【短編コミカライズ】好きな人に“好きな人”が出来たらしい
A.決闘を申し込む。
「なあ、知ってるか?」
「何を?」
ブンッ、ブンッと剣を振る私の横で、噂好きの男が流れる汗を腕で拭いながら、あっけらかんととんでもない爆弾発言を落とした。
「あいつ、好きな人が出来たんだって」
「…………は?」
私の名前は、ノエラ・アルヴィエ。
国境付近の西方の地を領有する、アルヴィエ辺境伯家の長女である。
辺境伯の血が流れる私は、女という身でありながら自ら騎士志願をした内の一人だ。
代々アルヴィエ辺境伯家は、国王に忠誠を誓う騎士の家の生まれであり、私には二つ上の兄がいるため家を継ぐことはないものの、父と兄から影響を受け、将来は騎士になりたいと騎士学校に通っている。
たとえそれが、結婚に差し支えることになったとしても。
そんな私には、腐れ縁であり幼馴染でもある、“あいつ”がいる。
彼の名は、シリル・ベルトラン。
ベルトラン辺境伯家の生まれで、うちとは反対の東方の地を領有する、こちらも代々王家に忠誠を誓う騎士の生まれだ。
金色の髪に翠眼の瞳を持つ彼は、容姿だけでいえば、物語に出てくる王子のような見目で他者を魅了する。
そう、見目だけは。
私はいつも、そんな彼と顔を合わせるたび口喧嘩をし、勝負する。
勝負とは、騎士同士で行う剣術の手合わせのこと。
今のところ、勝率は私の方が上回っているという、何とも可愛げのないことが起きているが、それは私達の日常茶飯事の出来事であり、またコミュニケーションツールの一貫でもあった。
そんなあいつにまさか、“好きな人”が出来るとは、まさに寝耳に水の出来事で。
「また素振りしてんのか」
「!!」
その嫌というほど聞き知った声に、ハッとして慌てて飛び退けば、そんな私を見てあいつ……シリルは、耐えきれないと言ったふうに笑う。
「そんなに驚くことか? 相変わらずすげぇ集中力だな。
俺にも分けて欲しいもんだわ」
「…………」
「……ノエラ?」
いつもだったらその言葉に軽口を叩けるはずなのに、何故か今は上手く言葉が出てこなくて。
そんなシリルを見たまま固まってしまう私に対し、彼は顔を覗き込んで言った。
「お前、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「……いや、何でも」
「そんな顔して、何でもないことはないだろ」
そんな顔とは、どんな顔だろうか。
残念ながら鏡がないので分からないが、彼が困ったように眉根を寄せているのは分かり、小さく尋ねた。
「そんなに酷い顔をしてる?」
「あぁ。 見るからに顔色が悪い。 何だ、風邪でも引いたのか? バカは風邪を引かないんじゃなかったのか?」
「!!」
そう言って彼が私の額に手を伸ばしかけたところで、私は今自分が汗をかいていることに気が付き、刹那バシッと手を振り払って口にしていた。
「っ、触らないで!!」
「!?」
ハッとした時には、時既に遅し。
シリルは驚き、振り払われた手をそのままに固まってしまっている。
その手が赤くなっていることに気が付き、慌てて謝った。
「ご、ごめん……」
謝罪の言葉を小さく口にすれば、シリルは「いや、」と首を横に振り言った。
「急に触ろうとして悪かった。 お前が具合悪そうだなんて、よっぽどきついんだよな。
今日はもう寮に戻って休め」
「いや、まだ午後の授業が」
「騎士の資本は体調管理だぞ。 そんな調子の悪そうな顔をしていたら、同じことを言われるに決まっている。
俺から伝えておくから、ゆっくり休め。 寮まで送る」
「……っ」
(なんで)
いつもは憎まれ口ばっかり叩くくせに、こんな時に限って優しくするの。
その優しさが胸に詰まって、言葉が出てこなくて。
そんな私に対し、彼は手を伸ばしかけて……、その手を触れる前に引っ込めて、困ったように笑った。
そんな彼は、言葉通り私を寮まで送ってくれた。
女性寮には当然ながら男性が入ることはできないため、寮母室の前でお別れとなる。
「じゃ、これで。 くれぐれも素振りとか自主練はするなよ? お大事に」
「っ、待って!」
「!」
咄嗟に彼の裾を掴み、呼び止める。
その行動に彼が驚いたように目を見開くが、私の方がもっと驚いていた。
(ど、どうして呼び止めたのよ!?)
