叙事詩 1章
雪が降っていた。
山岳王国の北端、半ば放棄された坑道の入口に、冬の吹雪が容赦なく叩きつけている。
坑道の奥。炉の火が赤々と燃えていた。
バルグリム・通称鉄髭は炉の前に立ち黙々と鉄を打つ。
167歳。ドワーフの基準では壮年。身長135センチ、腰まで届く灰銀色の髭、右目の上には古い戦傷が刻まれている。誰にも縛られぬ鍛冶師として、この坑道で十年以上を過ごしてきた。
『カン、カン、カン』
規則正しい鎚の音が坑道に反響する。打っているのは鍬だ。近隣の村から依頼されたもので、報酬は銅貨数枚に過ぎない。だがバルグリムにとって、報酬の額は問題ではなかった。
武器は命を奪う。道具は命を繋ぐ。
それが彼の信条だった。だから武器はほとんど打たない。壊れぬ道具、折れぬ農具、一生物の工具。人々の暮らしを支えるものだけを作る。ただし、誓いを交わした相手のためなら剣も打つ。それもまた、彼の掟だった。
鉄が適温になる。バルグリムは鎚を振り上げ、正確に打ち下ろす。火花が散り、鉄が形を変えていく。
鉄は生きている。
バルグリムはそう信じていた。火は語りかけてくる。打つ音は心音に似ている。ドワーフにとって鍛冶は宗教に近い。いや、バルグリムにとってはそれ以上だった。鍛冶は生きる理由そのものだ。
かつて七人兄弟の鍛冶一族だった。だが戦と竜害で一族は散った。生き残ったのはバルグリムただ一人。それ以来、彼は仲間を持たぬと決めている。失うくらいなら、最初から持たぬ方がいい。
日が暮れた。バルグリムは炉の火を落とし、樽から黒麦酒を注いだ。濃い、苦い酒。一日三杯までと決めている。酔っても騒がない。酒は忘れるためではなく、思い出すために飲むのだ。
「グリムニル」
バルグリムは小さく呟いた。
「ソリン、バーリン、ドワーリン、オーリ、ノーリ、オーイン」
七人兄弟の名だ。長兄グリムニルから末弟オーインまで、全員が50年前の竜害で死んだ。バルグリムだけが生き残った。なぜ自分が生き残ったのか、今でもわからない。
炉の残り火を見つめながら、バルグリムは二杯目を飲んだ。静かな夜。吹雪の音が遠くで聞こえるだけだ。
その時、坑道の入口で何かが動く音がした。
バルグリムは即座に戦斧を手に取る。片手斧、重量二キロ弱。戦闘用に鍛えたものだ。彼は普段は職人だが、戦えば強い。片手戦斧を扱い、重心の低い突進で敵を圧倒する。短時間で爆発的な力を出すドワーフの戦闘スタイルだ。
だが戦いは嫌い。怒ると静かになる。それがバルグリムの性質だった。
「誰だ」
低い声で問う。答えはない。だが足音が近づいてくる。複数。五人、いや六人か。
影が炉の明かりに照らされる。人間。若い男が四人、年老いた男が一人、そして少年が一人。全員がぼろを纏い、疲弊している。
「すまない」
年老いた男が言った。
「吹雪で道に迷った。一晩、ここで休ませてもらえないだろうか」
バルグリムは戦斧を下ろさない。
「ここは俺の家だ。勝手に入るな」
「頼む」
老人が膝をついた。
「子供が凍え死にそうなんだ」
バルグリムは少年を見た。10歳くらいだろうか。震えている。唇が青い。
舌打ちをして、バルグリムは戦斧を置いた。
「入れ。だが炉には近づくな。急に温まると体に悪い」
「ありがとう」
老人が深く頭を下げる。一行は坑道の奥に入ってきた。バルグリムは毛布を投げ渡し、麦茶を温めた。
「これを飲め。ゆっくりだ」
少年が震える手で器を受け取る。一口飲んで、ほっとした顔をした。
「ありがとう、おじさん」
「バルグリムだ。おじさんじゃない」
「バルグリム...さん」
少年が訂正する。バルグリムは興味なさそうに頷き、自分の酒を飲んだ。
「お前たち、どこから来た」
「南の村だ」
老人が答える。
「トールヴィクという小さな村だが、知っているか」
「いや」
「そうか...」
老人が溜息をつく。
「村が焼かれたんだ」
バルグリムの手が止まった。
