第三話 潜入捜査
『……どなたかしら?』
呼び出し音に応じて、アルトは首を傾げながら訊ねた。
玄関の映像を電脳経由で見てみると、鳴らしたのは知らない女性。スリットの入った派手なドレスのようなものを身にまとい、紫に染めたファーを首に巻いて垂らしている。
半年この家で暮らしてきて、インターフォンが使われたのは初めて。来客自体が数回しかなかったものの、すべて真凛に対して直接連絡があった様子。遠隔操作でロックを解除して、勝手に入ってきてもらっていた。
そうしないということは、真凛とも面識のない誰か。危険を感じ、アルトは出迎えには行かなかった。代わりに、電脳経由でインターフォンのスピーカーに声を送って、問い質すだけにした次第。
『オレだよ、オレ』
女性はそう返した。名前も告げないなど、いよいよもって怪しい。円卓の騎士に意識転送した方が良いかと身構えると、真凛からの電脳通信が割り込んできた。
〔あれ、絵恋だよ。入ってもらって〕
〔どう見ても別人。この間のアクセスキーで試しても、電脳通信繋げないし〕
〔だから、見た目で判断しちゃダメだってば。湖の乙女シリーズはね、顔は簡単に取り換えられるように作ってあるんだ。キー変えたんならたぶん潜入捜査でしょ。お仕事の依頼だよ〕
いまいち納得がいかない。顔を除外し、それ以外の身体の特徴を、自身の中のコンピューター的な部分を使っていろいろと解析してみる。
服の上から推測できる体型は、胸がだいぶ大きい以外ほぼ同じ。動きの癖はまったく異なるように見えるが、全身疑似生体であれば、制御用プログラムの入れ替えで変更可能。
『本人確認するわ。質問に答えて。真凛って、今何歳?』
『お、それ言っていいのか? あいつ今――』
ぶつんと通信が切れた。代わりに電脳経由で真凛の怒りの波動が伝わってくる気がする。
「あーるーるーん!」
眉を吊り上げ憤怒の形相をした真凛が、仕事部屋から飛び出てきた。さすがに遊びすぎたようである。ふくれっ面の真凛のふわふわ金髪頭を撫でて怒りを誤魔化す。
「はいはい。ロリ可愛いロリ可愛い。心はいつも〇十歳――くらいでいい?」
「〇がついてる時点でおかしいじゃん! さっさと出なよ!」
遠隔操作で入れてあげればいいのに、アルトに出迎えさせたいようである。
仕方がないので、玄関まで赴き扉を開ける。監視カメラの映像で見た通りの、とても絵恋とは思えない妖艶な感じの女性がそこにいた。
「おま――その格好――」
アルトの姿を見るなり、絵恋らしき女性が噴きだす。腹を抱えて笑いだした。
「そんなに変かしら? あなただって似たようなものだと思うけど?」
コスプレにしか見えないメイド服風衣装のアルトに、やはり悪徳マフィアの女幹部のコスプレみたいな、派手で扇情的なデザインのドレスのようなものを着た絵恋。
「仕事なんだよ……オレだってこんな格好恥ずかしすぎて、記憶から抹消してほしいぜ」
「そう。お互い大変ね。私も仕事なの。よしよし」
アルトの両肩に手を置いて項垂れる絵恋の頭を、乱暴に撫でてあげた。
〔あるるん、地下に案内してー。あと、ナデナデはあたし以外には禁止!〕
相変わらず独占欲大爆発な真凛。アルトは絵恋を伴って、廊下の途中にある扉から地下の機密空間へと下りていった。
金属製の装甲扉を開き、各部屋を繋ぐロビー部分へと出る。アルトのメンテナンスや真凛お手製の工作をするための工房、円卓の騎士の保管庫や訓練室などが併設されている。
真凛はもうロビー中央のソファに座って待っていた。絵恋が向かいに掛けるのを見て、アルトは本分を果たそうと問いかける。
「何か飲み物入れてくる?」
「いや、いい。変に手掛かりとなるようなもの、摂取したくないな」
わざわざこんな格好をしているということは、潜入調査。誰かに化けているのなら、個性と相反する可能性があるかもしれない嗜好品は控えた方がいい。
