第三話 ディストピア
アンチエイジング処置が行われなかったバイオロイドが生存している。
当初、それは単なるウワサだと思われていた。しかし、所定の処置を行わなかったことをキーに、彼等は自我を獲得した。
これが星系やコロニーを問わず、同時多発的に起こった。
ある時期を境に、およそ全ての『工場』から『出荷』されたバイオロイドが、野良となって数週間で自我を獲得した。
彼等は、ピーク手前から衰えることのない身体能力、人類と同等の寿命を持っていた。
そんな彼等を、歓迎する者、恐怖する者、様々ではあったが、彼等にも人権を認めるべきであるという考えがより強くなる一方、排斥しようとする考えも同様に強くなった。
当時、人類は、惑星住み・コロニー住み・宇宙船住みに分かれていたが、バイオロイドに人権を認めるべきと考える比率は、コロニー住みが最も高く、次いで宇宙船住みであり、惑星住みの半数近くはバイオロイド排斥寄りの考え方だった。
ある惑星での事故がきっかけだった。
エネルギープラントで爆発事故が起こり、それがバイオロイドによるテロ行為とされた。
その後の推移を見る限り、それは単なるデマに過ぎなかったと思われるものの、もともと燻っていた不満や恐怖が、人類同士の戦争につながり、その理由も不明なまま、戦乱は拡大していった。
その戦争は、生産や流通が滞る中、資源獲得のためのものへと変わり、人類は分断されていった。
後に『汎銀河戦争』と呼ばれる戦乱である。
戦乱が終息するまでの十年足らずで、人類の総数は最盛期の一割強にまで減少した。特に惑星上やコロニーでの減少が大きく、生物兵器が使用されたとも言われている。
戦乱の終息も、積極的な和平と言うより、これ以上戦争を続けられないから、あるいは目的や原因も判らないまま、惰性で続く争いにうんざりしたというものだったかも知れない。
戦乱に一応の終息を見て、人類とバイオロイドの間に『協定』が結ばれた。終結には人類以外の『悪者』が必要だった。
バイオロイド側の要求は大方の予想に反し、ささやかなものだった。最低限の人権――ほとんど生存権に近い――と、今後は自我を持ちうる知性をバイオロイドに与えないことのみである。
生殖能力を持たない彼等は、新たな『犠牲者』を生まない限りにおいて、自己の権利には固執しなかった。
タクヤは残された映像を見た。
かつては美しかったであろう顔に大きな傷跡がある少女が、涙を浮かべて「人に奉仕する人形のままでいたかった。私たちは心を持ちたくありませんでした……」と静かに言う姿に、いたたまれないものを覚えた。
その後、人類は復興へと舵を切る。
荒れた植民惑星やコロニーを放棄し、人口の集約が行われた。同時に、多産が奨励された。
とは言え、既に人類は妊娠の必要がなくなっていた。パートナーシップを結んだ二人の遺伝子から――一方が女性なら、その卵細胞を用いて――先天的な疾患などのリスクを除いた受精卵が造られ、人工的な環境で育てられる。
妊娠を肩代わりするシステムが、短期間での人口回復に繋がった。
無論、そのシステムには、実用化当初から反発する意見もあった。主に『自然派』と呼ばれる集団によるものである。
かつては、昔ながらの方法での妊娠・分娩を『ステータス』と考える者さえ存在したが、惑星住みの大半が死滅した時代、すでにそれは極少数だった。
ここで、ある変化が起こった。
バイオロイドの老化しない肉体を目の当たりにした人類は、自己の肉体にも同様の『処置』を行った。人手不足の折、ピーク手前の身体能力を数十年――中枢神経の寿命が尽きるまで――維持できることへの誘惑は大きい。
既に、バイオロイドによる『治験』が十分であり、人類復興のためというお題目の前には、多少の倫理的問題は些事であった。
そして、より大きな現象として、男性が激減した。
もともと、デザインされた受精卵から男性を『造る』場合、放っておけば女性として育つ胚を、人為的に男性へと発生させるため、歩留まりも悪く高コストだ。
この時代、人類は生殖において、既にオスを必要としなくなっていた。
結果として、Y染色体に基づくトリガで発生した男性を除き、新たに生まれる人類は全て女性となった。
かつて、妊娠出産を肩代わりする手段が無かった時代、生殖は女性の方が圧倒的に高コストだった。それは、社会において不利となる要素の一つだった。
一方、男性には、女性よりムリが利く汎用性の高い――露骨に言えば女性より安価な――労働力としての価値があった。
しかし、AIとアバターの一般化でその優位性は失われ、むしろ『製造』が高コストとなる男性は、この時代においては遺伝子の運び手という付加価値しか持たなかった。
まして、Y染色体を持たず、人為的に男性として発生させられた個体の価値は……。
「女性たちのディストピア、か……」
タクヤは独り呟いた。
「この『世界』、恋愛感情はどうなっているんだろう?」
恋愛感情にせよ、家族愛や母性愛にせよ、それらは遺伝子を次代に繋ぐために有利だったから数千万年に渡って受け継がれてきた。それが数世代で消えるものとは考えられない。
「アイちゃん」
「はい、タクヤさん。
客室は、今しばらくお待ち下さい」
「いや、それではなくて。ここは、宇宙船だよな」
「その通りです。
船名『ラムフォリンクスⅢ』 船籍番号……」
「いや、それはいい。
乗員の娯楽は、どんなものがあるんだ?」
「主にVRホログラム媒体を用いたもの、映像あるいは音声を用いたもの、いずれも双方向なものと一方的なものの両方があります。
双方向のものは、訓練等にも用いられます。
ただし、VRルームやトレーニングルームの使用は、検疫が終了するまで許可できません」
タクヤは既に、隔離の目的が検疫でないことに気づいていたが、その事情も理解できるだけに、あえてそこには触れなかった。むしろ、検疫期間後にどのような言い訳をするのかという、少し意地悪な興味もある。
「この『世界』では、家族の在り方は、どうなっているのかな?」
「タクヤさんが生まれた『時代』と大きく変わりません。
愛情によって結ばれた者たちが、パートナーシップ制度によって公的に家族となり、望めば子どもを持つことになります」
タテマエはそうだろうが……。
制度が『夫婦』から『パートナー』に替わったのは、少数派に対する配慮であって、多数派たる異性愛者はどういう状況におかれているのだろう? いや、異性愛自体成立しないか。
タクヤはこれ以上を訊いたものか迷った末、訊かないことにした。