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(^^)(^○^)人 (°▽°)ノノの場合

次元の境界線を越え、新たな世界へと足を踏み入れた瞬間、私はかつてない「物理的圧迫」に襲われた。


通常、世界移動の術式は、転移先における空間密度を瞬時に解析し、最も抵抗の少ない地点——すなわち「何もない空間」を自動的に選別して着地するように厳密に定義されている。それは異世界を渡る者にとって、呼吸をするのと同じくらい初歩的で、かつ生命維持に直結する絶対的な規律だ。


しかし、今回ばかりはその「絶対」が裏切られた。

視界は皆無。四方を逃げ場のない重圧が締め付け、全身に湿り気を帯びたざらつく感触がまとわりつく。鼻腔を突くのは、生命の息吹とは無縁の、沈黙した物質の匂い。


(……埋まっているのか?)


私は思考を加速させた。状況は一刻を争う。肺の中の酸素は限られており、何よりこの異常な圧力が術式の展開を阻害しようとしている。私は混乱の渦中で最低限の演算を終え、数メートル先に感知した僅かな空間的歪み——そこには土の粒子が入り込めないほどの微小な「隙間」があった——を座標に固定し、再転移を敢行した。


現れた先は、かろうじて身体を丸めて伸ばせる程度の、歪な形の空洞だった。


だが、そこは安息の地ではなかった。


耐えがたいほど不快な匂いが充満していたのだ。それは、悠久の時をかけて有機物が分解されつくし、行き場を失ったガスが滞留しているかのような、腐敗と発酵の成れの果て。粘つく臭気は、肺に吸い込むたびに精神の輪郭を削り取っていくような破壊力を持っていた。


私は吐き気をこらえ、この忌々しい不快感を論理で塗りつぶすべく、即座に「世界探査」の多重術式を展開した。


この理不尽な状況に適応すること。それが旅を続ける者の唯一の武器だ。


世界の構造、物質分布、法則の強度、因果律の整合性、そして生命反応。


全方位へと放たれた魔術的な波紋が跳ね返り、私の脳内に一つの絶望的な、しかし極めて純粋な結論を形成した。


この世界は、始まりから終わりまで、ただ「土」で埋め尽くされていた。


空という概念はない。海という概念もない。地平線も、核も、マントルも、大気層もない。


そこにあるのは、永遠に、無尽蔵に、どこまでも均質に続く土の層だけだ。粒子の密度は場所によって微細に異なり、ある場所はふかふかと柔らかく、ある場所は粘土状に凝固して私の身体を押し潰そうとしていたが、そこに「岩石」という硬質な構造体は一切存在しなかった。当然、金属の脈動も、結晶化した鉱物の輝きも、何一つとして確認できない。


知的生命体の反応は、完全にゼロ。


土の隙間に、微生物に近い微小な波動を感知はしたが、それらも自立した生命というよりは、土そのものと同化し、物質の一部として漂っている不活性な存在だった。


私はこの調査結果に、もはや恐怖を通り越した、宗教的なまでの驚愕を覚えた。


驚くべきことに、この世界の物理法則そのものは、私がこれまで旅してきた多くの「まともな世界」とほぼ同一なのだ。重力は働き、時間は均一に刻まれ、空間の歪みも少ない。因果律の鎖もしっかりと繋がっている。


物理の土台は極めて安定している。それにもかかわらず、その上に積み上げられた「結果」が、ここまで極端に、そして不毛に偏っている事実。その異常な整合性が、私の理解を激しく拒んだ。


なぜ、岩石が生まれないのか。


これほどまでの堆積と圧縮が行われているのなら、熱が発生し、物質は変質し、硬化のプロセスを辿るのが「物理」の理ではないのか。

なぜ、気体はこれほどまでに毒々しく、停滞しているのか。


通常の生命が生まれる余地など、ミクロン単位の隙間すら存在しない。


文明の火が灯ることも、進化の歯車が回り出すことも、物語の幕が上がることも、この茶褐色の静寂の中では許されない。


それでも——この世界は、圧倒的な実存感を持って「成立」していた。


私は震える手で、目の前の土の壁に触れた。


指先から伝わる粒子の振る舞いを微細観測する。土は土でありながら、単なる無機物の集合体ではなかった。そこには、微弱ではあるが、途方もなく強固な「自己を維持し続けようとする指向性」が宿っている。


この世界において、土は背景ではない。土そのものが世界を支える基盤であり、唯一の主役であり、完成された生命体そのものなのだ。


そして、私はようやく理解した。


なぜ自分が、あろうことか「土の中に転移する」という素人同然のミスを犯したのかを。

私の術式は「空間内の密度が最も低い場所」を探した。この世界において、密度が最も低い場所とは、土と土の僅かな隙間に残留した、この不快なガスに満ちた空間なのだ。


しかし、この世界は「土そのものが空間として定義されている」ため、術式は結果として「最も空気の存在しない、密度が高い土の真っただ中」を、唯一の空隙として誤認したのである。