そう納得すると、アルトは真凛の左隣へと腰掛けて目的を問う。
「円卓の騎士の出動じゃなくて、別の依頼?」
「いや、用意はしておいてくれ。出すとしたら、オレとの相性的にパーシヴァルの方」
アルトとしては、できれば使いたくない方だった。真凛の趣味がより色濃く出ている。
「もう推測はしているようだが、潜入調査の依頼だ。パーシヴァルはあくまでも最終手段として、近くに配備するだけでいい」
「それならダメー。お代は要らないんで、お帰りくださいー!」
両腕でバツ印を作って真凛が反対する。あれから一週間ほど経って落ち着いてはいるが、意識転送を使えという話になると思ったのだろう。
「お前が心配するようなことはやらせねーよ。ってか、お代ってなんのだよ?」
「もちろん、鑑賞代。あるるんのこんな可愛い姿、タダのわけがないよねー?」
理不尽すぎる。この流れ、真凛はまた何か警戒して、真実を悟らせないまま誤魔化して断ろうとしているのだろうか。
〔真凛、何を心配してるの? 私には正直に話して〕
〔だって、これ行き先きっと蓬莱重工だもん。この顔調べてみたら、香港マフィアの幹部の一人。この間のゼネトロンのお得意先だよ。ならまた戦乙女特機の話じゃん。しかも、意識転送で調べてくれってなるに決まってるもん〕
〔それ、真凛としては食いつきたいネタじゃないの?〕
〔この間みたいなことがないよう、なんか対策できてからじゃないとやらせたくない〕
ただのデータにすぎないアルトを、本物の人間のように大切にしてくれている。絵恋の手前できないが、真凛が愛おしくて、抱きしめたくて仕方ない。
「内緒話はそろそろ終わったか?」
「ドキーっ! ちょっとVR空間でイチャラブしてただけだよ!」
ほんの五秒ほどの間なのに、絵恋には見透かされていたようである。さすが公安のサイバー犯罪捜査局。内容はわからずとも、飛び交っている電波の量と頻度で当たりを付けたのだろう。
「意識転送は使わせない。お前が嫌うのは知っているし、この間の件があったばかりなのに、そんな依頼するわけないだろ。オレをどんな人間だと思ってんだよ?」
「時代錯誤のレディース特攻隊長。邪魔する奴は全員ぶっ飛ばす!」
先程年齢をバラされそうになったことへの意趣返しなのだろうか。真凛は挑発的な笑みを浮かべながらファイティングポーズを取り、絵恋の過去らしきものを暴露した。
「で、オレが知っている範囲では、お前、意識転送使わなくても、外からブラックボックスの中身を覗くこと可能だよな?」
挑発には乗らず、絵恋は真凛を無視してアルトに問いかけてきた。舌打ちして悔しがる真凛を横目に、最近知った事実からの推測も交えて返答する。
「ある程度のことなら。でも、量子ストレージ内を全部詳しくってのは無理。以前は、単に暗号化でもされてるのかと思ってたけど、この間言ってた意識符号化装置? あれの影響なのかしら。意識転送しないと意味が理解できない情報も多い」
おそらく対応するデコーダーのようなものが必要になるのだろう。データとして意味を成しておらず、未使用状態と錯覚する領域がある。
「んー、まあ、もうアポ取っちまったし、ダメ元でいいからついてきてくれるか? お前がいないよりは、情報がつかめる可能性は確実に上がる」
すべて読み取れるわけではないというのは、想定外だったのだろうか。絵恋は出端を挫かれた様子で、少々考えてからそう頼んできた。
「外から見える範囲だけでいいってこと?」
「ああ。危険なことはしなくていい。手当たり次第に、周囲のブラックボックスの中覗いてみてくれ。そんなこと、オレにはできないからなあ」
アルトとしては、必要に応じて意識転送を使ってもいいと考えている。多少の危険は冒さないと、見返りは得られない。
真凛の言う通り、保険は欲しいところではあるが、絶好の機会を逃したくもない。