「焼かれた?」
「ああ。盗賊団に」
若い男の一人が悔しそうに言う。
「俺たちは何もできなかった。逃げるのが精一杯だった」
「盗賊団...この辺りにそんな連中がいたか」
「最近現れたんだ」
老人が説明する。
「リーダーは『黒狼』と名乗っている。元は王国の兵士だったと聞くが」
「脱走兵か」
「おそらく」
バルグリムは黙った。王国の問題だ。自分には関係ない。
「お前たち、これからどうする」
「わからない」
老人が正直に答える。
「村は焼かれ、家族も失った。行く当てもない」
「東に大きな町がある。そこへ行け」
「そうするつもりだが...」
老人が少年を見る。
「この子が持たんかもしれん」
少年は既に眠っていた。疲労と寒さで限界だったのだろう。
「一晩休んだら出ていけ」
バルグリムは冷たく言った。
「わかっている。世話になる」
夜が更けた。一行は毛布にくるまって眠っている。バルグリムは炉の前で三杯目の酒を飲んだ。
子供や弱者にだけは異様に優しい。それもバルグリムの性質だった。だが深入りはしない。関わりを持てば、失う可能性がある。
「関わるな」
バルグリムは自分に言い聞かせた。
「お前はもう、誰も守れない」
翌朝、吹雪は止んでいた。
一行は出発の準備をしている。老人がバルグリムに近づいてきた。
「世話になった。礼を言う」
「いい。さっさと行け」
「一つ、頼みがある」
老人が真剣な顔をする。
「この子を、預かってもらえないか」
バルグリムは眉をひそめた。
「断る」
「頼む」
老人が頭を下げる。
「この子は俺の孫だ。だが、俺たちと一緒では長くない」
「知らん」
「バルグリム殿、あんたはいい人だ」
「違う」
「いや、わかる」
老人が言う。
「昨夜、この子を見る目が優しかった」
「気のせいだ」
「頼む」
老人が深々と頭を下げる。
「この子だけは、助けてやってくれ」
バルグリムは黙っていた。長い沈黙の後、舌打ちをした。
「...一時的だ。町まで連れて行ったら、お前に返す」
「それで構わん」
老人が安堵する。
「ありがとう」
こうして、少年はバルグリムの坑道に残ることになった。名はトールという。
老人たちが去った後、バルグリムとトールは二人きりになった。
気まずい沈黙が流れる。バルグリムは口数が少ない。トールも怯えているのか、何も言わない。
「...腹は減っていないか」
バルグリムがようやく口を開いた。
「はい」
「黒パンがある。食え」
硬い黒パンを渡す。トールは遠慮がちに受け取り、少しずつかじった。
バルグリムは炉に火を入れた。今日も仕事だ。鍬はまだ完成していない。
カン、カン、カン。
鎚の音が響く。トールは隅に座って、その様子を見ていた。
「...すごい」
トールが小さく呟いた。
「何がだ」
「鉄が、形を変えていく」
「当たり前だ。鍛冶とはそういうものだ」
「鍛冶...かっこいい」
バルグリムは手を止めた。かっこいい、と言われたのは久しぶりだった。
「かっこよくない。ただの仕事だ」
「でも、すごいです」
トールが目を輝かせる。
「俺も、やってみたい」
「無理だ。お前は子供だ」
「子供でもできますか」
「...いずれはな」
バルグリムは鉄を再び火に入れた。
「だが今は無理だ。力がない」
「じゃあ、何ができますか」
「火の番だ」
バルグリムが炉を指差す。
「火が弱まったら薪を足せ。強すぎたら調整しろ」
「わかりました」
トールが炉の前に座る。真剣な顔で火を見つめていた。
バルグリムは少し驚いた。普通の子供なら、すぐに飽きる。だがトールは集中している。
「火は生きている」
バルグリムが言った。
「何ですか」
「火は生きているんだ。だから、大事にしろ」
「...生きてる」
トールが不思議そうに火を見た。
「鍛冶師にとって、火は仲間だ。感謝しろ」
「はい」
トールが小さく頷く。バルグリムは鉄を打ち始めた。