「……ノエラ?」
これには心底戸惑った様子の彼が、私と目線を合わせるために少し背を屈める。
その瞳に私が映っていることが、どうしてか今は嬉しくて。
本当に風邪でも引いたんだろうか。
そんなことを思ってしまう私は、気が付けば口を開いていた。
「……好きな人が出来たって、本当?」
「!! どうして、それを」
動揺から見開かれた翠の瞳を見て、答えを聞かずとも分かった、いや、分かってしまった。
ギュッと拳を握ると……、彼の顔を直視することなく俯き、呟いた。
「嘘つき」
「!? ノエラ!」
彼が制する声が聞こえたけど、私は踵を返し、振り返ることなく自室へと続く廊下を早歩きで歩きだしたのだった。
そのまま扉を開け、いつもだったら皺にならないようすぐに着替える制服をそのままに、狭い部屋の中に置かれたベッドへと直行し、突っ伏してもう一度震える唇で紡いだ。
「……シリルのばか、嘘つき」
―――七年前
「わー! また負けたーー!!」
「やった、私の勝ちね!」
10歳になった、騎士学校へ通う一年前のこと。
まだ本格的な剣を持たせてもらえない私とシリルは、木刀を手に戦っていた。
今日も今日とて何度目か分からない手合わせをしたら、さすがに疲れて、行儀の悪いことに二人でそのままその場に座り込んでしまった。
息を整え、ついには大の字で寝転がる彼の横で、私は「良い天気ね〜」と空を仰ぎ見て呑気な声を出せば、彼は呆れたように笑って言った。
「お前、本当体力化け物だな」
「化け物って何よ。 淑女に向かって失礼ね」
「嬉々とした顔で木刀振るお前に淑女を語られてもな」
「ま、否定はしない」
「いや、しろよ」
そんなやりとりをして、二人で顔を見合わせてクスクスと笑ってしまえば、彼は一頻り笑った後、しみじみと口にした。
「お前がいれば、一生結婚出来なくても構わねぇわ」
「突然何?」
「いや、俺は直に家の跡を継ぐ身だからさ、そろそろ婚約者を決めろって親からうるさく言われてんだよ」
「それは大事なことだよね。 幼馴染なんかにかまけて、結婚しないなんて言ってる場合ではないでしょ」
「ま、それもそうなんだけどさ」
そう口にする彼に対し、そういえば、と私も口を開く。
「私も婚約者を決めたらって言われてるんだよね。
どうしようかな。 適当にあみだくじででも決める?」
そんな私の言葉に、彼は驚いたように目を丸くすると、呆れたように口にした。
「適当だけはよせよ? そんな選ばれ方じゃ、相手の男が可哀想だ」
「……つまり、こんな男みたいな私じゃ相手が困るからってこと? それは私に対して失礼なんじゃない?」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃねぇよ。
そうじゃなくて……」
「何よ?」
彼は珍しく、ガシガシと乱暴に頭を掻くと、「だから!」と急にガバッと起き上がり、私と目線を合わせると言った。
「お前は女なんだから、ちゃんと好きな人と結婚して幸せになれよってこと!」
「! ……女だからとか、そういう言い方は好きじゃない」
「そこか!? 突っ込むところ! さすがだな……」
どこか諦めたように息を吐く彼に向かって、「どういう意味よ?」とムッとして尋ねたけれど、彼は「もういいや」と口にして言った。
「分かったよ。 もし好きな人が出来たら、俺に言え。
俺が本当にそいつがお前を幸せに出来るかどうか、判断してやるから」
「……何それ。 父親は二人もいらない」
「だーっ! もう、本当に面倒臭い!
