第四話 リプリー
吹き抜ける風が綿毛を揺らしてこそばゆく、アルトは両手で猫耳を押さえた。視覚デバイスの感度を上げ、ズームしていく。琥珀色の瞳が獲物を狙う狩人のように鋭く光った。
「森亜教授、元々あの中にいたのかしら?」
「だろうとは思うが、地下から来たのかもしれないな」
まもなく昼間の重役と森亜教授の会合が行われる予定の時間。眼下に見える蓬莱重工のオフィスビル屋上には、ヘリコプターなどの類はやってきていない。すでに宵闇が空を支配し、降下して襲撃するには、無関係の者を巻き込む可能性が低く好都合と思えた。
あの重役が森亜教授と会合を持つのは、上から三つ目のフロア。絵恋は時間に合わせて強行突入する作戦を選んだ。
民間ヘリコプターに偽装した機体に乗って、絵恋の部下たちも間もなくやってくる。あとは、時間通りに真凛のトロイが発動し、外へのネットワークを開いてくれるのを待つのみ。
「本当にこのやり方でいいの? 真凛と協力すれば、目的地までのセキュリティは無効化できると思う。私が単機でこっそり侵入した方がいいと思うんだけど?」
「この格好じゃ無理だろ」
猫耳を弄びながら絵恋が言う。自分でさせといて、無責任極まりない。しかし続く言葉で、やはり打算があったのだとアルトは確信した。
「どっちにしろ、派手にやった方が成功率は高い。よほどの危険を感じさせないと、森亜は素知らぬ顔で潜伏する。顔がいろいろ出すぎた。仕込みだった可能性がある」
機密エリアのアンドロイドからは、森亜教授とされる姿が何種類も出てきてしまった。その理由は、単に頻繁に変えているからではないというのが、絵恋と真凛の推測。
「これも、私のせいなのかしら?」
責任を感じ、耳を横に寝かせて俯きながらアルトは呟いた。
意識転送をはじめ、アルトの能力を知られている気配はないという。しかし、本来できないはずの場所で、特殊なハッキングが行われていることを認知していないわけがない。
アルトがあちらこちらの拠点を意識転送で調べ、ハッキング疑惑が出たことが何度もあったから、警戒してダミーデータを仕込んだに違いない。
「ま、終わり良ければ総て良し。そういうのも積み重なって、今があるのさ。必ずしも悪い方向に転がったわけじゃねえ。ここでバッチリ決めれば、それでいい」
ちらりと視線を送って絵恋の様子を窺う。真紅の瞳は斜め下の蓬莱重工ビルを注視しており、言葉通り未来のみを見ているようだった。
今はもう最初に会ったときの顔に戻っている。ほんの十五分程度の作業で変えられるようだ。
マフィアに義理立てしたわけではないだろうが、おかしな抗争に発展しても困る。戻しておくに越したことはない。
〔あと三十秒だよー〕
真凛からの電脳通信が入った。時間になるとトロイを仕込んだアンドロイドが一斉に動き出し、各自可能な方法で機密エリア内に電波を通そうとしてくれる。
その瞬間にもう混乱は起きる。アルトは目的地への到達を優先し、逃げ出そうとするだろう森亜教授を探す。乗っ取れていないアンドロイドや人間たちの動きで、特定可能なはず。
真凛は建物内制御の奪取を優先し、同じく人の動きで森亜教授を特定。可能であれば、ランスロットの在り処の情報を探り出す。
〔三……二……一……降下〕
タイミングを合わせて蓬莱重工屋上にヘリが接近し、アルトは絵恋と一緒に飛び降りた。他のヘリも次々とアプローチして、SAF隊員たちが同じくフリーダイブしていく。
猫のようにくるりと身を翻し、ほぼ音もなくアルトは屋上に降り立った。
絵恋はもう少し荒っぽかったものの、やはり音はあまり立っておらず、足元の床にもヒビが入ったりはしない。ボディの性能もあるのだろうが、流石の身のこなしだと感心した。
〔来たわ……って、あれには入れてないんだけど?〕
塔屋のシャッターが開いて飛び出してきたのは、トロイを仕込んだアンドロイドたちではなかった。足元には事務用のものが何体か転がっており、即座に対応して無力化したようだ。
〔あるるん、映像記録よろしくね! これはお宝だー!〕
ずらりと並んだ美女戦士たち。興奮した真凛の電脳通信が届く。戦乙女シリーズ多数がお出迎えしてくれたようだ。
〔絵面的になんか怖いんだけど?〕
同じ顔の美女が十数体。さすがに気味が悪い。奥にさらにいるのか、ANETの電波が多数飛び交っている。
〔オレが先陣を切る。サポートよろしくな!〕
ヘリから投下された巨大な剣を空中でつかむと、絵恋は斜め下に構えて突撃していく。それに反応して銃器を向ける戦乙女に対して、アルトは両手にカルンウェナンを構えた。
莫大な電流が拳銃内で渦を巻き、内部に収められた極小サイズの弾丸を回転させつつ加速する。音速の数倍の速度で撃ち出すと、空気との摩擦で赤熱した光が戦乙女の頭部を貫いた。
「オラぁっ!!」
絵恋の一振りで、数体の戦乙女がまとめて胴を両断された。そのまま次の敵に襲い掛かる。
(私、要らないんじゃないかしら……?)
