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地球人 ダニエル・アンダーソンの場合

見切り発車に後悔

次元の皮膜を突き破り、幾度目か数えるのも止めた「世界移動」特有の、内臓を裏返されるような浮遊感が全身を包む。着地と同時に、私は習慣的に周囲の空間へと意識の触手を広げた。塵一つ、素粒子一つの挙動すらも見逃さぬよう、世界を探る解析術式を多重起動し、この場所を定義する物理的・魔術的法則を読み解いていく。


解析が進むにつれ、私の胸の奥で、久しく忘れていた稚気じみた好奇心が小さく疼き始めた。


この世界は、実に「出来すぎ」ていたのだ。


あらゆる生命体には、火、水、風といった属性が本能の如く宿り、さらに複雑怪奇な「固有能力スキル」が魂に刻まれている。それはかつて、私が地球という星で生きていたときに享受していた娯楽——アニメやマンガのテンプレートそのものだった。

しかも興味深いことに、これは上位存在である「神」が気まぐれに与えた不自然な付与などではない。世界の基底法則そのものが、そのような形をとって自律的に成立しているのだ。いわば、奇跡が日常として規格化された世界。私は禁じ得ない高揚を覚えた。


「これなら、少しは期待できるかもしれないな」

私の脳裏には、極彩色の光景が浮かぶ。派手な魔術の応酬によって地形が書き換えられ、天を焦がすような英雄たちのバトルが繰り広げられる様。あるいは、強大な能力をチェスの駒として使いこなし、裏切りと策略に満ちた高度な頭脳戦が文明を揺るがす様。そんな、整合性を置き去りにした物語のような混沌を求めて、私はより深く、この世界全土の動向を広域を探った。


そして、私はひどくがっかりした。


何も、起きていなかったのだ。


これほどの「暴力」の種を一人一人が抱えていながら、この世界の住人たちは驚くほど平穏に、かつ退屈に日々を浪費していた。


一撃で城壁を粉砕できるはずの膂力は、ただの耕作や重い石材の運搬に使われている。

鋼をも焼き切る火の属性は、家庭の竈を温め、スープを煮るために慎ましく使われている。

彼らは自らの「異常」を「日常」として受け入れ、隣人と手を取り合い、調和の中で生きていた。


「平和」


なんと反吐が出る言葉だろうか。それは可能性の圧殺であり、進化の停滞でしかない。


これなら、魔術兵器が空を埋め尽くして凄惨な殺し合いを続けるディストピアや、巨大な人型ロボットが銀河の星々を焼くありふれた戦乱の世界の方が、まだ私の知的な乾きを潤してくれた。


私は重い溜息をつき、思考の海に沈んだ。ふと、名案が閃いた。


「誰も何も起こさないというのなら、私がこの平原に種を蒔けばいいのではないか?」


だが、冷徹な論理を司るもう一人の自分が、その傲慢を即座に否定する。今の私の力は、この世界の住人から見れば神の領域にある。チェス盤の駒を自分の手で無理やり動かして勝敗を決めたところで、そこに何の知的な愉悦があるというのか。私が求めているのは、あくまで観測者としての驚きだ。


思考の末、私は一つの妥協点、あるいは「遊戯」に達した。


自分に適した世界へと繋がる通路が再び開くまでの、ほんの短い暇つぶし。あらゆる星々に、ささやかな「出来事の種」を蒔いて回るのだ。その種がどう芽吹き、どのような毒花を咲かせるのか。私という外部要因が去った後、彼ら自身の意志で「花開いた惨劇」だけを、時折、眺めることにしよう。

そう決めてから、私はいくつもの星を渡り、停滞した魂に毒を注入して回った。


ある星では、清廉潔白な生き様で知られ、現状の不条理に絶望しかけていた聖者に接触した。私は慈愛に満ちた「神」の仮面を被って彼に微笑みかけ、世界がいかに効率的に、そして美しく崩壊していくかという、論理的かつ完璧な滅びの道筋を提示した。


「救済とは、存在の抹消に他ならない」


私のささやきによって信仰が狂気の絶望へと反転し、彼がその聖なる手で「慈悲」という名の大量虐殺を始める光景を想像するのは、実に見事な知的実験だと思えた。


別の星では、泥にまみれて生きる一人の少女の前に降臨した。彼女の真っ直ぐで汚れなき瞳に「革命」という名の業火を灯すため、私は仰々しい神託と、一つの歪んだ真理を授けた。