分かったよ、お互いに好きな人が出来たら報告する! そうすれば、問題ないだろ!?」
「大アリだよ。 何で貴方に好きな人が出来たくらいで報告しなきゃなんないの。
第一好きな人なんて出来ないし」
その言葉に、彼は目を見開き……、拳を握って言った。
「そんなの分かんねぇだろ。 決めつけないで、もっと視野を広げておけ。
……お前だって、普通に可愛いんだから」
「……!!」
“可愛い”。
家族にしか言われたことがなかった、そもそも、装飾品より剣を取ることを好む私に、間違いなくかけられることはなかったその言葉に、不覚にも、頬に熱を持つのが自分でも分かって。
咄嗟に反応出来なくなってしまったことを、目敏いあいつはすぐに気付いて、からかい混じりに言った。
「何? 照れてんの?」
「っ、うっさい! それに、私は可愛いじゃなくて格好良いって言われたいの!」
「それはそれでどうなんだ」
そう言いながら、彼は太陽のように眩しい笑顔ではにかんだのだった―――
「何が『お前がいれば、一生結婚出来なくても構わねぇわ』、『お互いに好きな人が出来たら報告する』よ。
言葉と行動が一致してないっての」
そう呟けば、目頭がツンと熱くなる。
分かってる。
こんな気持ちになるのは、風邪のせいではないんだって。
……いや、病気は病気、それも末期の状態なのかもしれない。
(だって、あの時から私は)
間違いなく、“恋の病”にかかってしまっているのだから。
他でもない、“好きな人”がいるあいつに対して。
(それなら、私は)
翌朝。
「ノエラ」
「……シリル」
声をかけられ、振り返れば、そこには丁度今探していた彼の姿があって。
彼は心配そうに尋ねた。
「調子はどうだ? もう大丈夫なのか?」
「うん、おかげさまで。 逆に今すぐにでも身体を動かしたいくらい」
「さすが、候補生トップクラスの言うことは違う」
そう悪戯っぽく笑う表情にさえ心臓が高鳴るのを感じ、彼を直視することが出来ず、少しだけ視線をずらして答える。
「……それは貴方もでしょ」
「はは、そうだな。 そのお陰で、お前と組めるのは俺だけの特権だし」
「……っ」
また、そういうことを言う。
(本当に、罪深い男)
恋愛にあまり興味のない女性騎士候補生でも、この男だけにはキャーキャー言う理由が、今になってよく分かる。
そんなことを考えていたら、気が付けば向かいにいる彼がじっと私を見ていた。
「……何」
「いや、その……、昨日のこと、なんだけど」
私が尋ねたことにより、急に視線が泳ぎ始め、しどろもどろになりだした彼に対して、昨晩一生懸命考えて用意した言葉を並べる。
「それについて、私から先に言わせてもらっても?」
「っ、お、お前から!? な、何だ?」
私からの申し出に心底驚いたようだったけど、私の言うことを昔から聞いてくれる彼は、その先の言葉を促す。
そんな彼のお言葉に甘えて、ゆっくりと息を吸うと……、単刀直入に尋ねた。
「好きな人って誰?」
「!? こ、ここで聞くか!? 普通!?」
「何よ、何が問題なの」
「何が問題なのって……、お前、今この状況分かってんのか?」
その言葉に振り返れば、大勢の騎士候補生がガヤガヤと騒いでいる。
そう、ここは騎士候補生のための食堂であり、今は朝食時でピーク時間のため、人が大勢集まっている。
その光景を見て、首を傾げ口を開いた。
「私達の会話なんて、誰も聞いちゃいないでしょう」
「そういう問題じゃねえ。 せめて時と場所を考えろよ……」
「何、そんなに言いたくないわけ!? それとも何、貴方の好きな人はこの場で言えないような人なの!?」
「馬鹿! 声が大きい!」
そう口にした彼の声の方がずっと大きいと思う。
そのせいで、周りにいた皆が一斉にざわつき始め、何だ、喧嘩か? と一気に視線が集まる。
それを見た彼が頭を抱えたところで、「そう」と口を開いた。
「分かったわよ。 貴方がその気なら、こっちにだって策がある」
「は? ……なっ!?」
私はそんな彼に向かって、付けていた手袋を投げた。
その落ちた手袋を見て唖然としている彼に向かって、私は口を開いた。
「シリル・ベルトラン。 貴方に決闘を申し込む!」
「は!?」
私の言葉に、周囲がどよめいたけど、そんなことには見向きもせず、驚き見開かれる翠色の瞳をまっすぐと見つめ、意志が本物だということを示すと、彼は「どうして」と呟いた。
その言葉に息を吸うと、凛とした口調で告げた。
「日時は今日、昼休憩の時間。 場所は裏庭で」
「ちょ、ちょっと待て。 条件は何だ? 一体何が目的で」
その言葉を彼の口の前で人差し指を立てて制すと、私はその答えを出した。
「今回の条件は、負けた方が勝った方に“好きな人を教える”こと」
「……は!? おい、ちょっと待て! どうしてそうなった!?