その日、二人はほとんど会話をしなかった。だが奇妙な連帯感があった。トールは真面目に火の番をし、バルグリムは黙々と鉄を打つ。
夕方、鍬が完成した。
「見てみろ」
バルグリムが鍬を見せる。
「すごい...」
トールが感嘆する。
「これ、売るんですか」
「ああ」
「いくらですか」
「銅貨五枚だ」
「安い...」
「十分だ」
バルグリムが言う。
「俺は金のために鍛冶をしているわけじゃない」
「じゃあ、何のために」
「...わからん」
バルグリムは正直に答えた。
「ただ、打ちたいから打っている」
トールは不思議そうにバルグリムを見ていた。
その夜、バルグリムは黒麦酒を飲んだ。トールには麦茶を与える。
「寝ろ。明日は町へ行く」
「はい」
トールが毛布にくるまる。すぐに寝息が聞こえてきた。
バルグリムは炉の火を見つめた。
「ドワーリン」
末弟の名を呟く。
「お前も、あんな年だったな」
50年前、ドワーリンは100歳だった。ドワーフとしてはまだ子供だ。元気で、好奇心旺盛で、いつもバルグリムにくっついていた。
だが竜害で死んだ。
「...関わるな」
バルグリムは自分に言い聞かせた。
「また失う」
翌日、バルグリムとトールは町へ向かった。
雪の中を歩く。トールは黙ってついてくる。文句を言わない。
「疲れていないか」
「大丈夫です」
「嘘をつくな。顔に出ている」
「...少し」
「なら休め」
バルグリムが立ち止まる。トールは岩に座り、息を整えた。
「バルグリムさん」
「何だ」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
「でも...」
「いらんと言っている」
バルグリムが遮る。トールは黙った。
しばらくして、再び歩き始める。だが一時間後、トールが倒れた。
「おい」
バルグリムが駆け寄る。トールは意識がある。だが熱がある。
「...くそ」
バルグリムはトールを背負った。軽い。栄養が足りていない。
「すみません...」
「黙っていろ」
バルグリムは黙々と歩いた。重いが、我慢できる。
だが問題があった。町まではまだ遠い。トールの熱は上がっている。このままでは危ない。
「...仕方ない」
バルグリムは引き返した。坑道へ。
坑道に戻ると、バルグリムはトールを寝かせた。濡れた布で額を冷やし、薬草を煎じて飲ませる。
「すみません...」
「謝るな。お前のせいじゃない」
トールは苦しそうに息をしている。熱は下がらない。
バルグリムは一晩中、トールの看病をした。薬を与え、額を冷やし、体を拭く。
三日後、トールの熱はようやく下がった。
「...良かった」
バルグリムは安堵した。それから自分が何を考えているのか気づいて、首を振った。
関わるな。
だが、もう遅い。関わってしまった。
トールが目を覚ました。
「バルグリムさん...」
「起きたか」
「ずっと、看病してくれたんですか」
「...ああ」
「ありがとうございます」
バルグリムは何も言わなかった。ただ麦茶を渡した。
「飲め」
トールは麦茶を飲んだ。美味しそうに。
「バルグリムさん」
「何だ」
「俺、ここにいてもいいですか」
バルグリムは黙った。
「じいちゃんは、俺を預けて行きました」
「それは...」
「だから、ここにいたいです」
トールが真剣な顔をする。
「鍛冶を、教えてください」
バルグリムは長い沈黙の後、溜息をついた。
「...お前、覚悟はあるか」
「あります」
「鍛冶は厳しいぞ」
「大丈夫です」
「失敗したら、何度でもやり直させる」
「頑張ります」
バルグリムは頷いた。
「わかった。だが条件がある」
「何ですか」
「俺の言うことを聞け。文句を言うな。弱音を吐くな」
「はい」
「それと」
バルグリムが真剣な顔をする。
「俺を師匠とは呼ぶな。名前で呼べ」
「...なぜですか」
「師弟関係を結ぶつもりはない」
バルグリムが言う。
