Price: 0円 —— 空っぽの特権
「……これ、クーリングオフできるのかな」
私の呟きは、誰にも届かなかった。
いや、正確には届いていたけれど、意味が通じていなかった。
『あるじよ、クーリングオフとは、新たな契約の儀式でしょうか?』
一番巨大な白いドラゴンが、宝石のような瞳を瞬かせて聞いてくる。
その声は耳ではなく、直接脳内に響いてくる不思議な感覚だ。
「違うわよ。契約破棄。返品。私はただの女子高生で、勇者じゃないし」
『いいえ、貴方様こそが主です』
「なんで言い切れるのよ」
私は剣を地面に突き刺し(驚くほどサクッと刺さった)、彼らを睨みつけた。
「私には魔力なんてないし、剣術も知らない。偏差値だって平均だし、特別な才能なんて何一つない空っぽな人間よ。人違いじゃない?」
そう言った瞬間。
四匹のドラゴンが、互いに顔を見合わせ(爬虫類に表情があるのか怪しいけれど)、嬉しそうに喉を鳴らしたのだ。
『左様。だからこそ、でございます』
は?
私が首を傾げると、白竜が長い首を下げ、私の目の高さに合わせて言った。
『先代の王たち、そしてこの地を訪れた多くの英雄たちは、皆「何か」で満たされておりました。己の野心、正義、あるいは悲しみや苦悩……。「我こそは」という強烈な自我が、器を埋め尽くしておりました』
白竜の瞳に、私のマヌケな顔が映っている。
『器が満たされていれば、新しい水は入りませぬ。我ら「竜」という強大な概念を受け入れるには、彼らはあまりに「人間」として完成されすぎていたのです』
ドラゴンは、鼻先で私をツンと突いた。
『ですが、主よ。貴方様は空っぽだ』
「……褒めてるの、それ?」
『最大の賛辞です。貴方様は「自分」に固執していない。だからこそ、この世界の理が、抵抗なく流れ込んでくる。我らは、貴方様を通して天の意志を聞くのです』
わかるような、わからないような。
要するに、「バカだから使いやすい」ってこと?
少しムッとしたその時、突き刺した剣の柄にある青い宝石が、ピコンと軽い電子音を立てた。
空中にホログラムが展開される。
そこに映し出されたのは、見慣れたおじさんの文字だった。
【あかねちゃんへ。到着おめでとう】
「おじさん……!」
【そこは『アヴァロン』。かつてアーサー王が理想を求めて挫折した場所だ。
彼は立派すぎたんだね。自分の悩みや責任感でパンクしちゃった。
だから次は、君の出番だ】
画面が切り替わり、ふざけた手書きのイラストが表示される。
『Step 1:空を見上げよう』という文字と共に。
【近代人はすぐに「自分探し」をして内面ばかり見るけれど、そこにはゴミしか落ちていないよ。
上を見なさい。星空と、外から来る風を感じなさい。
君が何もしなくても、世界の方から君を動かしてくれる。それが『聖霊(OS)』のインストールだ。
あ、ちなみにその剣、翻訳機能付きだから】
メッセージはそこで途切れ、最後に追伸があった。
【P.S. 1000円の領収書は経費で落ちないので、自腹でお願いします】
「……あの、クソおやじ」
私は脱力し、その場にへたり込んだ。
けれど、不思議と悪い気分ではなかった。
自分の中に何もないなら、悩む必要もない。ただ、この風と、目の前のドラゴンたちを受け入れればいい。
「わかったわよ」
私は剣を抜き、再び空へ掲げた。
今度は、迷いなく。
「案内して。この空っぽの世界を、どうやって楽しめばいいのか」
風が吹き抜ける。
私の意思に応え、白竜が翼を広げた。
『では、参りましょうか。世界の「底」へ』
「あ、ちょっと待って」
私はポケットの中の1000円札(北里柴三郎)を握りしめた。
よく考えたら、私はタクシー代も持っていない。
