第七話 悪夢ふたたび
ヌー村長宅に戻ったシロは、リヴァイアが食堂で一人、テーブルの上に積み上げられた皿の山に埋もれるようにしてまだ食べ続けていた。
「まるで幽霊でも見たような顔ね」口の中に含んでいたものをゆっくりと咀嚼して飲み下してから、リヴァイアは言った。
「そうしていると、やっぱり父親に似てる」
魂の抜け殻染みた覇気のない顔をしてテーブルの前に立つシロに対し、女は情け容赦ない。両手に握った鶏もも肉に齧りつき、丁寧に肉を削ぎ落した骨をしゃぶりつくした骨を皿の上に放る間も、暗い目をして突っ立っている彼から目を離さない。
「俺が殺した」憮然とした顔でシロは言った。
「しゃんとしなさいよ。これからってときに。暴力親父の頭に斧を叩き込んでやったからなんだっていうの? 元気に森を歩き回ってるじゃないの」
「あれでは、死ぬより悪い」
「あんたに、死の何がわかるっていうのよ。そんなに気になるなら、私が斧を引っこ抜いてとどめをさしてあげる。今度は止めないことね」
女の声はシロの耳元でした。驚いて顔をあげると、リヴァイアの顔がくっつきそうなほど側にあった。見開いた瞳は青い硝子玉のようだ。口の端についたソースを、リヴァイアはゆっくり手の甲で拭った。
「あたしはねえ、うんざりなのよ。親の因果が子に報いるとか、穢れた血の一族だとか。そういうものから逃れるために王都に行ったのに、まったくどうしてこんなことになったのかしら」
リヴァイアの瞳に射すくめられて体をこわばらせていたシロは、彼女の方から視線を外されると、がっくり床に膝をついた。リヴァイアは手の甲についたソースを猫のように舐めとった。
「まあいいわ。これはね、私の戦いなの。弱っちい泣虫のあんたは、尻尾を巻いてすっこんでいればいい」
リヴァイアは皿が積み上げられたテーブルを回って窓際に立った。一点の染みもない秋晴れの青だ。女は目を細め、硝子越しに睨んだ。ほぼ平らな盆地にはまばらな民家を囲むように広大な畑が広がっているが、作物の刈り入れは概ね住んでいた。ドラゴンの最初の飛来から十日――ところどころ建物が倒壊したり生々しい焼け跡が残ってはいるが、一見すると秋色に染まった穏やかな農村の風景だ。
「あのう」
遠慮がちにドアから顔を覗かせたのは、ヌー村長だった。村人から絶大な信頼を寄せられる男はやつれ果て、威厳も尊厳も消えている。
「あの、まだお代わりが必要でしょうか。シェフが『もう食材が尽きた、腕も動かない』と」
「結構よ、とりあえず、今はね。ちょっと食後の運動をしてくるわ」
リヴァイアは優雅に伸びをすると、しなやかな身のこなしで部屋を出て行った。その後ろ姿を無言で見送った村長は、床に膝をついてうなだれているシロの肩に手をかけた。
「神父に会ったんだな」ヌー村長の言葉に、シロは頷いた。
「忌み子というのは、俺が魔女の子だからですか」
「言っただろう、そんな非科学的な迷信は、今時――」
「教えてください。あなた以外の殆どの村人が信じている事なら、それがここの真実ではありませんか」
「わしは、そんな迷信を取り払うために村の改革を進めてきたんだ」
シロと村長はお互い身じろぎもせず睨みあっていたが、村長の方が溜息をついて先に目を逸らした。
「忌み子というのは、魔女と村の男の間に生まれた男子のことだ。通常、魔女は女の赤子しか生まない。だから、昼なお暗き森に棲んでいる魔法使いは全員魔女なんだ」
「なぜ、男の赤ん坊は――」
「そんなことは、知らん。おおかた、森の女たちを蔑み禁忌とするだけでは足りなかったんだろう。わしは若い時にこの村の歴史を調べた。実におぞましいものだった。ほんの百年ぐらい前までは、この村はほぼ陸の孤島だった。近代化が遅れた孤立した村落が陥るべくありとあらゆる忌まわしい因習に満ちていた」
「なぜ、森の魔女は禁忌なんですか」
「それは、いつも腹を空かせていた彼女達に、村の穢れを喰らわせたからだ」
「穢れ?」
「流行り病で死んだ者、産声を上げずに生まれてきた赤子、罪人、様々な、生きている者達にとって都合の悪いモノを」
「そんな――」キンシャチのどんまい食堂近くの路地裏で意識を失う前に見た光景がシロの脳裏をかすめて、消えた。
「なぜ、魔女に食わせる必要があるんだ、死体なら、燃やしてしまえば」
「疫病に侵された死体を焼く炎がまき散らす煙が、新たな感染を生むと信じられていた。大気が汚染されると、ヒトは勿論、土壌や家畜もやられると、固く信じられていた。穢れは燃やすのは勿論、土に埋めるのも、川に流すのもタブーとされた。それで」
魔女に、喰わせた――
「狂ってる」シロは喉元までせりあがって来た苦い汁を飲み下して、言った。
「まったく、同感だね。魔女なんて結局、差別され森の奥に追いやられ、飢えた憐れな女どもなんだ。わしだって、ずっとそう思っていた。だが、お前の連れてきたあの女」村長はテーブルの上にうずたかく積まれた皿の山に目をやった。食べ残しはなく、テーブルクロスの上にはパン屑さえ落ちていない。
「森の魔女は、本当にドラゴン・イーターなのか? いくら大食いだからといって、ドラゴンを喰らうだなんて」あんな華奢な女が、とシロは内心付け加えたが、先程まで村の貴重な食料を遠慮なく消費し続けていたはずの女の腹には少しも膨らみがなかった。
「わからん。だが、今は心からそれが本当であってほしいと願っている」
村長に腕を引っ張られ、シロはよろけながら立ち上がった。
その時、窓の外がにわかに騒がしくなった。
「来たぞ!」男の叫び声があちこちで響いた。
シロと村長は急いで窓に駆け寄った。村長が両開きの窓を大きく開け放った。外の騒ぎが大きくなった。
「どこだ?」シロがせわしなく目線を彷徨わせながら訊く。彼はまだ本物のドラゴンに遭遇したことがなかった。
「これまでは、向こうの山からやって来た」
村長が指さした先は、数日前にアックスクラウン大学の調査隊が向かった方向であったが、その空は、どれだけ目をこらしても、一点の染みさえなく晴れ渡っているようで――
「ああっ」シロの口から、悲鳴にも似た声が漏れた。体に震えが走った。窓枠を強く掴んだ指が白くなっている。
「そんな、ばかな」隣に立つヌー村長も目を見開いていた。
小さな黒い点が、今でははっきり見て取れた。それは、危険なスピードでぐんぐん近づいてくる。そして、黒点は、一つだけではなかった。
「みんな、逃げろ! ドラゴンが――くそっ! ドラゴンが二匹来やがった!」
村長らしからぬ品を欠いた怒号が響き渡った。