「お前はただ、ここで鍛冶を学ぶだけだ」
「わかりました」
トールが頷く。
「バルグリム」
「...さんをつけろ」
「バルグリムさん」
「よし」
こうして、トールはバルグリムの坑道で暮らし始めた。
最初の一週間は基礎だけだった。
火の起こし方、薪の選び方、炉の温度管理。トールは真面目に学んだ。
「火が弱い。薪を足せ」
「はい」
「違う。そっちじゃない」
「すみません」
「謝るな。覚えろ」
バルグリムは厳しかった。だが理不尽ではない。必ず理由を説明する。
「なぜこの薪を使うかわかるか」
「...わかりません」
「この木は燃焼温度が高い。鉄を溶かすのに向いている」
「なるほど」
「覚えろ。木の種類で温度が変わる」
トールは一つ一つ吸収していった。
二週間目、ようやく鎚を握らせた。
「まず、釘を打つ」
「釘...」
「ああ。簡単そうに見えるが、難しいぞ」
バルグリムが実演する。小さな鉄片を火に入れ、真っ赤になったところで取り出す。金床に置き、鎚で打つ。
カン、カン、カン。
数回の打撃で、綺麗な釘ができた。
「やってみろ」
トールが鉄片を受け取る。火に入れ、取り出す。だがタイミングが早い。
「まだだ。もっと赤くなるまで待て」
「はい」
再び火に入れる。今度は逆に遅い。
「遅い。冷めてしまう」
「すみません」
「謝るな。やり直せ」
三回目、ようやく適温になった。だが今度は打ち方が悪い。鎚が斜めに当たり、鉄が曲がる。
「下手くそだ」
「すみません」
「謝るな。やり直せ」
トールは何度も失敗した。だが諦めなかった。
十回目、ようやく釘らしきものができた。
「...及第点だ」
バルグリムが認める。
「本当ですか」
「ああ。だがまだまだだ。もっと練習しろ」
「はい」
トールが嬉しそうに笑う。バルグリムは少し驚いた。こんな些細なことで喜ぶのか。
「バルグリムさん」
「何だ」
「鍛冶、楽しいです」
「...そうか」
バルグリムは何も言わなかった。だが心の中では、少しだけ嬉しかった。
一ヶ月が経った。
トールは釘を完璧に打てるようになっていた。次は簡単な工具だ。
「今日はこれを作る」
バルグリムが小さな金槌を見せる。
「金槌...」
「ああ。釘を打つための道具だ」
「難しそうです」
「難しい。だが、できるはずだ」
バルグリムが鉄を渡す。
「まず、形を考えろ」
「形...」
「金槌はどんな形をしている」
トールが金槌を観察する。
「頭が平らで、柄がついています」
「そうだ。では、どう作る」
「...頭を作って、柄の穴を開けて...」
「正解だ。やってみろ」
トールが鉄を火に入れる。真っ赤になったところで取り出し、打ち始める。
カン、カン、カン。
音は不規則だ。バルグリムのように一定ではない。
「リズムを揃えろ」
「はい」
トールが意識する。少しずつ、音が揃ってくる。
「いい。そのままだ」
一時間後、金槌の頭ができた。粗いが、形にはなっている。
「次は穴だ」
「どうやって開けるんですか」
「鏨を使う」
バルグリムが鏨を見せる。
「これで穴を開ける。だが、正確にな」
トールが鏨を受け取る。頭に当て、鎚で打つ。
だが力が足りない。穴が開かない。
「力を込めろ」
「はい」
トールが全力で打つ。今度は強すぎて、鏨が深く入りすぎた。
「力の加減を覚えろ」
「はい」
何度も失敗しながら、ようやく穴が開いた。
「できました」
「まだだ。柄をつけろ」
木の柄を削り、穴に差し込む。
「完成だ」
トールが金槌を見せる。
バルグリムは受け取り、検分した。
「...合格だ」
「本当ですか」
「ああ。お前が作った最初の道具だ。大事にしろ」
トールが金槌を抱きしめた。
「ありがとうございます、バルグリムさん」
「礼はいらん」
だがバルグリムは、トールの喜ぶ顔を見て、悪い気はしなかった。
その夜、バルグリムは黒麦酒を飲んだ。
「ドワーリン」
末弟の名を呟く。
