第八話 古都キンシャチへと続く道
ドナドナドナン、ドンナン……
荷馬車に揺られながらふと気づくと感傷的なメロディをエンドレスに口ずさんでいることに気付き、シロは口を閉ざす。もう何度目か。
荷馬車に揺られると自然に口をついて出てくるのだが、ただ物悲しいだけでなく不吉でさえあり、結末にはかならずや不幸が訪れるとしか思えない、そんなメロディなのでこの状況では聴きたくないものだ。
タケさんから借りた馬には配達用の小さな荷車がついており、この屋根のないリヤカーのような荷車の前方に設置された御者台にシロは座っている。荷車をとっぱらった方が速く走れるのだが、シロは乗馬が得意ではない。急ぐ気持ちで慣れない馬を駆ったら、馬にけがをさせるか落馬して首の骨を折りかねない。逼迫した状況にいささか折り合わないが、のどかな田園風景の真ん中を通る一本道を、荷馬車がごとごと揺れる音を聞きながら、シロは古都キンシャチへ向かっている。
古都キンシャチには王宮があり、かつてそこには王が住んでいた。しかしそれは遥か昔の話。長き戦乱の世を経て、現在では別の都が王都になっている。それでも、現在の古都キンシャチは国内でも五本の指に入るほどの大都市として栄えており、その都の人々の生活を支えることで、ナガミ村も潤っている。
広大な森を隔てたヌガキヤ村の住民からすると、有名な王宮――王がいなくなった現在、一部を公開して人気の観光スポットとなっている――は死ぬまでに一度訪れてみたい憧れの地となっている。また、キンシャチは国内最大の学問の都でもあり、学業優秀なヌガキヤ村の子が村から公的援助を得て高等教育課程に進む場合の《《留学先》》がこのキンシャチだ。
ナガミ村より遠くへでかけたことのないシロにとっては、初めて訪れる古都である。
シロは勉強が得意な子供であったが、将来は父の後を継いで炭焼きになると決めていたし、生来の人見知りのため噂に聞く大都会のキンシャチに単身赴くことなど考えたこともなかった。
そのため、ナガミ村と古都の間に広がる広大な田園風景の中を荷馬車に揺られながら、早くも緊張のため落ちつかない気分になっていた。
長い一本道の両脇に広がる広大な畑には、枯れ色の背の低い作物が育てられている。これはハッチョの元になる大豆だ。これから収穫の季節を迎えるのだろう。ナガミ村は商で栄える町だが、農業が一切行われていないわけではなく、ナッチョの原材料は自ら育てている。かつて古都の王宮に王が存在した頃には毎年ハッチョを奉納していたことも、ナガミ村の人々の誇りとなっている。
海猫とタニシ亭の女主人は、ヌガキヤ村がドラゴンに襲われたという情報を皆に共有すると言っていた。万が一竜に襲われた時のために、収穫を前倒しに大急ぎですることになるのだろうが、まだそのような緊迫した様子は感じられない。酒場を出てタケさんの店から荷馬車を借りて出発したのがこの日の早朝で、今はようやく昼にさしかかった時分である。
ドナドナドナン、ドンナン……
また不吉なメロディーを口ずさんでいた。秋晴れの空の下には似合わない、哀愁漂うメロディー。歌詞はこんな具合だ。
よく晴れた昼下がりに
市場へと続く道は紅
荷馬車でごとごと子牛
向かうは屠殺場
今日はビフテキ子牛のビフテキ
柔らかお肉子牛のビフテキ
かわいい子牛は柔らかお肉
子牛は言うよ「残さず食べてね」
ドナドナドナン、ドンナン……
うっすらと狂気を感じさせる頓痴気な歌詞で、童謡として子供が口ずさむのに相応しいのか大人になったシロには甚だ疑問に感じられるのだが、童話や童謡というのは意外に残酷なものだ。「子牛」は口減らしのために売られていく子供の隠喩だとも言われている。歌詞の意味など深く考えず口にしていた子供時代ならいざ知らず、大人になればなるほど陰鬱な気持になるのだが、ある状況下(「荷馬車」+「ごとごと」)に置かれると自動的に口を突いて出る。まるで呪いである。
シロは四辻で荷馬車を止めた。古いがよく手入れされている感じの井戸があった。馬にも人間にも休憩が必要であった。風景は相変わらず見渡す限りの畑だが、日が暮れるまでに古都に辿りつけるのか若干不安を覚えた。知らない土地で野宿は気が進まない。馬にも餌を与えなければならないし。
冷たい井戸水で喉を潤したシロは、荷馬車の横に備え付けてあった桶に水を汲んで馬にも与えた。
「そういえば、お前の名前を聞くのを忘れていたな」
勢いよく水を飲む馬のたてがみをポンポン叩きながらシロは言う。馬を扱い慣れていない炭焼きのシロは、馬が自分の名前を認識するものかどうか知らなかったが、この先しばらく旅をするのだ。ただの「馬」では具合が悪い。
「んーと」
黒い毛並みの小柄な馬であった。たてがみはシルバーだ。
「クロでいいか」
名前を考えることは得意ではない。ちなみに、名前で互いを判別する習性を持たないトロールの子に「トロちゃん」というそのまんまな名前を付けたのは、子供の頃のシロだ。それについては、少し大きくなってから若干の後悔を覚えたシロだったが、もとより名前というものにこだわりのないトロちゃんが「別にこのままでいい」というのでトロちゃんに決定してしまったのだった。
馬が道端の草を食んでいる横で、シロはタケさんが持たせてくれた乾パンにハッチョをつけて食べ始めた。手のひらサイズの小さな壺の中のハッチョは、赤味を帯びた黒色で光沢を放っており、匂いで食欲がそそられた。
「こりゃあ、きれいなもんだなあ」とシロは感嘆の声をあげた。
荷馬車を返しにいったら、本当に樽一杯のハッチョをくれるつもりだろうか、とシロは気のよさそうなタケさんの笑顔を思い出しながら考える。
多分、くれるんだろうなあ。昼なお暗き森をスレイヤーと共に徒歩でヌガキヤ村へ戻らなきゃいけないので、重い樽を背負って行くのは都合が悪いのだが。
「もし」
深刻な顔でハッチョの壺を眺めていたシロは、はっとして顔をあげた。
髪も髭もまっ白な老人が立っていた。見通しのいい四辻で、彼が近づいてくるのに全く気が付かなかったことにシロは驚いた。それほど長い時間ハッチョを眺めて物思いに耽っていたのだろうか。
「もし、お若いの」
「なんでしょうか」
「ちょっと、頼みがあるんだがね」と老人は言った。