「乗せてくれるのはいいけど、運賃とか必要? 私、日本円で1000円しか持ってないんだけど」
『不要です』
白竜は短く答え、私を背中に乗せて舞い上がった。
『我らは長きにわたり、英雄たちの「重い自我」を背負うことに疲れておりました。貴方様のような「重さゼロ(0円)」の主を乗せることは、我らにとっても休息なのです』
「……私の価値、ゼロってこと?」
『いいえ。何色にも染まっていない、プライスレスな価値でございます』
うまいこと言うトカゲだ。
私は苦笑いしながら、眼下に広がる世界を見下ろした。
圧倒的な緑の大地。そして地平線の彼方には、とてつもないものが聳え立っていた。
それは「木」ではなかった。
遥か昔、文明が極まった時代に作られたであろう、白亜の塔。
しかし、今は完全に石化し、あちこちが崩れ、巨大な植物の根のように大地に食い込んでいる。
『あれが世界の中心、「世界樹」の成れの果てです』
白竜の説明によると、あの塔の上空には「反転の湖」と呼ばれる鏡の海があり、そこにかつての理想郷が封じられているらしい。
今の私にはまだ関係のない、遠い世界の話だ。
それよりも気になったのは、眼下に見える豆粒のような街並みと、そこから立ち上る不穏な黒煙だった。
この世界は、ゲームじゃない。
空に浮かぶ理想郷より、あの泥臭い地面の方が、今の私にはよっぽどリアルで、手触りのある場所に思えた。
「ねえ、降りてみてもいい? まずは根を下ろしてみたいの」
『御意のままに』
白竜が翼を折りたたむ。
急降下。
風の音が轟音に変わり、私の「初めての異世界介入」が幕を開けた。
地上に降り立つと、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図……とまではいかないけれど、まあまあの修羅場だった。
街道を塞ぐように倒された大木。横転した豪奢な馬車。 それを囲むのは、薄汚れた革鎧をまとった三十人ほどの武装集団。いわゆる盗賊たちだ。 対して、襲われているのは商人風の一団。護衛の傭兵たちはすでに地面に伏し、残るは怯える使用人や女性たちだけ。
「へっへっへ、コルネリウス商会だか何だか知らねぇが、ここを通るなら通行料を置いてきな!」
下卑た笑い声を上げる盗賊の親玉。 ……うん、テンプレだ。 あまりにも教科書通りの「悪役」すぎて、おじさんのマニュアルに『第1章:盗賊退治』って書いてないか確認したくなる。
ズドン!!
私は遠慮なく、白竜を彼らのど真ん中に着陸させた。 舞い上がる砂煙と衝撃波で、盗賊たちの半数が吹き飛び、残りの半数が尻餅をつく。
「な、なんだぁ!?」「ド、ドラゴン……!? 馬鹿な、なんでこんな辺境に!」
砂煙が晴れると、盗賊たちは一斉に後ずさりした。しかし、親玉らしき男だけは、震える手で剣を構え直した。
「お、おい見ろ! 乗ってるのはただの小娘だぞ!」「……え?」「ドラゴン使いか何か知らねぇが、ガキ一人なら人質にすれば……やっちまえ!」
男たちが色めき立つ。 なるほど、この世界の盗賊は意外とたくましい。というか、私がナメられているだけか。 制服のスカートを払い、私は黄金の剣を杖のように地面に突いた。
「はぁ……」
私は深いため息をついた。 これから「交渉」をするのが面倒くさい。できれば穏便に済ませたかったけれど、向こうがその気なら仕方ない。
「散れ」
大声を出したわけじゃない。 ただ、教室で騒ぐ男子に「うるさい」と言うくらいの、普通のトーンだ。
けれど、その言葉は「引き金」だった。 私の意思に呼応し、背後の四匹のドラゴンが一斉に「ギロリ」と男たちを睨みつけたのだ。
物理的な暴力ではない。 圧倒的な「格」の差による、精神的圧力(王権)。