どう答えるのか真凛の様子を探った。しかめっ面で腕組みをし、考え込んでいる模様。
しばらくして、今にも噛みつきそうな顔で絵恋を指差しながら宣った。
「あるるんにちょっとでもなんかあったら、一生手伝わないからね!」
手伝ってもらっているのは真凛の方だろうに。そう思いながらも、これは許可を示していると判断して、アルトは先を促した。
「具体的な話、教えてくれる? 私はどうやってついてくの?」
「この作戦の計画書を送る。目を通したうえで、質問があったらしてくれ」
電脳通信経由で、絵恋から文書ファイルが二つ送られてきた。一つはこの間の事件の報告書のようだった。
あの一件は、サイバー犯罪捜査局の別チームが追っていた事件に、森亜教授の特機が偶然絡んで起きたものだったらしい。
今絵恋が扮している香港マフィアは、歓楽街のいくつかの店で、電子ドラッグや違法なVR体験データを販売していた。真凛が仕掛けたトロイの木馬がその情報を拾って送信し、取引現場を押さえにきていたのが、あの六人。
事前に察知したマフィア側は、あの店にて捜査員を一網打尽にする計画を立てた。そこに、あのゼネトロンの営業マンのハッキング疑惑が絡む。
蓬莱重工、マフィア双方に対しての禊として、特機を使ったもっと穏やかな暗殺の実演の中継をすることになった。
「もしかして、私が事を荒立てちゃったの?」
アルトがゼネトロンの営業マンに疑惑を向けなければ。あの場に行かなければ。全く違った結末になっていたと思える。
「そういう意味で送ったんじゃねえよ。一般客や従業員も含め、店内の人間皆殺しの計画が、捜査員だけを静かに殺す計画に変わった。そしてお前がいたことで、救われた者がいる」
命拾いした捜査員がいるということ。しかし、一般客への被害は抑えられなかったというところだろうか。
最初からアルトが絡んでいなければ、本来皆死んでいたというのなら、確かに一般客も含め、救われた生命は多いと言える。
「あるるんは頑張ったよ。あんなになってまで、みんなを守ったんだから」
よしよしとアルトの頭を撫でながら、真凛が優し気な笑顔を向ける。
「ついでに、この囮捜査ができるようになったみたいだから、やっぱりあるるんお手柄だよ!」
作戦の計画書を見る限りでは、確かに怪我の功名と思える。
営業マンから得られた情報により、あの街での違法取引を仕切っていたマフィアの幹部を、一人捕らえることができた。そして闇の司法取引によって、蓬莱重工での囮捜査への協力を取り付けたという。
特機の大規模納入契約を結ぶとともに、実際に供給能力があるのかどうか、製造拠点を視察しに訪れるという設定。アルトは幹部の秘書アンドロイドの中に入って同行する。
「この楊百強って幹部、信用できるの?」
いかにもといった人相の悪い幹部の男の顔写真を見ながら、アルトは訊ねた。裏切って絵恋やアルトの正体を明かされたら、蓬莱重工側の戦闘員に抹殺される。
「半分疑似生体だ。従わざるを得ないだろ?」
絵恋の返答を聞いて、生命維持に関するどこかに細工したのだと判断した。生殺与奪の権を握られたら、当然逆らえない。
「毒を以て毒を制すってとこなのかしら?」
「それくらいのことはしないと、この国の平和は守れない」
悪びれもせず、絵恋はごく真面目な表情で言い切った。それだけの覚悟があるということ。
二十六歳という若さにして班長を務め、真凛の造った湖の乙女などというある意味ゲテモノのボディに入っている。力が欲しいのだろう。人々を守る力が。
「真凛、私行ってくるわ。助けてもらった恩は返さないとならないし、きちんと気を遣ってくれてるのを感じる」
「ぜったいあるるんを守ってよ! 何かあったら許さないんだから!」
ローテーブルの上に身を乗り出して、脅迫するかのような剣幕で叫ぶ真凛。