「お前が生きていたら、こんな感じだったかもしれんな」
炉の火が揺れた。
「だが、お前は死んだ」
「トールも、いずれは去る」
「だから、深入りするな」
バルグリムは自分に言い聞かせた。
だが、心のどこかで知っていた。
もう遅い、と。
三ヶ月が経った。
トールは簡単な道具を作れるようになっていた。釘、金槌、小刀、鎌。
「バルグリムさん、これ見てください」
トールが鎌を見せる。
バルグリムは受け取り、刃を確認した。
「...刃が甘い」
「え」
「もっと研げ」
「はい」
トールが砥石で刃を研ぐ。
「力を込めすぎるな。一定の力で」
「はい」
研ぎ終わった刃を見せる。
「...良くなった。だがまだだ」
「まだですか」
「ああ。完璧になるまでやれ」
トールが再び研ぎ始める。バルグリムは黙って見ていた。
失敗作は絶対に売らない。溶かしてやり直す。それがバルグリムの掟だった。そしてそれをトールにも教えている。
「鉄は裏切らん」
バルグリムが言った。
「裏切るのは鍛え手だ」
「...わかりました」
トールが真剣な顔で研ぐ。
一時間後、完璧な刃ができた。
「これで、どうですか」
「...合格だ」
バルグリムが認める。
「よくやった」
トールが安堵する。
「ありがとうございます」
「いいか、トール」
バルグリムが言う。
「鍛冶は妥協してはいけない」
「はい」
「完璧を目指せ。常に」
「はい」
「それがお前の、いや、全ての鍛冶師の誇りだ」
トールが頷いた。
その日の夕方、村から客が来た。
「バルグリムさん、鍬をお願いしたい」
「わかった」
バルグリムが答える。
「いつまでに」
「一週間後でいいか」
「問題ない」
客が去った後、トールが尋ねた。
「バルグリムさん、俺も手伝っていいですか」
「...いいだろう」
「本当ですか」
「ああ。だが、お前の作った部分が悪ければ、全てやり直させる」
「わかりました」
トールが張り切る。
バルグリムとトール、二人で鍬を作り始めた。
バルグリムが刃を打ち、トールが柄を作る。
一週間後、鍬は完成した。
客が受け取りに来る。
「立派な鍬だ」
「礼を言う」
客が銅貨を置いていく。
「バルグリムさん」
トールが嬉しそうに言う。
「俺たちが作ったんですね」
「ああ」
「嬉しいです」
バルグリムは何も言わなかった。だが、心の中では同じことを思っていた。
二人で作る。
それは、かつて兄弟たちとやっていたことだ。
「...ドワーリン」
バルグリムは小さく呟いた。
「お前も、こうやって喜んでいたな」
半年が経った。
トールは一人前とは言えないが、簡単な道具なら作れるようになっていた。
ある日、バルグリムは村へ買い出しに行くことにした。
「トール、留守番を頼む」
「はい」
「炉の火は落とすな。弱火で保て」
「わかりました」
「何かあったら、村に知らせろ」
「はい」
バルグリムは村へ向かった。
だが、その日の夜、トールは大きな失敗をした。
炉の火が強くなりすぎたのだ。温度が上がり、炉の一部が損傷した。
「まずい...」
トールは慌てて火を弱めようとした。だが遅かった。炉の壁が崩れ始める。
「どうしよう...」
トールは必死に水をかけた。火は消えたが、炉は壊れた。
バルグリムが戻ってきたのは、夜遅くだった。
「ただいま...」
そこで炉の惨状を見て、固まった。
「...何があった」
「すみません」
トールが震えながら答える。
「火が強くなりすぎて...」
バルグリムは炉を見た。壁が崩れ、使えない状態だ。修理には時間がかかる。
「...トール」
「はい」
「お前、何をした」
「火を、強くしすぎました」
「なぜだ」
「わかりません...気づいたら...」
バルグリムは怒りを覚えた。だが怒ると静かになる。
「トール」
低い声で言う。
「出ていけ」
「え...」
「お前は、ここにいる資格がない」
「バルグリムさん、すみません」
