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G線上のクオリア  作者: 月夜野桜
第一章 人間を形作るもの
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第三話 同類は相求むも、同属は嫌悪する

 だいぶ傾いてきた陽が車窓から差し込み、アルトの髪を金色に染めた。すっかり秋らしくなった空は高くまで澄み渡り、帰るころには鮮やかな夕焼けを見せてくれるのだろう。


 この光景から感じるノスタルジアは、アルトに埋め込まれた誰かの記憶によるものなのだろうか。これもまたきっと、目の前の感覚体験クオリアと過去の感覚体験クオリアが反応して生まれる新しい感覚体験クオリア


 そんな景色を楽しめたのも束の間、派手に光り輝く市街地に入り、空は消えた。効率ばかりを追い求め、天へと向かって伸び続けた建物が所狭しと並ぶ。まだ暗くなどないのに明滅を繰り返す、視覚デバイスがオーバーフローを起こしそうなほど眩い電飾の数々。


 人もまた、光に群がる羽虫と同じなのだろうかと考えながら、アルトは瞬きをした。


 車道には数多くの電気自動車が列をなすも、量子コンピューティングの発達に伴い最適化が進んだ交通制御システムにより、淀みない流れが確保されていた。むしろ歩道に群れなす人々の方が、渋滞を起こしている。


 車が停まったのは、壁面に張り付けられた3Dディスプレイに、さまざまな服装をした美女や美少女が次々と表示される店舗の前。どうやら衣料品店らしい。


 自動的に開いたドアから真凛が歩道に降りると、アルトは車道側から回り込んだ。慣れた感じの足取りで、真凛は店内を進んでいく。


「お、これ可愛い! 見て見て? 買おうよ、これ」


 真凛が手に取ったのは、メイド服――のようなもの。フォーマルな感じのエプロンドレスではなく、フリルやレースが多用されたファッション性の高いデザインで、スカート丈も短い。


「似合いそうだけど、サイズがだいぶ大きいんじゃない?」


 タグはMサイズになっている。真凛の身長だと、XSでも微妙に大きい。さすがにジュニアサイズは置いていないようで、スキャンしてみても識別チップの反応はない。


「そこまででもないんじゃないかな? 少しは直した方がいいけど」


 言っている意味が理解できず、真凛の顔を見た。そのピンクの瞳は、アルトの胸を見ている。


「それともこれに合うよう増量したい? あたしはむしろ、減量したいくらいなんだけど」


 どうやらアルトに着せるつもりらしい。確かに身長的にはアルトのサイズ。


「今度はメイドとしてこき使うつもり? それも人間らしさの教育? それとも、メイドとしてどこかに潜入調査?」


「メイドプレイに決まってるじゃん! なんのためにあるるんを作ったと思ってるの? 愛玩用なんだよ!」


 どういう意味のプレイなのか心配でならない。一応アルトが自覚できている範囲では、性的な悪戯をされたことはない。


 とはいえ、少女というよりは幼女のボディに好んで入っている真凛のこと。そのときだけバックアップからリストアし、証拠隠滅されてそうな気がしてならない。


「こういうの、いくつか買おうよ」


 他のデザインのものを探して付近を見て回る真凛。どれもこれも、やや扇情的な感じがする。


「もうちょっといかがわしくない感じのがいい……」


「いかがわしくないのがあると思うとか、このお店に失礼じゃん!」


 真凛の方がよほど失礼――というわけでもないようだった。改めて見回してみると、種類に関係なく、とても着たいとは思えないデザインのものばかりしか展示していない。


 どうもそういう系の衣料品店だった様子。思えば、外のディスプレイに映っていたのは、何かのゲームやアニメのキャラクターではなかっただろうか。


「ら、来客があったら困るから……」


 嬉しそうに鼻歌を歌いながらいくつも手に取っている真凛を見て、もう止められそうにないと判断しつつも、最後の抵抗を試みる。


「こんな可愛くて際どいの着てるとこ、他の人に見せるわけないじゃん!」


 振り返って叫ぶ真凛。他人に見せられる衣装ではないという自覚はあるらしい。


「あたし専用。あたしだけの鑑賞用。愛玩用AEIなんだから、やっぱりこういうのだよねー」


 独占欲大爆発。この顔やスタイルなども、すべて真凛の性癖に合わせて作られているのだろうか。余りにも造形が良すぎて、むしろ人間になれない気がしてしまう。大人向け着せ替え人形にされてしまうのであれば、なおさら。


