第六話 邂逅
「船長」
「なにかしら? クロエ」
クロエは、コンピュータを通じて得たタクヤの状況を報告した。
タクヤが既に、自身が隔離されている理由を理解しているであろうこと、これを継続することは、潜在的なリスクを徐々に大きくすること。
「それについては、私も報告を受けています。貴女としては、どうするのが適切だと考えますか?」
「クルーとの接触は極力避けるべきですが、ある程度の行動の自由、トレーニングルームとVRルームの使用を、制限付きで許可してはどうでしょうか」
「それで?」
「それによって、彼の能力や潜在的リスクも評価・分析出来ます」
船長のマイムーナは「私も概ね同意見よ」と、頷いた。
既にタクヤ――戦前の男性――を救助したことは報告している。それに対する指示は、一旦、科学コロニーに帰投することだった。
タクヤを乗船させておく期間はそれほど長いものにはならないが、その間のリスクは可能な限り低くするべきである。
相談の結果、VRルームとトレーニングルームの使用を限定的に認めることとなった。ただし、第三貨物室からの経路以外への侵入は禁止とし、使用前には船長が施設と経路の無人を確認する。使用後の確認も船務長が同様に行うこととした。
万が一にも、一般クルーとの接触をさせないための措置だ。
結果として、クロエのトレーニングルーム使用は、タクヤの後となり、その時間もやや短くなる。もっとも、ルームの設備を独り占めできるという特典付きだから、収支はプラスだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
タクヤもいい加減焦れてきている。AIをハッキングできないか、隙を突くことが出来ないかを考えていた。
とは言え、士官学校で基本的なことこそ学んだが、その分野はどうにか落第せずに済んだというレベルだ。それに、三百数十年の時間差で、どれほど技術が進歩しているか、予想もつかない。
「タクヤさん」
「ん?」
「トレーニングおよびVR施設の使用許可を得られました。
クルーとの接触を可能な限り避けるため、本日は十時より一時間半の使用が可能です。
あと二時間もありませんが、準備しますか?」
「もちろんだ。とりあえず、散髪と顔の除毛処理を頼む。あとはトレーニングスーツだな」
タクヤはシャワーを浴び、身支度をする。三百数十年ぶりに散髪もした。接触を避けるようになっているとはいえ、万一と言うこともある。身だしなみは重要と考えるタクヤだった。
トレーニングスーツも着ける。ぴっちりとしたスーツは、時代が違えばアメコミヒーローを思わせるデザインだ。サイズは合っているのだが、どうにも収まりが悪い。
時間の五分前に許可が出て貨物室のロックが解除された。
アイちゃんの指示に従い通路を進み、エレベータでデッキを二階層昇ると、トレーニングルームについた。
トレーニング設備自体は、タクヤが知っているものとさして違いはないが、一回り以上小さい。
こういうところからも、社会を構成しているのが、少なくともこの船にいるのが女性だけだという事実を突きつけられる。
「タクヤさん。トレーニングの効果を十全にするため、ナノマシーンの使用をお勧めしますが、如何でしょう?」
「それはどんなものだ?」
説明によると、それは経口摂取または皮下注射によって取り込み、トレーニングによる筋肉への刺激を増幅する。内分泌系の調整や疲労回復、それに伴う筋肥大促進などの機能もある。
「いや、止めとこう」
タクヤは備え付けの端末に自分のバイタルを登録する。内容はかなり詳細に渡るが、性別の欄は無い。
やはり、そういうことなのだ。
コンピュータに指示された適切なウェイトトレーニングを始めた。やや物足りないが、身体を動かすことで汗をかくのは、気分が良い。
その日は、機材を二巡するところで時間が来てしまった。
「ルームランナーか、エアロバイク的なものがあればいいんだが」
「ご希望は、船務長に報告しておきます」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
クロエが確認と清掃のためにトレーニングルームに入ると、ごく薄く、経験に無い匂いが残っている。
タクヤの汗の匂いだ。
彼女たちとは異なるそれは、しかし、決して不快なものではない。
やや名残惜しいが、ルームの換気と消毒を行う。と言っても、全て自動である。
次に入ると、完全に空気を入れ換えられた、いつものトレーニングルームだった。
「今日はどこを重点的に行こうかしら」
そう呟くと、トレーニングを開始した。
タクヤがトレーニングルームを使い始めて三日が過ぎた。
「タクヤ氏にとって、本船のトレーニング機材はもの足りないようです。ほぼ全ての機材を、最大負荷で使っているようです」
「最大負荷?」
「はい。やはり男性の筋力は、女性とは違います」
「トレーニングはVRルームでするしかなさそうね」
「本日より、そちらを勧めます」
クロエはいつも通り無人を確認するため、VRルームへ向かった。
「コンピュータ、VRルームは無人かしら?」
そう訊く途中、VRルームの扉が開いた。中から出てきたのは、当然、タクヤだ。
クロエは固まってタクヤを見た。
まず、体格が違う。一七〇センチをやや超えるクロエよりも、頭半分近く長身だ。この船ではもちろん、人を見上げるのは学生時代以来だ。
そして、上半身の大きさが違う。胸の厚みや肩幅が『調整』されているクロエとすら比較にならない。腕や脚の太さも違う。
徒手格闘では『大人と子ども』の意味を理解せざるを得ない。
下げた目線が、ある一点で止まった。
自身に無く、これまでの人生でも見たことがない膨らみ。アレが交接器だろう。ソレから目が離せない。
「おっと、これは失礼」
その、やはり聞いたことのない低い声に、クロエは我に返る。
「はっ、早く来すぎましたね。
初めまして、私は船務長のクロエです」
「俺はタクヤだ。世話になる。あ、エアロバイクはありがとう。
っと、接触はマズいんじゃないかな? すぐ貨物室に戻るよ」
タクヤがクロエの横を通り過ぎると、トレーニングルームでと同じ種類の匂いが、それを更に濃密にしたものが、クロエの鼻腔をくすぐる。
後ろ姿を見送る。
首、肩から背中にかけても、厚い筋肉が覆っている。尻も、自分たちとは異なる形の筋肉が、その歩行に合わせて動く。
これに近いのは、以前見たボディビルディングだ。
限界まで筋肉を鍛え込み、ナノマシーンや薬物の助けも借りて肥大させたそれは、彼女から見て『異形』のモノだった。
しかし、今見たものはそれとは違う。
負荷を受けた筋肉が、食物から得た材料をもとに回復する。その繰り返しによって時間を掛けて作られたものだ。
そこに不自然さは無く、初めて見たものなのに、一種の美しさを感じた。