離陸
「アウル号搭乗員の皆さん、すいませんが今回は色々と手続きが面倒なのでこちらへ」
宇宙港のターミナルビルに入ると、すぐに担当官の男が3人の元へとやってきた。パブロは先に手続きを終えて船に入っているらしいので、この3人で搭乗前手続きとなる。
「……今朝はまた随分と静かなんだな」
普段は旅客や他の宇宙港関係者でごった返しているセンターホールの広い空間は、今朝に限ってひどく閑散としている。その辺に立って遠巻きにこっちを見ている警備員が何人かいるだけで。
「そうですね」
担当官の男がクロードたちを先導しながら短く返す。
「今日は旅客便の出入りが設定されていませんし、貨物便も午前中はクロードさんたちのアウル号の1便だけです。火星からの貨物便も、午後まで静止軌道上で待機させてあります」
吹き抜けになっているホールの高い天井に4人の靴音が高く反響する。
「『空間を開ける』のは警備の常識でしょうしね」
ローラはその静まり返ったホールを珍しそうに眺めていた。
「まぁ……そういうことです。では、お一人づつこちらへ」
案内されたのはいつもの搭乗手続きカウンターではなく、旅券や荷物などに疑義が生じた人間を調べるための『別室』だ。テロに備えた防爆構造で、24時間体制の監視カメラが何台も設置されている。
「まず、パスポートカードをスキャンしてください。……問題はないと思いますが。それから今回は生体認証が3段階になります。虹彩と、掌静脈と、顔全体です」
「……いつもは虹彩くらいしかチェックしないのに、随分と厳重なんだな」
虹彩スキャナーを覗き込みながら、クロードが尋ねる。
「仕方ありません。ご不自由をお掛けしますが、念を入れる必要があるとのことで。私もこれほどの事前チェックは初めてです」
生体認証が終わると、今度は荷物だ。
「すいませんが、キャリーバッグの中身を全てこの台に出してください。プライベートな物もあるかと思いますが、全て目視とセンサーでチェックしますので」
「別に大した物はもってねーよ」
ため息をつきながら、クロードが大きなキャリーバッグを台上に乗せる。その左隣ではメアリーが大量の菓子袋を見咎められて「これは持っていくの! お菓子は唯一の楽しみなんだから!」と女性係官を相手に怒っていた。
「この小型タブレットは画像再生専用のものですね? 一応、ケーブルを繋いで内部のスキャンだけさせてもらいます。船内のネットワーク環境にアクセスできる物だと持ち込みできないので」
それは掌よりもやや大きいほどの薄いタブレットだった。
「分かってるよ、ウイルス対策だろ? データのやり取りはカードを使う単機能品だよ。オレの船室に飾っておくんだ……お守りなんでね」
「承知しました。では、キャリーバッグについてはこちらでご用意させてもらったものに詰め替えてください。皆さんがこちらに帰港されてからお返しをしますので」
「了解。あんたもご苦労なこった」
見ると、船長のローラは一足先に手荷物検査を終えているようだった。多分、こうした厳重なチェックを予見して最初から荷物を最小限に絞っていたのだろう。
手荷物と保安検査を終えたのち、3人は担当官の男とともに移動用のシャトルバスに乗って貨物船が係留されているドッグへと向かった。
太陽はすでに空高く昇っている。宇宙港はきっと今日も焦げ付くような暑さに晒されるのだろう。
宇宙港がここアリゾナの砂漠にあるのは、ここが赤道に比較的近くて地球の重力圏を脱出するための第一宇宙速度に達しやすいことがある。地球の自転を効率的に使えるからだ。
そして、砂漠として周囲の視界が確保できることや遮蔽物が少ないという警備上の利点。それから万が一に宇宙船が地上を離れてすぐに墜落をした場合に、その被害が民地に及びにくいという理由だ。
「お……荷物は積み終わったみたいだな」
クロードが見つめる先で、3基の大型ガントリークレーンが係留ドックから離れていく。
そして、『No2』と大きく書かれた係留ドッグ前でバスが止まった。その前には、陽の光を受けて輝く巨大な船体が。
ネオパナマックスサイズと呼ばれる全長360メートル・全幅48.5メートル。建造から年数は経つが、今もって世界最大と唱われる載貨重量12万8千トンの威容を誇る貨物船。
型番4E-128000CG-AG・船名は『アウル』。
