カグヤの部屋再び
「失礼します」
2日目の地球時間午後9時。クロードはカグヤの部屋を訪ねていた。
「どうぞ」
にこやかに迎えてくれたカグヤが、クロードを室内へと誘った。
「すいませんでした。折角お出でを頂いたのに5分近くもお待たせをしてしまって」
カグヤが軽く頭を下げる。ふんわりとしたベリー調のフルーティな香りが室内に漂う。
「いえいえ! あの……ご入浴でしたか。申し訳ない、急がせてしまいまして」
当たり前だが重力が薄い宇宙空間で地球のように『湯船に浸かる』ことはできないし、シャワーも困難だ。だからこうした貨物船の航海中ではアルコールを含ませた洗剤で身体を拭くぐらいしか方法はない。……通常は。
だが旅客船の、それも高額なチケットを購入したお客などには奥の手がある。通称『人間洗濯機』と呼ばれる機械が、それだ。
顔に空気を循環させるための特殊なマスクを装着した上で、大きな冷蔵庫ほどの『浴槽』に入って密閉させる。そこにタンクからお湯を供給して内部を満たすのだ。いわばお湯の中に人間がプカプカと浮かぶ形。慣れないと怖さもあるが、慣れると何ともいえない包容感があるとして人気が高い。
そのシステム一式が『カグヤ専用貨物室』に付随しているのだ。
「……この香り、カシスですかね。トップノートがカシスでミドルノートがピーチだとすると……この香水はネクタリンブロッサム&ハニーとか?」
「あら、ご名答! 随分と香水にお詳しいんですね」
カグヤが思わず目を丸くした。
「い、いえいえ! とんでもない。その……はは、別れた妻がこの香水が好きだったもので。偶然ですよ」
あの頃は、いつもこの香りを腕に抱いていたものだが。
「そうでしたか……離婚をされたのですね。きっと何か深いご事情があったのでしょう」
少し済まなそうに、カグヤが困った表情を浮かべる。
「いや、お気遣いなく。事故で娘を失いましてね。7歳でした。そのせいでまぁ……ぎくしゃくとしたんです、お互いに。相手の顔を見ているとどうしても娘を思い出すんで、別れた方がいいだろうと」
「申し訳ありません。辛いお話をさせてしまいました」
カグヤが深く頭を下げた。
「いえいえ、もう済んだ話ですから。はは……それより、今日は朝からバタバタしてすいませんでした。お手数をお掛けして」
「そうでしたね」
小首を傾げ、カグヤが苦笑いを浮かべる。
「まさか宇宙服を着せてもらって船外に出て、救助ボートにまで乗せて貰えるとは。ちょっとドキドキはしましたけど……でも少しワクワクもしたんですよ」
少しイタズラっぽい含み笑いに変わる。
「ワクワク?」
「ええ。だって、船での4日間はずっと貨物室で大人しくしているしかないと聞いていましたから。折角の宇宙旅行と聞いて楽しみにしていたのに、この部屋からでは外の様子も見ることができないんですもの」
警備上の問題と安全の観点から、カグヤの貨物室はカーゴエリアの中央部分に配置されている。だから『窓の外』を拝むことはできない。
「生まれて初めて……そしておそらく、生涯最後の宇宙旅行だというのに何と味気ないことかと残念に思ってました。なので、宇宙服を着て船外に出られただけでも。外の宇宙を直で見られて、それだけは本当に嬉しかったです」
「そ、そうですか……はは、大事にならなくてよかったです」
今更ながら、ギリギリで避けられたときの恐怖が蘇ってくる。
「『もう船内に戻って大丈夫です』ってテラから言われて……私、わざと時間を掛けて戻ったんです。外の星空があまりに綺麗だから。いいですね、クロードさんたちは。ずっとあんな景色を眺めておられるんでしょ?」
「……慣れましたけどね」
確かに、役得と言えないこともないだろう。特に慣例として航海中に行う避難訓練では一回は船外に出る。そのときの景色は、何物にも代えがたい絶景だと思う。
「ゼグラスからは警備艇が来るそうですから、もう大丈夫でしょう。とりあえず、今晩はごゆっくりとお休みください」
そう言い残して、クロードはそのままカグヤの部屋を後にした。
貨物エリアを抜け、クロードは機関室へと向かった。パブロが、そこにいるだと予想して。彼にもクロードやローラと同じく専用の船室が用意されているのだが、そこを使っている形跡はほとんどない。寝起きも含め、航海中はずっと機関周りをウロウロしていることが多いのだ。