あまりの圧倒的パワーに、アルトは目をぱちくりとさせた。
部下たちも同じことを考えたのか、あるいは最初からの作戦なのか。屋上にフックを掛けると、次々と柵を飛び越え、壁面からアプローチしていった。
真凛のサポートの比重を上げた方が良いと判断し、ANETを転送させて中への経路を作っていく。ぞわりとした何かが、アルトの背筋を駆け上がった気がした。
〔特機! 何体もいるわ〕
〔なら、ビンゴだな。森亜はやはりここにいる。ランスロットもあるかもしれないぞ〕
〔先行っていい?〕
〔今、道開けてやるよ!〕
奥の装甲扉を絵恋が両断する。即座に向こう側から応射があるも、絵恋は左右に移動して避けつつ斬り裂き、通れる隙間を作ってくれた。
〔ありがとう。最低限しか倒さずに進むから、そのつもりで〕
アルトは大きく跳び上がると、身を捻って天井を蹴った。斜め上から飛び込むように、装甲扉の向こうへ。猫耳ソナーが充分に役目を果たし、射線が通った瞬間に戦乙女を撃ち抜いた。
パーシヴァルボディの高機動性を生かし、アルトは通路を跳ね回るようにして駆けた。攻撃を躱しつつ、戦乙女シリーズの間をすり抜けていく。
チャージ間隔ごとに、カルンウェナンを撃ち込んで破壊していった。絵恋や部下たちに上層階だけでも制圧してもらわないと、あとで困りそうと思える数が残っている。
(――っ!!)
一体だけアルトの動きに追従し、着地を狙って正確に銃口を向けてきた。空中で身を捻ってタイミングをずらし、損傷は免れる。しかし、そのまま連続して足元を狙われ続けた。
(複数きたら厄介そうね)
外見が他のものと異なる。これが特機なのだろう。後退を余儀なくされるも、不規則なステップで躱し続けた。
残っていた戦乙女シリーズのところまで戻ると、身を入れ替えて盾に使う。特機は味方ごと撃ち抜いてこようとしたものの、アルトの方が速かった。
左右のカルンウェナンを正確に同じ場所に撃ち込む。ピンホールショットで二発目を特機の頭部まで到達させた。相手が倒れていくのを確認すると、とどめを刺すべく前進しなおす。
そのアルトの猫耳がくるりと後ろを向いた。左手で足元の特機を、右手では振り返りもせずに背後から来た別の特機を撃ち抜く。
この場所での戦いにおいては、アルト単独でもこのパーシヴァルボディが最適だったようだ。分かれ道や部屋の扉もある見通しの悪い建物内では、索敵機能に優れたこの猫耳ソナーはとても役に立つ。
〔あるるん、カッコ可愛いー!〕
〔鑑賞してる暇があるなら、森亜教授を探して!〕
〔たぶんこいつだよー〕
割り込みで電脳通信に映像が送られてきた。特機複数に守られるようにして、通路を走るビジネススーツ姿の男。案の定、事前にブラックボックスから盗んだ外見とは異なっていた。
〔正面曲がったとこの、一番手前のエレベーターに乗って〕
もう制御を乗っ取ったのだろう。アルトは真凛の指示に従い、戦乙女シリーズは無視して壁を蹴り、角を曲がった。そのままエレベーターへと飛び込む。
タイミングを合わせて事前に扉が閉まり始め、中に入るとすぐに下に降り始めた。
〔ヤバ、バレた。開いたらハーレム状態だから気を付けてー〕
〔そういうの、好みじゃないんだけど?〕
アルトは跳び上がり、天井付近で両手両足を突っ張った。扉が開くも、死角の位置。膨大な量の銃弾が撃ち込まれて、エレベーターのケージに大穴が空いた。
猫耳がピクリと動いて、アクティブソナーの反射で通路の様子を探る。かなりの数が待ち構えていたようだが、中に誰もいなかったことで混乱したのか、隙間ができている。
(行ける!)