ここには、起承転結などという甘美な物語は存在しない。


ただ、ある。ただ、満ちている。それだけの世界。

私はどれほどの時間、その暗い土の空洞の中で静止していただろうか。


ここには、観測されるべき変化が何もなかった。風が吹くことはなく、水の流れが形を変えることもなく、何かが壊れて再構築される必要もない。あるのは、土が土であり続けるという、執拗なまでの、狂気じみた自己保存の意思だけだった。


私は自らの故郷を想う。


あの美しく、騒がしく、変化に満ちた、壊れやすい世界。私が帰還を誓い、次元を彷徨う理由となったあの場所。


多くの世界は、何らかの「偏り」から生まれる。ビッグバンなどによるエネルギーの集中、情報の不整合、観測者の発生、あるいは気まぐれな神の介入。だが、この世界には、その痕跡が欠片も見当たらない。


始まりを示す断層もなければ、外部からの干渉痕もない。


最初から、土だったのだ。


最初から、こうあるべき姿だったのだ。

私は試しに、ごく微量の魔術的干渉を試みた。

土の粒子配列を無理やり乱し、空間的な空洞を広げてみた。だが、その変化は数瞬のうちに、まるで見えないゴムが縮むかのように均され、元の密閉された沈黙へと戻っていった。


それは私への抵抗ではない。悪意に満ちた拒絶でもない。


ただ、「そうあるべき姿」への、あまりにも自然な帰還。


この世界は、変化を否定しているのではない。

「変化」という概念そのものを、必要としていないのだ。


ここでは時間すら、その意味を剥ぎ取られていた。

未来は昨日と同じであり、現在は永遠に現在として固定されている。因果は物理的に存在するが、結果が新しい価値を産まないため、意味を持たない。何かを成し遂げたとしても、それは世界の「物語」の一頁にすらならない。


私は悟った。


世界とは、本来、何かが起こるための舞台プラットフォームである必要はないのだと。

生命の誕生も、文明の興亡も、神々が織りなす神話も、あるいは悲劇的な終末すらも。それらは世界という存在にとって、後付けの、贅沢な「飾り」に過ぎないのだ。


多くの世界がそれらを欲しがるのは、それが世界の未熟さゆえの渇望なのかもしれない。


だが、この土の世界は、その「飾り」を一切排除してなお、完璧であった。


欠けているものは何もなく、付け足すべきものも何もない。


私は、この世界に長く留まることはできない。

この物理法則下で生き長らえることは可能だが、ここに居続けることは、私の思考と感情を摩耗させ、ついには消滅させるだろう。ここでは問いが生まれず、答えが育たない。


私という存在は、この完成された静寂にとって、永遠に排斥されるべき異物なのだ。


去る前に、私は最後の観測を行った。


この世界が、私の目指す故郷や、他の世界と繋がる


可能性を。


結果は、限りなくゼロに近い。


この世界は、物理的にも概念的にもほぼ閉じている。外部との接続を必要とせず、誰の干渉も招かない。


世界を渡る者にとって、ここは宇宙で最も静かで、


最も孤立した、絶対的な墓標。


だからこそ、私はこの世界を、魂の最も深い場所に記憶することにした。


無数の世界を渡り歩き、血の通った悲劇や輝かしい奇跡を見てきた私にとって、この「土だけの世界」は、何よりも異質で、何よりも教訓的だった。

「何も起こらない」という一点において、これ以上なく完成されていたのだから。


転移の術式を全出力で起動する直前、私はもう一度だけ、湿った土に触れた。


土は、何も語らない。


ただ、そこに在り続けている。

それで十分なのだと。世界とはただ在るだけで尊いのだと。


声なき声が、私の指先から心臓へと伝わってきた気がした。


私は、この物語のない世界を後にした。


物語を求め、変化を求め、意味を求めて止まない、あまりにも人間的な旅人として。


そして、次の世界に降り立った瞬間、私はまた性懲りもなく問うだろう。


世界とは何か。


存在とは、なぜ在るのか。


なぜ、私はここにいるのか。


答えが見つからずとも、絶望に打ちのめされようとも。


問い続ける限り、私はまだ「私」でいられる。

故郷への道標は、その問いの先にあるのだと信じて。


私は再び、次元の狭間へと身を投げた。


背後に残された土の静寂が、私の旅の喧騒を、ほんの一瞬だけ、優しく宥めてくれたような気がした。

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