「謝っても、炉は直らん」
バルグリムが冷たく言う。
「出ていけ」
トールは涙を流した。
「お願いします。もう一度だけ...」
「いらん。出ていけ」
トールは何も言えなかった。荷物をまとめ、坑道を出ていった。
一人残されたバルグリム。
炉を見つめる。
「...くそ」
バルグリムは舌打ちした。
怒りは、トールに向けられたものではなかった。
自分に向けられたものだ。
「やはり、関わるべきではなかった」
バルグリムは呟いた。
「失うだけだ」
三日間、バルグリムは一人で炉を修理した。
黙々と石を積み、土を塗り、補強する。
だが心は晴れなかった。
「あの子、どこへ行ったのか」
バルグリムは考えないようにした。
「関係ない。俺には関係ない」
だが、やはり気になる。
「...くそ」
バルグリムは修理を中断し、外に出た。
トールを探す。
村に行き、聞き込みをした。
「10歳くらいの人間の子供を見なかったか」
「ああ、見た」
村人が答える。
「東へ向かっていった」
「東...」
「ああ。一人で、何も持たずに」
バルグリムは焦った。東は荒野だ。子供一人では生き延びられない。
「...何をやっている」
バルグリムは自分に呆れた。
「追いかけるのか。あの子を」
だが、体は既に動いていた。
東へ。
トールを見つけたのは、翌日の昼だった。
荒野の中、岩の陰で倒れていた。
「トール」
バルグリムが駆け寄る。
トールは意識がある。だが衰弱している。
「バルグリム...さん...」
「馬鹿が。何をやっている」
「すみません...」
「謝るな」
バルグリムがトールを抱き上げる。
「帰るぞ」
「でも...炉を...」
「いい。炉は直せる」
バルグリムが言う。
「だが、お前は代わりがきかん」
トールが驚く。
「...本当ですか」
「ああ」
バルグリムは正直に言った。
「お前は、俺にとって大事だ」
「バルグリムさん...」
「だから、二度と出ていくな」
「はい」
トールが涙を流した。
バルグリムはトールを背負い、坑道へ戻った。
坑道に戻ると、バルグリムはトールに食事を与えた。
「食え」
「はい」
トールが黒パンを食べる。
「バルグリムさん」
「何だ」
「本当に、いいんですか」
「何がだ」
「俺、炉を壊しました」
「知っている」
「それなのに...」
「トール」
バルグリムが言う。
「失敗は誰にでもある」
「でも...」
「大事なのは、失敗から学ぶことだ」
バルグリムが続ける。
「お前は、なぜ失敗したか」
「火を、見ていませんでした」
「そうだ。火を見ていなかった」
「すみません」
「謝るな。覚えろ」
バルグリムが言う。
「火は生きている。常に見ていろ」
「はい」
「それを忘れなければ、お前は成長する」
トールが頷いた。
「わかりました」
その夜、バルグリムは黒麦酒を飲んだ。
「グリムニル、ソリン、バーリン、ドワーリン、オーリ、ノーリ、オーイン」
兄弟たちの名を呟く。
「お前たちが生きていたら、何と言うだろうな」
炉の火が揺れる。
「俺は、仲間を持たぬと決めていた」
「だが、トールは...」
バルグリムは言葉を探した。
「仲間、なのか」
答えは出なかった。
だが、一つだけわかっていることがある。
トールを失いたくない。
それだけは確かだった。
一年が経った。
トールは大きく成長していた。体も技術も。
ある日、バルグリムは大きな仕事を受けた。
「剣を打ってほしい」
依頼主は王国の騎士だった。
「断る」
バルグリムは即座に拒否した。
「俺は武器を打たん」
「だが、これは特別だ」
騎士が言う。
「竜が現れた」
バルグリムの手が止まった。
「...竜だと」
「ああ。北の山に」
「それで、剣が必要なのか」
「そうだ」
騎士が頭を下げる。
「頼む。お前の剣なら、竜を倒せる」
バルグリムは黙っていた。
竜。
50年前、兄弟たちを殺した存在だ。
「...わかった」