「よぉ、パブロの爺さんはいるかい?」
冷却ポンプ近くにいたビーストに声を掛ける。
「あ! これは、クロード大尉! お疲れ様です!」
声を掛けられたビーストがしゃんと背を伸ばした。
「うん? ……お前、カミーユじゃないな。交代したのか?」
明らかに言葉遣いが異なっている。
「はい! カミーユ技術軍曹は18時までのお役目ですので。私はエドガーと申しまして、階級は技術伍長であります」
「そうか。お前、さては軍からの出向組だな? 聞いていないのかも知れんがフェニックスでは通常、『船長』のような役職呼びは使うが階級では呼称しねーんだ。そこはキッチリ覚えとけ」
宇宙ではチームワークが最も重要視される。緊急事態において規律を優先してしまうと即応性が落ちたり重要な決断が遅れたりするからだ。それよりもトップだけを明確にして、オーケストラを指揮するように緩くコントロールする方が現実的という判断である。そのため、あえて人を階級で呼ばないのだ。
「は! これは失礼しました。何しろ『軍でリアクターが分かる人間を』ということで急遽呼ばれたもので。実は私の本体はアリゾナではなく所属部隊の宇宙船にいます」
「……ご苦労なこった。他にもそういう応援が?」
「はい。同僚のキースも何処かに来ています。……ところで呼び捨てという訳にも参りませんし、ここでは『ミスター』クロードとお呼びすれば?」
「いや」
クロードが首を横に振る。
「こういうときにな、日本語にいい言葉があるんだ。『さん』といってな。名前の前ではなく後ろに『さん』とつけるんだよ。これは男女や既婚未婚の区別がなく誰にでも使えるという都合のいい尊称で、フェニックスでは伝統的に『さん』を使うんだ」
「はい! 承知しました、クロードさん」
外見はただのロボットだが、中身はきっと若いのだろう。はっきりとした口調で答える。
「ああ、それと。パブロ……さんでしたね。ええ、奥で機械を見て回っていると思います」
「そうか。ありがとう、エドガー」
クロードが機械の隙間を縫って奥へと進む。
「くっそ! 相変わらず小狭ぇところだぜ……」
宇宙船は微小重力空間での運用がメインだから『人間は浮遊して動けばいい』という思想のもと、機械類がかなり密集してレイアウトされている。なので、まるで迷路を進むかのように隙間を進む必要があった。
「ああ、いたな。よぉ、爺さん。機関類はご機嫌かい?」
機械の陰で一人じっとしているパブロを発見する。ポンプの回転するウォォンという低い唸り音に耳を傾けていたようだ。彼いわく、ポンプの羽根車に傷や劣化が発生するとこの音に『混じりけ』が出るのだという。
「何だ? 何か用でもあるのか?」
ジロリと睨む目が如何にも『仕事の邪魔だ』と言わんばかりで。
「ああ、大事な用だよ。『暇つぶし』と言ってな」
邪険にされるのを全く気にすることなく、クロードがパブロの横につく。
「ふん。潰さなけりゃならん暇があるとはいい身分じゃないか。そんなことならこんな老いぼれじゃなくて、船長のところにでも行けばよかろうが。話の合わん相手ではあるまい?」
パブロが言うには、機械はそれ自体が生き物だと。どの瞬間に何が発病するのかは『点検やセンサーがあれば発見できる』という物ではないという。如何に素早く『違和感』に気づくかが勝負だと。だから、パブロは極力機関室から離れようとしない。
「……オンナは何を考えているのか分からねーから苦手だ。ローラ船長のことなら、遠巻きに見ていればそれでいい」
クロードがプイっと横を向く。
「そうなのか?」
チラリとパブロが横目でクロードを窺う。
「オンナが苦手というが、その割りにはあの『カグヤ』とかいう小娘の部屋にはよく顔を出しておるんじゃないのか? 別に放っておけばよかろうが」
「そういう訳にも行かなくてな」
少し、遠い目をする。
「もしも死んだオレの娘が生きていたとしたら、あの位の年頃なんだ。まだ若いのに月の命運を託されて命まで狙われる……酷ぇ話さ。だからかな。何か放っておけねーんだよ」