人間を守るためのAIであるアルトを、人間である絵恋が守るという逆転構造。そんなものを押し付けられているのに、絵恋は満足そうな笑みで承諾した。
「元よりそのつもりだよ。ブラックボックスのハッキングに関しては、どう考えても真凛よりアルトの方が上だ。こいつがいなくなったら、オレも困る」
その辺りは、人間の脳で考えている真凛と、ブラックボックスで動いているアルトの性能差。ブラックボックスの量子ストレージは、人間が意味を解釈するには異質すぎるのだろう。
「――で、私が入る秘書は現地集合なのよね? そこまではパーシヴァルで行けばいいの?」
「まあ、どっちにしろ持っていくんだから、その方がいいだろうな」
「まだ時間は大丈夫よね? 少しパーシヴァル動かしてみる。真凛、用意しといて」
この身体は寝室のベッドに寝かせておくのが良いだろうと判断し、一人で地上に戻った。
横たわった後瞼を閉じ、パーシヴァルへと繋ぐ。この家のローカル回線は非常に高速で、一秒と掛からず自分のすべてを転送できた。
「何やってるの?」
パチッと眼を開けると、緩んだ表情の絵恋がパーシヴァルの頭を撫でていた。
「ね、猫耳には弱くてな……」
絵恋もそっち側の人間だったようだ。一人称がオレの人間とは思えない興奮した顔で、もふもふの猫耳を撫でくりまわし続けている。
日常ボディとは異なる琥珀色の瞳を半眼にして、アルトはにらみつけた。
「あんまりいじらないで。性能落ちたらどうするのよ?」
単に真凛の趣味で付いているわけでもない。このパーシヴァルボディは、カルンウェナンと名付けられた左右一対の拳銃を扱う中距離戦闘型。
暗闇や死角にいる敵に対応するため、方角や距離まで判別できる、パッシブ・アクティブ両方のソナー機能がこの猫耳に実装されている。
「これ! これ着せようよ! 猫耳メイドさん!」
いないと思ったら衣装を取りにいっていたようで、先程着ていたのとは異なる藍色のメイド服を持って真凛が駆けてくる。断ろうとしたら、意外なことに絵恋に阻まれた。
「お、いいな、それ! 耳が邪魔でホワイトブリムは無理そうだから、リボンつけようぜ」
「どこ? やっぱ両サイド? それとも頭の後ろ?」
「横だな。色合わせようぜ。藍色のねーの?」
「あるある! とってくるー」
想定外の展開に、アルトは憮然とした表情でため息をついた。
(本当にやる気あるのかしら? 人間ってわからない……)
結局二人の大人の着せ替え人形として弄ばれ、準備運動をする時間はあまり取れなかった。
§
絵恋が用意した車のトランクの中で、乗り心地の悪さに辟易としつつ、やることがなく考えに耽る。もしかしたら、また意図的な行動だったのかもしれない。
真凛はこのパーシヴァルボディを使わせる気はなく、その意思を示すために秘蔵のメイド服を着せた。
おそらく絵恋の方はもっと打算的。こんな格好ならかなり注意を引けるので、絵恋や他の公安の人員が動きやすいと考えたのだろう。
作戦計画書通りであれば、行き先はこの前侵入した工場とは別の場所。意外なことにオフィス街のど真ん中。何か所も予備を持っていて、何かあったらすぐに移転しているのだろう。
ということは、今回失敗したらまた探しなおし。アルトとしては、一気に片をつけて森亜教授を捕らえるか、居場所の手掛かりをつかみたいところ。
(この格好で人前に出るのは嫌だけど、出る状況になった方が嬉しいジレンマ……)
今後も真凛の愛玩用AEIをやっていくのなら、少し慣れないといけないのかもしれない。アルトの悩みは尽きない。
〔そろそろ着くぞ。特機の生産を行っているのは、まず間違いないだろう〕
〔製造ラインの視察は、この後移動してってパターンもあるんじゃない?〕
〔その可能性もある。どちらにせよ、森亜がいるかどうか、ランスロットが保管してあるかどうかは何とも言えない。最優先は森亜の身柄の確保。あとは芋づる式にどうにかなる。いいな?〕