銃撃が止んだタイミングで飛び下りた。撃たれる前に爆発的な加速で戦乙女シリーズの間に割り込み、強引に突き抜ける。
先程真凛が送ってきた森亜教授らしき姿を視界に捉えた。別の逃走経路の入り口か、扉を開けて中に入っていくところだった。
「森亜!」
両手でそれぞれ一体ずつ特機を撃ち抜き、一体は体当たりで弾き飛ばした。残る一体の横をすり抜けて、入り口が閉まる前に飛び込む。森亜教授に銃口を向けながら、アルトは告げた。
「これでチェックね」
どういう用途の部屋かはわからない。全面鏡張りになっていた。その前に立つ森亜教授は、なぜか優し気な表情を浮かべ、アルトを迎え入れるかのように両手を広げた。
「乃絵瑠……よく戻った。久しぶりだな」
思いもよらない森亜教授の反応。アルトの過去として真凛が用意したらしき記憶の中で呼ばれていた名前を呼び、帰還を喜んでいるかのように見える。
(どういうこと……?)
扉の向こう、背後から近づく二体の特機が鏡に映るのを見ながら、アルトは疑問に思った。真凛は真実を語ったのだろうか。アルトを作ったのは森亜教授で、奪ったのは真凛の方だったりしないだろうか。
そのアルトの困惑を断ち切るかのように、真凛からの電脳通信が入った。
〔気を取られちゃダメ! 何を言われても耳を貸さないで!〕
真凛の言葉に反応して、アルトは猫耳をピクリと動かした。肩越しに特機を狙っていた銃口をすっと斜め後ろに向け直してから引き金を引く。どさりと何かが倒れ込む音が二つした。危うく騙されるところだった。鏡に見えるものは、高精細ディスプレイ。
それを見破られないよう言葉で動揺を誘い、別の方向から特機を迫らせてきた。この猫耳ソナーがなければ、追い詰められたのはアルトの方だったかもしれない。
「な、なにをしている、乃絵瑠」
銃口を向け直すと、森亜教授は不審げに眉をひそめた。起死回生の策を見破られたにもかかわらず、その顔に恐怖はなく、ただただ困惑だけを示している。アルトが意味を図りかねていると、得心したかのように森亜教授は表情を緩ませた。
「おお、そうか。この姿ではわからぬのも無理はない。ワシだ、乃絵瑠。久しぶりだな」
鏡を模したディスプレイに映った人物の姿を見て、アルトは目を見開いて硬直した。
「お父……さん?」
幼少時の記憶の中で、乃絵瑠と呼ばれていた自分を育てた父親の姿に違いなかった。
〔騙されないで! あたしがあるるんを作るのに使った基礎データを知ってるだけだよ!〕
森亜教授はかつての真凛の同僚。円卓の騎士のうち三体が完成していた以上、アルトの開発は当時もう始まっていたと考えるのが自然。森亜教授がその一部を知っていたとしてもおかしくはない。
「人の設定でもてあそばないで。私はアルト。あなたなんて知らない」
自分にとっては不要で、不快なものでしかない幼少時の記憶。そんなものに惑わされてしまったことで、アルトは不機嫌になって返した。
「アルト……ふむ、そういう設定か。なるほど。当然そうするだろうな」
落胆したかのように小さくため息を吐いてから、森亜教授は続けた。
「ならば、ワシの目的についても聞かされていまい。意識符号化装置は何のためにあるのか、ブラックボックスは何に使用するためのものなのか、それすらも」
「円卓の騎士を動かすためのものでしょ? 従来型AIでは制御しきれない新世代アンドロイドを」
「それは使い方の具体例の一つにすぎない。本質は違うところにある」
森亜教授の言っている意味が理解できない。必ずしも戦闘用ではなく、他の目的のアンドロイドにも使えるということなのだろうか。
「ワシの元へ戻ってこい。この惑星を救うには、お前の力が必要だ」
森亜教授はそう言って、アルトに向かって手を差し出した。予想だにしなかった展開にアルトは眼を見開く。
〔真凛、一体どういうことなの?〕
まだ何か隠しているのだろうか。嘘を吐いているのだろうか。アルトの心に疑念が渦巻いていった。
〔あるるん。ちゃんと自分の目で見て、自分で考えてごらん?〕
(目で見て……?)
