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ニュートン航法

「現高度、782キロメートル」

 持ち場であるブリッジのシートに戻り、クロードが高度計を読み上げる。


「了解。ニュートン航法、開始」

《こちら機関室、ニュートン航法モードに移行。オペレーションをブリッジへ移管》


 ローラの命令を受け、機関室のパブロからコントロール権限がブリッジにいるクロード側へと移る。


「重粒子変流加速器、出力75%へ。対自転スラスター、出力35%」


 加速器の動作を抑え、船をゆっくりと地球側へと『落として』いく。同時に船体後部にあるスラスターを稼働させ、水平方向へのベクトルを付加していく。このバランスが勝負の鍵。

 この、『落ちる速度』で船体を急加速させていくのだ。


 ……ちっ! 本来ならもっと攻めた角度で急加速させてやりたいところだがな。流石に今日は無茶はできんか。


 一気に落とせば落とすほど速度を上げることができるから、その分だけ貴重なスラスターの燃料を節約できる。言ってみればそれが操舵手(ヘルムズマン)としての腕の見せどころではあるのだが。


「『安全に』ね、クロード」

 その後姿に何かを察知したのか、ローラが釘を差してくる。


「ああ、分かってるよ。無茶はしねぇ」

 言われなくとも、今日は無理だ。第一、緊張していてチャレンジという選択肢が頭の中にない。


「現高度、752キロメートル」

 何しろ途轍も無い巨体なのだ。無重力装置の加護が薄くなれば、たちまちにして急速に落下を始める。


「現速度、マッハ19.3」

 大気のほとんどない宙域だから、空気抵抗というブレーキが働かず一気に速度が乗っていく。


「現速度、マッハ21.5。現高度、712キロメートル」

 

 ……ったく! 誰だよ「貨物船はお客に気を使わなくていいから楽だ」なんてヌかしたヤツは!

 

 『大人になったら宇宙で仕事がしたい』。そう考えて夜空を見上げる子どもは少なくあるまい。少年時代のクロードもその一人だった。

 ロケットによる超加速で大気圏外に出る、大昔のような『一握り』どころか『一摘み』の選ばれし人間だけが地球を外から見ることができた時代とは違うのだ。


 無重力航法が確立され実用化された今日、宇宙に行くのは海を行く普通の船に乗るのと大差はない。今や単に客としてならば誰でも宇宙に出ることができる。旅行期間は掛かるが火星の衛星デイモスには観光と開発を兼ねた前線施設が存在するし、月にも観光客を受け入れる施設が充実している。今や裕福な学校の修学旅行先として月世界が選択される時代なのだ。


「現速度、マッハ26.4。現高度、612キロメートル」

 スラスターの操作レバーを指にかける。


「垂直スラスター点火。出力6%。重粒子変流加速器、出力82%へ」

 そろそろ『投擲』のタイミングを慎重に図らなくてはならない。ズレが生じると、それを修正するためにそれだけ余分にスラスターの燃料が必要になるからだ。


 中学までは漠然としていた宇宙への想いは、高校に入ってから一気に強くなった。切っ掛けは、巨大な宇宙旅客船が悠々と空を昇っていく姿を見たことだった。『自分がやりたいのはこれだ』と、身体に衝撃が疾走った。

 閉塞感の漂う地球にいるより、だだっ広い宇宙に出たかった。もしも人生の価値が挑戦にあるのだとしたら、人類全体の挑戦に寄与したかった。


「現速度、マッハ30.4。現高度、556キロメートル」

 眼下に広がる地表が物凄い勢いで流れていく。


 明け暮れていた喧嘩稼業を卒業し、柄にもなく猛勉強してフェニックスが運営する宇宙専門大学に入学、必死に勉強とトレーニングを積んだ。『何としても宇宙に行きたい』その一心。それも宇宙船の操縦士になりたかった。

 思えば《《離婚》》した妻と出会ったのも、この頃だったか。

 

「現速度、マッハ33.5。第2宇宙速度を達成。現高度、485キロメートル」

 これでスラスターを使う必要はなくなった。この速度なら地球の重力を振り切れる。


「垂直スラスター停止。重粒子変流加速器、出力100%へ」

 地球を3/4周……。いよいよ『投擲』だ。


《重粒子変流加速器、出力90……95……98……100%》

 機関室から返ってくるパブロの声は冷静なままで、いつもと変わりない。それだけ機関の動作が安定しているという証拠だろう。


「本船は地球周回軌道を離脱。月への巡回航路(クルーズライン)に乗りました」


 メアリーの声にも安堵が漂う。何しろニュートン航法は一番の難所なのだから。これであとは、ひたすらに月をめがけて進むのみ。細かい操作はAIがやってくれるし、暫くは操舵手(ヘルムズマン)として大きな仕事はない。


