Price: インフレ —— 記憶への投資と、泥まみれの守護者
ギルドを出た私の手には、ずっしりと重い金貨の袋が握られていた。
エンドレスウルフの魔石を換金した、あぶく銭。普通なら、ここで身の丈に合った剣を買い、頑丈な防具を揃えるのが、この世界の『正解』なのだろう。
けれど、私の肩に乗ったシロが、鼻を鳴らして言った。
『主よ、その金属の塊をどうされますか? ただ持っているだけでは、それはただの重りですぞ』
「わかってる。おじさんのノートにも書いてあったもん。『金は天下の回りもの。自分の器に留めた金は、ただのデータの停滞だ』ってね」
私は、後ろをついてくる子供たちを振り返った。
彼らはまだ、自分たちが拾った「石ころ」がこれほどの金貨に化けた実感が湧かないようで、所在なげに指をくわえている。
「みんな、お待たせ! 今日はアヴァロン始まって以来の、大収穫祭だよ!」
その夜、アヴァロンの目抜き通りにある全ての屋台が、私の金貨によって「貸し切り」となった。
見たこともない巨大な鳥の丸焼き。スパイスの効いた煮込み料理。山盛りの果物。
私は金貨を惜しみなくばら撒き、孤児院の子供たちだけでなく、通りかかったひもじそうな人々も、みんな巻き込んで宴を始めた。
「お姉ちゃん、本当にいいの? こんなに食べちゃって」
昼間、私に石ころをくれた少年が、口の周りをソースだらけにして聞いてくる。
「いいの。あんたがくれた石ころの『価値』は、私が決めたんだから。……ねえ、美味しい?」
「うん! 人生で一番おいしい!」
「なら、よし。その『美味しい』って気持ちは、誰にも奪えないあんただけの財産になる。それが、本当の投資よ」
私はビール……の代わりに、この世界特有の甘酸っぱい果実水を煽った。
金貨は次々と消えていく。けれど、街のあちこちで上がる笑い声と、子供たちの輝く瞳。
数字という名の「所有」が、笑顔という名の「実存」に変換されていく。この心地よさこそが、私の求める『Price』だった。
***
翌朝。
案の定、私の財布は空っぽになった。宿代を払ったら、落ちてきたのは数枚の銅貨だけ。
「あはは。本当に使い切っちゃった」
『清々しいほどの無計画ですな。宿代もありませんぞ』
シロが呆れたようにため息をつく。だが、その時。腰に下げた「黒いノート」が、意志を持つかのように熱を帯び、淡い光を放った。
(……またこれか。今度はどこへ行けって?)
ページをめくると、殴り書きのようなおじさんの文字が浮かび上がる。
『――地下に眠る、忘れ去られたゴミ(データ)の中にこそ、この街の真の資産がある』
(ゴミが資産? おじさん、ついにボケたの? ……でも、まあいいわ。一文無しは身軽だしね)
私は導かれるまま、ギルドで「地下水路の清掃」という、誰もやりたがらない汚れ仕事を引き受けた。行方不明率百パーセント。街の汚水と残留思念が混ざり合い、不定形の魔物を生み出しているゴミ捨て場だ。
***
アヴァロンの地下。そこは冷たく湿った闇の世界だった。
下水の臭いよりも、空間そのものが腐敗しているような不快感が鼻を突く。
『主よ、足元に注意を。この泥、ただの泥ではありません。データが剥離し、行き場を失ったノイズの塊ですな』
シロが警戒を強める。暗闇の奥で、ドロリ……と巨大なヘドロの塊――アンデッド・スライムが蠢いた。
物理攻撃が通じないノイズの権化。私はノートを開いた。だが、さっきまで光っていた文字は消え、ノートは冷たく沈黙を守っている。
(……だんまり? 肝心な時にこれだ。……でも)
私は、おじさんがかつてコーヒーを啜りながら言っていた言葉を思い出した。
『道は進もうと思えばそこにやってくるものだよ、あかねちゃん。人がうまくいかないのは状況もあるけれど、ただ自分が進もうとしていないだけなんだ』
(……進もうとしてない、か。耳が痛いねぇ)
私はノートを信じ、カレトヴルフを杖代わりにして、ドロドロの泥の中へ一歩を踏み出した。
すると、私の意志に呼応するように、肩の上のシロがパッと白い光を放ち、周囲を照らし出す。
『主よ。道はやってきましたぞ。……ただし、あまり歓迎したくない形ですがな』
照らし出された先には、ヘドロに飲み込まれながらも、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめる銀髪の子供がいた。
「助け……て……。こいつ……この街の『嘘』を……全部食べてる……」
その声を聞いた瞬間、私の迷いは消えた。
ノートが黙っているのは、おじさんの解説なんていらないくらい、目の前の答えが「直球」だからだ。
「わかったわよ。待ってなさい、今デバッグしてあげるから!」
私は泥の中に手を突っ込み、その子――「0(ゼロ)」を強引に引き抜いた。
名前も、性別も、職業すら不明。けれど、その背中には歪な「翼」の跡があった。
「あんた、名前は?」
「……名前、なんて……ない。私は……『0』と呼ばれていた」
「そう。じゃあ、今日からあんたは私の『第1号』ね」
泥まみれの「資産」を抱え、地上へ戻る。
ギルドのロビーで泥だらけのまま大の字に寝転がっていると、不意に、周囲の空気が凍りついた。
ガチャリ、という重々しい鎧の音。
現れたのは、美形だが胃を痛そうに押さえた近衛騎士団長、レオだった。
「アカネ・ヤマダ。第三王女エリス殿下より、直々の『招待状』だ」
泥だらけの私の手に握らされた、血のように赤い封蝋。
地下のドブさらいから、王宮の晩餐会へ。
私の『Price』のインフレは、どうやら私の予想を遥かに超えるスピードで加速し始めたらしい。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます。
金貨をすべて「笑顔」という名の記憶に変え、一文無しになったあかね。
しかし、そんな彼女が地下で見つけたのは、名前すらない「0(ゼロ)」という名の希望でした。
おじさんのノートは、ただの解説役ではありません。あかねを導き、時に突き放し、いつか彼女を守る「五匹目の龍」となるかもしれない守護者。
泥まみれの英雄と、招待状を手に胃を痛める騎士団長。
次回、第6話。
『Price: ドレスコード —— 処刑台のシンデレラ』
豪華なドレスという名の「檻」に閉じ込められた王女エリス。
あかねの「うまい棒」が、王宮の常識を再びハックします!
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