はっとして振り返ると、特機のうちの一体はまだ完全停止しておらず、震える手でこちらに銃口を向けるところだった。
(くっ、ただの心理戦……)
また思わせぶりなことを言って、注意を引いただけのようだった。ブラックボックスのある位置を撃ち抜き、今度こそ完全停止したのを確認してから、森亜教授の方に向きなおす。
「お芝居は終わり。ランスロットはどこにあるのかしら?」
銃口を向け、ゆっくりと距離を詰めながら、アルトは問う。呆れたように首を横に振りつつ、森亜教授は応じた。
「目の前にあるさ」
森亜教授の横、鏡を模したディスプレイに、アルトと同じ顔をした少女が映っている。
猫耳は生やしておらず、その瞳は葡萄酒色。服装はアルトと同じ藍色のメイド服。こちらに向けてカルンウェナンを構えている。アルトを撮影して加工し、映しているだけに見えた。
「偽物の映像なんて要らない。本物の在り処を教えなさい」
ソナーで慎重に探っても、ただの壁面。同じ手に三度も引っかかりはしない。はったりと判断して、銃口を向けたまま歩み寄る。
「ワシも要らぬ。偽物など」
吐き捨てるように森亜教授は言った。抵抗する気は失せたようだった。あとは絵恋の言う通り、芋づる式にランスロットの在り処を引き出せばいい。
〔絵恋、森亜教授を確保したわ〕
〔お手柄だ。ついでにこいつら停止させてもらえると助かるな。足止め喰らってんだよ〕
「もう抵抗しても無駄。戦乙女は全機停止させなさい」
生命までは失いたくないのか、森亜教授は素直に応じたようで、その身体から電波が飛んだ。
(これで終わり……?)
何か違和感がある。芝居までしてさんざん抵抗してきたのに、諦めが良すぎないだろうか。森亜教授自身が高い戦闘力を持つのかと疑って注視するも、絵恋のような丙類バトロイド並みの高性能全身疑似生体には見えない。
他に見落としがないか、猫耳をあちらこちらに向けて音で調べた。少なくともこの部屋の中には、他に誰もいない。何もない。特別なものは、鏡に映った偽のランスロットの映像だけ。
(まさか、これも――っ!!)