というかお前、そもそも好きなやついるのか!?」
その言葉に、私は何ともない風を装って言った。
「いるよ」
「……え」
「いなかったら条件にいれてない」
「それもそうだけど、ちょっと待て、理解が追いつかねぇ」
「じゃ、そういうことだから。 せいぜい心の準備、しておいてよね。
私に好きな人を教える準備」
そう口にすると、もともと食堂では朝食を食べる気がなかった私は、パンを片手に踵を返すと、彼から背を向けて歩き始める。
そんな彼は、少し遅れて口を開いた。
「ちょっと待て、それって俺が負けるの前提だよな!?
なあ、おい! 聞いてんのか!?」
(あーあ、声がうるさすぎてこれじゃあ皆来ちゃうじゃんか)
私はそんな彼の大声を背に、後ろを振り返ることなくその場を後にしたのだった。
決闘。
それは、剣術の手合わせを公式化したもので、一対一で行われる伝統的な試合方法のこと。
決闘には規則があり、相手に申し込むためには、先程私が彼に対して行ったことをしなければならない。
まずは、相手に自分の手袋を投げ捨て宣言した後、日時、場所、条件を指定する。
この“条件”とは、敗者への罰ゲームのようなもので、よっぽどの条件でない限りは相手は断ることが出来ない。
そして、急な体調不良でない限り決闘を受けなければならないのが、暗黙の了解となっている。
もし断った場合は、騎士の恥であり、騎士失格というレッテルを貼られてしまう。
そんな決闘を持ちこむことまでして、彼の好きな人を知りたかった理由はただ一つ。
(彼の口から聞けば、この恋に別れを告げられるから)
そう、これは私の恋心へのけじめをつけるための勝負なのだ。
(だから、負けるわけにはいかない)
私に負けは許されない。
そう心に決め、閉じていた瞼を開けば、真剣な眼差しで模擬刀を見つめる彼の姿があって。
(……貴方はその瞳の奥で、今何を考えているの?)
そんな私の耳に、私達の勝敗で賭け事をするという、何とも悪趣味な方々の声が聞こえてきたため、苛立ちを隠さず今日の審判をしてくれる人……、ご丁寧に、彼に好きな人がいることを教えてくれた、同時に彼の親友でもあるアランに向かって声をかけた。
「アラン、早く始めて」
「おおっ、怖」
「アラン」
「了解ですっと」
私が名前を呼んで凄んでみせれば、アランは肩を竦め、今度はシリルに向かって声をかけた。
「シリル、準備は良いか?」
「……あぁ」
驚くことに、そう口にした彼もまた機嫌がよろしくないらしい。
(珍しいわね、そんなに私と決闘するのが嫌なの?
それとも、好きな人を知られたくないとか?)
でも、お生憎様。 そもそも“好きな人を互いに言い合おう”と言い出したのは、貴方の方なんだから。
(この勝負、絶対勝つ!)
「両者、剣を構え!」
その言葉に、私は剣を一振りした位置で止め、彼も剣を持ち上げ上から下へ斜めに構える。
あれだけ騒いでいた見物人も、シンと静まり返る。
そして睨み合うように対峙した直後、アランの鋭い声が開始の合図を放った。
「始めっ!」
その直後、私は地面を蹴る。
刹那、キィンと鋭い刃のぶつかり合う音が耳をつんざいた。
一気に片を付けるつもりで間合いを詰めたのだが、シリルは見切っていたらしい。
私の剣を軽く横に受け流した。
(なかなかやるじゃない)
勝つのは私だけどね……!!
