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音楽を駆ける  作者: 未定
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第一話

小学5年生の時に、初めて楽器に触れた。

丸くて、右手をその中に突っ込む、不思議な楽器。

両手で持っても重たくて、すぐに膝の上において休みたくなってしまう。


_フレンチホルン


私が恋して、青春を燃やした楽器の名前。

忘れたいのに忘れられない、心を包む音色の楽器。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


オーケストラに入るきっかけは些細なことだった。


心配症で真面目なところのある母のもとで育った沙耶には、現代っ子の必需品スマートフォンなんて買い与えられず、家で音楽を聴くような機会はほとんどなかった。ピアノは母が幼いころに教室へ連れて行ったものの、体験レッスンが肌に合わなかったらしく、今では触れた記憶すらない。


つまるところ、音楽には縁のない子供だった。


当時仲良くしていた友人からの勧めがなければ、小学校にあるオーケストラバンドになど入らなかった。

顧問の先生による「沙耶ちゃんは、ホルンやってみよっか」の一言でパートが決まった。

しかし、ホルンなど楽器の第三希望までにも入れていなかった沙耶は不満が積もり積もっていた。唇は痛いし楽譜も地味。

本当はフルートやトランペットのような花形がやりたかった。


実際、小学生の頃には熱心に練習を行った覚えなどない。

楽譜も読めないし、毎朝30分早く登校して行う、お遊び程度の感覚だった。


そんな沙耶が音楽に初めて心動かされたのは、中学一年生の時だ。


小学校でやっていたからという安直な理由で、地元の公立高校に進学後も迷わず吹奏楽部に入った。そこで初めて、音楽の世界にも大会が存在し、優劣が付けられることを知った。


はっきり言って、学校のテストやバスケのように点数制でもなければ、陸上競技や水泳のように勝敗が目に見えるわけでもない音楽に優劣をつけるなど、意味が分からなかった。

判断基準があるとしても、聞いている人間の主観に基づくあいまいな評価だ。そんなものに何の意味があるのかと、大会の存在自体に正当性を問いたくなってしまう話であった。そしてまた、そんな大会のために必死で練習する先輩や同級生たちのことも、冷めた目で見ていた。


だって、音楽なんてなんとなく曲が完成して、楽しければそれでいいじゃないか。

音を楽しむって書くでしょう?今までだってそうだったじゃん。


そう思っていた。


だから特別な意識も緊張もなく初めてのコンクールに臨んだ。

外部の大きなホールで演奏できるんだ、楽しみだなーくらいの感覚だった。

沙耶が通う区立品ヶ丘中学校はエントリーナンバー4。午前に演奏が終わるため、希望者は午後の学校の演奏を聞いて帰る運びとなっていた。沙耶は波風を立てないために、パートの先輩の意向に従って最後まで残ることにしていた。


コンクールも終盤となり、そろそろ本当に眠ってしまいそうな頃合いであった。


_プログラムナンバー14 城星女子中学校 課題曲Ⅲ番 自由曲「リザベット」。指揮は東海林孝雄


張り詰めた空気の中、上手から楽器と譜面を持った生徒が壇上へ上っていく。

足音と軽い金属音がひとしきり止むと、コンサートホールは一切の音を許さない完璧な静寂に包まれた。


指揮棒のひと振り目。息を吸い込む音から、違うのがわかった。

曲の始まりを飾るクラリネットのソロパートは、二階席の後ろから三列目に座る沙耶の耳へと滞りなく届いた。音の幅、響き、息のスピード、重厚感。何もかもが今までに聞いてきた演奏とは違う。

_丸い、こんなにも丸くて優しい音が鳴るのか。あの楽器は。


その奏者が奏でたたった10個の音符は、沙耶の心拍数を急速に上昇させた。


ppで始まった曲はクラリネットのソロに楽器が重なる形で重厚感を増していく。


_あ、ホルンだ。


導入のソロが終わると同時に早くもホルンの音色が入り、金管と木管の音色を繋ぐ準備を始める。

私たちがいつも吹いているあの楽器は、あんなにも柔らかく、広く、響き渡るのか。

壇上には5人のホルン吹きが乗っているのに、その音色は太く一本だ。


曲の強弱が今までと一変する。

トランペットが重なり、木管の連符が続く。

アップテンポで連なる高音が、この曲が技巧曲だと裏付ける。

ホルンが吠える。一片の曇りも許さず、高音が気持ちよく突き抜ける。


ユーフォニウムのソロが響き、曲はフィナーレへと向かう。


完成された音楽。


技術だけじゃない。洗練された音からは、壇上にいる自分たちと同じ中学生が、この演奏に心血を注ぎ、たった12分のために青春の全てをささげてきたことが、容易に想像させられた。演奏に込める思いが、彼らが伝えたいことが、この12分に詰まっている。


間違えない。彼らにとってこの12分は、人生の中で最もかけがえのない12分のうちのひとつなんだ。



そう直感する演奏。そして、沙耶がコンクールの頂上に憧れるに十分すぎるほど足る演奏だった。




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