好き嫌い
「相手船との離隔、現在45から52で断続的に推移……予定範囲を維持しています」
珍しく、メアリーの顔に緊張が浮かんでいる。
「大丈夫、任せときな」
いつもとは違い、クロードはスロットルのグリップではなく『根本』を握っている。ごく僅かずつ操作するには、その方が感覚を掴みやすいからだ。
「……中々壮観ね。これだけ巨大な宇宙船が2隻並ぶのを見るというのは」
ローラの見つめるすぐ先に、同型船のブリッジがある。今、アウル号は衛星軌道上での宙上補給の準備に入っていた。
「相手船の船足を一定にして、こっちが合わせる……それでいいのね、クロード」
「ああ、それでいい。お互いに譲り合いになると返って危ないからな。何、それくらいの燃料なら何とか残っている」
ホンの少しずつスラスターを吹かして微妙に位置を調整していく。
《こちらパブロ。これから燃料ホースを接続に行く》
宇宙服を着込んだパブロが、2体のビーストとともに人の足ほどの太さを持つ宙上補給用ホースを抱えて相手船へと接近していく。
「よろしく……」
ローラの声が微かに上ずっているようにも聞こえた。
《燃料カプラ、接続完了。……ただ、余長が思ったよりも短いぞ。これ以上船が離れんように操船してくれ。そうしないとホースが引っ張られて千切れちまうからな》
「……無茶を言ってくれるぜ。『もう少し離したい』と思っていたところなのによ」
愚痴をこぼすクロードの額に汗が滲む。
《バルブ開放、給油開始》
相手船に積まれた燃料がアウル号へと注ぎ込まれ始める。もうこうなるとやり直しはない。給油が完了する6時間、じっと耐えなければ。
「パブロ爺さんよ。ホースが千切れないよう、ちゃんと見張っててくれ」
《ふん。お前さんがヘマをしないよう、見張っててやるわ》
1時間……2時間……3時間……周回軌道を周りながら、慎重に給油作業が続いていく。
「ふぅ……」
クロードが額の汗を拭う。
「何なら少し休憩する? 操舵権限のログインコードは船長権限と互換できるから、その間は私が操舵に回ってもいいけど?」
ローラがクロードの横顔を窺うが。
「やめとけ。ブランクが長いんだろ? 緊張はミスの元だ」
横に視線を送ると、メアリーは肩をぐるぐると回して深呼吸をしていた。
「大丈夫でしょ、多分。それにもう最低限月まで辿り着けるだけの燃料は十分入ったから、もしも何かあったとしても月で補給してもらえばいいし」
「……そうだな」
少し休んでリフレッシュした方がいいかも知れない。そう考えてクロードが席を離れようとした、その瞬間だった。
《ビィィィ!》
突如、ブリッジに警報音がけたたましく鳴り響く。
「どうした?! 何があった?!」
警報は燃料系の異常を示している。
《くそ! ……デブリだ、デブリにやられた!》
船外に出ているパブロからだった。
《何かしらのデブリに突っ込まれたんだと思う。燃料ホースがバッサリ切られちまった》
「何だって……!」
デブリの速度はマッハ20以上だ。直撃を喰らえば、いくら厳重に保護された耐圧ホースといえど一溜まりもない。
「燃料は?」
ローラが尋ねる。
《ポンプを止めてもらった。仕方ない、不十分と言えばそうだがこれ以上時間を掛けていると月の物流に問題が出る。とりあえずこのまま出発するしかあるまい》
「……確かに。ただでさえ7日も余分に時間を貰っているのだし、燃料節約で進むしかないわね」
ローラも諦め顔だ。
「メアリー、悪いけどゼグラスの港湾担当に緊急補給の申請を出しておいて」
帽子を深く被り直す。
「りょうかーい! 多分、大丈夫ですよ。燃料管理の責任者はあたしの叔父さんですから。何とかしてくれると思う」
この不運続きの旅で淀みかけた空気を払うように、メアリーが明るい声を上げた。
それから数時間後。
クロードは静まり返ったNo5スラスターのエンジンルームに来ていた。あの、破壊された機械室だ。
荒れ果てた室内を見渡しながら、一人小さく呟く。