彼は一つ一つの太刀筋が重く、防御型。
反対に私は、短い剣戟を繰り返して隙を狙う、攻撃型。
一人一人攻撃スタイルが違うのは当たり前のことだけど、ここまで真逆だと思うと笑えてくる。
(正反対すぎて、まるで私と彼は相容れない関係みたい)
まあ、実際そうなのだけど。
十年以上、彼と私は幼馴染という間柄だった。
騎士という同じ志を持ち、よく喧嘩をし、手合わせをする。
いつでも一緒にいることが、当たり前の存在だった。
……だけど、いつまでもそんな関係ではいられない。
だって私達は異性であり、いつかは結婚しなければならない身の上なのだから。
(その彼の相手は、私ではない)
だから、この気持ちを諦めるために、彼に勝たなければいけない。
……なのに、どうして。
「っ、何で勝てないのっ」
苦し紛れにそう剣を押し合いながら呟けば、その声は彼に届いたらしく、彼は答えた。
「っ、俺だって、いつまでも負けっぱなしではいられない!」
「っ、そんなに、私には言いたくない!?」
攻撃をいくつも仕掛けながらそう声を荒げると、彼は口籠った。
そんな彼の様子に苛立ちをそのまま剣と言葉にぶつける。
「っ、元はと言えば、貴方が言ったんじゃない!
“好きな人が出来たら、教え合おう”って!」
「それを言うなら、お前の方こそ! 好きなやつって誰なんだよ!」
「それは、私に勝ったら教えてあげるって言ってるでしょ!」
「なんなんだよ、それっ……!」
(それは、こっちの台詞よ)
本当、頭にくる。
好きな人が出来たなら好きな人が出来たで、私に教えてくれれば良かったのに。
悲しいのは、彼の口からではなく、違う人からその存在を知ったこと。
つまり、彼はアランには教えて、私には教えてくれなかったのだ。
(そうすれば、こんな面倒なことにはならなかった)
それに、今日の彼はいつもとは違う。
それは、まるで……。
「っ、ねえ」
「なんだ!?」
「いつも、加減してたでしょ!?」
私の言葉に、彼は答えなかった。
つまりそれは、肯定ということ。
(最初から、彼はあえて私に勝たせていたんだわ)
手合わせでは、いつだって私が勝っていた。
たまに彼が勝つことはあったけど、今日改めて決闘をして思った。
私では、彼には勝てないと。
それくらい、彼は強かった。
今まで何のつもりで私に対して加減をし、負けていたのかは知らないが、腹が立つ。
彼に対して、そして、そんなことすら気が付かなかった自分に対して。
(……本当、ありえない)
目の前にいる彼は、幼馴染のはずなのに、知らない人のようで。
それが何だか怖くて、不安で。
(……私、彼のことを知っているようで、何一つ知らなかったんだ)
そう思った瞬間、目頭が熱くなる。
ぼやけた視界の先で、ハッとしたように彼が剣を取り落としたことで、勝負の決着がついてしまった。
「この勝負、ノエラ・アルヴィエの勝利っ!!」
そうアランが口にした瞬間、わっと一気に歓声と落胆の声が入り交じる。
その声が遠くに聞こえている私の前を、彼は一目散で駆け出して行った。
(……私、こんな形で勝利したかったんじゃない)
正々堂々戦って、勝つつもりだったのに。
彼の方が本当は強いはずなのに私に対して加減していたこと、そして、今回も彼が試合放棄をしたことで私が勝ってしまったことに、好きな人云々ではないことで絶望した気分を味わっていると。
「っ、ノエラッ!」
「!?」
不意に、頭の上からバサッと上着をかけられた。
それは、いつも彼が着ている男性用の候補生の上着だということに気が付いた時には、不意に身体が浮いて……。
「きゃっ!?」
瞬間、そんな彼の力強い腕に抱き抱えられていた。
いわゆる“お姫様抱っこ”状態に顔に熱が集まるのが分かる。
頭から上着をかけられているから周りからは見えないものの、それはこちらも同じで、彼の顔も周りも見えない中、私は抗議の声をあげた。
「ちょっと! 一体、どういう」
「大丈夫か!? 見るからに顔色が悪いぞ!?」
「いや、悪くな」
「気持ちが悪いって? ちょっと待て、今すぐ救護室に連れて行ってやるからな!」
「は、ちょ、え!?」
彼は私を抱き寄せると、一気にその場から駆け出した。
その速さに驚き、慌てて彼の首にしがみつけば、クスクスと笑ったような声が聞こえる。
(……後で覚えてろ)