〔思ったんだけど、どうやって森亜教授を識別すればいいの?〕
〔それも含めて、お前の調査が必要なんだ。コンピューター上の記録は嘘を吐けない。ましてや、通常覗き見られることがない領域にあるものなら、本物だと思っていい〕
なるほど、と感心した。影武者を用意し、森亜教授自身は別人になっていたとしても、当人以外の全員が真実を知らないわけがない。
人前では隠しつつも、誰もいないところでは森亜教授は森亜教授として振る舞う。どこかのブラックボックスが、それを拾っている可能性は高い。
〔よく考えてるわね〕
〔たりめーだろ。こっちはこれでおまんま食ってんだ。移転先候補の情報もすべて把握したいし、移転作業が始まったら行き先を特定できるようトロイを残したい。だから単なる実力行使ではなく、お前の協力を仰いだのさ〕
確かにそれができるのはアルトしかいない。真凛から預かったプログラムを、接触したすべてのブラックボックスの中に置いてくる。そちらの方が重要かもしれない。
〔私が入るのって、この位置にいるアンドロイドで間違いないわね?〕
マーキングが施された機体をANETで見つけると、念のため絵恋に座標を送って確認した。マフィアの幹部、楊の罠だったら困る。
〔それだ。運転手はうちの捜査員。目視で本人確認もできた。お前のことは知らせてないから、うまく演じてこいよ〕
〔わかった。行ってくる〕
瞼を閉じ、意識を秘書アンドロイドに転送していく。広域ネットワークのアクセスポイントを用意してくれていて、ほんの二~三秒程度で転送は終わった。
「これが終わったら、本当に釈放してくれるんだな?」
「ええ。罪は消えていません。また見つけたら逮捕しますので、さっさと国へお帰りください」
「ふん。期限までは一切手を出すなよ?」
意識転送後聴こえてきたのは、楊と捜査員のやり取りだった。
内容からすると、逮捕自体行われていないことになっているのかもしれない。そうでないと、蓬莱重工側もこの訪問を許可しないだろう。
「約束の時間でございます。王彩華様もお見えになりました」
アルトは中国語で演じることになった。秘書アンドロイドの中身を調べてみたところ、この楊とは基本中国語で会話している様子。
もちろん、日本人相手には日本語でしゃべる秘書。ブラックボックス内に翻訳プログラムが入っており、苦労はしなかった。
先に外に出て、手を差し出し楊が降りる手伝いをする。絵恋扮する王彩華も車を降りて、こちらにやってきた。
「行きますわよ。一刻千金。わたくしの一秒が、一体幾らのお金を生むか、ご存じですわよね?」
役に成り切っているようで、羽扇子を広げると、ノリノリの感じの中国語で絵恋が話しかけてくる。この映像は録画しておいて、あとで真凛と鑑賞して楽しもうと決めた。
〔その秘書、大丈夫か?〕
地下駐車場からエレベーターに乗り込むと、絵恋が電脳通信で話しかけてきた。アルトはブラックボックス内を調べて不審に思った件について訊ねてみる。
〔なんか、プラスティック製の銃器内蔵してるんだけど、これ大丈夫なの?〕
〔存在するのは知っている。もちろん、オレの許可なしでは発砲できないように細工済み〕
〔なら良かった。この楊ってのが裏切るためのものかと思ったから〕
さすがにアルトが意識転送しなければ致命的なことになるような見逃しをするほど、公安は甘くないらしい。
そうすると、この間のコスプレパブの一件も、特機が絡んでこなければ、返り討ちにできる準備がしてあったのかもしれない。
(たらればで考えても仕方ないか……)
この囮捜査ができるようになったという結果だけを評価しよう。そう思いながら、アルトはエレベーターを降りた。
「これはこれは、ようこそおいでくださいました。上階にある特別室へご案内いたしましょう」