「では、航海のご無事を祈念しております」
担当官の男は、船に乗り込むためのエレベータータワーの前で深く頭を下げた。
《現時刻 8時55分00秒。最終チェックに入ります》
いつもと変わらないテラの合成音声が、今日だけは有り難い。これでテラまで『緊張』していたら、とてもではあるまいが平常心を100%失ってしまうだろうから。
……落ち着け、落ち着け。いいか、全てはいつも通りだ。だってそうだろ? オレたちは『大事じゃない荷物』なんて運んだことはないんだから。『常にベストを尽くす』それだけなんだ。
そうだ……『余計なこと』を思い出す必要なんて、これっぽっちも無いんだからよ。
心の中で必死に言い聞かせるも、クロードはハンドルを握る両手が小刻みに震えるのが抑えられなかった。載貨重量12万8千トンを誇る大型宇宙貨物船だが、そのハンドルはフライパンよりもやや小さいくらいだ。今日に限って、その小ささが妙に頼りなく思えて仕方がない。
ブリッジの窓ガラスから見える先に、最新鋭の第3世代型旅客用無重力船が待機している。仰々しくその周囲を警備員が取り囲んでるところを見るに『ダミー』だろう。人工衛星から宇宙港を覗けば何をしているのかが一目瞭然だから、『敵』に伝わる情報を撹乱するための措置なのだ。
「船内、異常なし。各種警報装置、全てクリア」
クロードの隣でメアリーが船内各ブロックの様子をモニターで確認している。『お客人』はいつの間にか貨物室の一角に運び込まれていた専用の部屋でじっとしているようなので、その中の様子までを窺い知ることはできないが。
「操舵権限、ログインコード認証」
「通信士権限、ログインコード認証」
《……機関士権限、ログインコード認証済》
「了解。船長権限、ログインコード認証」
主要4船員のパスコードが認証される。
「機関室」
キャプテンシートに身体を固定させているローラが、ヘッドセットでパブロに呼びかける。
《リアクタータービン、出力100万キロワットで安定中。1次冷却水系統異常なし》
しわがれた声が返ってくる。
クロードたちがいるキャビンからでも機関の状態をモニターでチェックできるのだが、パブロ曰く『それでは機関のご機嫌が分からん』として機関室で直接に状態監視をしているのだ。
「ハイローターポンプ、リキッドクラッチ接続。重粒子偏流加速器、運転開始」
《了解。ハイローターポンプ、リキッドクラッチ接続。重粒子偏流加速器、運転開始》
ローラの指示をパブロが復唱すると、巨大な船体を縦向きに突きさす車輪のような形状をした加速器が唸りを上げ始めた。これがいわゆる『無重力発生装置』にあたるものである。
《出力上昇中。加速率5%……10%……15%》
キャビンに『キィィ……ン』とい高い音が響いてくる。
「船体荷重計、マイナス2%を計測」
船の状態を確認するのは操舵手であるクロードの役割だ。
「アンカーロック解除を要請」
「了解。2番ドッグコントロールルームへ、こちら貨物621定期便・4E-128000CG-AG『アウル』。アンカーロック解除願います」
《こちら2番ドッグコントロールルーム。アウル号のアンカーロック解除開始します》
メアリーがローラの指示をドッグ側に送ると、船体をドッグに固定していた左右12基の巨大なアンカーが次々と外れ始めた。
一瞬、シートごとフワリと浮かび上がる感覚がする。
《重粒子偏流加速器、出力上昇中。加速率30%……35%……40%》
機関室からパブロの冷静な音声が入ってくる。彼とて『お客人』の正体を知っているのだが、特段に緊張の様子はない。自分の知覚とAIによるコントロールに『間違いはない』という絶対の自信と信頼があるのだろう。
「対自転スラスター起動」
「了解、対自転スラスター起動」
クロードが船体後部にあるスラスターに点火司令を送った。『重力の干渉を切る』ということは、地球の自転に置いて行かれるということを意味するからだ。特に、この基地は赤道近くにあるのだし。
船体は自転に逆らう形でじわりじわりと勝手に上昇を始める。
《重粒子偏流加速器、出力上昇中。加速率90%……95%……100%到達》
機関室から、出力がマックスになった連絡がくる。
「船体荷重計、マイナス100%。無重力状態に突入」
船体が、完全に『浮き上がった』状態。