そんな彼に対して悪態をつきながらも、この現状に胸が高鳴り、嬉しく思ってしまう自分は何なんだろう。
そう自覚し、より一層顔が熱くなってしまうのだった。
彼が向かった先は、救護室……ではなかった。
ストンと下ろされた先は、私が使ったことのない部屋。
「ここは?」
「空き部屋。 滅多に人が来ないから、秘密の話をするにはもってこいの場所なんだ」
「へぇ……。 よく知ってるね」
「まあな。 って、お前なんか俺から距離取ってねぇ?」
そう彼に指摘され、その通り少しでも距離を取ろうとしていた私は、ぶんぶんと首を横に振ると、彼が近付いて来ながら言った。
「大体、もう上着はいらないだろ?」
「いや、いる! 寒いから!」
「寒くはないだろ。 第一、寒いんだったら肩から羽織れば良いじゃねぇか」
「いやだ」
そんな私に対し、彼は息を吐く。
呆れられたと思ったら、彼は優しい声音で尋ねた。
「今は、俺しかいない。 だから大丈夫だ」
「……それの何が大丈夫なの」
泣いていることは、バレている。
それが分かった上での提案であることに気が付き、そう口にすれば、彼は更に言葉を続けた。
「今は、顔を見て話したい。 ……お前の顔が見たいんだ」
「……っ」
なんてキザな台詞なんだろう。
恥ずかしげもなくそう言ってのける彼に、固まってしまう私に対し、彼は「なら」と口を開いた。
「そのまま、一度しか言わないからよく聞いて」
「……はい」
あぁ、多分これ、“好きな人”の話だ。
だって、彼のその声音はいつになく緊張しているから。
私はギュッと目を瞑り、彼の言葉を待っていると、少しの間を置いて意を決したように、彼が口を開いた。
「俺の好きな人は、」
「っ、やっぱり良い!」
「は!?」
私は咄嗟にそう叫ぶ。 そして、耳を押さえて言った。
「大丈夫! そうだよね、好きな人なんて、私達も良い歳なんだからいるよね!!
うん、知ってる! 大丈夫、やっぱりそういうのはプライベートだから聞いちゃいけないよね!」
「どうしてそうなる!? おい、人の話を聞け!」
「元はと言えば、“好きな人が出来たら教え合おう”っていう貴方の言葉を信じてたのに、アランには先に話してるのが何か腹が立っただけだから」
「っ、言えるわけねぇだろ! 見込みもねぇのに、好きな人がお前だなんて!!」
「……は?」
「……っ!!!」
耳から微かに聞き取れた言葉に、私は顔をあげる。
それによって目を見開かせる彼とバチッと目が合って……、瞬間、彼の顔がぶわっと一瞬で赤く染まり、慌てたように私の頭にかかっていた上着を下に引っ張った。
「わっ、ちょっと!」
「聞いてない、何も聞いてないよな! うん、聞いてない!!」
「それは無理があるよ!?」
「大丈夫、俺とお前は今まで通りだ! な!?」
その言葉に、私は彼の手を掴んだまま静止する。
そして、小さく呟いた。
「……それは無理だよ」
「な、何で!」
焦ったような、どこか悲しげな声に、私は彼の手をゆっくり下ろすと、まだほんのり頬が赤く色づいている彼の顔を見て告げた。
「私も、貴方のことが好きだから」
そう呟いた瞬間、彼は目玉がこぼれ落ちるんじゃないかってくらい、見たこともないほど目を丸くしていて。
「……は!?」
そうポカンと口を開けて固まる彼に対し、いよいよ以て居た堪れなくなって慌てて言った。
「はい、以上、解散!!」
「いやいやいや、意味分かんないから!? ちょっと待てよ!」
「!」
パシッと腕を掴まれ、彼の方を向かされる。
目が合ったその顔は真っ赤で、多分、私の顔も同じくらい赤い。
そうして見つめ合えば、彼の方から恐る恐る口を開いた。
「……本当、なのか? 嘘じゃないよな? 夢でもないよな?」
「嘘じゃないし、夢でもない。 そんなに信じられないなら、試しに殴ってあげようか?」
「やめろ。 お前の拳をまともに食らったら一発で夢オチ確定だ」
「なら、信じるしかないね」
そう口にした私に対し、彼は「そう、だよな」とポツリと呟いた……かと思えば、今度はガシッと私の両肩を掴み、声を上げた。
「な、なら、俺達両想いってことで良いんだよな!?」
「! りょ、両想い……? そ、そっちこそ本当に私のことが好きなの?」
そう尋ねた私に対し、彼は迷いなく頷いた。
「あぁ、好きだ。 小さい時からずっと、お前だけが好きだった」
「!? ち、小さい時から!?
