第十一話 一方、ヌガキヤ村では
「バカなのか、あの女。スレイヤーの剣もなしにどうやってドラゴンと戦うつもりだ」シロは怒りのせいで体を震わせながら大量の皿――どれもきれいに食べつくされている――が積み上げられたテーブルの下に無造作に置きされれていた剣を手にして吐き捨てた。
「俺が届けてきます。村長は逃げてください」
怒りが恐怖を上回って力がみなぎって来たように感じられたのは幸いだった。シロがドラゴンを目撃するのはこれで二度目だったが、禍々しい巨体が二つ、恐ろしい速さで近づいてくる様は一度目と変わらないか、それ以上の恐怖をシロにもたらしたのだが。
素早く踵を返したシロの両肩をヌー村長が掴んだ。
「もう間に合わない。お前も一緒に逃げるんだ」
「は。でも」
「うるさい。黙って来い」
こちらも緊急事態に脳から分泌された大量の物質のおかげで通常であれば絶対にしないであろう行動に出た。すなわち、シロの口の端辺りをゲンコツで殴った。
ヌガキヤ村の住民は、ヌー村長が暴力を振るうところを想像するよりはドラゴンの襲撃を受け入れる方がはるかに容易いと感じる。痛みは大したことがなかったものの、あまりのショックに呆然とするシロの巨体を半ば引きずるようにして、村長は自宅を出た。
どうにか森の入口に逃げ込んだ二人が振り返ってみると、ドラゴンはまだ丘の上に立つ女のところには到達していなかったが、その羽が起こす風は、村長とシロをはじめ木々の隙間から恐々と様子を窺っている人々のところまで届いた。なんとも形容し難い不快な臭いとともに。
「なんで」肩で息をしながら、シロは額からしたたり落ちる汗をぬぐった。胸にはスレイヤーの剣を後生大事に抱えている。
「この剣が唯一の希望なのに」
「剣は、それを使いこなせる者がいなければただの飾り物だ」
「でも、あの女はこの剣を使える」
シロは古都キンシャチでリヴァイアと初めて会った時のことを思い出した。シロの手の中ではまったくのなまくらだった剣が、女の手の中では青白い光を放つ妖剣と化したこと、そしてその刃の切れ味を。
「この剣はね、持ち主の性能によって変化するの。使いこなせるのは、一流のドラゴン・スレイヤーだけ。いわば、剣が持ち主を選ぶのよ」
リヴァイアはそう言っていた。
「使えるかどうかは別として、あの女には剣など必要ない」ヌー村長も激しく息をしながら答える。
「見ろ」
村長の指さす先にいるのは盆地のほぼ中央の丘の上に立つ魔女リヴァイア。表情がわからないぐらいの距離を保った彼らは、そのほっそりとしていながら蠱惑的曲線を描く体を斜め後ろから眺めている格好だ。風にたなびく長い髪と彼女の纏っている裾の長いドレスが午後の柔らかい光にきらめいている。
そして、きらめいているものは、他にもあった。
たらたらとしたたり落ちているらしい――液体。
「なんてことだ」
シロは呻き声をあげた。
「森の魔女は、剣なんぞ必要としない。彼女達にあるのは、食欲。それだけだ」
「それだけ?」
シロは喉元までせりあがってきた吐き気と格闘しながら問う。
「あいつは、本当にドラゴンを喰う気でいるんですか」
「喰う気満々だろう。二匹とも」
「そんなことが」可能なのかとシロは巨大なそれらに視線を向けた。恐らくこの地球上で最も巨大な生物。それは最大級のトロールや、シロがまだ見たことのない海の生物よりもなお大きかった。
大きいだけではなく、やつらの体は、普通の剣や矢では太刀打ちできない硬い鱗に覆われているという。それを傷つけたり破壊したりすることができるのは、同じくドラゴンの爪や骨などから作られた剣だけだと伝えられている。
そして、その剣も、誰でも使いこなせるわけではない。
「森の魔女とドラゴンは、長年互いを滅ぼそうと戦ってきた仇敵だ。剣なんぞ、いるものか」
風が強くなっていた。森の木々によって多少は和らげられるとはいえ、その木々が不穏な音を立てて葉や枝をざわつかせていた。
「もう少し奥に入るんだ。もう我々には手の施しようがない」
村長は身振りも添えて、村人たちを森の奥へと追いやったが、自分は村が一望できる森の入口付近の木の陰から動こうとしなかった。
「あなたはどうするんですか」
「わしはここで見届けなくてはならん。村長だからな」
「では、俺もここにいます」
シロは青ざめた顔で宣言した。ヌー村長は厳しい目でシロをねめつけて、拳を固めたが、溜息をついた。
「仕方ないなあ。お前はすなおでいい子だったが、一度こうときめたら頑として動かなかった。表のあだ名は正直者だが、裏では石頭と呼ばれていた」
「どうせ、ドラゴンが森まで焼き尽くすことにしたら、全員助かりませんよ」
とシロは首を振ってから
「石頭ってなんなんですか。俺がいつ」
「シーッ、見ろ」
村長に促されて村のほうに目を向けると、どうやら女の姿を認めたらしいドラゴン――二匹のうちの先頭をいくほう――が、目標めがけて高度を下げたところだった。
そして
鋭い牙が並ぶ口の中から、まばゆい光がほとばしり出た。それは白く冷たそうな色をしていたが、その光に包まれた物質は一瞬のうちに蒸発して消えた。白い炎は丘の上に立つ女めがけて浴びせられた。
「リヴィ!」
シロは思わず木の陰から叫んだ。
信じられないことだが、女はまだ丘の上に立っていた。だが、先刻までとはかなり様相が異なっている。腰まで届きそうな長い髪はなくなっていた。ドラゴンの鱗から作ったというドレスは、僅かに輝きを増した程度で変わらなかったが、ドレスから覗いていた白く美しい肌は無惨に変わり果てていた。
「な?」とヌー村長。
「はい?」上の空で訊き返すシロ。
「向うに行かなくてよかっただろう」村長の声は少し震えていた。
女の傍らに建っていた火の見櫓は、冷たい光線に捕らえられた瞬間に黒い消し炭と化してから溶けたように消滅していた。そしてそれを取り囲む田畑や民家、その冷たい光線が舐めたかなりの広範囲が、同様に黒い焦土と化していた。
シロの腕から、後生大事に胸に抱えていた剣が滑り落ちた。
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シロとリヴァイアの邂逅の場面、およびスレイヤーの剣については第三章「第七話 襲われた聖人」に登場します。