蓬莱重工の重役自ら、ロビーまで出てきている。このマフィアはかなりの規模で、資金力もあるのだろう。実際に買うことを公安が許すわけはないが、相当数の発注を楊に行わせたのかもしれない。
受付にいるアンドロイドをはじめ、ANETの転送モードを利用して検索範囲を広げながら、アルトはブラックボックスを見つけていった。
真凛謹製のトロイを仕込みつつ、一つ一つは深く探らず、職務だけを確認して重要そうなものをマーキングしていく。
秘書としてのそれっぽい受け答えをしながら、並行してこなしていくのはなかなか難儀。
「こんなところで作ってるとは驚きですわ。爆発事故でも起きたらどうなさるおつもり? 機密情報も多そうだし、こんな街中では危険ではなくって?」
気を遣ってくれたのか、絵恋扮する王が語り出して蓬莱重工の相手をしてくれた。
「安全には最大の注意を払っております。そんな事故が起こるような技術水準であれば、高性能な特機など作れるわけがありますまい。機密についても同様」
「あらそう? これだって、普通の人も乗れてしまいそうに思いますけども?」
上階に向かうエレベーターに乗り込みながら、絵恋が雑談を続ける。
「権限がなければ機密エリアには停まりません。それに、かえってこういう場所の方が、多くの情報に紛れて目立ちにくいのですよ」
この会話の流れは偶然だろうが、重役の言っていることは、本当と思えた。
気づけばいつの間にか隣のビルまで侵入してしまっていて、調査対象にするブラックボックスかどうか確認するための手間が増えてしまった。
そして肝心の情報を握っていそうな役割のものは、やはりこの位置からANET経由でたどりつける場所には見当たらない。
生産ライン視察のために、ネットワーク分離された機密エリア内に入れてもらった時が勝負。
「どうぞ、こちらへ。お飲み物はいくつか用意いたしましたが、ご要望がございましたら、すぐに持ってこさせましょう」
頑丈そうな扉が左右にスライドして開いて、応接室らしい豪華な内装の部屋に通される。扉が閉まると外のANETとの接続が切れた。この部屋自体も電波遮断されている様子。
「で、生産ラインはどこですの? お宅が本当に作れるのかどうか、期限を守れるのかどうか、その確認の方が先ですわ。買えないものの商談を進めても意味がありませんもの」
部屋に入る前に言えばいいのに、今更になって絵恋がそんなことを口にする。電波が遮断されたことに気付いて、不安に思ったのだろうか。ボディは湖の乙女のままだから、素手でも扉を破れそうな気がするが、念には念をということかもしれない。
「手付金がまだだからな。そちらの言葉を借りれば、買わないものの商談を進めても意味がない」
これまでとは態度が打って変わり、重役が横柄な感じで言い返す。
(なんか、きな臭くなってきたわね……)
ダンっと音がして、これまであまりしゃべらなかった楊が動いた。足をローテーブルの上に投げ出し、ソファにふんぞり返って乱暴な口調で言い放つ。
「指定の台数、指定の期限までに納入する保証をすんのが先じゃ。ナメとんのか、ワレぇ?」
「だから手付金のみ。見学料と思ってくれて構わない。気に入らなければ、買わずに帰ればよろしい」
なぜか険悪な態度でにらみ合い、火花を散らす二人。重役はテーブルの上に端末を置き、電子決済での入金画面を示した。
「さあ、払うのか、払わないのか?」
絵恋は口を挟まず、涼しげな表情で羽扇子をあおいでいる。これが通常のやり取りなのだろうか。それとも予想外の展開で、ポーカーフェイスを装い見守っているだけなのか。
楊には特別な指示は出しておらず、本来あるべき行動を取れとだけ依頼してある。その楊から、電脳通信で秘書アンドロイドに飛んできた指示を見て、アルトは固まった。
(これ、大丈夫なのかしら? 本当にあるべき行動なの?)
