第一章 皇太子の婚約破棄
帝国暦二八七年、春。
帝都ルミエールの宮廷は桃色の花びらが舞う中、華やかに彩られていた。
しかし、その美しさの裏側で一人の令嬢の運命が冷酷に切り刻まれようとしている。
「クレスティアナ・スカーレット・リィーフィ。貴女は聖女ターエリを陥れ、国家の安寧を脅かした罪により、皇太子の婚約者としての資格を剥奪する。罰として辺境伯ヒデリコ・マスダーレンのもとへ嫁ぎ、その生涯を捧げよ」
皇帝の声は、静かだが断固としていた。
宮廷の中央に立つクレスティアナは、膝を折られそうになる衝撃を必死に堪える。
なんで?
私は何もしていないのに。
彼女は前世の記憶を持つ転生者だった。
前世では恋愛ゲーム『聖女と皇太子の誓い』のプレイヤーとして、この世界を知っていた。
そして、そのゲームの「悪役令嬢」クレスティアナ・リィーフィは聖女を陥れ、皇太子を陥れ、最終的に処刑される運命のキャラクターだった。
でも私は違う。
前世の記憶を持って生まれ変わった今、私は悪役なんかにならない。
聖女ターエリとの接触を避け、皇太子とも関わらないようにして静かに過ごしていたはずだ。
なのに──なぜ私が罪人に?
「冤罪です……!」
クレスティアナが叫んだ瞬間、周囲の貴族たちの視線が嘲りに満ちたものに変わった。
「罪を認めずして何を言う。聖女様の髪を切り落とし、神殿に呪いの呪文を刻んだのは、他ならぬ貴女ではないか」
「証拠は? どこにありますか?」
「証人はいる。魔導鏡にも映っている。疑いようはない」
魔導鏡?
そんなもの改ざんできる。
でも、誰も聞こうとしない。
皇太子は顔を背け、聖女ターエリは怯えた顔で「許します」と言う。
偽善だ。
これは、誰かの陰謀。
皇太子の派閥がリィーフィ家を潰すための罠だ。
「辺境伯ヒデリコ・マスダーレンは、帝国の要。貴女が彼のもとで謙虚に生き、贖罪を果たすならば、命は助ける」
辺境伯?
マスダーレン?
その名に、クレスティアナの心がざわりと揺れた。
ゲームでは名前しか出なかったが、彼は30代後半で国家の中枢を支える天才官僚。
極度の童顔で背は低く、見た目がとても若く見えるらしい。
そして、クレスティアナとは年齢差十九歳。
「……まさかあの伯爵に、私が?」
彼女は決して「枯れ専」ではない。
ただ、歳上好きの彼女にとっては理想の相手かも知れないのだった。
こんな形で結ばれるなんて。
彼女の胸に屈辱と、わずかな期待が交錯した。