幼すぎるロミオとジュリエット
その日の夜、私は昼間の興奮がなかなか冷めなくてベッドの中で何度も寝返りを打っていた。寝つけない。お父さんとお母さんはきっとリビングで晩酌をしているところだ。怒られるかもしれないけれど、私もリビングに行ってお茶でも飲ましてもらおうか。そんなことを考え、ベッドから出ると部屋から抜け出し、静かに階段を下りて行った。リビングの扉の前まで来ると中からお父さんとお母さんが話している声が聞こえてきた。
「そうか、それで静は保健室登校しているんだな」お父さんの声はいつもより低く響いていて少し、怖かった。
「ええ、まさかあの子がいつも話している男の子があの川村さんところの息子さんだなんて」
「よくよく考えればすぐに分かったのかもしれんな。保健室登校している子なんてそう多くはないのだろうし、それにしても困ったものだ」お父さんの声が暗い廊下まで響く。何の話をしているのだろう。私は嫌な感覚が背筋を走るのを覚えた。直君が一体なんだというのだろう。私が保健室登校している理由が直君であることがそんなに問題なのだろうか。保健室登校ってそんなに悪いこと?
「ともかく、これ以上静を川村さんところの男の子と係わらせるわけにはいかんだろう」そう言ったお父さんの声はとても冷たく、暗く聞こえた。
「でも、あの子に何て言えばいいか。隼人君のこともあるし」お母さんは困ったように言った。隼人君は直君と同じアトピーを患っている親戚の子だ。私は少しずつ後ずさりするようにそこから離れると階段を上がり、ベッドにもぐりこんだ。どうして?どうして私が直君と仲良くしていたらいけないの?私は何も分かっていなかった。差別というものは広がっていくものだということも。ここがそういうことに容赦のない土地だということも。なにも分かってはいなかった。
次の日の朝、朝食の席でお母さんがこんなことを言い出した。
「ねぇ、静ちゃん。たまには保健室じゃなくて教室の方にも顔を出してみたら?」お母さんは私が昨日の夜、お母さん達の会話を聞いていたことを知らない。
「どうして?どうしてそんなこと言うの」
私の過敏な反応にびっくりしたのか驚いたように口をつぐんでしまうお母さん。私は悔しかった。今まで直君の話をしてもやさしく笑っていたお母さん、それが今は私と直君との仲を裂こうとしている。酷い裏切りだった。
結局、お母さんとは口を利かないまま家を出た。もう、両親は自分の味方ではない。あと、頼れる大人と言えば友恵先生だけだ。直君には相談できない。きっと直君はこの話を知れば私を避けるようになるだろう。私のためを思って、敢えて私から離れて行ってしまう。そんなの耐えられない。小学五年生のロミオとジュリエットなんて喜劇にもなりやしない。
昨日の夜、映画を見に行ったその日の夜だ。
父さんはリビングに僕を呼び、大事な話だと言って僕を自分の横に座らせた。
僕と静穂がロミオとジュリエットになってしまうかもしれないという話。
父さんが言うには、父さんは町内会では有名なのだそうだ。
アトピーを患った息子がいるということで。そしてその息子は差別を受けているということで。
「こんな話、本来ならお前に面と向かって話すことじゃない。ましてやお前はまだ小学生。はっきり言ってお父さんは自分が正気かどうか疑うよ」そう言って自分の顔を両手でこする父さんは酷くやつれて見えた。
簡単にいえば、静穂の両親は差別を受けている僕と静穂が仲よくすることで差別の対象が静穂にまで向けられることを恐れるだろうということだった。
まず、間違いなく静穂は僕から引き離される。
今はまだ静穂自身は明確な差別は受けていない。
けれどいずれは確実にそうなるだろう。
そうなる前に、なんとかしなければいけない。
お前はどうしたい?父さんはそう言って僕を見た。
「決まってるよ。そんなの」僕はそう言って父さんの肩を拳で叩いた。
見くびってもらっては困る。僕はこれでも父さんの息子だ。
「自分の彼女くらい守って見せるよ。僕が離れることで彼女を守れるならやりとげてみせるよ。まったく、こんなくさいセリフを言う機会があるなんて思わなかった。これじゃ、三流小説だね」
その時、僕は自分では苦笑いをしているつもりだった。
良くあるドラマのかっこいい主人公のように。
だから、自分の頬を伝う冷たいものを僕は気にしないことにした。
そうでなければ、僕にただ無言で頭を下げる父さんにも申し訳がたたなかったから。
その日、僕は理解した。
静穂や静穂の家族、僕の父さんと母さんにも、もしかしたら山口先生にだって僕のこの重荷はのしかかるのだと。
僕の周りにいる人間は僕と係わったせいでいろいろな辛い思いをしなくてはいけないのだとしたら、すべての責任は僕が被るべきなのだ。
ロミオとジュリエット、二人は悲劇的な運命によって二人とも死んでしまった。
ならば僕は誰と死ぬべきだろう?
僕はきっとこの病気と共に死なねばならないのだろう。
そう、思った。
直は自分の心を抑える決意をします。
すべてが幸せだったときはあっという間に過ぎ去り、その中で一体何をすべきか。それぞれがそれぞれにあがいていきます。
次話をご期待ください