「……そうだ、間違いない。これだ。カグヤをここに匿ったときに、思い出したんだ。……そういうことか。それで納得がいく、全てにだ」
……そして、船は4日間の航海へと向かった。
静かに、最初の月行きのバタバタが嘘のように何事もなく……。
「……色々あったけど、それも残り数時間ね」
ラウンジで皆んなと食事を取りながら、ローラが感慨深げに呟いた。
「ああ、そうだな。終わりまで油断はできんがな」
クロードは小さな銀色の缶詰をフォークで突いていた。
「そうだねー。とりあえず、月についたら缶詰じゃないご飯が食べたいし」
そう言いながらも、メアリーの抱えている缶詰はエビのシルエットが描かれた金色の帯がしてある。多分、間違いなく本来はカグヤのものだろう。
「ふん……。最後の最後になってこんなにバタつくとはの。まったく、運の無い人生だ」
パブロはぶすっとしながらパウチのスープを飲んでいる。
「私としては申し訳ないの一言ですけど」
カグヤが少し肩を落として上目遣いで皆んなを見渡す。
「でも、こうして皆さんと楽しい思い出ができて、私はとても嬉しいです」
「さ……皆んな、30分後に持ち場に向かってね。最後の月着陸シークエンス入るから」
ローラが席を立ちかけたときだった。
「それはそうとしてな」
クロードがチラリとメアリーの方を見やった。
「ああ、丁度いい。メアリー、食べかけで構わないから、その缶詰を貸してくれ」
「ええぇ! まだ1/3も残ってるよぉ?! 『一口ちょうだい』にしては多すぎると思うんですけどぉ?」
頬を膨らませるメアリーから、クロードが金色の帯がしてある缶詰を受け取った。
「《《オレじゃねーよ》》。いや……言おうかどうしようか散々迷いはしたんだが、やはり白黒つけておきたくてさ。そうしないと、オレとしても寝起きが悪くてよ」
「え……? 何かあったの。そんな怖い顔をして」
覗き込むようにして、メアリーがクロードの様子を窺う。
「いやな、どうにも違和感があったんだ。最初からさ。『これは何か騙されているんじゃあないか』ってね」
食べかけの缶詰を、クロードがしげしげと眺める。
「騙される? 何それ、意味が分かんないんですけど」
不服顔のメアリーを、クロードは無視している。
「この数日間、ずっと考えていたんだ。『誰がオレの敵』で『誰が味方なのか』って」
「どうしたのクロード。何か悪い物でも食べたの? それとも変な妄想にでも取り憑かれたの?」
ローラが苛ついたように問いかけるが、クロードはこれを聞き流してカグヤの方へ向き直った。
「……食べかけで悪いんだがね。カグヤ様、これ食べて貰えるかい?」
「え……ど、どうかしたんです?」
突き出された缶詰に、明らかに走るカグヤの動揺。
「質問にお答えを。食べて頂けるんですかい?」
尚もクロードが迫る。
「いやその……実は、実を言うと私はエビがあまり得意ではなく……」
「嘘だな」
きっぱりと、クロードが言い切った。
「たった4日の航海なんだ。あんたの地球での保護者が分かりきった嫌いな物をわざわざチョイスするはずがない。精神衛生上よくないしな。少なくとも『どうしても食べられない』ほど嫌いではあるまい? ……どうです?」
「……」
カグヤの顔が引きつっている。
「もしもどうしても『食えない』理由があるとしたら、その理由はひとつだろう。つまり『甲殻類アレルギー』だ」
ラウンジにいる者たちは、クロード以外誰も何も言わない。
「アレルギーはオレの娘も持っていたから、その大変さはよく分かるんだよ。それだけを食べなければいいだけでなく、そのエキスが染みたスープだってアウトだろ? 外食すると色々気を使うんだ。そして……」
カグヤが、さっきから瞬きをしない。緊張しているのが伝わってくる。
「あんたの保護者が、そんな重要な情報を『知らない』はずがない。だとすれば」
ゼグラスの次期国家元首として徹底的に管理された生活をしているはずなのだ。アレルギー反応を発症する食材を入れるという大失態を犯すことはありえない。
「つまり、あんたは『カグヤ様』じゃないんだ」




