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第十三話 朝

 翌朝。

 里に下りるのは怖い、とトロちゃんは言った。

 昨夜遅くまで話し込んでいたシロとトロちゃんは、暖炉の前で予備の毛布にくるまって眠りこけていたところをリヴァイアに叩き起こされた。

 暖炉には薪が赤々と燃えており、テーブルの上にはハッチョで味付けをした粥がボウルに盛りつけられ湯気を立てていた。

「これからヌガキヤ村に乗り込むんだから、まずは腹ごしらえしないと」

 昨晩の兎鍋の肉を食べることをトロちゃんが頑固に拒否したせいか、今朝の具材は野菜だけだった。

「随分と手際がいいんだなあ。料理もうまい。夕べの鍋もうまかったよ」とシロが感心していると、リヴァイアはにんまり笑って「私、王宮で料理人をしていたのよ」と言ってから、少し慌てて「遥か昔の話だけど」と付け加えた。

 てっきり、なんでも丸ごと喰ってしまうのかと思っていたシロは驚いた。そういえば、女の素性もまるでわかっていなかった。尋ねる暇もなかったのだ。

「オ、オレは里には行けない」

 トロちゃんは粥の入ったボウルをスプーンでつつきまわしながら言った。これまでシロ以外のヒトとは交流がなく、森の中で偶然出くわす人間は、彼の姿を一目見るなり恐怖と憎しみ、それから侮蔑の入り混じった凄まじい形相で、腰を抜かすか一目散に逃げ出すかしたものだ。

「みんな、オレのことが嫌いなんだと思う。あのおばさんみたいに」

 トロちゃんの言葉にリヴァイアは眉間の皺を一層深くして彼をテーブル越しに睨みつけた。

「『おばさん』じゃなくて、『リヴァイアさん』よ」

 女は大きな鍋に山盛りだった粥の大半を平らげると、テーブルの向かい、トロちゃんの隣に腰かけているシロに向かって言う。

「こんな子供は足手まといになるだけだから、ここに置いて行けばいい。村よりはここの方が安全でしょう」

「でも、人間になったばかりなのに一人で大丈夫かな」とシロはスプーンの扱いが下手でテーブルや膝の上に粥をこぼしているトロちゃんに不安げな視線を向ける。

「オレなら大丈夫だよ」とトロちゃんはぎこちない動きでスプーンを口に運び、よく噛みしめて飲み込んでから言った。

「食事はどうするんだ? 食料貯蔵庫に少しは野菜や米が残ってるけど……トロちゃん、お料理できる?」

「ん、できない。お母さんは具材を全部大鍋に入れて煮てたけど、オレは森の木の実の方が好きだった。大丈夫だよ。森の中のどこにどんな食べ物があるか、オレの方がシロより詳しいと思う」

「だけど、今までみたいに、夜一人で出歩いちゃだめなんだよ」

「あ、そうかー。オレ、狼や熊と仲良かったんだけど、みんなオレのことがわからないかなあ」

「絶対にわからないとおもう」とシロとリヴァイアは口をそろえて言った。トロールの頃はシロの倍ほどの身長だったが、今はシロに借りた服がだぼだぼで余計に小さく頼りなく見える。

「だから、狼や熊、もちろんトロールにも近寄ってはいけないよ。俺がもし戻ってこなかったとしても、トロちゃんはここに居ていいからね」

 シロの言葉に、トロちゃんはまた大きな瞳を涙でいっぱいにした。その瞳は朝陽の下では緑色に見えた。

「二度と会えないようなこと言わないでよー」

「ちょっと!」リヴァイアが苛立った様子で言う。「盛り上がってるところ悪いんだけど、私を誰だと思ってるの?」

「んーと、おばさ」テーブルの下でシロに足を蹴られてトロちゃんは黙った。

「私の名前はリヴァイアよ。覚えておきなさい。あなた頭が弱そうだから、リヴィって呼んでいいわよ。長いと覚えられないでしょ」

「リヴィおばさん」

 お前も頭からバリバリ喰ってやろうかという顔をリヴァイアがしたので、シロは慌てて言う。

「おばさんじゃないよ、トロちゃん。よく見てごらん。リヴィはどう見てもまだ三十の手前だろ?」

「んーそう? 二百歳ぐらいかと思った」

 トロちゃんは首を傾げてリヴァイアを凝視した。そのグリーンの瞳に、女は少したじろいだ。

「魔女にヒトの年齢は当てはまらないのよ! それから、あなたには許可を与えてないんだから、『リヴァイアさん』と呼びなさい」

 シロは憮然とした。どうやらトロールだったトロちゃんにはシロに見えないものが見えているらしかった。

「あんた、一体何者なんだ。本当に、ドラゴンを退治してくれるのか。そんなことが、可能だと本気で思っているのか」

「退治ですって」リヴァイアの美しい顔が引きつれたように歪んだ。明らかに笑っているのだが、それは禍々しかった。

「そんなことを言った覚えはないわよ」

「な」シロは二の句が継げなくなったが、どうにか気を取り直して絶望を絞り出した。

「それじゃあ、ヌガキヤ村に何しに行くんだ」

「そうねえ。まずは名物の白スープとやらを堪能させていただこうかしら。それから」

 リヴァイアの顔から笑みが消えた。元よりそれは禍々しく歪んだものだったが、さらに表情が険しくなった。

「骨すら残らないように、()()()()()()()()()()

 上唇がめくれて露わになった犬歯がまるで牙のように見えた。


 シロの頭のなかで、かちりと音がした。



 ――お母さん、お母さん

 家の中で泣いている子供がいる。子供は、シロだ。家は、この家。炭焼きだった父が建てた小屋。

 ――お母さん、やめてよ。そんなに食べたら、お腹を壊すよ。

 父親が何日も帰って来ない家の暖炉に鍋をかけて、母親は一日中料理をしていた。そして、できあがったものを、食った。次から次へと。しまいには炊いていない米までぼりぼり齧り始めた。それを見て幼いシロは、泣いた。

 母は絶えず口を動かしながら、その合間に、言った。

 ――森の魔女は、愛を失ったら、食べるしかないの。

 ――森の魔女って、なに。

 シロは恐る恐る尋ねた。

 ――里の人からきいたことがあるだろう。私も、お前に、少し話してやったことがある。

 ――なに、それ

 ――竜をも喰らう悪食の魔女。ドラゴン・イー……



「リヴァイア、お前、まさか、ドラゴン・イー……」シロの顔面からは一気に血の気が失せて蒼白になっていた。

「『リヴァイアさん』よ」ガラス玉のような青い瞳でシロを睨めつけながら女は言った。



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