「ご苦労さま、クロード」

 心なしか、ローラの声にも緊張感の抜けた色があった。


「やーれやれ。やっと終わったよ……ニュートン航法」

 クロードは人知れず小さくため息をつきながら件の貨物エリアへと向かっていた。


「今日はやけに疲れたぜ! ヘンに緊張するもんだから、船の挙動がアヤしくなっちまうし」


 いつもは如何に綺麗なラインを描けるかで自慢の腕を見せつけるところだが、今日ばかりは安全第一。平時であれば『安牌選びやがって』と馬鹿にするような航路と速度を選択するしかなかった。それがプライドに傷をつける。


「カグヤ様のお世話(アテンダント)はクロードに任せたから」

 最初の謁見が終わったあと、ローラは冷たくそう言い切った。


「おいおい! 止してくれよ。まさか女だとは思わなかったぜ。てっきり爺ィか何かだと」

 好色な爺ィだとでもいうのなら、若い女性であるメアリーに担当を任せるのは問題もあるかも知れない。だが、それとは全く逆なのだ。

 そして、クロードには『月世界の要人』について深いトラウマがある。


「今さら船長にいうのもアレだが、知ってンだろ? 『オレの話』を」


「ええ、当然」

 宇宙開拓史に残る大事件なのだ。貨物船の責任者という立場にあるローラも知らないはずがない。ただし……。


「7年前に起きた旅客船・ディスパイネ号でのスペースジャック事件……確か当時7歳だったっけ? 《《娘さん》》はお気の毒だったわね」

 

「まぁな……『あのとき』も、ディスパイネが狙われたのはゼグラス政府の要人がお忍びで乗船していたからだと、後から聞かされたよ」

 犯人グループは、月世界自由同盟の関係者だった。


「なのに、何でオレなんだ? 嫌味かよ! 『上』は何を考えてんだ、まったく。しかもあんな美人ときたもんだ」


「ふーん、美人なの?」

 突然、ローラが意外なことを言い始めた。


「私は、ずっと下を向いていたからカグヤ様の顔を直接に見ていないのよ。声の感じで女性っぽいなとは思ったけれど」

 淡々としている顔に嘘はないようだが。


「何だよ、そりゃ? ああ、美人だった。何処となくウチの船長様に似てたよ」

 

「……それはどうも。クロード、あなたは月世界……ゼグラスの現国家元首がどんな人か知っている?」

 ふと、ローラが話を変える。


「いや、知らねぇよ。つーかさ、そもそもゼグラスの国家元首は名前も顔も経歴も、基本的に全てが非公開じゃんか。知っているわけがねぇ」


 現代社会にとって月は人類が大宇宙に漕ぎ出して行くための重要な『出島』だ。人類居住に向けて開発の進む火星に金星やエンケラドスから資材を送り込むための一大拠点。更には月での鉱物採掘や観光客受け入れのための人員を含め、今やその総人口は10万人ほどにもなる。


 では、その統治をどうするのか。

 世界連合が出した結論が『衛星国家』として独立させることだった。月には月の法や常識があるはずだろうと。

 だが、迂闊に独立を認めれば地球社会と対立する道を選択する危険もある。そこで、そのトップたる国家元首の継承は『前任者が指名する』という形をとることになっている。そうすれば地球連合の息が掛かっている人間を永続的に据えておくことが可能になるから。


 が、しかし。

 月が独立国家となって約300年。地球による間接統治に不満を持つゼグラス人も少なくはない。テロの脅威はむしろ高まっているといって違いあるまい。

 そこで、狭い月社会において国家元首の安全と地球による統治の継続を維持するため、国家元首の正体は秘匿されているのだ。知られているのは、国民に語りかける声ぐらいのもので。


「でしょ? 誰も正体を知らない。ならば、『次期国家元首』だって《《それ》》は同じ。その正体を知っている人間はなるべく少ない方がいい」


「……だから顔を見ないようにしていたってか。酷くね? そういう情報はオレにも伝えといて欲しいんだけどよ」

 今更という気もするが、『正体を知っている人間』がテロリストの標的になりうるのは間違いないのだ。

 

「まぁ……そういう事情があるってんなら、メアリーにお手伝い(アテンダント)をさせるわけにゃぁいかねーだろうけど」

 もしも狙われることがあるとすれば、彼女の細身ではあまりに対抗力がないだろう。


「あら、メアリーを気遣ってくれるの? あなたいつからフェミニストに改宗したのかしら。懺悔でもした?」

 フフ……と悪戯っぽくローラが目を細める。


「よせやい。オレは男尊女卑主義者じゃあない。物には『適役』ってモンがあると思ってるだけだ」

 クロードがプイと横を向いてむくれる。


「仕方ないわ。メアリーは月世界人だからね。ゼグラスとの協定で、地球との定期便ではその通信士についてゼグラス人を登用するのが決まりだし。ゼグラス人の彼女に、その正体について情報を与えることはできないのよ」

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