ちょっと待って、どうして? そんな、私知らない」
そんな素振りは見せてなかった! と抗議する私に対し、彼は瞳を細めると、私の髪を撫でる。
その表情や手つきは、紛れもなく今までにない甘い雰囲気を持っていて。
嘘ではないと分かっていても、信じられない私はその答えを待てば、彼は開き直ったように言った。
「割と、分かりやすく接してきたつもりなんだけどな。
手合わせの時に加減してたのは、お前を怪我させたくなかったからだし、」
「!」
「好きな人が出来たら言えって言ったのは、お前がもし違う男を好きになったら、そいつと戦おうって決めてたからだし、」
「!?」
「かっ、可愛いとか、女に言うのは、お前にしか言ってないし、思わないからで、」
「〜〜〜!?」
「そう言うと、照れるのも俺だけの特権だと思ってたし、いつだってお前を独占したかった」
「そ、そういう割には、『お前がいれば、一生結婚出来なくても構わねぇわ』とか言ってた!」
私がそう叫ぶように口にすれば、彼は「よく覚えてんな」と驚いたような顔をした後、拗ねたように言った。
「だってそれは、お前に結婚願望がなかったからだろ?
俺は、お前が幸せになれればそれで良いと思ってたし、本気で一生結婚する気がないなら俺もそうして、跡取りは養子を取ろうとか考えてた。
……だけど、お前が成長するごとに、どんどん綺麗になって、周りを虜にしていくから、やっぱり他の男がお前の隣にいるのは嫌だって。
俺はお前が好きで、一生を共に歩みたいんだって。
そう、思ったんだ」
「……!」
そう言って、切実な瞳で私に訴えかける彼が、どれだけ私のことを想ってくれているかが痛いほど伝わってきて。
そんな私に、彼は尋ねた。
「……俺の気持ちを知った今でも、お前にはまだ、結婚願望はない?」
「……そ、れは」
「答えて」
「!」
そう言った彼が、逃がさないとばかりに私の手を絡めとる。
それに気付き全身が沸騰してしまいそうなくらい熱くなるのが分かって。
もうどうにでもなれ、とヤケになった私は、素直な気持ちを言葉にした。
「……正直、結婚とか分からない」
「……うん」
「けど、貴方に好きな人が出来たって聞いて嫌な気持ちになって、」
そう口にした瞬間、蓋をしていた想いが決壊したように溢れ出して。
それが目から涙になって止まらなくなりながら、続きを口にする。
「今まで一番近くにいた、つもりだったから、他の誰かが貴方と結婚する、って思ったら、想像したくなくて」
「うん」
「貴方と一緒にいたいっていう、この気持ちは、結婚したいというのか、よく分からないけれど」
「うん」
彼は私の途切れ途切れの言葉を聞いて、何度も頷きながらそっと頬に伝った涙を拭ってくれる。
その手が、彼の温かな心が嬉しくて。
私は、今の自分の気持ちを言葉にした。
「それでも、もし結婚するだったら……、貴方が良い」
「……!」
「というか、貴方以外、考えられない。 シリルじゃなきゃ、いやだ」
「っ、お前……」
泣きじゃくる私に対し、彼は目を見開くと、ボソッと呟いた。
「本当、ずるいわ」
「え? ……!?」
気が付けば、一瞬で彼の腕の中にいた。
痛いくらいに抱きしめられ、声をあげようとすれば、彼は口を開いた。
「分かった。 お前が嫌がったら諦めようと思ってたけど、もう無理だわ。
俺は何が何でもお前と結婚する」
「!? ひ、人の話聞いてた!?」
「聞いてるよ。 お前の言葉一つ一つ、取りこぼしたりなんてしねぇ」
「そ、そこまでは言ってない!」
