Price: 入場料 —— 虚空へのピクニックと3分間の奇跡
王都アヴァロンの上空。
私たちを乗せた緑竜グリは、巨大な亀の甲羅のような背中に風を受け、悠々と雲海を泳いでいた。
眼下に見える王都が、豆粒のように小さくなっていく。
聖教会の追っ手たちは、地団駄を踏んで見上げることしかできないだろう。
「……やってしまった。もう後戻りはできない」
グリの背中の上で、近衛騎士団長レオが頭を抱えていた。
彼の胃薬の消費スピードが、マッハで加速している。
「私は王女殿下を誘拐し、国教である教会に剣を向け、あまつさえ伝説のドラゴンに乗って逃亡……。完全に国家反逆罪だ。処刑台どころか、歴史書から名前を消されるレベルだ……」
「大袈裟ねぇ、レオ。ただの長期休暇よ」
私は風に吹かれながら、笑い飛ばした。
「それに、歴史書なんて誰かが勝手に書いた『都合のいいログ』でしょ? 気に入らないなら、自分で書き直せばいいじゃない」
「貴殿のその『横浜思想』は、私の心臓に悪すぎる……!」
レオが呻く横で、当の「誘拐された」はずのエリス王女は、全く別のことを気にしていた。
「あかね様。景色などどうでもよろしいのです。それより、重要な問題がありますわ」
エリスは真剣な眼差しで、私に詰め寄った。
「……お腹が、空きました」
彼女の瞳には、国を追われた悲壮感など微塵もない。あるのは、次なる「未知の味」への貪欲な渇望だけだ。
私の足元では、0(ゼロ)もコクコクと頷いている。
「……あかね。エネルギー……低下。補給を……要求」
やれやれ。私のパーティは、どいつもこいつも食いしん坊ばかりだ。
私はため息をつきつつ、グリの背中にある平らなスペース――通称「展望デッキ」に腰を下ろした。
「わかったわよ。ちょうどいい場所だし、ここでランチにしましょうか」
「ランチ! 素晴らしい響きですわ! で、本日のメニューは?」
期待に目を輝かせる王女と、不安そうに見つめる騎士、そして無表情なバグ少年。
私はジャージのポケット(四次元収納化している気がする)から、とっておきの「切り札」を取り出した。
白地に青い文字。誰もが知る、あの円筒形の容器。
「ジャーン! 『カップヌードル・シーフード味』!」
「……カップ……ヌードル?」
レオが怪訝な顔をする。
「なんだその、安っぽい紙の器は。まさか、これを王女殿下に供するというのか?」
「安っぽい? ハッ、笑わせないでよ。これはね、日本の科学技術と執念が詰まった『魔法の保存食』なのよ。お湯さえあれば、どこでも極上のスープが飲めるんだから」
私はエリスの魔法で沸かしてもらったお湯を、それぞれの容器の線まで注いだ。
そして、蓋についているシールでしっかりと密閉する。
「いい? ここからが重要よ。これから『3分間』待つの」
「3分……?」
「そう。1秒でも早くてもダメ。遅くてもダメ。この3分間という『待つ時間』こそが、最高のスパイスになるの」
私は腕時計を見ながら、カウントダウンを始めた。
草原の上を飛ぶドラゴンの背中。風の音だけが響く静寂の中、私たちはじっと紙の蓋を見つめ続けた。
「……人間はね、待つことができる生き物なの」
私は静かに語りかけた。
「動物は目の前の餌に飛びつくけど、人間は『あとで美味しくなる』と信じて、今を我慢できる。この『3分待つ』っていう行為の中に、未来への期待が詰まってるのよ」
「未来への……期待……」
0(ゼロ)が、私の言葉を反芻するように呟く。
「はい、3分経過! オープン!」
私が合図と共に蓋をめくる。
その瞬間、湯気と共に立ち上ったのは、異世界には存在しないはずの、濃厚な魚介とポークの香りだった。
「……っ!」
エリスが目を見開く。レオが鼻をヒクつかせる。
「さあ、食べてみて」
全員がプラスチックのフォークで麺をすする。ズルズル、という音が青空に響く。
「……なん、ですのこれは……!」
エリスが震えた。