(さすがに付き合ってられないわ……)


 いかがわしい用途のアンドロイドと思われても気分が悪い。車と通信して前の道路に呼び戻し、中で待っていようと考えた。


 自動ドアが開くのを待って外に出ようとすると、ガツンとした衝撃がアルトを襲う。


「――っ!! 痛ー……」


 開いたはずの自動ドアに、したたかに身体を打ち付けていた。反動でよろめきつつ、右手で額を抑えて痛みをこらえる。


 愛玩用を謳っているだけあって、このボディは痛覚なども感度が高くやたらとリアル。涙目のまま前を見ると、確かに開いている。


(どうなってるの、これ?)


 不思議に思って手を伸ばすと、何もないところに触れられる。見た目は開いているのに、実際には閉まっている。


 真凛の悪戯だと気づいた。ハッキングしてロックしたうえに、視覚デバイスに割り込んで、疑似映像で開いたと錯覚させられた。


 その証拠に、目の前にまた文字が浮かんだ。『まだまだだねー。あたしが敵だったら死んでたよ?』


 確かにまだまだである。視覚に頼りすぎた。光学センサー以外の手段も使いこなして、周囲の状況を常に把握しないとならない。


 振り返ってみれば、先程の蓬莱重工での失態も同じ原因。見た目だけで甲類バトロイドだと思い込んでしまった。人間である可能性も考慮し、他の手段も使ってよく確認すべきだった。


 その話は、真凛にはしていない。あの中での出来事は、さすがの彼女も知らないはず。仮にアルトのブラックボックス内を自由に覗いて記憶を見ることが可能だとしても、施設のハッキングまでして、今たしなめる必要はない。


〔真凛、どうしてハッキングなんてしてるの?〕


 何か他の目的があって施設を乗っ取り、ついでに悪戯をしたのだと考えた。アルトが電脳通信経由で訊ねると、真凛の返答は意外な内容。


〔森亜教授も趣味一緒だから、きっとここ利用すると思って〕


 同類相求むということなのだろうか。同じ方面の技術の天才なだけでなく、こういった趣味まで共通のようだ。言われてみれば、戦乙女ヴァルキュリアシリーズも同じ方向性の外見。


〔ね、なんで戦闘用なのに美少女にこだわるわけ? しかも二人とも〕


〔だって絵面的に美少女の方がいいじゃん! それともあるるんは、むさいおっさん型に入りたいわけ? マッチョの方が良かった?〕


〔さすがにおっさんは嫌だけど……〕


 こう思うのは、アルトが女性として人格設定されているからにすぎない。単に戦闘用として考えるなら、男性型の方が当然強い。


〔でしょ? ま、それは置いといても、丙類だからね。ぱっと見強そうじゃないのがいいんだよ。それこそラヴドールにでも見えるくらいの方が、相手は油断してくれる〕


 さすがにラヴドールは嫌だが、真凛の言うことには一理ある。この造形は単に趣味というわけでもないのかもしれない。


 秘書アンドロイドやメイドロイドとして側仕えしていれば、自然に敵の目を欺きつつ護衛ができる。犯罪に使うにしても、女性型の方が警戒されずに相手に近づけることが多いだろう。


〔そもそもさ、その発想あたしんだったんだよ? 美少女型で戦闘能力担保できたら、ぜったい売れるって考えたの〕


 少なくとも犯罪用途での需要は確実に増える。対象に隙ができる職業をやらせやすくなる。護衛用途でも、人によっては趣味と実益を兼ねそうと思える。


〔で、戦う女の子っていったら、やっぱり戦乙女ヴァルキュリアだよねー、って思ってさ。社内のデータベース調べて未使用だったから、登録しようとしたんだよ。どうなったと思う?〕


〔展開は予想つかないけど、森亜教授に取られちゃったってことだけはわかるわ〕


〔そうなんだよ! あいつぜったいあたしの行動監視してたね! 一秒だよ? 申請フォームに入力してボタンを押したら、重複のため不受理って出たんだよ? 調べたら、一秒前に森亜教授が登録してるんだよ? どう考えても名前盗まれたに決まってるよ!!〕


 なんとなく被害妄想な気もする。電脳経由でやっていたのだろうから、社内とはいえそこまで盗聴されているとも思えない。


 とりあえず、円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンドテーブルなのに女性型なのは、戦う女性のシリーズ名にできそうなもので、未使用のものがなかったからだということは想像がついた。