《現時刻 8時59分50秒。離陸を開始してください》
すかさず、テラからの離陸指示が飛ぶ。
「対自転スラスター停止。垂直上昇スラスター、出力25%。テイクオフ」
冷静なローラの指示に合わせ、クロードが船体下部のスラスターを吹かせ始める。左手に握るスロットルを慎重に手前へと引き込む。
「さて……行きますかね」
ゆっくりと垂直上昇を始める機体に、クロードがボソリと呟く。
「『いつも通り』にさ」
「現高度、390キロメートル」
クロードが高度計を確認している。ブリッジの窓から望む外には宇宙空間の闇と、それから眼下には太陽の光を反射して輝く青い海が雲間に見え隠れしている。
「重粒子変流加速器、出力95%を維持。姿勢維持スラスター、出力6%」
クロードが機関室からの数値に視線を落とす。ここまでは、極めて順調。高度300キロ圏内では地球の引力は地表に対して9%ほどしか下がらない。だから重粒子変流加速器の出力はそのままに、ゆっくりと地表からの距離を取っていく。
「予定通り、ドリフト上昇航路を進行中。予定高度に達するまであと30分」
「アリゾナ宇宙港から連絡。航路進行方向に別の宇宙船なし。作業中の小型船舶なし、人工衛星との軌道干渉なし。航路、オールグリーン」
メアリーが航路の安全状態を確認している。何しろ全長が300メートルを超える巨体なのだ。低軌道を高速で周回する人工衛星などと衝突をすれば双方ともにただでは済まない。
ローラがチラリと伺った窓の左端に、着陸を待機している別の貨物船が見えた。午後からの着陸になるという火星から帰還した船だろう。火星の開発も進んでいるから、資材類の運び込みもペースアップしているのだ。
「オーケー。安定したわね。じゃあ、この隙に少し『お出かけ』をするから。クロード、着いてきて」
そういうと、ローラはシートベルトを外してクロードを手招きした。
「え? オレ? 何の用だよ」
慌ててクロードがその後を追う。
「『挨拶』よ。大事な大事なお客様にね。いくら4日間は特別室から出てこないとはいっても、そのままでいられるとは限らないし。船内火事とかそういう緊急事態の対応についてチャンとレクチャーはいるでしょ? その前にキチンと挨拶だけはしとかないと」
ブリッジから狭い通路を伝ってカーゴエリアへと降りていく。エレベーターもあるにはあるが、身体の浮く微小重力下では『非常階段』用の円筒通路を抜けた方が速いのだ。
「いや、まだ巡航航路に乗っていないのにブリッジを離れていいのか? この辺りはまだ低軌道エリアなんだ。デブリ遭遇の可能性もゼロじゃない」
そういう経験はないが、何かあれば即応が求められる。クロードとしてはあまりブリッジを離れたくはないのだが。
「大丈夫でしょ。この辺りは掃除屋さんの船がしっかり巡回しているし。ネジ1本単位で拾ってくれているから、よほど安心よ」
ローラはあまり気に留めていないようだ。
「ああそうかい……で、何でオレがお供なんだ? こういう役目はメアリーの方が適任だろうに。若いし! 女だし! 少なくともオレよりゃあウケがいいだろう」
ブリッジを降りカーゴエリアに入る途中で、クロードは先行するローラに悪態を吐く。
「文句を言わない。業務命令よ、これは。理由は後で説明するから、ちゃんと着いてきなさい」
ローラも決して乗り気という訳ではないようだが。
「そういう客室乗務員なんざ、操舵手の仕事じゃねぇだろうがよ」
貨物船『アウル』の船内は重粒子変流加速器の影響で微小重力状態になっている。そのため、二人の移動は左手に握っているハンドブースターでの推進だ。一度吹かせば慣性で前に進むから、楽と言えばそうではあろうが。
「何を言ってんの? 貨物船に客室乗務員なんていないんだから。ニュートン航法に移るまで少し時間があるんだし、それまでに挨拶だけしておくわよ」
そう、二人の行き先はあの『月国家・ゼグラスの次期国家元首』の元である。
「さぁ、ここよ」
貨物室の一角にある、専用の小部屋。つまり『貨物』として部屋ごと搬入されてきたというわけだ。
「失礼します。船長と操舵手で、ご挨拶に参りました」
「うお……!」
開いたドアの先にいた『ゼグラスの次期国家元首』の姿に、クロードは思わず息を飲んだ。
※アウル号イメージ。Geminiを駆使してやっとそれっぽくなりました