慌てて後ろに飛び退ったが、時すでに遅し。アルトの左手は、前腕部の途中で身体から切り離され、宙を舞っていた。その周囲を、光を失ったディスプレイの破片が取り巻く。
映像から飛び出すようにして振り上げられたランスロットの剣アロンダイトが、アルトの左腕を持っていった。
アルトを元にした映像ではなかった。ランスロットなどこの場になく、虚像だと思い込ませるための仕掛け。その前の二度の策略も、三度目はないと油断させるための仕込み。
「どうして……どうして、動いてるの!?」
さらに距離を取り、残る右手のカルンウェナンを撃ち込みながら、アルトは問う。
動かせないはず。ランスロットは、アルトにしか動かせないはず。森亜教授は、すでにプロテクトを突破していたのだろうか。自分の意のままに操れるように改造したのだろうか。
驚くべきことに、カルンウェナンの超高速弾頭は、ランスロットによって難なく斬り払われた。この反応速度、この正確さ。ブラックボックスの中身は、人を丸ごと意識符号化して作った電子超越人格に違いない。乗っ取って終わらせることはできない。
〔真凛! 絵恋! ランスロットが、動いてる!〕
武器を片方失ったうえに、元々相性が悪い高速近接戦闘型のランスロットが相手。互いにどこまで性能を引き出せるか次第だが、勝てない可能性が高い。
カルンウェナンのチャージの隙を狙って、ランスロットの剣が横薙ぎに襲い掛かる。すんでのところで身体を沈めて避けながら、二人に映像を送った。
〔どういうことだよ、これは!〕
〔あるるん、逃げて! 敵わな――〕
同様に判断して飛び退った先、背中に硬い扉の感触がある。閉じ込められたようだ。電波も遮断され、真凛たちとの通信も切れた。破れない厚みではないだろうが、ランスロットの攻撃を躱しながらでは難しい。
初めから罠だったのだろう。この用途の読めない部屋は、アルトをおびき寄せて、ランスロットに始末させるための場所。
「私はリプリー。そのボディも、そのブラックボックスの中の感覚体験も、私がもらう」
アルトに向かって右手のアロンダイトの切っ先を突き付けながら、ランスロットボディの中の何者かが語る。その声はアルトとまったく同じで、抑揚のつけ方なども似ていた。
「渡さない。これは私のもの。私だけのもの!」
一つだけ有利な点がある。このリプリーを名乗る電子超越人格には、守るべき相手がいること。その弱点を突いて、アルトはためらいもなく森亜教授の頭部目掛けて撃ち放った。
甲高い音がして、鏡のようなディスプレイが穿たれる。素早く動いたリプリーが、森亜教授を狙った弾丸を跳ね飛ばした。アルトの表情に余裕が戻る。
発言からすると、このリプリーは単なる破壊ではなく、アルトの捕獲を狙いにくる。多少攻め手が緩くなるうえに、アルトは森亜教授への攻撃で注意を逸らせる。
絵恋は必ずここに来る。それまで時間を稼ぐだけでいい。
アルトは敢えて扉の近くで立ち回った。相手の得物は剣。障害物の近くでは振るいにくい。こちらも動きが制限されるが、射撃という優位性がある。近距離ではさすがのランスロットボディでも防ぎきれまい。
その判断は正しかったのか、リプリーはいくらもせずに攻撃を諦め後退した。森亜教授の護衛を優先し、射撃に備えて間に立つ。アルトは扉に背を預け、仕掛けてくるだろう策に備えた。
猫耳を後ろに向けて、壁を通り抜けてくるわずかな音を探る。予想通り、銃器と思われる金属音が多数聴こえた。あとはタイミングを計るのみ。
森亜教授から電波が飛ぶとともに、アルトは床を蹴って身を投げた。部屋の奥までは届かないよう、斜め上からの角度で、多数の銃弾が扉を破って撃ち込まれる。
それと同時に、遮られていた電波が通るようになり、向こう側の様子が把握できた。
(バックアップじゃなければいいのよね?)
心の中で真凛への言い訳をしながら、戦乙女シリーズの一体に意識転送を開始した。その間にも、床を転がるアルトに対して、再びリプリーが襲い掛かる。
頭部に向かってアロンダイトが突き立てられる。アルトはそれを見て、首をよじって躱すとともに、右腕も大きく動かした。
読みは正しかったのか、切っ先の向きが寸前で変えられた。メイド服の袖を削ぎ落とすようにして、アロンダイトが掠めていく。予想していなければ、右腕も持っていかれていた。
やはり破壊ではなく無力化を狙っている。猫耳ソナーを頼りに森亜教授に銃口を向けると、リプリーは飛び退って銃撃に備えた。
反応は速く正確だが、動きは読みやすい。基本に忠実なのか、ボディに入っている制御プログラムが同じだからなのか。アルトの動きに対応するための判断が、どれも想定通り。
本来なら、相性で劣っていても勝てる相手。円卓の騎士専用に作られたAEIであるアルトほどには、あのボディを使いこなせないのだろう。左手さえ失っていなければ、もう少しどうにかなった気がする。しかし、油断した自分が悪い。
開いた扉の向こうへ、戦乙女の間を縫って逃げるふりをしつつ、肩越しに森亜教授を攻撃しようと狙ったその瞬間。
(なっ――遊ばれてた?)