バルグリムが答える。
「ただし、条件がある」
「何だ」
「誓いを交わせ」
「誓い...?」
「ああ」
バルグリムが言う。
「この剣を、必ず竜を倒すために使うと」
「誓う」
騎士が即答する。
「わかった。剣を打つ」
バルグリムが立ち上がる。
「だが、時間がかかる」
「構わん」
「一ヶ月だ」
「待つ」
騎士が去った後、トールが尋ねた。
「バルグリムさん、本当に剣を打つんですか」
「ああ」
「でも、武器は打たないって...」
「誓いを交わした」
バルグリムが答える。
「だから、打つ」
「...わかりました」
トールが頷く。
「手伝います」
「いや」
バルグリムが首を振る。
「これは俺一人でやる」
「なぜですか」
「...兄弟たちとの約束だからだ」
バルグリムが小さく言った。
トールは何も聞かなかった。
バルグリムは坑道の奥へ向かった。
そこには、厳重に封印された扉がある。
「...久しぶりだな」
バルグリムは扉を開けた。
中には、大きな布に包まれた何かがある。
布を取ると、巨大な剣があった。
未完成だ。刃は研がれておらず、柄もついていない。
「兄弟たちが作りかけた剣」
バルグリムが呟く。
「50年前、竜を倒すために」
「だが、完成する前に...」
バルグリムは剣に手を触れた。
「グリムニル、ソリン、バーリン、ドワーリン、オーリ、ノーリ、オーイン」
「今から、お前たちの剣を完成させる」
「見ていてくれ」
バルグリムは剣を炉に運んだ。
そして、一ヶ月間、黙々と打ち続けた。
カン、カン、カン。
鎚の音が坑道に響く。
トールは炉の火を守り、バルグリムは剣を打つ。
一打ごとに、兄弟たちの顔を思い浮かべる。
「グリムニル、お前の設計通りに打っている」
「ソリン、お前が選んだ鉄は最高だ」
「バーリン、火加減は完璧だ」
「ドワーリン、オーリ、ノーリ、オーイン」
「お前たちの力を借りている」
一ヶ月後、剣は完成した。
巨大な両手剣。刃は鋭く、柄は堅牢。
「...見事だ」
トールが感嘆する。
バルグリムは剣を見つめた。
「兄弟たちよ」
「やっと、完成させた」
涙が、灰銀色の髭に伝った。
翌日、騎士が剣を受け取りに来た。
「これは...」
騎士が剣を見て、息を呑む。
「見事だ」
「持っていけ」
バルグリムが言う。
「そして、竜を倒せ」
「必ず」
騎士が深く頭を下げる。
「ありがとう、バルグリム・鉄髭」
騎士は剣を持って去っていった。
トールが尋ねた。
「バルグリムさん、あの剣、すごかったです」
「...ああ」
「また、作るんですか」
「いや」
バルグリムが首を振る。
「もう作らん」
「なぜですか」
「役目を果たしたからだ」
バルグリムが答える。
「あれは、兄弟たちの遺志だった」
「それを果たした」
「だから、もう十分だ」
トールは何も言わなかった。ただ、バルグリムの横に座った。
二人は炉の火を見つめる。
「トール」
「はい」
「お前は、これからどうする」
「...わかりません」
「ここにずっといるつもりか」
「いたいです」
トールが答える。
「バルグリムさんと一緒にいたいです」
バルグリムは黙った。
「...そうか」
「だめですか」
「いや」
バルグリムが言う。
「いてもいい」
「本当ですか」
「ああ。お前は、俺にとって...」
バルグリムは言葉を探した。
「大事な存在だ」
トールが笑顔になった。
「ありがとうございます」
その夜、バルグリムは黒麦酒を飲んだ。
「兄弟たちよ」
「俺は、仲間を持たぬと決めていた」
「だが、今は違う」
「トールは、俺の仲間だ」
炉の火が大きく揺れた。
まるで、祝福するように。
バルグリムは微笑んだ。
50年ぶりの、心からの笑顔だった。
「俺は剣にならん」
「だが、誰かの剣を折れぬよう支える鉄にはなれる」
「それが、俺の生き方だ」
バルグリムは酒を飲み干した。
新しい人生が、始まろうとしていた。




