村に、鍛冶場を作りたい」
「鍛冶場...?」
「ああ。トールさんに、そこで働いてもらえないかと思って」
バルグリムは驚いた。
「トールに...?」
「ああ。トールさんの腕は、もう誰もが認めている」
村長が言う。
「村に鍛冶師がいれば、みんな助かる」
トールが困惑している。
「でも、俺は...」
「トール」
バルグリムが言う。
「お前の意志はどうだ」
「俺は...」
トールが悩む。
「ここにいたいです」
「だが、村の人たちは困っている」
バルグリムが言う。
「お前なら、助けられる」
「でも、バルグリムさんと離れたくないです」
「離れるわけじゃない」
バルグリムが微笑む。
「村は近い。いつでも会える」
トールは少し考えて、頷いた。
「...わかりました」
「やるのか」
「はい」
トールが決意する。
「村で、鍛冶師として働きます」
村長が喜んだ。
「ありがとう、トール」
「ただし」
トールが条件を出す。
「週に一度は、バルグリムさんのところへ来ます」
「もちろんだ」
村長が頷く。
こうして、トールは村の鍛冶師となった。
一週間後、村に鍛冶場ができた。
小さいが、必要な設備は揃っている。
「立派だな」
バルグリムが鍛冶場を見て言う。
「はい」
トールが嬉しそうに答える。
「バルグリムさんに教わったこと、全部活かします」
「ああ」
バルグリムが頷く。
「お前なら、できる」
トールは村で働き始めた。
最初は簡単な修理から。だが、すぐに新しい道具の注文が来るようになった。
トールは丁寧に、一つ一つ作っていく。
失敗作は溶かしてやり直す。バルグリムから学んだ掟だ。
村人たちは、トールの仕事を高く評価した。
「トールさんの道具は、素晴らしい」
「一生使えそうだ」
トールは、バルグリムに教わったことを思い出していた。
鉄は生きている。
火は語りかけてくる。
打つ音は心音に似ている。
全てが、今に活きている。
トールは約束通り、週に一度バルグリムを訪ねた。
「バルグリムさん、これ見てください」
トールが作った鎌を見せる。
「...いい出来だ」
バルグリムが認める。
「だが、ここをもう少し改善できる」
「どこですか」
「刃の角度だ。もう少し鋭角にしろ」
「わかりました」
トールが真剣にメモを取る。
二人は、鍛冶の技術について語り合った。
まるで、師匠と弟子ではなく、対等な職人同士のように。
「トール」
「はい」
「お前、もう俺から学ぶことはない」
「そんなことないです」
「いや、ある」
バルグリムが言う。
「お前は、もう一人前以上だ」
「でも...」
「だが、それでも来い」
バルグリムが微笑む。
「お前がいないと、寂しい」
トールが嬉しそうに笑った。
「はい。必ず来ます」
二年が経った。
トールは村で立派な鍛冶師として認められていた。
そして、ある日、トールは重大な報告を持ってきた。
「バルグリムさん」
「何だ」
「俺、結婚します」
バルグリムは鎚を落としそうになった。
「...結婚?」
「はい」
トールが嬉しそうに言う。
「村の娘と」
「そうか...」
バルグリムは複雑な気持ちだった。
嬉しい。だが、同時に寂しい。
「お前、幸せになれよ」
「はい」
「で、いつだ」
「来月です」
「わかった。祝儀を用意する」
「いえ、それより」
トールが言う。
「バルグリムさんに、来てほしいです」
「...俺が?」
「はい」
トールが頭を下げる。
「お願いします」
バルグリムは少し考えて、頷いた。
「...わかった。行く」
結婚式の日。
村は祝祭に包まれていた。
バルグリムは、人混みの中で居心地悪そうにしていた。
「バルグリムさん」
トールが花嫁を連れてきた。
「彼女が、俺の妻になる人です」
「...よろしく」
バルグリムが挨拶する。
「こちらこそ」
花嫁が微笑む。
「トールから、いつも聞いています」
「バルグリムさんのこと」
「...そうか」
式は滞りなく進んだ。
トールと花嫁が誓いの言葉を交わす。
バルグリムは、その様子を遠くから見ていた。
「...幸せそうだな」
バルグリムは呟いた。
「トール、お前は幸せになれ」
「俺の分まで」
式が終わった後、トールがバルグリムのところへ来た。
「バルグリムさん、ありがとうございました」
「...何を」
「全てです」
トールが深く頭を下げる。
「俺を拾ってくれて、鍛冶を教えてくれて、家族みたいに接してくれて」
「...家族か」
バルグリムが小さく笑う。
「そうだな。お前は、俺の家族だ」
トールが涙を流した。
「ありがとうございます」
「泣くな」
バルグリムが言う。
「今日は、お前の晴れの日だ」
「はい」
トールが涙を拭う。
バルグリムは、その場を後にした。
一人、坑道へ戻る。
「...兄弟たちよ」
バルグリムは呟いた。
「俺は、家族を得た」
「お前たちが生きていたら、きっと祝ってくれただろうな」
炉の火が、大きく揺れた。
まるで、答えるように。
バルグリムは微笑んだ。
「ありがとう」
その夜、バルグリムは一人で黒麦酒を飲んだ。
だが、寂しくはなかった。
トールは、新しい人生を歩み始めた。
そして、バルグリムも新しい人生を歩んでいる。
一人だが、孤独ではない。
仲間がいる。家族がいる。
それで十分だった。
「俺は剣にならん」
バルグリムは呟いた。
「だが、誰かの剣を折れぬよう支える鉄にはなれる」
「それが、俺の生き方だ」
バルグリムは酒を飲み干し、炉の火を見つめた。
静かな夜だった。
だが、心は穏やかだった。