 そうこうやり取りしている間に、大きな包みを両手で抱くようにして持った真凛がやってくる。結局いろいろと購入した様子。


 頭の上まで達しており、完全に前が見えていない。施設の監視カメラ経由で映像を得ているのか、その状態でも真っすぐアルトの元へと歩いてくる。


 森亜の趣味というのは話半分として、何かしら捜査に関係のある場所だから、中からのハッキングのためにやってきたのかと思っていた。あれこれ選んでいたのも、単なる時間稼ぎなのかと。相変わらず真凛は、どこまでが本気でどこからが冗談なのかつかめない。


「帰ったら自分で手直ししてねー」


「はいはい。どうせだから、あなたのサイズに直してあげるわ」


 仕方がないので、代わりに持ってあげて車に積む。家に着くまでの間に封を開けてみると、幸いあの店にしては大人しめのデザインのものだった。


「それなら着るでしょ?」


「ま、まあ、ギリギリ許せるような、許せないような、微妙なライン」


 と返しながらも、心の中では悪くもないと考えていた。実際、普段のアルトはメイドロイドみたいなもの。やることといえば、料理に掃除洗濯、真凛との会話、それにヴァイオリン演奏。


 ランスロットの在り処がわかったら、戦うことになる可能性もある。時折、手持ちの二体を使って自己鍛錬はしているが、実際に持ち出して戦闘したことはない。


(ある意味、丙類としては正しい在り方なのね……)


 森亜教授の方も、真凛を探していることだろう。彼女の頭脳は何物にも代えがたい価値がある。製造済みの二体の円卓の騎士ナイツ・オブ・ラウンドテーブルも研究用に欲しいはず。いざという時に備えて、真凛の護衛をしているようなものなのかもしれない。


 家に帰ると、早速試着してみた。やはり胸周りや胴回りは少し詰める必要がある。本来なら店でやってくれるのだが、人間としての感覚体験クオリア獲得のためという建前で、裁縫もやらされる。


「ねえ真凛、丈は大体合って――」


 楽しみにしていたので、真凛に見せようとリビングに行くと、さすがに疲れたのかもう眠っている様子。寝室に連れていこうと抱き上げると、目の前にもう一人真凛が現れた。


〔可愛いー! やっぱりそれ買ってよかった! あるるんも気に入ったでしょ?〕


 事前に録画したのか、疑似映像を生成したのか。視覚デバイスには、興奮して褒めちぎる真凛の姿が映った。起きて待っていられる自信が無く、アルトが近づいたら表示されるように設定したのだろう。さっさと眠ればいいのに、芸の細かい真凛に苦笑した。


 ベッドに横たえてあげても、もう一人の真凛がずっと後ろをついてきて褒め続けている。同じ映像がループしているようなので、終了条件を設定する前に寝落ちしたのかもしれない。


 全身疑似生体のくせに、よだれを垂らしながら、だらしない顔で眠っている。むしろ真凛の方が、愛玩用アンドロイドに見えてしまう。そのふわふわの金髪頭を撫でながら考えた。


(一人なら食べなくてもいいかな……)


 空腹感はある。だが一人で食べる気はせず、そのまま眠ってしまうことを選んだ。


 食事をしなければ、疑似消化装置によるバイオ電池の燃料補充が行われない。アルトは代わりに壁のコンセントからケーブルを伸ばして、手首に埋め込まれた電源端子へと繋いだ。こちらの電気の方がずっと安い。


 中身が人間である全身疑似生体に、動作には不要なはずの食事機能がついている意味はわかる。食べることも娯楽の一つ。多少高くついても、直接的な燃料補充やケーブル充電より、精神衛生的に良いだろう。脳は生身なのだから、睡眠も当然必要。


 完全に機械であるアルトには、どちらも要らない。機能が実装されているのは、人間らしく振る舞うためだとはわかる。空腹や眠気まで感じる理由については、まったく理解できない。


 特に睡眠の方は、単なるコンピューター的なスリープモードになるだけ。節電にはなるし、パーツの寿命も延びるだろう。しかし、それを欲す感覚を得る理由がわからない。


(夢みたいのを見ることもあるのは、どうしてかしら……?)