「愛しき娘よ。今、世界は深い闇に包まれ、混沌が支配しています。人々は嘆き、正義は失われました。……どうか、あなたがこの世界をお救いになってはくれませんか?」


少女の瞳に、使命感という名の狂気が宿る。

私が求めたのは、単なる慈悲ではない。彼女に「世界を救う権利」という名の、無制限の暴力を肯定する免罪符を与えることだ。

救世のためならば、悪を討つための剣はいくら振るっても構わない。闇を払うためならば、異端者を火刑に処す炎もまた聖なる光となる。

彼女の純粋すぎる信仰心が、やがて「救済」という大義名分のもとにどれほど高く積み上げられた死体の山を築き、歴史のページを赤く染め抜くのか。それは最高の喜劇になるはずだった。


また別の場所では、内に煮え繰り返るような破壊衝動を秘めた男を見出し、彼に「洗脳」という固有能力の極致を与えてやった。彼が解き放つたった一言の言葉によって、昨日まで信頼し合っていた隣人たちが互いの喉笛を掻き切り、街が焼け、国が内側から腐り落ちていく。その連鎖反応が描くカオスは、きっと宇宙で最も美しい幾何学模様を描くだろう。

しかし、その数多の種の中でも、私の審美眼を最も強く惹きつけたのは、ある辺境の星で出会った「胎児」だった。


まだ母胎の中にいながら、その小さな生命は圧倒的な異物感を放っていた。この星の平均的な人類は、目が三つ、重なり合う口が二つ、腕が四本あるのが標準だ。だが、その子はそれらの基準を嘲笑うかのような異形中の異形だった。


胸元には開くことのない不吉な第四の目。腹部には絶えず空腹を訴えるような第三の口。腕は蜘蛛のように這う六本。そして何より特筆すべきは、その未発達な頭蓋の中に、完全に独立した二つの脳が脈動し、互いに高速で情報を同期させていることだった。


産み落とされた瞬間、産婆も親も、そのあまりの異様さに恐怖し、呪われた子として即座に殺そうとした。


「惜しいな。これを壊すのは、未完成の芸術品を捨てるに等しい」


私は赤子を「拾う」ことにした。

それから六年の月日をかけ、私は彼を育て上げた。といっても、そこに人間的な親愛や温もりを注いだわけではない。私は彼を、一つの「生ける演算装置」として、あるいは「災厄の器」として調律したのだ。


二つの脳へ直接、既存の術理を遙かに凌駕する異世界の魔術理論を刻み込み、効率的に他者を蹂躙し、生き残るための冷酷無比な知恵を流し込んだ。

彼が自分の力で、周囲のすべてを「獲物」として認識し始めた頃、私は未練なく彼を突き放し、星の荒野に捨てた。


仕上げとして、私はその星の数人に、ささやかな「干渉」を行って回った。


世界に対して純粋な好奇心を持つ一人の子供には、自らの脳を液状化させ、耳から他人の体内へ侵入して肉体を完全に乗っ取り、記憶を継承しながら永遠に生き続ける固有能力を与えた。


また、権力と金にまみれた強欲な男には、殺した相手からその固有能力を完全に奪い取り、自らのコレクションとする能力を授けた。


「さあ、踊れ。私の可愛い種たちよ」


それらが複雑に絡み合い、あの子を起点として、星全体が救いようのない混沌と進化の坩堝に包まれる未来をセッティングし、私は満足してその星を去った。


そうして、いくつもの世界で蒔いた「悪意の棚」が、私という要因を離れて自律的に成長していく姿を傍観していたときだ。

不意に、私の魂の深奥に刻まれた次元計器が、鋭い警告音を鳴り響かせた。


種たちが爛漫と咲き誇り、最高の悲劇を演じ始めるよりも早く、私自身の本質に完全に適合する「元の世界」との繋がりが確立されたのだ。


「……おや。もう繋がってしまったのか。意外に早かったな。あと少し、あの子が同胞たちを食らい尽くし、星を統一する末路を見ていたかったのだが」


私は、まるで映画のクライマックス直前で上映中止を告げられた観客のような気分で、今まさに血の花を咲かせようとしている星々を振り返り、小さくがっかりした。


だが、私にとっての最優先事項は、この漂流の果ての帰還だ。世界を渡れる千載一遇のチャンスを、一時の娯楽のために見送るほど、私は愚かではない。

私は未練を断ち切り、世界移動の術式を全出力で起動した。


背後で、私が蒔いた種たちが一斉に芽吹き、絶望と熱狂の叫び声を上げ始める。


聖者の慟哭、少女の革命の歌、男の洗脳の囁き、私の種を打ち倒した青年、そしてあの異形の子供が放つ捕食の咆哮。

その美しく歪んだ不協和音を、旅の終わりを祝う心地よい子守唄代わりに聞きながら、私は白光の渦へと消えていった。

私の本質を、私という個性を、正しく定義してくれる冷たくて懐かしいあの大地。

次は、そこでどんな「退屈しのぎ」を始めようか。

ダニエル・アンダーソンの口角は、暗黒の次元の中で、愉悦に吊り上がっていた。

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