「ひ、ひぃぃぃぃ!」「ご、ごめんなさいぃぃぃ!」
親玉の剣がカランと落ちる。 あとは早かった。彼らは武器もプライドも放り投げ、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。 誰も私に指一本触れられなかった。いや、食物連鎖の頂点を前にして、動けるはずもない。
「……ふぅ。怪我はないですか?」
私は振り返り、腰を抜かしている商人たちに声をかけた。 が、彼らもまた、私(の後ろの怪獣たち)を見てガタガタと震えている。
(しまった。これじゃ盗賊よりタチが悪い)
「あー、ごめんなさい。ちょっと目立ちすぎますよね。……みんな、隠れられる?」
私が小声で尋ねると、ドラゴンたちは『御意』と頷いた。 赤、青、緑の三匹が光の粒子となって剣の宝石に吸い込まれ、残った白竜もポンッという音と共に、猫サイズの白いトカゲに変身して私の肩に乗った。
「キュー」「えっ……」
あまりの変わり身に、商人たちが目を白黒させている。 その中から、恰幅の良い身なりの良い中年男性が進み出てきた。
「お、恐れながら……貴女様は一体……?」「ただの通りすがりです。ちょっとペットの散歩中で」「ペ、ペット……」
男性は脂汗を拭いながらも、商魂たくましく居住まいを正した。
「いやはや、命拾いをいたしました。私はコルネリウス。王都に拠点を置く『コルネリウス商会』の会頭をしております」「へぇ、社長さんですか」「ええ。実はこの荷は、王国の『王女殿下』へ献上する特別な品でして……もし奪われていたらと思うとゾッとします」
王女殿下。 その単語が出た瞬間、商会の人々の顔つきが少し誇らしげになった。どうやら、王室御用達のエリート商会らしい。
「命の恩人に対し、金貨の一枚も出さないわけにはいきません! ご希望の額をおっしゃってください、言い値で払います!」
社長さんが鼻息荒く財布を取り出す。 私は困って頭をかいた。 私は1000円(紙切れ)で買われた身だ。そんな私が、人の命に値段をつけるなんて、なんだかおこがましい気がする。
「お金はいりません。その代わり、街までの『足』をください。それでチャラにしましょう」「そ、それだけで宜しいのですか……!?」「ええ。私、この辺りの地理に疎くて。乗せていってもらえれば十分です」
私の言葉に、コルネリウス氏は感涙したように何度も頷くと、後ろに控えていた一人の若い従者を呼んだ。
「おい、バーツ! お客様のために馬車の特等席を空けなさい。粗相のないようにな」「……はい、ただいま」
バーツと呼ばれた青年は、目立たない茶色の髪をした、いかにも真面目そうな使用人だった。 彼は私と、肩に乗った白いトカゲを一瞬だけじっと見つめ――すぐに愛想の良い笑みを浮かべて頭を下げた。
「どうぞこちらへ、お嬢様」
その視線に微かな違和感を覚えたけれど、私は気にせず馬車へと乗り込んだ。 こうして、私の異世界での最初の旅は、王室御用達の豪華な馬車から始まることになったのだ。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます。
なぜ、歴代の勇者たちは失敗し、普通の女子高生が選ばれたのか。
その理由は「能力値」ではなく「空き容量」でした。
自我でパンパンの英雄よりも、空っぽの少女の方が、天の意志(あるいはドラゴンの巨体)を受け入れる器としては優秀だったようです。
自分に価値がないと悩む必要はありません。
0円であることは、無限の可能性と同じ意味なのですから。
次回、『Price: 言い値 —— 商人の天秤』。
いよいよ地上へ降臨。
「お金ならいくらでも出します!」と言う商人に、あかねが提示した意外な「対価」とは?