 ブラックボックスは、通電していなくても状態が保存される不揮発性。量子ストレージゆえに、完璧に元通りの状態で再開されるわけでもないのだろうか。変化してしまった量子状態との不整合から、新しい感覚体験クオリアのようなものが生み出されるのかもしれない。


 真凛の隣で横になり、そんなことを考えていると、いつの間にか電源が落ちて眠ってしまっていたようだった。


「かかったー!」


 突然の大声がトリガーとなって、スリープモードが解除された。瞼を上げると、真凛が起き上がっている。どれくらい眠ったのかはわからないが、窓の外は真っ暗になっていた。


「何がかかったの?」


「さっきのお店! やっぱり戦乙女ヴァルキュリアシリーズの特機が買い物に来たよ!」


 ぽかんと口を開けて、アルトは呆然としながら真凛を見上げた。


(あれ、本気で言ってたの……?)


 森亜教授の趣味という話は、どうやら本当だった模様。その証拠に、電脳通信経由で店内の映像が送られてきた。


 ティーンズを名乗ることも名乗らないこともできそうな、境目の年齢に見える女性型アンドロイド。カタログにあったものとは、顔や髪などが違う。特注ゆえに一機ずつ異なるのだろう。


 店内の床に埋め込まれた重量センサーは、同じ体格の生身の人間と比べて、三割増し程度の数字を示している。全身疑似生体としても軽い方。一見では、バトロイドとはわからない。


 ただしその歩様は、戦闘用に調整されたと思しきモーション。体幹が一切ぶれず、足音が出ない特殊な足の付き方。その精密さと滑らかさからすると、スペック表通りの動きができそうに思えた。


「よく気付いたわね、これ……」


「あたしが作ったモーションなんだよ、あれ! こんなとこまで盗むとか信じらんない!」


 さすがにこれは被害妄想ではないだろう。何があって出奔したのかは知らない。しかし今は完全に敵同士。かつて同類相求だった二人は、同属嫌悪になっているようだ。


「真凛、ちょっとこの二人よく見えるようにして」


 端に映っている人物に覚えがあって、アルトは電脳上の映像に印をつけた。別のカメラからの映像も送られてきて、見間違いではないと確認できた。


「あの秘書アンドロイド、昼間特機のデータ盗ませてもらったやつよ。隣にいる男は、ゼネトロン社の営業マンだった」


 実演の依頼でもしたのだろうか。周りに悟られないよう工夫はしているが、戦乙女ヴァルキュリア特機の方を観察しているように見える。


「んー……ね、あるるん。あのアンドロイドのブラックボックスに意識転送トランセンスしてくれない? あの場所なら、全部持ってっても大して時間かからないはず」


「目的を調べてくればいいの?」


「データが出てきたら、すぐ帰ってきて。もし知らされてなければ、しばらく監視してほしい」


 丙類の主な用途は、要人の護衛、そして暗殺。戦闘用と見破られてはならないケースで使用される。まだ型式認定を受けていない特機を海外の企業に売るということは、密輸出か、国内での違法使用。どちらにせよ犯罪の匂いがする。


 真凛の方から意識転送トランセンスを頼んでくるというのも、異例なこと。ここのところやっていた仕事と関係があるに違いない。そしてそれは、重大事件の可能性が高い。


「わかった。ちょっと行ってくるわ。……悪戯しないでね?」


 ベッドに横になり、瞼を閉じた。電脳経由で先程の店付近のネットワークを探る。


(あった……やっぱり同じ個体)


 予想通り、昼間覚えた端末番号のANETの電波を発していた。そのブラックボックスの中へと、意識を侵入させていく。


「気を付けてね、あるるん。帰れなくなりそうなとこまでは、行かな――」


 真凛の言葉は途中で切れる。意識転送トランセンスを終えたアルトの視界は、秘書アンドロイドのものに切り替わっていた。


 戦乙女ヴァルキュリア特機の姿をその眼で見ながら考える。


(あの中……調べてみたいけど……)


 ブラックボックスの中に、森亜教授の居場所の手掛かりがあるかもしれない。量産品ではない。森亜教授本人、もしくは直接面識のある誰かが、受注生産しているに違いない。


 意識転送トランセンスして調べれば、すべてがわかるだろう。しかしその前に、真凛が頼まれているらしき仕事をしなくてはならない。


 ANETは稼働しているようだが、周囲への情報の要求だけで、自分からは発信していない。ハッキング対策が施されている可能性が高い。


 おそらくアルトならば簡単に破れるだろうが、下手に刺激し発覚しても困る。真凛が徹夜でやっていた仕事を、台無しにするわけにはいかないのだから。


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