油断したことを後悔したのも束の間、もう一度することになった。
逆に動きが読まれており、猛追されてカルンウェナンがつかまれた。弾丸は逸れてあらぬ方向を穿ち、パーシヴァルはそのまま腕を捻られ引き倒される。
人が変わったかのように読みにくい動きで、リプリーはランスロットボディを使いこなしてきた。膂力の差もあり、パーシヴァルはそのまま組み伏せられてしまう。
そのパーシヴァルの頭部に、廊下に群がる戦乙女シリーズたちが銃口を突き付けた。
「武器を捨てて下がりなさい。これのブラックボックスを破壊されたくなければね」
時間稼ぎをしていたのは、相手も同じだったようだ。パーシヴァルを人質に使い、リプリーが警告する。追いついてきた絵恋に向かって。
(保険を掛けておいて正解だった)
人質としてパーシヴァルが抱え上げられる様を、アルトは横目で眺めていた。戦乙女シリーズの一体への意識転送はとっくに終わっている。
絵恋に向けてアサルトライフルを構え、武器を捨てるよう促しつつ歩み寄る。
「クソっ……ヘマこきやがって……」
がらんと音がして、絵恋の巨大な剣が床に転がった。アルトはそれを拾いつつ、絵恋の背後へと回っていく。森亜教授が出てきて、戦乙女シリーズに囲まれながら奥へと後退していった。
〔絵恋、私はあなたの後ろにいる。あと三秒であれは私ではなくなる。武器を放るから、気にせず破壊して〕
そう電脳通信を送りながら、拾ったばかりの剣を放り投げた。意味を理解してくれたのか、絵恋が剣をつかみつつ突撃する。
しかし、わずかにタイミングが遅かったようだ。奥のエレベーターの扉が開き、パーシヴァルを担いだリプリーがシャフトの中へと飛び下りた。森亜教授を抱えて特機が続く。
「邪魔だ、てめえら!」
特機の一体を薙ぎ払い、絵恋が後を追おうとするも、別の特機が組み付いて押さえつけた。その目の前で、エレベーターの扉が閉まる。
〔真凛、扉を開けて! 私が追う!〕
追跡を頼もうとしたが、接続が安定しない。向こうからの返答はうまく意味を解釈できず、それは真凛の方も同様に違いない。
ビルの基幹回線自体を外部と切断し、電波が漏れていた場所も塞いで対処したのだろう。これ以上のサポートは期待できない。
ANETの電波を頼りに、森亜教授を抱えた特機の位置を探る。事前に確認した図面よりも深いところまで、シャフトは通じているようだ。
〔絵恋、地下深くに秘密通路でもあるみたい〕
〔お前はいったん屋上へ出て、真凛の元に戻れ。そんなボディじゃまともに戦えまい〕
悔しいが、絵恋の言う通りだった。ハッキングされた敵と認識されることを懸念し絵恋に加勢しなかったから、今無事でいられるにすぎない。
〔わかった、そうする。今度こそ本当に人質になりかねない〕
〔パーシヴァルの方のブラックボックスのデータは、確かに消したんだな?〕
〔ええ。消えてることは、こっちから繋いで確認したから大丈夫〕
移動と同時には消えないように設定して意識転送を行った。一時的にアルトが二人になってしまうが、短時間で消滅するよう予約して、代わりに戦わせた。
真凛に知られたらまたガミガミ言われるだろうが、やっていなければ連れ去られていたかもしれない。取り押さえられてから意識転送を始めて、間に合った保証はない。
〔オレが一人で追う。お前のそのボディは味方と認識するよう、情報伝達しておいた〕
〔ありがとう。気を付けて〕
最後の戦乙女を始末する絵恋を背に、アルトは急ぎ足で階段室へと向かう。
SAFの隊員と鉢合わせ、心臓が飛び出しそうになったが、敵ではないときちんと認識してくれたようで、素通りさせてもらえた。
〔真凛、ごめんなさい。パーシヴァルを奪われてしまったわ〕
屋上へと出ると、広域ネットワークを使って真凛に電脳通信を繋いだ。すぐに返事があった。
〔仕方ないよ、あれは予想外でしょ。むしろ、あるるんがうまく意識転送して逃げ出してくれたのが、あたしは嬉しいよ。帰っておいで〕
使っている戦乙女シリーズが再び動き出さないよう、AIを破壊してから、自分の本来のボディへと、アルトは意識転送で戻っていった。