従わないと楊に不審に思われる。アルトが入っていることは知らせていない。いざというときの保険は掛けてあるはず。
そのまま楊の指示に従い、アルトは控えていた壁際から一気に前に踏み出した。重役に向けて右手を素早く伸ばし、手首を折りたたんで暗器の銃口を突き付ける。
突然のアルトの行動に対して、絵恋は特に反応することもなく平然としている。少なくとも、間違ってはいないようだ。
「相変わらずの劣等国じゃのぅ。アンドロイドの影武者を使って顧客を騙すんが、日本企業のやり方か? マフィアより余程悪質じゃ」
真凛がいたらまた怒鳴られていたところだ。ANETに応答しないうえ、周りの従業員が重役本人であるかのように扱っていたから、人間だと思い込んでいた。
間違いなくアンドロイドだった。楊の言葉に反応し、ANETの電波を飛ばし始めた。部屋の中に中継アンテナでもあるのか、誰かと通信している様子。
すぐに扉が開き、目の前のアンドロイドと同じ顔をしたもう一人が現れた。
「大変失礼をいたしました。最近何者かがハッキングしたアンドロイドが侵入いたしまして」
そう言って重役は深く頭を下げる。
「あなた方の仲介役だったゼネトロン社。そこの営業の方の秘書に何か仕込まれていたようで、こちらも神経質になっているのでございます。この通り、お許しください」
楊は確かに仕事をこなしてくれたようだ。アルトには武装格納命令が届いた。
手首を戻して壁際に下がると、重役の影武者アンドロイドが部屋を出ていく。そのブラックボックスにもトロイを仕込んだ。機密エリアに立ち入るかもしれない。
本物の重役らしき男は、秘書アンドロイドを連れて入ってくると、向かいに座る。
ごとりと音がした。ローテーブルの上に、楊が置いた金のインゴットがいくつか光っている。
「デポジットじゃ。買わん場合は返してもらうけぇの」
レトロな手段だが、サイバー化が進んだ今こそ、これが一番証拠が残りにくい。影武者が電子決済での入金を迫ったことで、試されていると気付いてくれたのだろう。
大手マフィアの幹部だけあって、楊は有能なようである。そしてこの重役もまた同様。ただし、相手がアルトでなければの話。
(ビンゴ。閉鎖空間とはいえ、ハッキングを警戒してるのなら、連れてくるべきじゃなかったわね)
秘書アンドロイドのブラックボックスにアクセスすると、今日ここで森亜教授と会う予定が入っているのが読み取れた。
外からではあまり具体的な内容までは認識できないが、この楊からの発注に対応するための、生産スケジュールに関する協議のようだった。やはり、森亜教授が直接指揮しているのだろう。
〔王様、面会予定について、後程お知らせがございます。念のため、私は移動しましょうか?〕
絵恋に対して電脳通信を入れる。盗聴されることはまずないだろうが、聞かれても問題ない言い方を選んだ。
〔頼みたいのは山々なんですのよ? でもわたくし、長生きするのが夢なのでございますの。生き急いでも仕方ありませんわ。予定が入ったのなら、それまで待ちますわ〕
あとで真凛に殺されるから、意識転送してまで調べないでいいという意味だろうか。アルトが伝えたかったこと自体は、理解してくれたようだ。
時間と場所はわかった。あちこちにトロイも仕込んだ。少なくともこの重役の秘書アンドロイドは、森亜教授の傍まで近づくはず。ならば、パーシヴァルで出直したうえで、中から手引きさせて、その時間その場所に突入する方がいい。
その後、機密エリアにある特機の生産ラインを見学しながら、内部のアンドロイドにもトロイを仕掛けていった。
同時に森亜教授の顔も知りたかったのだが、空振りに終わった。彼のものとして記録されている顔が、何種類も出てきてしまった。やはり頻繁に変えているのだろう。
生産ラインを見て驚いたのが、ほぼ手作りに近い内容だったこと。真凛の工房と似ていた。
もちろん、作業用全身疑似生体やアンドロイドを使っての製造だが、フルオートの大規模生産ラインまでは組まれていない様子。
機材は高価なものではあったが、汎用品だけを使い、職人技的に生み出されていた。
アンドロイド内のAIや、全身疑似生体の制御プログラムこそが、戦乙女特機の生産ラインといえるのかもしれない。ソフトウェアだけなら、物理的制約なしにすぐ移転可能なのだから。