第七話 ナガミ村名物赤スープ
ナガミ村名物のスープは、赤味がかった茶色をしているため赤スープと呼ばれる。具材はそれぞれの家庭によってアレンジされるが、基本は大量の野菜に鶏肉や豚肉などを加えるヘルシーかつ腹もちの良い立派なおかずだ。パンやライスを合わせてもいいし、一品だけでも十分満足できる。体も温まり、塩気の利いたコクのあるスープが人気なのも頷ける。
大豆を発行させることでできる赤スープの素はハッチョと呼ばれ、ナガミ村ではハッチョをあらゆる料理に活用する。カツレツにハッチョを加えた甘辛ソースをかけたものが、ナガミ村のもう一つの代表料理、赤カツレツだ。
海猫とタニシ亭の赤スープはジャガイモと玉ねぎ、にんじん、グリンピース、それから鶏肉がごろごろ入っているボリューム満点のものだった。
「久し振りに食べたけど、やっぱりうまいなあ」
シロは柔らかな鶏肉を噛みしめ、呑みこんでから言った。
「あら、ありがとう。でも、ヌガキヤ村の白スープもおいしわよね。お出汁は鳥ガラだったかしら?」
カウンターの中で笑みを浮かべた女主人が言う。その目が笑っていないことをシロは見逃さない。
「あれは、豚骨です。素朴な味わいで、なかなかうまいですよ。でも、所詮は田舎料理だから、ナガミ村みたいに洗練された都会の人の口には合わないでしょう。赤スープほど有名でもないし」
女主人の全身から一気に緊張が解かれ、彼女は目を補足して満足そうに笑った。今度は本当の笑みだ。
ナガミ村の住民は、なぜだか知らないが自村の郷土料理に並々ならぬ誇りを持っている。対応方法としては、もうひたすら赤スープを褒め称えるしかなく、無駄な対抗心を発揮して「いやあ、赤いスープとは珍しいが、やっぱり自分のとこのスープが一番ですよ」などとうっかり口にした場合、その商人はナガミ村内のどこに行っても住民から冷たい対応をされ、這う這うの体で村を後にすることになる。無論、商いは大失敗だ。
ただ、赤スープを褒められると彼らは持ち前の気前のよさ、親切心を持って余所者をもてなしてくれる。ナガミ村で何か頼みたい場合、これは必ず覚えておかなければならない重要ルールだ。
すっかり機嫌がよくなった女主人から、無料の赤スープのおかわりを提供されたシロは、最後の一滴までスープを飲み干してから、要件を切り出した。
「実は、馬を数日間貸してもらいたいんだが」
「馬? 何に使うの?」
「それが……」
ドラゴン・スレイヤーを捜すため、とにかく人が集まる古都へ向かい情報収集する予定だと告げると、女主人は顔を曇らせた。
「まさか……ヌガキヤ村がそんなことになっているなんて」
隣村とはいえ、昼なお暗き森を間に挟むナガミ村では、ドラゴンの姿は目撃されていなかった。
「そういうことなら、タケさん!」
少し離れたテーブルで朝っぱらから濃厚な赤ソースをかけたカツレツを食べていた男が、のっそりとシロの座っているカウンターに近づいてきた。タケさんは赤スープの素ハッチョの卸問屋の主であり、この酒場に配達に来たついでに、朝食をとっていたところだった。
女主人から事情を聞かされたタケさんは、ちらりとシロの前に置かれた空のボウルを見やり、言った。
「それはもちろん、お隣のヌガキヤ村がドラゴンに襲われたとなれば、こちらにも被害がおよぶかもしれん。そっちの費用で退治してくれるというのなら、こっちだってできる限りの協力は惜しまねえ。ところで、そのスープ、どうだった」
「俺、ガキの頃親父に連れられてこの店に来て、初めて赤スープを食べました。それ以来、ナガミ村に来た時は欠かさず赤スープを飲むようにしています。ここの野菜と鶏肉のスープは勿論絶品だけど、俺は硬めの麺を入れた赤煮込みも大好きなんですよ。こんな事情じゃなかったら、ハッチョをしこたま買い込んで村に戻りたいところです」とシロは目を輝かせて言った。
「そうか、そうか。赤煮込みが好きとは、なかなかの通だね。うちにはハッチョの配達用の馬車が何台かあるから、それを貸してやるよ」
一転して破顔し、嬉しそうなタケさんの様子に、シロは若干の罪悪感を覚えた。少なくとも、言ったことの大部分は真実であり、シロはハッチョ料理が好きだ。ただ、子供の頃父親に連れられてやって来たこの店で初めて赤スープを見た時の感想は『うわあ、なんだこれ。鶏の生き血をそのまんまスープにぶち込んだの?』であり、子供じゃなけりゃぶちのめすところだぞ、と鬼の形相のナガミ村の男衆に囲まれ大泣きをしたため、その時のスープの味は覚えていない。『俺の商売を潰す気か』と後から父親にもこっぴどく叱られたのは苦い思い出だ。
シロはタケさんの店に行って、荷台付きの馬を一頭借りた。
「これ、持って行きな。ハッチョってのは携帯食にもなるんだ。パンに塗ってもいいし、食うものがなければこれを舐めてれば気が紛れる。もちろん、スープに入れてもいい」
タケさんは、日持ちのよい乾パンと、小さな壺に入ったハッチョをシロに持たせ、笑った。ナガミ村の住民が旅に出る際には欠かせない、軽くて頑丈な携帯用ハッチョ入れだそうだ。
「ありがとうございます。あの、もう一つだけお願いがあるのですが」
「ん、なんだ。スレイヤーを連れて荷馬車を返しに来たら大きな樽一杯のハッチョがほしい? おまえは図々しい奴だなあ。まあいい。ドラゴン退治はナガミ村にとっても重要なミッションだし、スレイヤー殿にもハッチョを食べてもらいたいからな。いいだろう」
そんなことは一言も言っていないのだが。
シロは気を取り直して、言う。
「それは、とてもありがたいです。しかし、お願いしたいのはそのことではなく」
「ああ? ハッチョより大事なものがあるのか?」
たちまち不機嫌そうになったタケさんに、シロは慌てて言う。
「お借りした荷馬車を無事にお返しするために必要なものなのです。もちろん、ハッチョを土産にヌガキヤ村に帰ることができれば、皆大喜びするはずです」
「おお、そうか。で、なにがほしいんだ」
機嫌が直ったタケさんにシロは言った。
「炭を少しばかり分けてもらいたいのです」
「へ?」
お前のところには売るほど炭があるんじゃないのかと訝しがるタケさんに、シロは一刻を争う旅で取り急ぎ出発したため自宅に寄る時間がなかったのだと説明した。
シロは荷台にハッチョの壺と炭の入った袋、さらに食料袋を載せて出発した。