「麺は頼りないほど柔らかいのに、スープの滋味が……海の恵みが、凝縮されていますわ! 特にこの、謎の白いサイコロのような具材……噛むと旨味が染み出して……!」
「……うまい。悔しいが、うまいぞ……!」
レオが涙目になりながらスープを飲み干す。
「王宮のシェフが三日三晩かけて作るブイヨンよりも、なぜこの3分で作った汁の方が美味いのだ……! 私の騎士としての味覚が、化学調味料に侵略されていく……!」
どうやら、王宮騎士団長のプライドは日清食品に完全敗北したようだ。
そして、0は。
彼は無言で麺をすすり続け、最後に容器の底に残った小さなエビを大切そうに口に入れた。
「……おいしい」
ぽつりと、0が言った。
「……あったかい。……これが、未来の味?」
その左目――ノイズの走っていた瞳から、一瞬だけバグが消え、澄んだ光が宿ったように見えた。
「そうよ。美味しいでしょ? 生きてれば、またこれが食える。それが未来よ」
私は0の頭をクシャクシャと撫でた。
***
腹ごしらえを終え、旅は続く。
目指すは、遥か彼方に聳え立つ「アヴァロン・ゲート」――世界樹の塔だ。
けれど、塔に近づくにつれて、周囲の景色に異変が起き始めていた。
最初は気のせいかと思った。だが、明らかに「おかしい」。
『主よ、空の色を見てください。解像度が落ちていますぞ』
肩の上のシロが、低い声で警告する。
見上げると、青空の一部がモザイクのように粗くなっていた。雲の輪郭が滑らかではなく、カクカクとしたポリゴンのように歪んでいる。
眼下の草原もそうだ。風に揺れる草の動きが、一定のパターンを繰り返しているだけに見える。まるで、容量を節約するためにコピペされた背景のように。
「……手抜き工事だね」
私はカレトヴルフを握りしめた。
「この世界は『箱庭』だ。中心である王都周辺は細かく作られているけど、人が滅多に来ない辺境は、データが作られていない。レンダリングされてない領域ってわけか」
エリスが不安そうに周囲を見渡す。
「あかね様、なんだか……世界が薄っぺらく感じます。まるで、書き割りの舞台セットの中にいるような……」
「安心して。舞台がニセモノでも、私たちがここにいる『実感(実存)』だけは本物よ」
やがて、グリが高度を下げる。
目の前には、天を突く白い巨塔が立ちはだかっていた。
そして、その塔の麓には、物理的な門ではなく、空間そのものを拒絶するような、透明で巨大な「壁」がそそり立っていた。
それは城壁なんて生易しいものじゃない。
この世界の「終わり」を示す、システム上の境界線だ。
腰に下げたおじさんのノートが、激しく点滅を始めた。
『――警告。これより先、管理者権限領域。
入場料(Price)を支払え。ただし、金貨は無効だ』
赤い文字が、私の網膜に焼き付く。
レオが剣を抜き、エリスが杖を構えるが、その壁からは「絶対に誰も通さない」という冷徹な意志を感じる。
「……入場料、ねぇ」
私はニヤリと笑って、グリから飛び降りた。
一文無しの村人Cに、支払えるものなんて一つしかない。
「上等じゃない。0円の私が、タダでこじ開けてやるわよ」
風が凪いだ。
虚空へのピクニックは終わり。ここからは、神様の領域への「不法侵入」の時間だ。
お読みいただきありがとうございます。
王都を脱出した一行の旅路。
カップヌードルの「3分間」に込められた希望と、次第にバグり始める世界の風景。
美味しい日常と、背筋の凍るような「作り物」の世界の対比を描いてみました。
そして辿り着いた、世界の果てにある「壁」。
次回、第10話。
『Price: 特異点 —— 箱庭の壁と10の間』
物理も魔法も通じない絶対拒絶の壁に、あかねの「村人C(虚無)」というステータスが鍵となって突き刺さります。
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