2日目の朝
次の日。
地球時間で朝7時ジャスト、クロードは自分の船室で目を覚ますと、服を着替えてブリッジに向かった。船のルーティンとして、朝食前に4人でのミーティングを行うからだ。
「……しまったな。何もないのなら導眠剤を使っとけばよかったぜ」
緊張して寝不足になるのは分かっていたが、迂闊に導眠剤を使うと何かあった際に起床が遅れるので使うのを躊躇ったのだ。
結果として何もなく、ただ睡眠時間が削れただけではあったのだが。
「おはよう、クロード」
ブリッジに上がると、すでにローラが自分のキャプテンシートに座っていた。まだ業務開始時間には15分ほど時間があるから、メアリーとパブロがきていないのは当然だろう。フェニックスでは職員の健康管理のために就業・終業時刻の管理は厳格に運用されているから、勝手な早出・残業はできない……はずなのだが。
「……お早いことで」
何処となく、ローラの表情に疲労の色が見てとれる。
「まさかとは思いますがね」
操舵席に座って、自分のIDカードをシステムに読み込ませる。これで操作権限をAIオンリーから自分との協業に移管させられる。
「一晩中、ずっとここの席で寝ていた……とかじゃあないですよね? ローラ船長」
「おや? どうしてそう思うのかしら。ほんの少しあなたより早起きだったとは?」
意地悪そうにローラが目を細めるが、クロードは「それはない」と首を横に振った。
「あんたの常用香水は『エゴイスト・プラチラム』だろ? トップノート(付けてすぐに香る匂い)はレモンが強く主張するが、この部屋にそんな香りはしない。むしろこのウッディーな香りはサンダルウッド……ラストノート(最後に残る香り)だ。つまり、付けてから時間が経っている」
「……無重力空間っていうのはいいわよね。どういう姿勢で寝ていても結局一緒だから」
ローラはぼぅっと窓の外にある星空を眺めている。
「船長が保安責任者権限を行使することで時間に関係なくブリッジにいられるのは知ってますがね。……いくら重責とはいえ、身体が持ちませんぜ? 航海はあと3日も残ってるんですし」
航海初日からいきなりの襲撃を受けたのだ。リラックスしろという方が無理かも知れないが。
「なぁに、この辺りはデブリ多発地帯からも外れてんだ。何も起こりゃしない」
地球から4万2千キロメートル上空は、大昔の人工衛星が使っていた『静止軌道』だ。そのため、その近辺にはその頃の衛星やその残骸が今でも漂うデブリ多発地帯になっている。だが、すでに船はそのエリアを通過している。
「それにこの船はすでに第2宇宙速度に達してんだから、そう簡単に追いつけやしねーさ。何なら暫くオレがここにいるから、ローラ船長は船室で寝てきたらどうですかい?」
マッハ30を超える速度は容易に出せるものではない。襲撃を受けても地球から護衛艦を出せない理由がそこにある。逆にいえば、その速度こそが船の安全を担保していると言えるだろう。
「ふふ……優しいのね」
ローラが肩を揺すって軽く微笑った。
「もしかして、この航海が終わったらプロポーズでもしてくれるのかしら?」
「よせやい」
クロードが眉をひそめる。
「オレはそういうことをしない人間なんだ」
「そうなの?」
ローラはからかうように横目でクロードの横顔に視線を送る。
「案外、そういうロマンチストかと思っていたけど?」
クロードが何かを言いかけたとき、ブリッジのハッチがガタンと音を立てて開いた。
「船長、おっはよー! おや、お寝坊サンのクロードも起きてたの? めっずらしー!」
メアリーがブリッジに入ってくる。
「……おはよう。とりあえず、朝食前ミーティングがあると思ってきたんだがな」
そのすぐ後ろからパブロも入ってきた。
「おはよう、皆んな。ええ、とりあえずミーティングにしましょ。……いつもと同じようにね」
ローラが浅く座っていた椅子を深く座り直した。
簡単にミーティングを終わらせてから、ブリッジの真下にある通称・ラウンジと呼ばれる小部屋へと向かう。