この男何言ってるの!? と心の中で叫び、大パニック状態に陥る私に向かって、彼は告げた。
「それと、あれだろ? 結婚したくないとか言ってたのは、両親から“結婚したら妻としての仕事を”って説得されて、騎士にはなれないから諦めろって言われてたからだろ?」
「ど、どうしてそれを」
図星を突かれ、驚く私に対し、彼は「アルヴィエ辺境伯から聞いた」とあっけらかんとした口調で言う。
そして、私をそっと離し、顔を覗き込むようにして笑って言った。
「安心しろ。 もし俺のところに嫁に来てくれるんなら、俺も辺境伯家の人間だから、女性騎士団を新たに設立しても良いし、騎士の仕事をしても良い」
「!? い、良いの!?」
「あはは、やっぱりそっちを心配してたんだな」
「笑い事じゃないよ! これは死活問題なの!」
「分かってるって。 ……何せ俺は、夢を追いかけるお前を、ずっと近くで見守ってきたんだからな」
「!」
そう言って頭をポンポンと撫でられて、それを心地良いと感じるのは、多分、この男以外にいないんだろう。
そんな私を見て、彼はもう一度からかい混じりに尋ねた。
「どうだ? もし結婚するなら、あみだくじで決めた男か、それとも」
「シリルが良い」
上手く彼の手のひらの上で転がされているような気がしないでもないけど、それでも私には、この男……シリルしかいないんだ。
そうして選択した私の言葉に対し、彼は心から嬉しそうに破顔する。
そして。
「だろ!? 絶対幸せにするからな!!」
「わっ!?」
そう口にすると、彼は私の腰を持ち上げ、クルクルとその場で回り出す。
「ちょ、ちょっと! 怖いんだけど!?」
「安心しろ、絶対落とさねぇから!」
「それは当たり前!」
そう怒りながらも、幸せそうに笑う彼の表情に、私まで嬉しくなる。
……悔しいから、絶対言わないけど。
そうしてストンと私を下ろして、じっと見つめる彼の視線に熱が帯びているのを感じ、気恥ずかしくなった私は慌てて口を開く。
「っ、私のことを可愛いなんて言ったの、貴方くらいよ」
「それはお前が高嶺の花で近付き難いからだよ。 ……ま、俺も牽制してるからだけど」
「何それ、聞いてない! というか貴方女の趣味悪いわ」
「それはこっちの台詞だ。 そっちこそ、俺のどこを好きになったんだ?」
「……? 分からない」
「えっ」
彼の傷付いたような表情に、私は慌てて言った。
「だ、だって分からないもの! どこを好きかって言われても全部好きだし、私だって気が付いたら貴方のことを好きになってて、それで」
「わー! 分かった分かった! もう良い!
お互い鈍感だったってことだな!!」
「……じゃあそこは、お揃いなんだ」
「へ?」
何のことだ、と首を傾げる彼に対し、私は笑って言った。
「私達、正反対だと思ってたけど、案外似たもの同士なのかもってこと」
「! ははっ、違いねぇ」
そう言って二人で声を上げて笑うと、やがて彼が私の髪をそっと耳元にかける。
そして。
「ノエラ。 俺もお前のこと、愛してる」
「な……っ!?」
愛してる、という言葉に驚いた私の唇を、彼はそっと塞いだのだった。
どうやら、好きな人の“好きな人”は私だったらしい。
Fin
最後までお読み頂きありがとうございました!
こちら大和ユナ先生による漫画が、
『悪役令嬢みたいに断罪されそうだったけど、全力で愛されてます! 不幸な運命に「ざまぁ」しますわ! アンソロジーコミック(5)』
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