『ラウンジ』とはいう名はつくが、所詮はただの貨物船。その名前から想像するほどラグジュアリーでもなければ、広くもない。ただ、食事をしたり雑談をするのに使っているというだけで。あとは地球や月にいる家族と会話するためにも使うことがある。窓からは宇宙の景色を拝むことはできるが、その他には絵画のひとつとて飾ってあったりはしない。
「今朝の飯は何だったかな」
頑丈なベルトでロックされていた配給品ケースのひとつを取り出し、中身を開ける。
「缶詰はオイルサーディンだな。それとポタージュスープ」
クロードが中身を取り分けて、宙に放り投げていく。行儀が悪いようにも思えるが、ふわふわと漂って相手のところへ辿り着くから、結果的にこの方が効率がよいのだ。
「サーディン(※ニシン)かぁ……。まぁ、嫌いじゃないけど、サーモンの方が好きかな」
受け取った缶の中身を開けながら、メアリーがひとつ愚痴をこぼす。
「おや? 今日はテンション低めじゃないの。珍しいわね、いつもは『食べるのだけが楽しみ』って、食事になるとテンションが上がるのに」
ローラが茶化して笑う。
航海中はとにかく『暇』だ。特に巡航航路に乗ってから月に接近するまでは仕事らしい仕事もない。かといって、いつ緊急事態が発生するかも分からないからずっと寝ているという訳にも行かない。だから、ひたすら時間潰しをしなくてはならない。
1日3回の食事は大きなイベントなのだ。
「ニシンは生息の絶対数が回復していないというからの……地球なら貴重品だ」
パブロは黙々と缶詰のサーディンをフォークに差して口へ運んでいた。
「贅沢を言うなら、もう少し歯ごたえがあるものも食べたいけれど。それと宇宙にいる間はバゲット(※フランスパンの一種)が食べられないのも残念かもね」
ローラがポタージュスープの入ったアルミパックを食品加熱器から取り出す。30秒ほどで中身を70℃ほどに加熱できる優れものだ。
パックの口を切り、吸い出すようにして食べる。
「バゲットか、そうだな。パンくずが飛ばないようにしたパンもあるっちゃああるけど、ライスケーキ(※餅)みたいで食感はイマイチだしな」
クロードもそれには同意のようだ。
地上と違って浮遊した細かいクズが何処へ飛ぶか分からない宇宙空間ではどうしても制限がある。観光用の旅客船になると、食堂エリアにそういう微粒子対策を施してあるからある程度は制限も緩和されるのだが。
「……味付けも悪くないんだけれどね。少し薄いけれど」
今日はどうにもメアリーのテンションが上がらないようだ。
「薄味なのは我慢しろや。別にケータリングキッチンの連中が材料をケチっている訳じゃあねえんだし」
貨物船の船内は0.8気圧で一定に保たれていて、地球上より2割も低い。これは宇宙を航行する際に、その巨大な圧力で船体が膨らんだり変形したりするのを抑えるためだ。この場合、人間の味覚も2割ほど低下すると知られている。そのため、同じものでも宇宙にいると薄味に感じてしまうのだ。
「あーあ、『VIP様』はもっといいものを食べてんだろうなぁ」
メアリーがため息をつく。どうやら、そのやっかみがテンションの低い原因らしい。
だが。
「そう思うのは自由だが、多分オレらと何も変わらんと思うぞ」
ポタージュスープの最後を吸い取り、クロードが元々入っていたケースへと空缶とパックを戻す。
「そうなの?」
「そりゃそうさ。専属のシェフとかが帯同しているわけじゃなし。基本的に航海中は食事の用意も自分でするらしいから、大したことはできんよ。せいぜい加熱器で温めるくらいで」
微小重力空間や無重力空間での『調理』は困難を極める。食材が浮いてしまうから煮る・焼くという工程が難しいからだ。それに『皿に盛る』ということもできない。基本的には箱詰めにするか、もしくはスープ類のようにパックに入れるかだ。
少々材料がいい物を使えるかどうかで、その内容はクロードたち船員と大差はあるまいとクロードは考えていた。
「えー……そうなのぉ? 夢が無いなぁ。VIP様なら、もっといい物が食べられるかと思ってたけれど」
食べ終わって萎んだパックを、メアリーが愚痴とともにケースへ戻していた。




